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新緑遊行
薫風の中を新芽が黄金のように耀いています。エネルギを抱き込んだ丸い新芽が光ります。川の水が光と踊っています。心萌えますね。
奈良室生川の支流で育ちました。新緑のころ、全校生徒が遠足を兼ねて、室生寺、赤目四十八滝、石仏の写生大会に行きました。
次頁に転載させていただいた絵のような風景を描いたように思います。耀く緑のグランデーション。田舎の一本道。五月の光と風をたっぷり吸った室生川。そんなことが彷彿としてきます。そして、あのときの私の描いた絵に、何かが足らなかったことに気がつきました。それは「光」です。目に光を感じとることは出来ていたのでしょうが、画用紙の中に、それを描くのを忘れていたのか、描く度量がなかったのか・・・。
いまその光と、風、水、空、山、全てが描けているような絵に出合いました。次頁の(安達太良山と阿武隈川の春)をごらんください。
あの室生川のせせらぎと煌き、すべてを被う陽光。そして懐かしい水音が聞こえ、風が見えてくるのです。
光の溢れる一本道を、私は車で駈けて行きます。何処へ向かって行くのでしょう。お借りした絵と一緒に私の拙文を・・・・。(転載許可有難う御座いました)
一筋の光
浅黄色の布地をなびかせ、流れるように新緑の中を車は駆ける。助手席に置いてある色とりどりの布地が、フロントガラスから差し込む一筋の“木漏れ日”に、鮮やかに映えていた。 湖南市のキリスト教会が運営する介護施設へ、音楽ボランティアとして通ってもう二年になる。教会では基金集めに、信者たちの手作り品を並べたバザーが常時開かれる。私は、いつもはボランティアの役目が終わると、急いで帰宅をしていたが、そのとき、バザーに出される袋物の品がふと目にとまった。ミシン目がぎこちなく歪(ゆが)んでいるのだ。私は、思わず手を伸ばして、帰る時間も忘れて糸目を解いていた。そして「家でミシンを掛けて来ますから」と、了解をとってその袋物を持ち帰ったのだ。
子供のころ、着物の仕立をする祖母のそばで、余り布をもらい、縫い物の真似をするのが好きだった。祖母の仕立てた着物は、着易く型崩れがしないとの評判だった。でも自分や孫の私たちの着物を縫う経済的な余裕はなかったようだ。「こんな着物の似合うエエ娘さんになりや」と、祖母は言いながら、眼鏡越しに優しくほほえむ。私は意味も分からずこっくりうなずき、(もしお伽噺に登場する小人になれたら、<小人の私>にいっぱい服や着物を縫ってあげるのに)と、そんなことを夢見ていた。
やがて成人して洋裁学校に通った。昔の<小人になりたかった夢>をかなえるかのように、季節ごとにせっせと手作りの服で身を飾った。時には、振り向く人もある自信作も生まれた。
結婚後、子供が誕生してからは、「手作り母さん」を目指した。「子供は着せ替え人形と違う」と叱る夫を無視して、汗で手がべたつく夏も、寒さに手がかじかむ冬も、ひたすらミシンを踏んだ。帰宅の遅い夫を待ちながら踏むミシンの音は、ストレスを発散させる特効薬にもなった。それは過って、自分が得られなかった母親像を、自分の中に実演しているかのような満足感があった。親子おそろいの手作り衣服は、外出時によく注目され、私を有頂天にさせた。昭和六十年度の『ジャノメミシンクラフト大賞』にも選ばれた。子供たちは、「お母さんの手は魔法みたい」と目を輝かせてくれる。昔のお伽噺の世界が実現したようで幸せだった。
しかし、あれほど母の手作り服を喜んでいた娘が、「店で買った服の方がよい」「お母さんとはセンスが合わない」と言い出したのだ。私の縫い方は、子供の成長に合わせて、幾度も仮縫をした。子の成長を喜ぶ縫い物だった。私が嬉しいように子供たちもそれを喜んでいると信じていた。しかし、それは私の勝手な思い込みであったようだ。いつしか、ミシンの音は絶えていった。
娘の出産が近づいた平成十三年の秋、一人のミシンセールス嬢が訪れた。彼女は、私が「ミシン好き」だと言うことをひと目で見抜いた。見抜かれた心地良さと、初孫の服が縫える喜びに、私の胸は高鳴った。即座に最高級品のコンピュターミシン三十万円を買った。そのミシンは、絨毯(じゅうたん)のような分厚い布地も、紗のように薄い布地も実になめらかに縫える。早速、私は新生児の孫の服や布団を嬉々として縫った。そんな中で一番やりたかったことは、娘の古着を解き、孫の服にリメイクする楽しさの復活だった。だが、物は溢れている。縫い直す時代ではなかった。娘は「無駄や」と、私の申し出をあっさりと一蹴した。私は、よく考えもしないでミシンを購入した軽率さを悔やみ、夢は再び萎んでいった。ミシンはカバーを掛けられたまま放置され、私の愛着心は、冷たく凍結し、またこのミシンの音は絶えていった。
「家にはどんな布地でも縫える高級ミシンがある」。
私は助手席の布地を「ポンポン」とたたきながら、車を走らせる。縫うことへの情熱に再び光が当たったのだ。差し込んでくる木漏れ日に、私は迷路に迷い込み探しだせなかったものを見つけ出した気持だった。小物袋の糸目を解いたあの日から、私はミシン掛けのボランティアを買って出た。そして「無駄や」と私を悲しませた娘が、「子供の幼稚園の絵本袋を縫って下さい」と、丁寧に頼んできた。我が家に、軽やかなミシンの音が響き始めた。「私の出番」は来たのだ。布地を真っ直ぐに走る縫い目は、まるで一筋の光のように流れて行く。その光は、日ごとに太くなり、幸せをもたらしてくれる。
♪ キリン(ジラフ) 木村徳太郎 「ドウブツ(動物)序詩」ヨリ
キリンノクビニ
テフテフガトマル。
キリンハオシャレ
ネクタイツケテ
ダアレモコナイ
ツユアルヨアケ
サクノワカメヲ
コツソリタベタ。
タベテ キリンハ
メメヲホソメテ
ニゲタテフテフヲ
スマシテミテル。(昭和17年、8月)
2007.05.05
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私も母の手作りの洋服やセーターで育ちました。兄弟でお揃いの洋服。とても自慢でした。そして、私も子供達に手作りの洋服や小物を作って着せました。とても楽しいひととき。母の喜びを感じていました。私は、出来上がりの品よりも出来上がっていく工程が大好きだったのです。そして今でも、料理でも洋裁でも出来上がるまでの工程が大好き!それが子供達に伝えたいんだけど・・・。何も言わず、見せるだけ・・・。わかってくれてるかな〜?
2007/5/5(土) 午前 7:57 [ ぱやこ ]
ぱやこさま。手作りは楽しいですね。いろいろ考えていく工程、私もこれが大好きです。また共通しましたね。きっと妖精ちゃんやこやじ君は見てないようで工程を見てますよ。だからみんないろんなものを作るの好きなんだと思います。お料理も上手だし、素敵なファミリーですね。私もまたいろんなことを手つくりして楽しみたいです。でも、もうお揃いは駄目ですね。(^-^)
2007/5/5(土) 午後 8:12 [ 花ひとひら ]
このGWで店の前のけやき並木も新緑がはじまってきました。桜が終わったこれからの季節は、新緑が美しい杜の都仙台です。花ひとひらさま、ぜひ一度遊びにいらして下さいませ。七夕にはヴァイオリンの四重奏のコンサートを企画しています。
2007/5/6(日) 午後 10:52
おはようございます。今朝は早く目が覚めました。ええ〜30万円のミシンですか、思い切りましたね。そのときの胸のふくらみ判るような気がします。あれもこれも縫いたい、喜ばしたいというよりまず自分自身が描く世界を作りあげて、せっせとミシンに向かっていること私でもありました。新しいミシン使い易いですか?私も子ど服は六年生ぐらいまでとお姑さんの夏服はせっせと作りました。今はもっぱら和布に刺し子をしています。
2007/5/7(月) 午前 5:59 [ ささ舟 ]
cocoroさま。私は井の中の蛙のようですが、出かけてみたいです。青麻のお神楽、岩戸神楽のフラメンコ、みてみたいです。そしてcocoroさんのレストランの料理も食べたい、ブァイオリンも聞きたいと夢は広がるばかり。「杜の都仙台」と聞いただけでもわくわくします。いつか叶えたいことです。こちらはもう新緑のエレルギーで溢れ返っています。田んぼには水が張られ、蛙の大合唱が始まっています。
2007/5/7(月) 午前 6:10 [ 花ひとひら ]
ささ舟さま。ウフ、おはようございます。みんな早起きですね。私は子供が時差で丁度日曜の昼?になるので、ネットの無料電話をするのに早起きです。ハイ、連休にもちゃんと娘は縫い物を持ってきて私に仕事を与えて?くれました。30万は(これは何とか商法だとも言われていますが)私が納得して買ったのでせいぜい楽しく使います。(もうだいぶ役に立ち元は取れたかな?)ミシンの話になると勢いついて長くなります。(1)
2007/5/7(月) 午前 6:20 [ 花ひとひら ]
手つくりは楽しいですね。ささ舟さんもいろいろ楽しんでおられるし。刺し子もいいですね。私はさいきん根気がなくなってきて、細かいことは駄目です。でもやりだいたら夢中になるタイプです。名前も入れられるのでなんでもかんでも孫のものには名前を入れたり刺繍したり(楽しいですよ)音も軽く歌っています。
2007/5/7(月) 午前 6:21 [ 花ひとひら ]
短大の時の春クラスで、赤目四十八滝にはじめて行きました。もう半世紀たちましたがはっきり覚えています。新緑の滝に光の陰影がきらきら水に映り若者たちを魅了したこと。室生の里の穏やかで黄色い菜の花があれほどに綺麗に感じたのもはじめてでした。いまもあの時と同じ野道を歩いて赤目の涼を愉しみたいですね。
2007/5/7(月) 午前 6:28 [ ささ舟 ]
風若葉・・そんな言葉がぴったりの季節到来ですね。こちらにお邪魔して・・あ!!やはり風景画も描かれる・・早合点に思ってしまいましたが風若葉が見えるような景色が目の前に広がって開設一周年を祝っているようですね。本当に一周年??・・もっと以前から知っているような・・嬉しい気持ちを味わっています。ミシン大好きな花ひとひらさんにスカートの生地をプレゼント・・というお話しも思い出しました。
2007/5/7(月) 午前 7:58 [ 翁草 ]
ささ舟さま。お借りした絵は川の音が聞こえてくるでしょう。光もいっぱい。室生の里はこんなふうでしたね。いまはシャクナゲが綺麗でしょうか。私、室生川でおぼれたことあるのですよ。でもそんなことより、あの水の美しさ、緑の光、私も歩きたくなりました。菜の花も一面でしたね。もうすぐ川辺には蛍が菜の花の化身みたいに一杯。でもあのときのままかしら。機会があれば訪ねてみないといけませんね。
2007/5/7(月) 午後 7:08 [ 花ひとひら ]
翁草さま。有難う御座います。そうです一周年記念に自分へのお祝いに絵を借りました。(とても好きになった絵なのでこれからも、時々眺めて、もう少し頑張ろうと思います)私も風景画を描きたくなりました。でもすぐに、あの山の麓にはササユリが咲いている?あそこにはバイモが?あの土手には夏アザミが?なんて花の絵になりそうです。ぼちぼちそちらに伺います。嬉しいです。有難う。
2007/5/7(月) 午後 7:16 [ 花ひとひら ]
うーーーん!この文にもうすこし前に出合ってたら・・・。 実はね、あの「ゆめっこ」に飾ったキルト、とても大きいのでミシンキルトにしようとしたけど、手持ちの安物ミシンではひきつれて縫えず、やむなく手縫いにしたのです。ゆめっこにいけるときだけではできなくて、家に持って帰って縫いましたが、2メートル50センチ四方あるのでそれはそれは大変で・・・
2007/5/7(月) 午後 9:40 [ ma_*ha*040* ]
今日、診察だったのですが、「なにかやりすぎましたね!」としかられてしまいました・・・。てづくりのものは少しぶかっこうでも、味があって大好き。私はほんとにへたなんだけどね。 わたしも靴屋さんにいるような小人になりたかったの。でもへた。残念だけどそれでもてづくりしまくってます。
2007/5/7(月) 午後 9:44 [ ma_*ha*040* ]
まーめさま。そうでしたね。気が付かずにごめんなさい。「ゆめっこ」の大きなキルト、いくらでも手伝ったのに(なんて大きくでました)今度また機会があれば言って下さい。お医者さんに叱られてまでおやりになったのですか。う〜ん。もっと早く気づくべきだった。手作りは不恰好が良いのです?。心が補ってくれるから。小人さんって良いよね。今でも憧れます。好きな人にはポケットに入って素敵な夢を。意地悪な人には襟足に入ってチクチクと。
2007/5/7(月) 午後 11:08 [ 花ひとひら ]
ミシンの軽やかな音が、音楽のように聞こえて来るようです♪ある時期から子どもは自分を主張して行きますね。それが成長なのでしょうが。でも、再び、ミシンをかける喜びが見つかって良かったですね。それにしても、そうとうな腕前だと思います。その腕前を必用としている世界はたくさんあると思いますよ。古いのを解いて作り直すことは、とてもステキなことなんですけどね。昔の女性は、そう言えば着物を縫っていましたね。そんな祖母を思い出しました。
2007/5/8(火) 午前 8:57 [ - ]
おじいちゃん。有難う御座います。ミシンの軽やかな音まで聞いていただいて嬉しいです。軽い軽い静かな音です。前に使っていたミシンは、娘時代に使っていたものを嫁入り道具で(新品でなく)持って来て、随分子供たちのものを縫ったのですが、どうも調子が悪くなって(足踏みミシンだったのですよ)買い換えたのです。タイミングよくセールスの人が来て。
2007/5/8(火) 午後 8:53 [ 花ひとひら ]
だから、新品ミシンは今までと違う新しい歴史をこれから刻むのです。(でもね。目も悪くなったし、以前ほど細かいことは出来ません)今日は楽譜のスタンドを入れる袋を縫いました。いかに格好よく作るか考えるのが楽しいです。じいちゃんには、なんだか(着ぐるみ)を縫ってあげたい気がします。なんの着ぐるみが合うかしら。そんなこと考えるのも楽しいですよ。(月光仮面とかはどうですか)
2007/5/8(火) 午後 8:54 [ 花ひとひら ]
こんにちは♪ 先日はコメントありがとうございました。
お父様の詩は、何て温かくて、おやさしいのでしょう。
とても、心癒されます。 セピア色の記事もとても懐かしく拝見しました。 詩とひとひらさんの絵が醸し出す、美しい日本の風景、
いつも感動します…
2007/11/27(火) 午後 4:12