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「とりとり」という言葉を知っているだろうか?
例えば野球をやる。強打者あるいはエース級のトップが2人に分かれてじゃんけんをして勝ったほうから
順番にメンバーを選んでゆく。評価はそのトップ2人によって分かれるものの強打者、守備要因はおおよそ決まっているので戦力はほぼ互角になる。
人数が偶数の時はそれほど問題にならない。最後に採られるほうは複雑な心境だろうがそれでもそれほど問題では無い。
奇数の時、最後の一人だ。これを勝ったほうが選択権を持つ。要るか要らないか。
随分残酷な表現だがこのトップの性格および戦略によって要るか要らないかが分かれる。
皆で仲良く楽しみたいと思えば要るし、戦力的にハンデになると考えれば要らないという宣告を受ける。
中学生の時、班長が班員を取るという「とりとり」会議が放課後開かれたことがある。小生も班長として推薦されていた。でもこのとりとりが気に入らなかった。当然ながら、成績優秀者、スポーツマン、美形を採って行く。それが気に入らなかった。
せめてもの抵抗が 俺は敢えて選ばないよ という宣言だった。まあ小生も多感な思春期時代だったからお気に入りの女の子も居たのだが それを敢えて採るということは 何だか 人として間違っているような気がした。それでもって要らないと言われた人達全てを小生が面倒を見ることになった。
今、思えば其の仲の一人と今も交流がある。ちょっと変わったやつだが平和な家庭を築いて暮らしている。メンバー各位は 1、オタクの女(成績優秀) 2、オタクの男 3、面倒な男(理屈っぽい) 4、クラスの嫌われ者、男(ちょっと不潔+成績下位) 5、アイドルのように可愛い子(ただし気が強い、でも小生の好みでは無かった) 6、学年の嫌われ者、女(不潔+成績下位+性格がちょっと) 7、ムーミン似の性格美人 というレッテルを貼られていた。自分でも酷いヤツだと思うがこのレッテルは少なからず当たっていた。
それにしても露骨に 要らないと したものだ。これで2年生の1学期はスタートした。それなりに良いチームだった。メンバーがまとまらなければならないグループ作業では随分と苦労したけど。良い勉強だった。オタク男女同士はお互い仲が良かったのでその辺も旨くいった理由だろう。
無事に1学期が終わってさて2学期だが 再びとりとりで同じメンバーが要らない宣言を下されたのだ。でもってそれも引き続き小生が面倒を見ることになった。さすがにこれはおかしいだろうと気づくかと思いきや、まあ実際気づいていたのだろうが そのまま2学期は進んだ。今でも思うのだがこのメンバーはそれなりに仲が良かった。小生の配慮が良かったとは決して思わない。けれども はじき出された人同士が力を合わせればそれなりに力を発揮する。
自分が取られる側に回った時、果たして自分は要らないのか要るのか?そんな他人の評価が如何に意味の無いことか?でもそれに振り回されるということも事実だということを思い知らされる出来事だった。
この後3学期はさすがに問題に感じたのか とりとり は無く完全なくじ引きになった。それで良かったのだとおもう。小生はこの1-2学期のメンバー達との信頼関係はその後の中学生生活でも大きな糧となっていったのだと思う。
蛇足だが会社という組織でも少なからず似たようなシチュエーションに出くわすことがある。面倒な人、病弱な人、暗い人、鬱な人など 仕事が効率よく進まないためにこのような人達は蔑ろにされ、冷や飯を食わされている。でもこの人達が無能かといえばそうでは無い。
このような人達をまとめてよい仕事が出来たらなんて素晴らしいだろう。そんなことを夢見ている。難しいことではある。出社拒否する人間と仕事が出来るかと言えば難しい。それでも一人一人の素晴らしい個性が一つになればよい仕事も可能だろうと思う。
まずは小さな仕事を立ち上げてみたいと思う。彼らは大変に頭は良いが意志が薄弱であったり、人付き合いが下手だったりする。そこを如何に旨く持ってゆくかが腕の見せ所なのだろう。今のところかなり難しいがあきらめずに続けてみる。それがもう一つのライフワークなのかも知れない。
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少年期(経験談)
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これは小学5年生頃の話。東京の日野というところに住んでいた頃。ニュータウン計画の一端として山を切り崩した住宅地、其の周りにはただの空き地が沢山あった。赤土がむき出しの斜面には子供一人がすっぽり入るほどの溝が彫ってあり、木の枠どりをした立派な溝があった。 |
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小学4年生の頃だったか、夏も終わりに近付き 相変わらず 色々な遊びに精を出していた。そのころ |

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小学生の時、大胆に 宿題をやらなかったり、廊下に立たされて逃げてしまったり テストを白紙で出したりと 今で言うと 問題児だった 私も 当時 教育が今よりもおおらかというか大雑把だったせいか問題児というよりも 個性児 あるいは 悪い子 ということで 認識されていた。また、精神的な障害があるとまで言われたこともある。 |
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今は不登校なんてのは珍しくも無いが 今から30年以上も前、当時は そんなやつは 殆ど居なかった。 |






