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♪ 大和西瓜の種子
種袋を裏返してみる。種苗地がタイ、中国と記載されている物が多い。タイ国や中国で作られた種を蒔き、日本で育てられた作物は国産か外国産か、などと考えてみたりもする。
種袋を「シャカシャカ」振ると、遠い昔の音がする。
七歳まで過ごした奈良の八木町は賑やかな商店街だった。戦後復興の活気が子供心にも感じられ、闇市もあった。お寺で遊び惚ける私たちの傍らで包帯姿、松葉杖の傷痍軍人が大銀杏にもたれて、アコーディオンをひいていた。お金を上げたいと思うが、一個5銭の大きな飴玉を買わねばならないので、しっかりと握り締める。飴玉はとても大きく、小さい私の口の中を右から左に移すのが困難で泣き出したこともあった。戦時中に配られ、そのまま姿見として祖母が使っていた「鬼畜米兵」と書かれた鏡の前でリボンを結んでもらい、進駐軍の払い下げの赤い靴を履き、大阪まで出ることも簡単で、都会の息使いがすぐ隣りに感じられた。銭湯の広い脱衣場では、浪曲会があり勇ましい立ち回りの得意な芝居一座も来た。戦後復興の活気と、戦争の傷跡が交差する庶民の息遣いがむんむんとするそんなところだった。
そんな活気を捨てるようにして、私たちは田舎に引っ越しをしてきた。
祖母は田舎(者)が大きらいと言う。生粋の大阪人で、四天王寺の前で手広くやっていた店を、空襲で失い、戦時中に高価な着物を、余儀なく芋や米に変えてしまった口惜しさを、思い出させる田舎だという。
子供の私が一番先に田舎に溶け込んだ。戦後の影も薄く、豊かな山や川の恵みの中を私はかけめぐった。しかし、農業の辛さや、それを生きる糧にする人々の心奥深くまで理解することは出来なかったようだ。
お盆の供物と一緒に大量の西瓜の果肉が、川の岩陰に汚く捨てられている。私は不思議に思い、一番仲良しの粉川さんにそのことを聞いた。
村は種採り西瓜の産地で、西瓜の種子が種苗業者に高く買い取られること。村一帯の農家はそれを収入源にしていること。そして果肉はいらないものなので捨てるのだと言う。
「西瓜が食べたかったら、実は捨てるんやから食べに来たらええよ」と言う。
私は驚いた。八木町では叔父が八百屋を営んでいたが、西瓜は高価な売り物だった。毎日口に入られるものではなかった。そんな西瓜が捨てられ食べ放題だと言う。私は大喜びで行った。粉川さんのお母さんが「いくらでも食べて。食べてくれたら助かる。」と大歓迎してくれた。何処の家も果肉は食べ飽きて、見向きもしないらしい。私は天国のように思えた。毎日毎日西瓜を食べに行く。大きな盥に西瓜がいくつも無造作に切られ、最初は遠慮して食べているのだが、だんだん美味しい先のところだけを食べ、種子だけを噛まないように綺麗に出す。帰りには、西瓜をジュースにして、大きな薬缶になみなみと溢れ静かに持って帰らないとこぼれるほどに入れてくれた。来る日も来る日も私は西瓜でお腹がはちきれそうだった。
粉川さんのお母さんが「Kちゃんは、なかなか種子を出すの上手やね、種子に傷をつけずに食べてくれるし。お家にも持って帰って、家の人にも食べてもろたらええわ」と言う。
私は大きな西瓜を、ギンガムチエックの吊りスカートで受け、大事に持ち帰った。粉川さんも同じように、膝まであるスモックに、西瓜を大事に包み込んで家まで送ってくれた。
家族に西瓜を食べさせてやれることに、私は得意になっていた。「父ちゃん。西瓜貰って来たで。いっぱい食べ!」「姉ちゃん西瓜やで、西瓜!」「婆ちゃん、西瓜の種子は噛んだらあかんで」と、種子だけを口に残し「プッ」と大きく吹き飛ばしながら大はしゃぎで言う。みんなも大喜びで食べた。
西瓜の種子が綺麗にお皿に集められ、プツプツと黒光りしていた。私は大満足だった。粉川さんという親友が持てたことが嬉しかった。田舎が大好きになった。田舎の児になりきっていた。
しかし、悲劇は起こったのだ。
お皿の中の黒く光る綺麗な種子は、その夜ネズミに全部食べられてしまった。
お皿に全部の種を集め、次の日に粉川さんに渡そうと流しのテーブルにザルを被せて置いたその種が、一粒も残っていなかった。全て消えていた。
祖母は「ものを貰ってお返えしをしないのは大阪人の恥や」と、大事にしていた桐箱の小物入れを、お礼に返すことに気を使い、西瓜の種子が消えてしまった事を、さほど重大事とは思っていなかった。
「西瓜の種子。ちゃんと集めたんやけど、ネズミに全部食べられてしもうた」
私は桐箱だけを手にして言った。
その翌日、粉川さんが「やっぱり他所者(よせもん)を信用したのがあかなんだ。他所者は他所者や。もう他所者と遊んだらあかんとお母さんが言わはったし、これからは遊ばへん」「ネズミに食べられんようにするのが人間やろ」と激しい口調で言った。
認識が違ったのだ。粉川さんには西瓜の種子が、命のように大事なものだったのだ。それを私たちは、大事なものだろうけど西瓜の種は廃棄物という意識が奥底にあったのだと思う。
西瓜の種子は、各家の門外不出品であった。果肉を川に捨てても、種子は一粒たりとも残っていなかった。
「他所者!(よそもん!)」
私はこの言葉が、ずっしりと乗っかかった。心に激しく渦巻き澱ませた。
しかし、私は家に帰ってそれを言えなかった。祖母は自分の大切にしていた桐箱を粉川さんにあげているのだ。それは、西瓜だけでなく粉川さんが、私と仲良くしてくれている感謝の気持も入っていたからだと思う。私は自分一人の心の中に、「他所者」という言葉を渦巻かせていた。それ以後、粉川さんは本当に私と遊んでくれなかった
半世紀後の同窓会で、私は粉川さんと再会した。「あのときの西瓜の種子、ゴメンネ」と謝る私に、彼女は何のことかと首を傾しげていた。
そして彼女から大きな西瓜が送られてきた。彼女は隣村の専業農家に嫁ぎ、西瓜も作っていると言う。便箋に「西瓜の種子はいりません」と書かれていた。
私の周りの者は<種子なし西瓜>は知っていても、誰も<種子採り西瓜>など知らないと言う。しかし、私は大きな西瓜を見ると、西瓜ジュースの入った大きな薬缶と重なる。歩くたびにこぼれるほどに入っていた西瓜ジュースの薬缶を思い出すのだ。
種袋にタイ国産、中国産とある。
私は送られてきた西瓜の、種子を土にもどした。外国産でも国産でもない<仲良しさん(産)>の西瓜が出来るだろう。
♪ 「西瓜堤燈」 木村徳太郎 【楽久我記】ノートより
夕顔柵に
出た月よ。
提灯
西瓜のやうな
背丈が伸びて
大人になれば
目、鼻を
刻(く)つて吊ろうもの。
夕顔柵に
出た月よ。
2007.07.12
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まーめさま。随分と雨が降りましたね。外出に足を取られませんでしたか。夏はじめに食べたスイカの種が芽を出し、涼しくなったころピンポン玉のような実をつけます。なかなか可愛いですよ。以前には大きなスイカも作ったことがあるのですが(子供と記念写真を取ってあります)いまは何も作っていません。現在はスイカの種は嗜好品として売られているようです。ポリポリと美味しいかもしれませんね。スイカは大好物です。黄色や小玉西瓜や黒西瓜もありますが、私は大きな縞目の西瓜に包丁を入れるとき幸せを感じます。(どうしてか4つ割り、8つ割りの西瓜は買いません)種無し西瓜も買いません。食べ物には昔が刷り込まれているようで、なかなか変えられないヘンコです。かき氷をかけて、贅沢な食べ方ですね。これは今度やってみてもいいかな。西瓜を食べるときもカニを食べるときも静かになりませんか?まーめさんは西瓜の皮を食べませんか、ぬか漬けにしたり、酢の物にしたり、あんかけにしたり・・・。
2007/7/12(木) 午後 11:03 [ 花ひとひら ]
丹波の田舎で夏の三大おやつは、胡瓜・茄子・トマトでした。太陽に照らされて、かぶりつくと生暖かくてそれほど美味しくはありませんでした。それでもそれしか無くて、腹が空けば食べるしかありません。西瓜は、盆のお供えのお下がりを貰えるだけで、年に一度の高値の花でした。文字通り、天国のおやつでした。「西瓜をくおう」八木重吉:西瓜をくおう/西瓜のことをかんがえると/そこだけ明るく/光ったようにおもわれる/はやく/喰おう//
2007/7/13(金) 午前 8:12 [ 道草 ]
道草さま。
私の時代もまだお八つはたいしたものが有りませんでした。父はいつも土と接している人たちを尊敬していました。いつも「日本は瑞穂の国だから」言っておりました。が非農家で作物を作り出す術は知らなかったようです。(そのギャップは大きいです)胡瓜も茄子もトマトも人が作ったものを頂く。(自分の思い通りに手に入るものでは有りませんでした。だから三大お八つも、私からすれば生でかぶりつけるなんて天国ですよ。西瓜なんか「天上のアイスクリーム」(永訣の朝)
そういうことが身に凍みているので、今でも西瓜の皮まで食べます。
「西瓜をくおう」の詩を有難う御座います。まったく私の心情を歌っているかのようで感動いたしました。「はやく喰おう」逸る心までが映されて素敵な詩だと思いますが、そんなに慌てて食べると種が盲腸にいくよ
2007/7/13(金) 午前 10:23 [ 花ひとひら ]
こんにちは。
楽しく読ませていただきました。
読んでいるだけで、映画の一場面のように、様子が浮かんできます。
「他所者!友人達と遊び言葉で「ヨソモンだもんねえぇ♪」っと自分の事に使う「約束無しで、友人達仲間の所に偶然来た時」
こんなに辛い、深い意味があるとは知りませんでした。
はなちゃんは、西瓜が大好きです。
夏でも冬でも食べます。
青い外側だけ取り去り、白いところの食感もカリカリと好きです。
タイ産でも中国産でもない、仲良しさん。
とっても心に残りました。
ファンになって又、遊びにきます。
時間のあるとき、すべて読ませていただきます。
2007/7/13(金) 午後 1:24
はなちゃんさま。って少し可笑しいのではなちゃんにしますね。はなちゃんのところのお野菜はみんな愛情たっぷり心優しく語ってくれてますね。有難う御座います。はなちゃんは冬でも西瓜を食べることが出来るのですね。うらやましい(スーパーでは年中売られていますが、私は夏しか買いません。)白い所に少し赤いところが残っているのって、滲んだ水彩画みたいで綺麗ですよね。いつも思い出して笑う事があります。子供が小さいとき、西瓜の形をしたゼリー(本物の西瓜のように上は赤色、下は緑で細工されたセラチンを固めたお菓子がありました。子供は上の赤いところだけを食べて下の緑の所を捨てていました。全部食べれるお菓子なのに果物の西瓜かのように食べているので大笑いしました。)私もそちらに行かせて頂きます。ひよっとして私の知っているはなちゃん?そんなことないよね。でもブログって広いようで狭いから・・・・
2007/7/13(金) 午後 8:54 [ 花ひとひら ]
「他所者」の言葉、胸にジ〜ンときました。私の両親も「在所者」ではありませんでした。母は、一生懸命「在所」に馴染もうとしていたのを子供心に見て、知っていました。そこで生まれ育った私達兄弟は、「他所者」だったのか、「在所者」だったのか・・・。仙人は、スイカが好物で、子供の頃、お誕生日のプレゼントに丸ごと一個をリクエストし、一人で食べきったという逸話があります。
2007/7/13(金) 午後 9:02 [ ぱやこ ]
私の家ではあまり農業をしない祖父が屋敷畑にスイカ、マクワ、トマトだけは作っていました。毎朝、ツルが延びると、芽を欠いたりして世話をしていました。なぜ朝早くからそれらの世話は出来るのに、忙しがっている両親の農業はあまり手伝わないのか不思議でしたが。アイスキャンデーが欲しくても、「池の湧き水で冷やしてあるスイカやマクワのほうが美味しい」となかなか買ってもらえませんでした。スイカ、マクワ、トマト、トウモロコシなど畑で取れるものは毎日いやというほど食べましたが、アイスキャンデーを買ってほしかったです。
二男が小二の冬、腎炎で入院しました。スイカが良いと言うので、30年も前のことですが、冬のスイカ(高価)を毎日のように食べさせたのです。二男は「スイカは厭きた」と言って今では一切食べません。なぜか、二男の息子(孫息子)はスイカを一切食べません。孫娘は食べるのに・・・。家では毎日スイカを食べながら、今日のは美味しい、という日の種を残します。また次の日、今日のほうが美味しい、と種を残し、前日のは捨てます。一夏に数度は種を残したり捨てたりしていました。
2007/7/14(土) 午前 0:08 [ おいちにのさん ]
ぱやこさま。
祇園祭で正座をするときが近づいてきましたね。雨がやめば良いのにと日本中の人が思っているでしょうね。娘は学校が京都でしたので、祇園祭、期末テスト、豪雨がよく重なりました。(重ならないで別々の時期なら良いのにとよく思ったものです。)昔は村社会でよそ者を嫌いましたが(良い風に言われることは少なかったですが)いまはどんどん過疎にも他所から入って地域の活性化を図らないといけなくなりました。今は種子もグローバルです。改良に改良を重ね、新風を吹き込んでいます。よそ者と排除して純粋をもとめた時代と変わりましたね。純粋を保つのが、祇園祭のように文化でしょうか。時代の変化の中でも、文化や人の心は分け隔てなく残したいです。仲良し産も大切にしたいです。
2007/7/14(土) 午前 6:27 [ 花ひとひら ]
おいちにのさんさま。
昨日雨の中、迷うはずがない(勝手知ったる道なのに)のを迷走して
アジサイ苑に行って来ました。湖東は広いですね?。湖北の山に篭っていると戸惑います。身近にある宝物は気がつかないものですよ。それに気がつくときは年を重ねているのでしょうね。私だってアイスキャンディのほうが良いです。でもスイカやマクワ、トマトもいっぱいあったわけでないのでみんな大好きでした。いまは沢山有りすぎて有り難味がないのでしょうね。「おいしいね」と言いながら、その種を残してそれで次の年のスイカをつくられるのですね。皆さんでスイカを囲んで(きっとスイカにほれ込んで食べておられるのでしょうね)
わいわい楽しく食べておられるのが目に浮かびます。これが一番良いですね。*風車の下にたどり着けるか心配になりました。昨日の迷走でますます方向音痴が自覚されました。おいちにのさんさまはそんなことないですよね。
2007/7/14(土) 午前 6:41 [ 花ひとひら ]
こんにちは♪
アイスキャンデーのお話がでましたが、こちらは「アイスクリーム」の話を。「アイスクリーム」というアメリカの品種が在来種と交って栽培を重ねたのが、大和西瓜と呼ばれ「大和2号」「大和3号」「4号」として発表された。と記されたものがありました。花ひとひらさんの経験は凄いです。品種の保存には私たちの知らないところで脈々となされているのですね。まさに西瓜の一流ブランドを食していられたのです^^
西瓜の「照り」(熟し加減)を見るのに親指に中指をはじかせて「とんとん」と数回皮の上を突き、その音の響き?で「照っている」「これは2、3日先だなぁ〜」とか云いました。子どもらは不思議でよく真似をしましたが皆同じに聞こえました^^西瓜と黄色に輝く黄マクワは昼寝起きに縁側で頂く夏休みの定番のおやつでした。今も大好きです。
2007/7/14(土) 午後 5:14 [ ささ舟 ]
ささ舟さま。
いま、目が点になりましたよ。大和西瓜はアイスクリーム!が元祖。それにやっぱり大和西瓜だったのですね。うろ覚えですが「やまと」というのが記憶に残っており、奈良の地だから大和西瓜とタイトルをつけたのですが、そんな進化のある西瓜だったのですね。貴重なことを教えていただき有難う御座います。改めて一流?ブランドを食べた感動が湧いてきました。
西瓜の面を叩くのは、叩いても分からないのですが、叩いています。おもしろいですね。黄色のマクワも懐かしいですね。あれは果肉より中の髄が美味しかったです。捨てずにあそこを食べるのが好きでした。口の中タネだらけになりましたが。(種採りじゃなかったから、小鳥のえさになっていました。)子供の時はよく寝てよく食べよく遊びましたね。そして西瓜は堤燈にもなりました。いまは、西瓜ポンチにシャーベットでしょうか。シャーベットで思い出しました。先日とても美味しい煮梅をよばれました。美味しかったです。あれをシャーベットに埋めて食べたら、そりゃ、うめ〜ことでしょうね。有難う。
2007/7/14(土) 午後 11:03 [ 花ひとひら ]
西瓜を見るたびに思い出す切なくも甘いお話ですね。「よそ者」と吉野山でも言われています。妻が泣きながら帰ってきたこともあります。何も悪いことをしなくても正しいことを言うこと、自分を主張することを許さない体質があります。でも私はゴーイングマイウエイで生きています。
2007/7/14(土) 午後 11:49
吉野の宮司さま。
お早うございます。台風一過、綺麗なアジサイ色の空です。少し蒸し暑いですがこれで梅雨もあけるでしょう。沢山の被害を出しての大雨でした。吉野の山も緑濃く重たくなっているでしょうね。雨を吸い
暴風を吸い、霧を包み、そして七色の陽を受けるから吉野山は神々しく輝き人に教えを説くのでしょうか。差別とかは知らない知ろうとしない所から来ると言います。排他する体質もそれと同じだと思います。吉野山のように私は色々教えられ、色々を吸い込んで勉強していきたいです。素晴らしい自然から学ぶことは沢山です。人間も学ばなければいけませんね。宮司さまのゴーイングマイウエイ吉野杉みたいに気高く格好良いです。それぞれの杉ですが、同じものは一つとしてない、まして枝と枝が当たればうまく育ちません。宮司さまは大変でしょうが杉が立派に育つように枝払いをしておられるのです。
2007/7/15(日) 午前 7:09 [ 花ひとひら ]
奥様も大変でしょうが「ヘンコといわれた父を持ち私も随分苦労をいたしましたのでよく分かります(笑)」奥様は吉野のお花です。
大和スイカってブランドものらしいですよ。確かに奈良のスイカは美味しかったです。宮司さま、この夏は沢山スイカを食べて元気に夏をやり過ごしたいですね。中国産などのスイカを食べないで国産スイカを食べていきます。負けないで下さい。
2007/7/15(日) 午前 7:09 [ 花ひとひら ]
西瓜は大好きで我が家でも植えていますがこのようなことは知りませんでした。
2007/7/15(日) 午後 8:34
この時季になると店頭に西瓜が並び夏をいただきたくなりますね。どれを選ぶか試食するわけにいかず、母に教わったのかぽんぽんと軽くたたいて美味しい音をさがす。夏の音さがしも楽しみながら。でも、西瓜の話題で種が主役になったのは初めてです。粉川さんとの思い出、他所者呼ばわりのいじめ、私の食いしん坊の西瓜話よりずっと重く、深く読ませていただきました。ちょっと意味が違うのですが、私も少女期途中から田舎へ引っ越しました。持ち物、服装、話し方・・・何事もいじめの対象になり、よく靴を隠された思い出があります。今は、そんなことよりもっともっと大きく私を育んでくれた田舎暮らしが蘇ります。花ひとひらさん、今回もいいお話をありがとう。
2007/7/15(日) 午後 9:21 [ あしび ]
真砂のおじさま。
きっと大きな大きな真っ赤な西瓜なのでしょうね。いまでも浜辺では西瓜割りがされるのでしょうか。西瓜も四角や楕円形などいろいろ有るのですね。一度四角い西瓜を切ってみたいです。
2007/7/15(日) 午後 9:31 [ 花ひとひら ]
あしびさま。
あしびさんがいじめられっこ!。思いがけないことです。厭だった思い出も、時と言う魔法にかかると、全てが楽しく懐かしい想い出になります。そしてそんな厭な思い出は人を思いやる気持にも成長したような、気がします。歪んだいまのような虐めとは質が違ったのでしょうね。こちらこそいつも読んで下さり有難う。西瓜の種子を食べると、お腹から芽が出てくるように感じませんでしたか。
2007/7/15(日) 午後 9:41 [ 花ひとひら ]
私はいまだに、スイカの種が何となく怖くて、よけて食べます。
おへそからつるが延びる事を、幼い頃から想像しちゃいましたから。(笑)
町屋育ちの私は、こういうお話はずしんと心に響きます。
皆さんのコメントも読み出があります。
渋谷の家から、遠くに駅と、富士山とデパートの時計台から流れるオルゴールの調べぐらいしか思い出がない哀しさは、この年になってもこたえます。
そのときのお友達と再開して、物語がなんだかハッピーエンドに終ったような感じで思わずニコニコと(笑)。
挿絵のスイカの薬缶。なるほどこういう背景があったんですね。でも、この薬缶から今にもスイカジュースがあふれ出しそうで、思わずごくりとしましたよ。
2008/6/4(水) 午後 1:04 [ 夕 ]
舞さま。有難うございます。
一緒だ!私も子供の頃、種を誤って食べてしまうと、お臍から芽が出てくるように思え、2,3日お臍ばかり見て気にしていました。ほんとうに生えてくると思っていましたね。大人になると、生えてはこないけれど、「盲腸になる」と思って、やっぱり種は恐かったです。でもそうかと言って、種無しスイカは嫌いです。「プッ」と吹き出すのが楽しいし。
舞さん大丈夫です。なんでも昔の事が思い出せるのは高齢になってかららしいです。(昨日のおばんざい=副食を思い出せなくっとも遠い遠い昔の事は鮮明に思い出せるそうですよ)薬缶に一杯西瓜ジュースを入れて持たして帰らせて頂いたのが嬉しかったです。西瓜ジュースはあっさりとして美味しいですよ。いっぱい飲んでくださいね。コップにお注ぎしますよ。
(このエッセイは昨年の滋賀県文学祭の特選に入ったものです。それで公開を遅らせていました。)読んでいただけとても嬉しいです。
2008/6/4(水) 午後 10:01