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♪ 「野遊び」 実り(みのり)しころ
空は高い。透き通る水色の空に羊雲が浮かぶ。
フワフワの羊雲をみていると、遠い遠い「昔」に、
糸電話をしてみたくなった。
「もしもし、いま何してますか〜〜」。
かわゆい声が返ってきた。
「はぁ〜〜〜い。ままごと遊びしてま〜す」。
「おぶを飲みにいらしてくださいな 」。
水色の空のなかから
糸電話の先から、
澄んだ秋風のように、
声が返ってきた。
「猫の手も借りたい」と、かり出された「作物の実り」の農繁期が終わると、次は野に子供たちの「実りと遊びの秋」が来る。
刈り取りを終え、黄金色の絨毯を敷く広い田は、子供たちの格好の遊び場所になる。釣瓶落としの日暮れを惜しんで、ドッジボールの歓声があがり、稲棹が組まれた陰はかくれんぼうの場所であり、紫色にまだ染まらない空に、籾殻を燃やす煙が一筋高くあがっていく。その横で女の子たちは、ござを敷き「ままごと遊び」に興じる。木枯らしがやってくるまでの、楽しい子供の「実りの遊び」どきである。
粒々のアカマンマの花は、そのまま「ごはん」になり、柿の照り葉とホウズキでつくった「赤ちゃん人形」を寝かせ、チカラシバは、しごいて「いが栗」にする。実の入らない薄い栗は、ススキの茎を付け足し「スプーン」にする。メヒシバでつくる「コウモリ傘」は、時雨どきのために閉じて置いてあり、また同じメヒシバを、ゆっくりと裂いては「ピラピラ簪」にして髪を飾る。
そんな小道具を大きな葛の葉でつくった「ハンドバック」に入れては、気取って提げ持ってみる。
オナモミは、ふざけあう友達の服を目掛けては「爆弾!」と投げあいをする。またキツネのボタンは可愛いらしい「ブローチ」になって胸元を飾る。ドングリは「コマや、ヤジロベエ」になった。ネコジャラシを首筋にいれ「ケムシ」などと悪戯をした。
「山から戻ってくる男の子の膨らむポケットの中身が、柴栗(シバグリ)と見るや、「おにいさ〜ん、寄ってらっしゃ〜い。おぶ(お茶のこと)が沸いておりま〜す」とピラピラ簪を髪に飾り、しなを作りみんなで猫撫で声で呼び止める。
男の子たちは喜んで足を止め、そしてポケットの柴栗を女の子たちの前に出す。
分け合って食べる小さい柴栗の生は「ゴリゴリ」としていたが、甘みがあり美味しかった。
すこし飽きてくると「花いちもんめ」をする。「後ろの正面だあ〜れ」と遊ぶ。てらいもなく好きな子の名前を言えるときでもあった。
そして遊びつかれた帰路に、山崖一面に繁った葛(クズ)の葉が、一陣の風に一斉に裏を向いて白く裏返る。「ふっ」と子供心にも寂しさを感じる秋の風でもあった。あのころに、喜怒哀楽を自然を通して知ったように思う。秋の夕暮れは少し寒い風も乗せ、子供たちを大きく育てていった。
子供たちの「遊びの実り」の秋であった。
「ままごと遊び」はいろんなことの模倣であったかもしれない。人生のシミレーションをしていたのかもしれない。
そんなことを思いながら秋の休日を、私は遠い遠い糸電話の先に遊んでみた。
♪ 「山の子」 木村徳太郎 楽久我記ノートより
つかのま山彦
叫聲(いらへ)させ
爆音(ひびき)ははるか
遠のいた。
目やにこすつて
山の子は
斷崖まで爆音
追つて出た。
空はうすあお
晝見星
蝶もながれて
雪の嶺。
コケモモちぎつた
山の子よ
いつか山彦
呼んでゐた。
「弘ちゃんは生きている(1)〜(26)はブックマーク「ご挨拶」に入っています・
2006.11.07
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「ままごと」を横目で見ながら、私達はちゃんばらごっこをしていました。本当はチョッピリ加わりかったのに、見栄をはっていたのです。「花のたましい」金子みすゞ:散ったお花のたましいは、/み仏さまの花ぞのに、/ひとつ残らず生まれるの。/だって、お花はやさしくて、おてんとさまが呼ぶときに、/ぱっとひらいて、ほほえんで、/蝶々にあまい蜜をやり、/人にゃ匂いをみなくれて、/風がおいでとよぶときに、/やはりすなおについてゆき、/なきがらさえも、ままごとの/御飯になってくれるから。//
2006/11/7(火) 午後 6:17 [ 道草 ]
こんにちは。おむすびです。 ちょうど、この野遊びのようなことを、一日楽しんでかえってきたところです。今日は夫も息子も食事いらずで、自分だけのご飯を作る気になれず、ネット遊び中。花ひとひらさんのところで、わたしもおままごとに入れてもらいましょう。どんぐりといっしょに「椎の実」も拾ってきたので、すぐに炒って子どもと食べました。「ちいちゃいどんぐりさん、おいしいねー」といいながら。楽しいですね。
2006/11/7(火) 午後 6:21 [ ma_*ha*040* ]
道草さま。「おぶをどうぞ」。きっと可愛い女の子たちに歓迎されたでしょうに。ままごと遊びは面白いでしたよ。ちやんと家族をつくったり、先輩後輩をつくったり、子供たちはよく大人を観察し真似ていたと思います。そうですね、お花はままごとの御飯になり、また子供たちのたましいにもなったのかも知れません。
2006/11/7(火) 午後 9:30 [ 花ひとひら ]
おむすびさま。「おぶをどうぞ」。おむすびさんはいつも子供たちと、ままごと遊びが出来ますね。「椎の実」美味しいだろうな。可愛い子供たちの姿が目に浮かび楽しくなりました。おむすびさん、今思ったのですが、「ままごと遊び」って、ネット(ブログ)遊びに似ていません。うまく言えないけれどなんか似ているような気がしました。
2006/11/7(火) 午後 9:41 [ 花ひとひら ]
柴栗の生の味、なつかしいですね。山の実や野の草は時としておやつでしたね。ポケットから取り出す物、まさしく宝物。ネコジャラシはいたずら用であり楽しい手の感触、ミゾソバの花はままごとに必需品、懐かしい思い出が花ひとひらさんの絵の中に詰まっています。木枯らし1号の冬の始まりの日、あたたかい想いに包まれました。
2006/11/7(火) 午後 11:23 [ あしび ]
あしびさま。お早うございます。木枯らし1号、とうとう来ましたね。野山が赤くならない間に「ドドッー」と。街路樹の赤くなったのが2,3枚飛ばされていました。やっぱりポケットに忍ばせて帰りました。顔まで赤く染まるような紅葉、ご一緒に見てみたいです。ポケットにいっぱいおやつを詰めて・・・。今思えば柴栗もアケビもヤマブドウも最高のおやつでしたね。このあいだ「ムカゴ」を五、六粒、やはりポケットに。ご飯が黒くなりました。
2006/11/8(水) 午前 7:13 [ 花ひとひら ]
こんにちは。昨夜はストーブを点けました。今日は一点の雲もなく部屋の中程まで陽がはいり日向ぼっこを楽しんでいます。秋の木ノ実のおもちゃ箱懐かしいです。所は違っても子供は同じことしているのですね。アカマンマのお赤飯おいしかったねぇ。めったに食べれなかった金平糖もミゾソバだから贅沢に食べました。葉っぱのお人形でお父さんやお母さんはいいんだけど好きな子のは一番綺麗な葉っぱで作り、「だれ」とは云わず大事にしていました。懐かしいなあ〜^^糸電話ありがとう。
2006/11/8(水) 午後 0:21 [ ささ舟 ]
ささ舟さま。昨日の木枯らしは木の葉を随分と散らしてしまいました。今年は色好きが、わくらば(病葉)です。これからぐんと寒くなれば冴えた色になるのでしょうか。所は違っても、みんな自然の恵みの中で大きくなったのですね。胸にしまって秘密にしている大事なもの(誰かがくれた綺麗な木の葉とかどんぐりの帽子とか)も有りますね。糸電話を掛けて遅まきながら、「ありがとう」って。秋の夕べは糸電話を掛けたくなりますね。
2006/11/8(水) 午後 7:27 [ 花ひとひら ]
懐かしい景色が、目に浮かびます。 私は、自然豊かな田園育ちです。 いつも、大きな子小さな子男の子女の子、みんな一緒に遊んでいました。 残念な事に、私の子供たちは、こんな遊びを知りません。 ままごとと言えば、樹脂で出来た、リアルなもの。 創造性は、あまり生まれないように思います。 子供の頃の遊びは、本当に大切ですね。
2006/11/8(水) 午後 8:59 [ うー吉 ]
うー吉さんも田園育ちですか。そうではないかと思っていました。私は山育ちです。でもみんな昔は自然の恵みで、ままごと遊びを良くやりましたね。自然には(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)が有りましたね。樹脂で出来たリアルなものにはいくつの「覚」が有るのでしょうね。でも、子供はどんなものにも、想像、創造を学んでいくから・・・。妖精ちゃんのままごと遊びは素敵でしょうね。およばれに行きたいです。
2006/11/8(水) 午後 10:27 [ 花ひとひら ]