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♪ つ なぎ あ わ せて
奈良県の片田舎の雑貨屋には何でも売っていた。流行とはまるで縁のなさそうな衣料品、果物、肉、魚、調味料、それに下駄や長靴もあった。天井からは大きなザルがゴム紐で吊るしてあって、そのザルが引き下ろされるたびに煮干や鰹節の匂いを運んでくる。その横には小銭の入っているザルもぶら下がっていた。少し頭髪の薄くなったおじさんが、紺色に白字を一杯に染め抜いた大きな前掛けをして、何百種もある沢山の品物を正確に間違わずに注文通りに取り出していた。私はその雑貨屋へお使いに行くのが好きだった。特に祖母に頼まれて腑糊(ふのり)を買いに行く時はスキップをしながら張り切って行く。
途中で、もうもうと土埃(つちぼこり)を立てて走るバスに出くわす。子供の私は砂埃にすっぽり入りこんで目が開けられない。目をつむり小さい手を左右に振って払い、埃を吸わないようにする。そして、バスが遠ざかり埃が地面に沈んで視野が明るくなった先の土手には、ジュズダマの揺れているのが見えた。
ザワザワ鳴る葉の間から黒々とした実が光っている。
「ジュズダマを採らんとアカンな」。私の足は小走りになっていく。
急いでお使いから戻ると祖母がお湯を沸かして腑糊を待っている。伸子張り(*しんし【伸子】 洗い張りや染色のとき、織り幅の狭まるのを防ぎ、一定の幅を保たせるために使う布を延ばす道具)の準備が出来ている。
私は、木と木の間に吊られて揺れている綺麗な布に、私の心は踊る。祖母が腑糊を溶かし終え、洗面器に入れた腑糊を刷毛で塗っていく。まんべんなく丁寧に同じ濃さで塗っていく。そして両端に針の出ている竹籤をまるで測ったかのように等間隔に布に懸け渡して行くのだ。一分の手違いもなく手早く動く祖母の手に、私はすっかり憧憬の目で見ていた。
そして伸子張りが終わって、だらしなくだらんとしていた布が竹籤で固定されてピンとなり、まるで長い長い「竜」のようになる。「乱暴に動かしたらアカン」と言われても、私は面白くその布を揺り動かすのが好きだった。ピンク色の花模様がいっぱい描かれた布は可愛い子供の竜で、黒く光るような漆入りの布は恐ろしい大竜が大荒れしているようだった。
小春のなかで伸子の張られた布、優しい陽をたっぷり吸って夕方には乾く。
伸子を外すのは私の役目だ。小さい竜や大きい竜が畳まれて元の布に戻っていった。
父の薄給では、親子4人(祖母、父、姉、私)の暮らしぶりは満足ではなかった。祖母が縫い子(お針子)の内職をして生計を助けた。祖母の仕立てる着物は、「着易く丁寧に仕上げられていて、着る人を美しく見せる」と評判で大人気だった。祖母は新品の反物だけでなく、こうした洗い張りもして仕立てる。
洗い張りされた反物は依頼者の子供の着物に変身したり、羽織やコートになる。そのときに布が余るが、余った布を依頼者はたいてい要らないと言う。
祖母がせっせとお針の仕事をしていても、自分の着物や孫の私たちの晴れ着を縫う経済的ゆとりはなかった。祖母が針を運ぶ傍らで私は人形遊びをするのが好きだった。その人形の着物は本物そっくりに、祖母が余り布で縫ってくれたものだった。そして、「これはエエ反物やなぁ〜〜。こんな着物の似合うエエ娘さんに「かー子」もなりや」と、老眼鏡の奥から優しい目で言う。私は意味も分からず「こっくり」と頷く。が、ときどきその優しい目が厳しくなり「バアちゃんもいっぱい着物は持ってた。もっともっと、エエ着物やった。みんな戦争のときに米や野菜と交換してしもぅたんや」と、口惜しそうに言う。「残こってたら、どんだけ、かー子にもよう似合うたやろに」と遠くを見るように言うのだった。
しかし、私はそんな祖母の言葉より、余り布をつなぎ合せた「お手玉」を作ってもらえるかどうかのほうが大きな問題だった。
「バアちゃん。ジュズダマが黒うなってたで。明日採ってくるし・・・」と、それとなく催促をする。
そんな私に祖母は、「ボチボチ、針や糸の使い方を覚えんとアカンで」と、糸切り歯で糸を切り、二本指で鮮やかに縫い目を扱いて行く。その仕草は子供心にも、なんとなくドキドキとするものだった。しかし、そんな仕草の真似は早く覚えたが、なかなか真直ぐに針目を揃えて細かく縫うことは出来なかった。
祖母の作る「お手玉」はどんなに乱暴に扱かっても、解れる(ほつれる)ことはなかったし、布の配色がとても綺麗で、一緒にお手玉遊びをする友たちに人気があった。いくら教えてもらっても私の作るお手玉では、「苛め」を誘うばかりだったのだ。
翌日は、ママゴト遊びの小さい籠を持って川原へ降りる。祖母はいつも、お手玉にはジュズダマを入れた。大豆や小豆を入れることは決してなかった。どんな屑の豆でもそれは食べ物だったのである。
ジュズダマを一粒一粒集めていく。枯れた草の匂いが強く鼻につく。川原に吹き付ける風が、スカートを捲り上げもうすぐやってくる木枯しを感じさせる。しかし、私は匂いや風に負けないでジュズダマを籠一杯に集める。そして、ジュズダマの実の芯を丁寧に取り去り、そのいくつかは糸を通して首飾りにする。
首飾りは手の中で擦り合わせると、「ザラザラザラ」と風や波の音になり、私の胸を飾ってくれた。
大きな角缶に、(金糸銀糸、夢のような色や地模様のある布、漆が入ってピカピカ光っている布、触れるとツルツルとして触る手までが滑りそうな布、描いた葉っぱの端こっだけ、山か川かと想像するだけの端布、花で埋め尽くされている布、絞りのでこぼこ布、透けた布など)が、大小不揃いに入っている。その缶を開けると、布たちが光を放ったように目に飛び込む。そんな夢のような蓋を開け閉めするのが、私は大好きで嬉しくってしかたがなかった。退屈な雨の日は、その缶ともう一つ別の缶の開け閉めが楽しかった。別の缶には、米粒ほどの布をこっそり貯めていたのだ。「こんな小さな布屑を置いといたら、ノミが湧くやんか」と祖母が言う。私は本当にノミが湧くかどうか興味津々で貯めていたのだ。雨音を聞きながら「どんな綺麗なノミが生まれてくるか」と、ドキドキしながら恐る々少しずつ開けて行くのだった。
(しかし、それは糸屑やゴミを散らかし、雑な生活をしているとノミが発生すると言うことらしかった。
ノミは生まれてはこなかった)。
缶の中の布を何枚かを彩りよく組み合わせ、長方形に切り揃え袋にしてジュズダマを入れて行く。手の中に色とりどりのお手玉が、次々と乗っていった。柔らかい手触りのお手玉だった。
あのお手玉を何処にやってしまったのだろう。一つも手元に残こってはいない。
そして私は今、時々着物を着る。祖母が「戦争で失った着物のこと」「口惜しい思いのこと」そして、「白く光った糸切り歯」。それらをみんな背中に背負い(背中心に集め)着物を着る。
「バアちゃん、どうや!エエ女やろ」と姿身に我が身を映すが、いまだ、「ハハハ。エエ女と違いまんな」と祖母の笑い声が聞える。
♪ 「良い基盤」 木村徳太郎 童謡詩【日本の旗】ノートより木村徳太郎
とてもでっかい
目をしてる
街のお路は 良い碁盤。
でもねあまりに
大きくて
これに合ふ碁石(いし) ありません。
それで指す人
ないのです
日永一日 あいてます。
だから碁盤は
陽に燒けて
埃にまみれて 汚れてる。
2006.12.12
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「さらう=浚う」は浚渫=きれいにする(clean/dredge)という意味ではないですか。「おひとつおとして おさーらい・おふたつおとして おさーらい・おみっつおとして・・・おひとつお馬に乗りかえ おさーらい」なんて。ま、私はお手玉を投げて遊びましたから。女の子を浚うどころか蹴られました。篠竹の鉄砲に「グシ玉」と呼ぶ竜の髯の様な草に生る実を詰めて、女の子を撃って逃げました(ハハハ)。笑ってるバアイか。
2006/12/13(水) 午前 6:20 [ 道草 ]
おむすびさま。野山はいつも子供たちを包んでくれる。0歳からからもう野の匂いをかぐことの出来るおむすびさんの所の子供たちは幸せです。子供だけでないよ。そうして遊べるおむすびさんも輝いている。野を駈けるおむすびさん、想像して楽しんでいます。
2006/12/13(水) 午前 8:54 [ 花ひとひら ]
おいちのさんさま。綺麗なお手玉、飾りにもなりますね。あの手ざわり、優しく温かいものでした。きっと義母さまの作られたお手玉は受け継がれて、いまでも皆さんを喜ばせているのではないでしょうか。お手玉もだし、綺麗な布を触ったり観るのも楽しいです。
2006/12/13(水) 午前 8:59 [ 花ひとひら ]
道草さま。笑ってしまいました(失礼)女の子と違い馬に蹴られたのではないですか。ジャノヒゲ(竜のひげ)の綺麗なブルーの玉、雪の間から見えるのはとても綺麗です。私たちも鉄砲作って飛ばしましたよ。でも命中はなかなか。道草さんは子供の頃から撃つのも逃げるのも速かったのですね。
2006/12/13(水) 午前 9:06 [ 花ひとひら ]
「撃つのも逃げるのも速い」とは、イケナイ事をして逃げ足が速いよーに聞こえるじゃないですか。伸子張りで干してある布の上に蛙を乗せたり、立て掛けてある板張りの上からボールを転がして受けて遊んだり、そんな子供らしい遊びばかりしていましたけど。母に見つかれば、なぜかいつも叱られました。どうしてなのでしょう?
2006/12/13(水) 午前 10:19 [ 道草 ]
道草さま。お母様がお叱りになるのは温かい愛情からだと思いますよ。子供って遊びから想像力豊かに育てられる「よくこれだけ次から次に悪戯を考え付く物だ」とお母さんは思いながら、きっと感心して居られたのではないでしょうか。伸子張りに蛙がのって「粗相をしたのでは、ボールで布が汚れては」困ると叱りながらもきっと微笑んでおられたと思いますよ。悪戯が育たって、情操豊かな道草少年が生まれたのですね。
2006/12/13(水) 午後 5:19 [ 花ひとひら ]
ジュズダマ!今もよく見かけますが摘むことはありません。でも、花ひとひらさんの絵や文章で、みなさんのそれぞれの思い出がひとつになりましたね。おじゃみに入れるといい音がしました。右と左の手の間を行ったり来たり、ふたつからみっつになり、よっつになると高かぁくあげて。針仕事のおばあちゃんの糸切り歯。伸子張り、そして、雑貨屋さんの小銭入れのざるの伸び縮み。懐かしい大事な光景ですね。>大豆や小豆を入れることはなかった。どんな屑の豆でもそれは食べ物だった。いつの時代でもそれは大切なたいせつな心ですね。
2006/12/13(水) 午後 11:58 [ あしび ]
あしびさま。有り難うございます。あしびさまや皆さまと思い出を共有出来るてとても幸せです。先日の研修会で「思い出を語りあったり、思い出すのは脳の活生化に最大効果がある」と講義がありました。「なるほど」と・・・。昔は食べ物を大事にしましたね。(1)
2006/12/14(木) 午後 0:55 [ 花ひとひら ]
祖母はお櫃に残った米粒を太陽の力を借り、干米にし貯めて缶に入れていました。それを炒って醤油を少し落としたり、お砂糖を足してお八つにしてくれたり。食べる物が乏しくって屑の豆を大事にしていただけではなく食物に「有り難う」の気持が有るから自然とそうなったのでしょうね。米粒子供たちが鶏を飼っている時は餌にしていましたが、いまはポイポイ庭に(畑)捨てています。雀がときどききて突いています。蜜柑の皮はひよどりがつついています。みんな自然の一粒だと感じます。
2006/12/14(木) 午後 1:02 [ 花ひとひら ]
花ひとひらさん ご無沙汰しています。田舎の雑貨屋さん、○○百貨店とついた名前に都会の百貨店とはずいぶん違うものだと子供心にとても不思議でした。字をそのままに受け取れば田舎の百貨店にも百種以上の品物が売られているんですよね(笑)
2006/12/17(日) 午後 5:05 [ あかずきん ]
あかずきんさま。訪問有り難うございます。子供のとき、たまに大阪のデパートに連れて行ってもらいました。それは驚く別世界でした。そして田舎の店も百貨店と言うのが不思議でなりませんでした。でもなんとなく百貨店というのも頷けたりで、子供なりに頭を悩ませていました。いま思い出すと面白いです。冬は野花が少なくなります。あかずきんさんの所でお花見をさせてもらいます。
2006/12/17(日) 午後 9:50 [ 花ひとひら ]
こんにちは、貴方の「お手玉」はいつまでも貴方の心の中に有り、生き続けているのでしょうね。「ジュズダマ」TBして見ましたが、この方法でよろしいでしょうか、または改めて転載させていただいても可能ですが。如何でしょうか。
2007/6/10(日) 午後 5:00 [ アンクルなが ]
アンクルながさま。今日は懐かしい記事を読ませていただき、臆面もなく、TBに挑戦したのですが上手くいきませんでした。でも掲載してくださったのですね。有難う御座います。懐かしい昭和30年代ですね。場所はちがっても、子供たちはいきいきとして、優しい大人がいましたね。有難う御座いました。
2007/6/10(日) 午後 7:26 [ 花ひとひら ]
初めて覗かせていただきました。アンクルながさんからお邪魔しました。今年の冬孫に腕輪を作ってやりました。先日大事そうにうでにはめていました。
2007/6/10(日) 午後 9:22
真砂のおじさま。おはようございます。訪問ありがとうございます。みんなで「オールウェーイズ3丁目の夕日」ですね。あの時代を振り返ることが出来る幸せ。そしてそれをおじさんのように孫さんに話してやれる幸せ。すこしでもあの時代の心を復活させたいです。数珠だまで腕輪!こちらまで嬉しくなりました。ありがとうございます。おじさんのところへ今からいってみます。つながりを祝福して。
2007/6/11(月) 午前 6:30 [ 花ひとひら ]
ありがとうございます。そうです。この「伸子張り」にヒットしてここへ案内されたのです。普段記事をアップしてもよそへ訪問する暇もなく、今日は何かご縁があったのでしょうか。本当にうれしいです。
改めてこの記事を読んでみて、おばあさまと花ひとひらさまとのご様子が絵に浮かんできます。どのようなお仕立てをなさっていたのか想像が出来ます。家計を支える内職といえどもご自分の仕事に誇りを持っておられたのですね。「着易く丁寧に仕上げられていて、着る人を美しく見せる」簡単そうで一番難しいことです。
そのようなおばあさまに育てられた花ひとひらさまは、様々な思いを「背中心に集め」凛とした着物姿は十分「エエ女」になっていらっしゃると私は思います。
これからも エエ女の着物姿、鏡に映してください。
2009/4/9(木) 午後 10:40
ジュズダマの思い出。私も小さな頃は これでお手玉を作りました。母はミシンの内職で忙しかったので、かなり幼い頃から針を自分で持ち、チクチクやっていたように思います。気が付けばいつも一人遊びでした。そうそう、お年玉でやっと買ったお人形の着物を自分で縫った覚えがあります。今の私が見ても不思議なくらい着物の形になっています。母が陰干ししてあった着物を見ながら作ったのです。いつかブログに載せようと思いながら・・・。
ジュズダマは今はほとんど見かけませんね。懐かしいです。
今夜は ここで遊びすぎました。笑
また伺います。今日はありがとうございました。
2009/4/9(木) 午後 10:50
ひさえさま。有難う御座います。私もお気に入りに入れさせて頂きます。楽しみです。
(旧い投稿文はシステムが変る前で、戻ってみると形体が可笑しいですね。もう直ぐブログをはじめて3年になります。一度書庫や諸々を整理しなければと思うのですが、なかなか出来ませず、読み難いのをお詫びいたします。それにもめげず読んでくださり有難う御座います。
2009/4/10(金) 午前 7:05
今お友達整理してましたら
偶然に花ひとひらさんの数珠玉が出てきて 驚いてますよ。
私のは小豆だけどお手玉 懐かしくて持ってます。
年には勝てない運動神経 片手で長く出来たのに
今は途切れ途切れのです。
今昔 そんなホンノリしたページありがとう御座います。
ポチで又出してみますよ。
2009/10/3(土) 午後 8:17 [ - ]
志乃さん。有り難う御座います。エッエッエッ!驚き。
(これに合わせて現在じゅずだまの絵を描いていた所です。また画像だけ加えます)
志乃さんは片手ででも上手に幾つもまわせたのですね。私は下手で(運動神経が駄目)両手で一つずつ受けたりしていました。でも作るのは好きでしたよ。いまあの作り方で大きな枕(昼寝用)作ったりしています。
今昔、大好きです。これからも書いていけたらいいな〜〜。大昔のがポチポチでじゅずつなぎになって嬉しいです。有り難う
2009/10/4(日) 午前 10:11