来た道行く道通りゃんせ/風にのって花ひとひら

のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

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節分

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    いろいろな鬼 ( 柊 挿す)
 
          雪が雨に変わった。

          雨音に「ポツポツ コロコロ」

          小さな春の足音を聞く。


          思い出を転がすように

          「ポツポツ コロコロ」

          豆を炒る。


          善しも悪しも

          年の数だけの思い出と

          生きた証の数だけを

          「ポツポツ コロコロ」

          半紙に包む。
 花ひとひら   

 節分の日の夕食は、鰯の丸焼きと炒り大豆ごはん。祖母が上手に頭と骨だけになった鰯の目を柊で射抜く。柊が鰯の目を突き刺さす時、私はおもわず「イタッ!」と目をつむる。体が硬ばる。祖母が「恐がらんでもエエ。鬼が、自分の目をつきとおされると思い、そして柊にチクチクと刺され、鰯の匂いに驚いて近寄ってこんのや」と言う。
「そんなん、幾重にも痛めつけたら鬼が可愛そうやんか」と私は思う。
そのころの私は、父が読み聞かせてくれる浜田広助の、「泣いた赤鬼」の“青鬼”が大好きだった。“赤鬼”は嫌いだった。「自分だけ楽しく遊んで、どうして青鬼を探し出し、一緒に遊ぼうとしないのか」と腹も立てていた。そして、青鬼を思うと幾筋も涙が頬を伝い、父を笑わせた。後年父は、「泣いた赤鬼」の絵本をじいっと眺めながら涙を落としている私を見て、「寂しい境遇の女の子だ」と不憫に思いほんとうは父もまた悲しかったと言う。
父に叱られたり、友達に苛められると私は一人でよく山に入った。足元の小さい花や赤い実、沢を横切るカニ。ときには鳥が優しく又驚かすように鳴く。山の静寂に身を置いていると、なんだか、お話のあの青鬼が近くにいて私を呼んでいるような気がしてくる。私はキョロキョロと木々の間に青鬼を探し始める。が、風が吹くだけで 青鬼の姿などあろうはずはない。でも、そんなことを幻想するだけで私の心は落ち着いていった。青鬼は優しい心の友達のように思えた。


「泣いた赤鬼」
村の子供たちと友達になりたい赤鬼のために、決して鬼は恐ろしいものではないと気づかせるために、青鬼は乱暴を働きそれを赤鬼が退治する。そのお蔭で赤鬼と子供たちは友達になれ、その平穏が続くように青鬼が身を隠すというお話だ。

いまなら理解は出来る。赤鬼もきっと辛かっただろう。楽しく遊ばないと折角青鬼がしてくれた好意が無駄になるのだから・・・。

私は今でも、青鬼が残して行った手紙を読むと涙が出てくる。


「あかおにくん、 にんげんたちとは どこまでも なかよく まじめに つきあって、たのしく くらして いって ください。

ぼくは、しばらく きみには お目に かかりません。このまま きみと つきあいを つづけていけば、 にんげんは、 きみを うたがう ことに なるかもしれません。
うすきみわるく おもわないでも ありません。それでは まことに つまらない。そう かんがえて、ぼくは これから たびに でる ことに しました。

ながい ながい たびに なるかも しれません。 けれども、ぼくは いつでも きみを わすれますまい。どこかで またも あう 日が あるかも しれません。 さようなら、 きみ、 からだを だいじにして ください。
どこまでも きみの ともだち    あおおに 」
(浜田広助 泣いた赤鬼より)

これは、「千の風になって」の歌と重ならないだろうか。
「お墓の前で泣かないで下さい。私は千の風になって、私はあの大きな空をふきわたっています」と・・・。

青鬼は言っている。
「僕はいつでも君を忘れますまい。どこかでまたも逢う日があるかも知れません」と・・・。
そして、「姿や形は見えなくても、いつまでも忘れず 体を大事にして 生きて下さい」。と言う。

青鬼は旅に出てしまった。しかし、きっときっと、風になって赤鬼や子供たちを見守りいつも傍にいるのではないだろうか。
そしてそれは、<青鬼=思い出>ではないだろうか。
私は、青鬼(思い出)に見守られて生きているのだと思う。
私には私の年の数だけの(思い出)がある。それは友達でもあるのだ。
青鬼は言っているではないか。


「私」が青鬼を忘れる事がないかぎり、「どこまでもどこまでもともだち」と・・・。



そして、それとは別に、大人になった私は青鬼以外の鬼も知った。心の中に住む邪な鬼。人間の顔の鬼・・・。しかし、そんな鬼は、「チクチク」と柊(ヒイラギ)に刺されるだろう。そして、「チクチク」と刺す柊自身も、いずれ刺を失い優しい丸葉になって行く。「鬼」も「刺」も消滅して行くのだ。
節分の夜は”青鬼”を捜し、思い出を転がそう。
そして、鬼や刺を、一つづつ消していければ幸せと思う。
夜の帳のなかを、柊の白い花の匂いが広がる。
どこかで青鬼も、この匂いに包まれていることだろう。



炒り大豆ごはん

節分の夜は鰯を焼き、豆を炒る。
炒った豆を 水に放つ。
「ジュー」と香ばしい匂いは小さい春の匂い。



材料
米カップ3・大豆(乾燥)カップ1/2・酒大匙1・塩小匙1/2
作り方
1)米は炊く30分位前に洗ってざるに上げておく。
2)大豆を洗って水気を切って、厚手の鍋(焙烙)で、時々混ぜながら
弱火でほんのり焦げるまで煎る
3)それを水に入れる(この入れたときの音、「ジューッ」は爽やか)
4)水カップ3(先の大豆を放った水も使う)強、塩、酒を合わせ、そこへ、米と煎った大豆を入れ、出汁昆布を乗せて炊飯器で普通に炊く。(これにニンジン、アブラゲ、シイタケなどを入れてもよい。)
5)炊きあがったらしゃもじで混ぜて出来上がり。
6)お茶碗に盛り付け、ゴマをふる
炊飯の水加減は、お好みでお試しください。


        節分     木村徳太郎      夕暮れノートより 

       
           寒いくさめを

           ひとつして

           あの子は 柊

           門に挿す。

           きつと鬼も 来ないでせう

           寒くて鬼も 来ないでせう。


           こうとつめたく

           ひとつなく

           冴えてる鷺の

           しらじらさ。


           まだまだ春は 来ないでせう

           ほんとの春は まだでせう。


           ひそかな寒の

           月の街

           皸(あかぎれ)ぬくめて

           いそいでる。


           帰れば火種も あるでせう

           家には火種も あるでせう。
   


2007.02.01

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この詩を読んで改めて父の偉大さ(おこがましくも、言葉の偉大さ)を感じ入りました。節分のごろは満月で「月の街」になるのです。詩を丁寧に読んでいただきとても嬉しいです。それと柊は古木になると、感性だけでなくほんとうに刺がなくなり丸葉になるのですよ。節分の夜は鬼の能面めぐりも良いでしょうね。

2007/2/2(金) 午前 8:59 [ 花ひとひら ]

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大豆ご飯はやったことありませんでした。孫娘が3才位の時だったでしょうか。鬼の面をかぶり楽しくって仕方がないように豆をまいたり、まかれて逃げたりしていました。交代して鬼のお面を息子が被ったら、パパだと分かっているはずなのに怖がって大泣きしたことがあります。なるほど自分の顔は見えないのだ・・・と妙に納得したことでした。

2007/2/2(金) 午後 10:12 [ おいちにのさん ]

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おいちのさんさま。雪になりましたね。春の雪でしたが明日の節分が雪だと鬼の足跡が残るのでしょうか。そうか鬼の面をつけている自分の顔は分かりませんね。素顔でも自分の顔は自分では分からない(鏡は反対に映っているし)のと一緒でしょうか。大豆ごはん騙されたと思って一度やってみて下さい。私はデータ捏造はしませんよ。大豆は青豆大豆が美味しいみたいです。いつもコメント有り難う御座います。

2007/2/2(金) 午後 10:52 [ 花ひとひら ]

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昨日は待望の雪が散らつきましたのに、それも昼前には止んでしまいました。屋根や垣根にうっすら積もった雪は、瞬く間に消えて、残念ながら雪見酒はまたもやお預けとなりました。 今日は節分。年の数より1個多く食べると風邪を引かないとか。このトシになれば歯を痛めないように注意しませんと・・・。「節分やつもるにはやき町の雪」久保田万太郎。

2007/2/3(土) 午前 6:51 [ 道草 ]

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道草さま。こちらはまだ雪が積もっていますよ。雪の上を渡ってくる風はとても冷たく、でも梅がほころび、青空、とて贅沢な早春賦の世界を味わっています。京都から比叡山は見えませんか。山は真っ白。雪見酒に相応しいですよ。豆も年寄りには堅いので柔かい甘納豆や黒豆納豆を撒く人もあるようです。柔かい塩豆で一献、意外といけるかもしれませんよ。

2007/2/3(土) 午後 2:00 [ 花ひとひら ]

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役行者の前鬼と後鬼はどちらが赤鬼でどちらが青鬼なんだろう・・そして自分もまた、青鬼なんだろうかと読みながら思いました。蔵王堂では、「鬼も内!福も内」とどちらも節分は家の中に招き入れます。「鬼さんと今日も楽しく遊んでいます。改心した鬼さんは可愛いです。お目メが水晶です。

2007/2/5(月) 午前 8:11 吉野の宮司

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吉野の宮司さま。コメント有り難う御座います。役行者の前鬼と後鬼は夫婦ですね。ほんと、どちらが赤鬼で青鬼なんだろう。「泣いた赤鬼」の中でもう一度見直してみます。少し長くなりますが、私の記録として書かせて下さい。私は節分行事を物心ついたころから欠かさず豆を撒き、柊を挿して来ました。子供の時は鬼が可愛そう。大人になると節分は自分の願掛け、そして家族ができると恵方をむいて、家族の健康と幸せを祈る行事でした。(1)

2007/2/5(月) 午前 9:34 [ 花ひとひら ]

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そして、この年になって坂村真民先生の「節分の詩」に心打たれています。吉野の宮司さまは坂村先生たちの教えを次世代に伝えて下さっています。有り難い事だと思います。鬼たちとせんべいを食べる真民さんの心と宮司さまの心が(父も含め)繋がるように感じられます。(2)

2007/2/5(月) 午前 9:38 [ 花ひとひら ]

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<節分の夜 >(坂村真民)/鬼やらいで追い出された/鬼の親子たちが/タンポポ堂に集まってくる/悉皆有仏性と/おっしゃったんだから/鬼にも仏性がある筈/よしよしといって/おこしやせんべいを出してやる/夜が明ければ/また行く処もあろう/お祭りだから/我慢するんだと/言いきかせ/鬼たちと/念仏をとなえる //節分はやはり宗教行事ですね。私も改めて、色々考え、学べる機会を与えていただることに感謝しております。

2007/2/5(月) 午前 9:39 [ 花ひとひら ]

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坂村真民氏の「節分の夜」私も心打たれました。>悉皆有仏性と/おっしゃったんだから・・・と朝まで鬼と一緒に念仏をとなえる。吉野の宮司さんの蔵王堂の「鬼も内、福も内」、自分の心に唱えたいです。能面の中に「蔵王」という怪奇な相貌の面があるのですよ。蔵王権現を写したものといわれています。「嵐山」とか「国栖」という能に使われます。昔、役行者が地上で苦しむ人たちを救う神を顕現するため、強い神を、もっと強い神をと祈るうちに憤怒の形相の仏が炎の中から現れ、これが蔵王権現だと。そんな能面を思い出しました。

2007/2/5(月) 午後 3:35 [ あしび ]

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あしびさま。蔵王は「もっと強い神をと、祈るうちに憤怒の形相になったの」人々を救うためには何にも負けない強い物が必要だものね。そしてそれが最高に達した時が品格になるのでしょうか。私には能面の事は分かりませんが、同じように恐く見える般若とは又違うのですね。能面ってじいと見ていると喜怒哀楽が全て滲んでくるようです。自分の心を映すのかしら。

2007/2/5(月) 午後 7:36 [ 花ひとひら ]

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あしびさんにはこれからも能面のこと、そして内面のこと、一杯教えていただかないといけません。これからもよろしくお願い致します。私は恐い感じの能面や、鬼や人に優しさを見つけ出せた時、とっても幸せです。真民さんの詩はどれも本物と言う感じで好きです。早く亡くなられて残念ですね。

2007/2/5(月) 午後 7:39 [ 花ひとひら ]

はじめましてcocoroです。吉水宮司さまのところから飛んで参りました。青鬼のお話とても心に響きました。ありがとうございます。私の暮らす仙台には「蔵王」があります。今は国定公園になった中に祖父が建てた山の家があり、幼い頃から蔵王に行くのは大好きでした。蔵王の名前の由来を知って蔵王権現という神を知り、山頂にある「お釜」はきっと蔵王権現がお風呂に入る場所なのだと幼心に思っていました。四季を通して神々しい山です。お気に入りに登録させていただきます。よろしくお願いいたします☆彡

2007/2/7(水) 午前 9:48 L Etoile

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cocoroさま。ご訪問ありがとうございます。あまりに素敵な舞姫さまでいらっしゃるので私は足跡を残せずに・・・。申し訳有りません。私もお気に入りに入れさせて頂きます。薔薇の花と、田舎の野菊の違いであっても、琴線の触れるものを感じます。こうして素敵な方に巡り合えることに感謝して。よろしくお願い致します

2007/2/7(水) 午後 6:23 [ 花ひとひら ]

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読ませていただきました。花ひとひらさんの心の中にいる赤鬼、青鬼へのそれぞれの思い、なぜか、他人事とは思えません。
逆説めきすが、私は世の中というものは、善人ばかりだと成り立っていかないような気がします。
この世を、先に進めて行くには「鬼たち」の存在がかかせないように思えるのですが・・・

2010/2/4(木) 午後 4:48 [ afuro_tomato ]

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afuro_tomatoさま。有り難う御座います。古い記事ですが読んでくださり有り難う。えらそうに>刺を失い優しい丸葉になって行く。「鬼」も「刺」も消滅して行くのだ。>なんて言っていますが、なかなかいくつになってもそうは行かないところもあります。これは願いかもしれません。でも歳をとってくると鬼を住まわせるのも、追い出すのも面倒に思えてくる。またその時に寄って(環境とかによっても)思いがかわることもあります。
でも鬼も必要なのは同感です。
炒り大豆ご飯はおいしいですよ。是非お試しください。

2010/2/5(金) 午前 0:04 花ひとひら

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浜田広助の童話「ないた赤鬼」の本を探しに本屋へ行ってきます。好きな話だったような気がして懐かしくなりました。おかげさまで子どものころを思い出します。大豆ご飯も作ってみたくなりました。食べたことも作ったこともないので。福岡から取り寄せる一、(点)堂というところの「長寿豆」は黒炒り大豆ですがそれでご飯を炊くとお赤飯のようになるそうです。

2010/2/5(金) 午後 3:02 [ isabella ]

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isabellaさま。有り難う御座います。節分になると、ないた赤鬼や青鬼、タンポポ堂に集ってくる鬼たちのことを思い出します。そして昨年一年私の中の鬼は?等と思います。
浜田広助さんの童話も好きです。小川未明さんとはまた違った優しさの溢れる作品です。小さいときに読んだ本は意外と人の原点になっているかもしれません。子供たちに広助童話や未明童話をたくさん読ませたいです。
黒炒り大豆て黒豆のことですか。黒豆のおこわも美味しいですね。長寿豆てどんな豆だろうと興味があります。銀飯と黒豆の配色も美しい。えっ!白黒で無く赤飯ですか。赤くなるのでしょうか。赤米は小豆なしでも赤飯になりますが黒豆も…。黒豆は葡萄豆といって御節の時、たっぷり出汁を吸い、葡萄みたいにプクプクに膨らんだ、甘い豆がが今でも好きです。(食べ物の話になるとお喋りが弾みます(笑)一点堂、教えてくださりありがとう。

2010/2/5(金) 午後 11:29 花ひとひら

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そうですね、葡萄豆とも言いましたね。確かに日本製品は何でも売ってはいるのですが自分の欲しいものとなるとそうでもないのです。明日からまた、難民の移動のように大荷物を抱えて旅立ちます。喧騒のアジアの都市に身ををおくと日本は何と穏やかな国だろうと思います。経済が多少停滞したところで物質的にはすべてに満ち足りているのです。13億の市場は経済関係者には魅力と思いますが落ち着いた国であることはほっとします。

2010/2/7(日) 午後 0:21 [ isa*e*la_0*66 ]

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isa*e*la_0*66 (イザベラ)さま。再訪有り難う御座います。 そうですね。なんでもあるというのと、ほんとうに欲しいものとは違うのでしょうね。まして外国にいると不便ですね。息子が開発途上国(変な言い方ですが)に居ます。カレーが好きな子なのでレトルトカレーを送ったら「こちらにも日本製品はいくらでもあるから」て言われ驚いたのです。でもそれ以上に驚いたのは荷物を受け取りに行くのに、現地の人に頼まないと危険だと聞き、日本の安全と平和ボケをしている私に唖然としました。>日本は何と穏やかな国だろうと思います。経済が多少停滞したところで物質的にはすべてに満ち足りているのです>格差が広がっているとはいえ、本当に穏やかな国だと思います。そのことを考えないといけませんね。

2010/2/7(日) 午後 4:35 花ひとひら


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