砂利考(随筆)

[ リスト | 詳細 ]

本ブログのメイン。自然の中、生活の中での出来事の記述。面白かったらコメント下さい。
記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

受け継ぐもの

よく言われることですが どんな健康な人間でも、40歳を超えると死を考え始め
 
50歳を超えると死を意識するようになるそうです。
 
確かに若い頃は死というものが自分に訪れるということは全く考えないで過ごしていました。
 
高校時代の仲の良い私の友人は生まれつき心臓の大きな病気を持っていたため20歳までの命と言われていたので彼は常に死を考えていました。私も少しは意識することがありましたがそれでもその程度でした。
 
医学の進歩で彼は家族を持ち幸せな家庭を築いています。そんな彼も、私も後何年かすると50歳です。
 
閑話休題
 
話は変わって両親が亡くなって意識することがあります。
 
両親から受け継いだものは何か?両親は浪費家であったため資産は残っていません。
不良債権のような管理費と税金のついた団地の一室だけが私に受け継がれました。
売れれば多少は資産といえるのでしょうが売れなければただの不良債権です。今のところとても売れるとは考えられない感じです。ちょっと愚痴が入ってしまいました。
 
さて、確かに物質的にはそんなものだけなのですが目に見えないもの、というかもっと大切なものを受け継いでいることに気づかされます。
 
一つはDNA、癌になりやすいだとか、病気になりやすいだとかそんなことを言えばキリは無いが確かにオリジナルの2人のかけがえの無いDNAを受け継いでいます。これも極論すれば物質的なものかもしれません。
 
更には 家族の思い出あるいは歴史、父のDV、母の病、悲しい思い出を全て含めてもそれは確かに今の私を形成しているやはりかけがえの無い記憶。良い思い出は本当に少ないがそれでも酒にまみれ、世に背を向けつつ生きた父の生き様、そして母の真っ直ぐでありたいと願いつつ、父に流されて堕落していったその日々を受け止め、更にはこの記憶を受け継いで良い物へと変えてゆくことが出来るのであればそれもまた受け継ぐものといえるのかも知れません。
 
そしてことあるごとに思い出される言葉の記憶。母の言葉は特に大切なものです。「頭は生きているうち使え」っていうのは母自身の生き様であり、本当に今の私を導く言葉として生きて働いています。窮地に立ったとき、絶体絶命な時、自暴自棄にならずに頭を働かせる、考える。母の言葉に促がされ、支えられ「考えろ!考えろ!」と自身を鼓舞している自分に気づく時、母は私の中に生きて働いていることを知らされます。
 
父の言葉は残念ながら思い出されることはありません。けれども晩年、入院してから最期を迎える時まで、自分の過去に犯した過ちを全て受け入れるかのようにして無言を貫いて死んでいった父の死に様はやはり私の記憶に強烈に留まっています。
 
さて、私は娘達に何を残せるか?財産なんて残さない方が良いって言いますから、もしあってもすべて寄付してでは何を残せるか?今できることは私の得たもの全てを一度は実演して見せておくことでしょうか?私の作ったもの、論文、著書、などは何れ見せるにしても、それは置いておいても一番にやっとくこと。
 
今は遊びの技術をせっせと伝授してます。ザリガニつり、魚釣り、ヨーヨーなどなど。それとちょっとした護身術とか古式泳法とか、それとやはり30年以上かけて培ってきた料理の技術、などなど。そしてその一つ一つが祖母や母から受け継いだもの。遊びの中でそれらのことを自然に伝えてゆくことが私のできる事なのかなって思います。
 
今の時代、勉強ばかりを優先して最も大切なものを忘れつつあるような気がします。人生の土台になるようなそういうものを今、子供たちには伝えてゆきたいしそれが両親、そして祖父母といった先祖達への供養にもなるのではないかなんてことを殊勝にも思ってしまいます。
 
そろそろそんなことを考える年齢、そしてタイミングなのでしょうか。
 
受け継いだものをしっかり渡してゆく。そのための自身の生き様そして死に様をリアルに意識せざるを得ない時にあるように感じています。
 
 
 
 
自分の見ている世界。
 
感じている世界。
 
価値観を含めての話だが これは個人によって少しづつ違う。
 
それでもってその意味も違っている。
 
地域で、人種で、民族で、全然違う。
 
日本人から見たら大きな不幸が、ある特定の民族にとっては途轍もない幸福だったりする。
 
一夫多妻制を敷く人々を前時代的、あるいは野蛮と見る場合もあるがそれで果たしてよいのか。
 
否定してしまっていいのか。
 
お互いに干渉しない限り、その価値観は不可侵であることが大切でその結果が多様性を生む。
 
それだけではない。この国の小さな地域においても全ての人は違っていて良いし実際に違っている。
 
どういうわけだかそれをある型やジャンル分けして理解しようとしてしまう。
 
あの人はこういう人だ。彼はこういう人だっていう感じで。
 
そんな簡単なものではないのに。そうやって篩い分けして、グループ分けして、序列をつけて、理解している。
 
この世の中の事実は恐らくは唯一つだけなのであろう。例えば雨がふったり、嵐が来たり、地震があったり、誰かが何かをしたりと。そういうことは唯一つのことが起きているのだろう。
 
でも、その捉え方はまるで違う。
 
最近の例では2010年の大晦日は確かに存在した事実なのだろうがその捉え方はまるで違うだろう。特に意識していなかった人も居ただろうし、その瞬間、カウントダウンを楽しんだ人もいるだろう。
 
そこにある事実は同じでもその捉え方が異なるとその人の現実はまるで違うものになる。
 
何が言いたいか?
 
ひとつには他人の評価に惑わされるなということ。それ自身あまり意味があるとは思えない。聞いて共感することはモチロン有りだと思う。でもそれに引っ張られないように。その評価は自分の評価と一致しているか?自分の価値観から逸脱していないか?ということだ。
 
もっと分かりやすくいえばどんなことであれ他人に迷惑が及ばなければ自らへの評価は気にするに値するものでは無いということだ。更に言えば仮に自分が疎まれていると感じることがあってもそれが事実を根拠にしていない場合は自信を持ってこれを否定して己の価値を貫くことが大切になる。
 
イチロー選手もデビュー前にはそのやり方を否定され、試合に出してもらえなかった。疎んじられていたわけだ。その後、新監督になってイチローは日の目を見るのだが諦めて前監督の指示に従っていたら今のイチローは無いだろう。
 
社会人を20年やっていて思うのはイチローを否定したようなやり方をする人物が実に多いということに気づく。これは例えば上司であったり、教師であったり、場合によっては親であったりする。
 
だからと言ってこれに流されたり、自分の意思および現実を根拠にする価値観からの離脱をすると必ず後悔する事になる。
 
共感しえない限りは誰の言うことにも従わないということは実は中々大変なのだがそれが出来なければ多様性ということに矛盾するし、大成することも出来ないだろう。
 
イチローだけでは無い。世に言う成功者達は皆、己を貫いている。平たく言えば「好き」を大切にした人達だ。そのことをもう一度噛み締めて新年を歩んでゆきたいと思う。
 

開く トラックバック(1)

神輿の掛け声

以前読んだ記事に東京のある地域に住むお年寄りが嘆いていたという記事を読んだことがある。
 
神輿といえば昔はワッショイワッショイだったのだが最近はソイヤソイヤという掛け声で他のものになってしまったようだということだった。
 
小生もそのことには少々感ずる事があった。恐らくは地方の掛け声である、ソイヤやセイヤが幅をきかせ、本来の掛け声がなくなってしまうというのはなんだか地元の祭りが土足で踏みにじられるような気持ちになっても無理は無いだろう。
 
小生も東京の神輿といえばワッショイが基本だと思っていたが何と本郷界隈では違うらしい。本郷あたりではワッショイワッショイなのだがお隣の白山ではエッサホイサなのだ。これが最近の流行なのかそれとも昔からのものなのかは分からないが、「お猿の籠屋」の文句でもあるこのエッサホイサは歴史のある掛け声であろう。更にTVでそのような掛け声が流行っているかどうかは知らないがそれほど流行るような掛け声とも思えない。東京といえども昔は小さな村の集まりであったのだから掛け声が違って当然なのだろう。
 
さて、そんなわけで地元であるとかご当地のものが流行りに流されて壊れてゆく様をどのように感ずるかと言えば、最近の多様性流行ではないがやはり同様の危機を感ずる。こういった地域の多少性こそが文化の深みを支えているように思う。
 
ブルドーザーで地ならしをするようにマスメディアに左右されて地元の物を蔑ろにして、全国が画一化することを小生は文化の危機と感じている。

梅の実

少年時代、喉が渇いても水を飲む以外に無かったわけだが
 
梅の実を拾ってきて砂糖漬けにすると梅シロップになる。
 
それを水で薄めて飲むととても美味しかった記憶がある。
 
少ししか出来ないから直ぐに無くなるが残ったしぼんだ梅に水を注いで冷蔵庫に
入れておくとエキスが少しづつ染み出して水に味がついて美味しくなる。
 
何回も繰り返していると梅が水をすって再び丸く膨らむ。それを今度はお八つに食べる。
なかなかこれが乙なものだった。
 
ところがいい気になって種を割って食べると酷い目に合う。梅干のようには行かない。
大変な刺激に襲われることになる。杏の種の中身は杏仁という漢方薬だがこれは劇物だそうで
梅の種も恐らくはそのままでは劇物なのかも知れない。
 
水を全て飲んでは1個の梅を食べ、更に水を入れて、また次の日それを飲むということを繰り返すわけだ。
次第に味は薄まってもほのかに梅の香りがして大変旨かった。
 
そうしている間にも梅の実は日を追うごとに一つまた一つと減ってゆく。そして最後の一個になると勿体無くて中々食べられない。今度は梅を食べないで水だけ加えて、それを飲み続ける。けれども最後には水に香りがつかなくなるのであきらめて仕方なく食べる。梅は柔らかくなってぐちゃぐちゃだがほのかに梅の香りがしてそれはそれで美味しかった。
 
梅酒の残りの梅を食べていてふとそんな夏のできごとを思い出した。
 
 

桜園

職場のある工場敷地内に咲いていた桜は散り、ほぼ葉っぱだけになってしまった。
今年は桜が長く3週間近くも楽しめたが、もう桜の花も終わりだ。

八重桜がちらほら咲き始めている。八重桜は長いから4月下旬まで花を楽しめるだろう。
そんなことを考えながら帰路に着いた。
 
いつもはそのまま駅へ向かうためバス停へ行くのだが今日は何故かその公園に行きたいと思った。 
 
職場の門を出たところにかつては教習所跡地がありその後駐車場になったかと思ったら大きな集合住宅が数年前に建った。駐車場完備のかなり立派なものだ。その裏には30m四方くらいの小さな公園があり中心に欅の大木、公園の縁を囲むように樹齢20-30年程の勢いのある桜の木が数本立っていた。
 
花が散った桜も良かろう。ふとそんなことを考えた。バス停へ向かう道を右に直角に曲がり程なく歩くとその公園に行き着く。公園への道を曲がり歩き始めると公園で遊ぶ子供達の声が聞こえはじめた。陽が伸びたので18:00過ぎだったが辺りはまだかなり明るかった。
 
昔は夕方まで子供達の声がそこかしこに響いていたものだったが少子化の影響なのかこういう声はあまり聞かなくなった。そんな懐かしく楽しげな声に誘われて公園へと歩いていった。
 
公園に目をやるとそこには既に散ったはずの桜が満開であり、工場地帯のこの辺りにあってオアシスのように見えた。母親らしき人が二人、欅の下で話をしており、幼児が3人、小学生が2人ほどが満開の桜の下に居た。この狭い空間だけがまだ春桜の景色を保っていた。
 
この公園にだけ何故、桜が残っているのかは分からなかった。集合住宅が出来たので日当たりが良くなる時期が遅く、咲き始めたのが遅かったのかも知れない。辺りの桜が全て散った後にここだけが桜の季節に逆戻りしたかのような眺めだった。
 
こんな光景を見たことがある。東京の日野という所に住んでいた頃だ。そのころは山で遊ぶしかなかった私達兄弟は休みの日となれば近所の山に行っては朝早くから夜遅くまで遊んでいた。
 
2月の寒い時期だっただろうか。暗い山道に迷い込んでうろうろしているうちに山の深いところまで入り込んでしまった。心細くなりながら歩き続けているとまるで隠し田のようにそこだけぽっかりと開けているところがあり満開の梅が咲いていたのだった。辺りに漂う梅の香りと共に今でも鮮明に思い出す。数にして14-5本はあっただろうか?その景色に圧倒されて息を呑んだことを今も覚えている。
 
その後何度かそこへ行こうと思ったことがあったが成功したのはその後1度か2度であり、何時でも行けるものでは無かった。道がいくつにも分かれていて迷いやすかったためだろうか。
 
中国に桃源郷伝説があるが 同様の経験をした人々が そのようなことを語り、広がり 今のような伝説になったのでは無いかなどと思ってしまう。
 
私の原風景のようなこの記憶と今回の桜の公園はとても良く似ているものだった。誰も知らないところで秘密の花園へ迷い込むような感覚。それを思いがけず明確に想起することが出来たのは何だか嬉しかった。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.
華福
華福
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(3)
  • A級
  • masaki1957825
  • 絵sora
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

ブログバナー

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事