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茗荷と茗荷紋の数々
♪ 物忘れ の 茗荷
しっかりと舌が覚えている。そのときの生活空間も鮮やかに蘇みがってくる。茗荷を食べると物忘れがひどくなるといわれるが、私は茗荷の味を忘れることはない。
7月に入るとソワソワとしだす。店頭に茗荷が出始めるからだ。7月11日、3個入り105円の茗荷を買う。出始めで「まだ高いなあ〜」と財布を握り締め、茗荷の前を何度も往復して買う。7月30日には105円で5個入りになった。8月5日はまた3個だ。高値だと思うが途切れると寂しいので買ってしまう。8月10日にやっと10個入りになった。このころになると、庭にも茗荷が出始める。蚊の攻撃にあいながら探したが今年は見あたらない。8月20日は一パックに15個入っていた。夕餉の支度に、鼻歌が出てくる。しかしそれ以後、個数の増える気配はなかった。そして9月に入るとまた、個数は3個になった。例年なら秋茗荷も出始め、袋入りで売られるはずなのにどうしたのだろう。私は梅酢を取り残し柴漬けも作ろうと待っているというのに・・・。茗荷に異変が起こっているのだろうか。9月8日は「白露」。例年なら茗荷の瑞々しい緑葉に露がコロコロと美しく、薄黄色の花は、露の妖精のように儚げなドレスを纏ってお目見えするはずなのに・・・。
茗荷は、自分自身が物忘れをして、顔を見せるのを忘れているのだろうか。
釈迦の弟子に周梨槃特(スリバンドク)という名の人がいて、熱心に修行をするのだが、 物忘れがとてもひどく自分の名前すらすぐに忘れてしまう。そこで釈迦が、「周梨槃特」という名札を首からぶら下げさせたらしい。周梨槃特の死後、墓から見慣れぬ草が生えてき、生前彼が首から下げていた名札が、荷物のようにみえていたことから、この草を「茗荷」と名づけたという。そして、茗荷を食べると物忘れがひどくなるという俗説が出来たようだ。
舌は甘味・酸味・塩味・辛味・苦味・渋味の六味を持つが、茗荷はそのなかのどれにあたるのだろう。苦味や渋味は毒、危険のシグナルとも聞くが、茗荷の成分が物忘れを起させるわけでもなさそうだ。
少女時代に過ごした田舎の神社には少しばかりの畑地があった。しかし、父も祖母も農作業を知らない。秋風が吹き始めるころ、畑の隅に広がる茗荷の群生が、勝手に稔る一番の収穫物だった。少し湿ったその場所には蛭も居たが、私が茗荷をとる役目だった。緑葉を掻き分けると、薄黄色の花が優しく灯かりを灯している。根元からひねるように採る。爪に土が入る。緑がかった臙脂色と根元の白さの瑞々しさは、透き通る美しさを私にくれた。早起きしてふっくらと丸い茗荷の粒を籠一杯にする。土の匂いが広がる。私に収穫の喜びと美しさを教えてくれた。そして数少ない収穫の秋茄子と一緒に、味噌汁の実になり元気な一日の始まりをくれた。夕餉にはゴマを擦って味噌と合える、大きなすり鉢を両手で抱え込むように私が押さえ、祖母がスリコギをまわす。香ばしいゴマの匂いのなかに茗荷を入れる。炊き立てのごはんの中へ刻んだ茗荷を加える。湯気の匂いと茗荷の匂いが溢れ出す。そんな一瞬の匂いが、とても愛おしかった。茗荷は想い出に、匂いまでのせて来てくれる。私は、物忘れなどするどころか、匂い・手触り・薄さ・そのときの空気も思い出せる。子供の好む甘味とは、かけ離れていた茗荷だが、時が刻まれるにしたがって、茗荷の思い出は増えて行った。
父と二人だけの、暮らしの時は父も食事の支度を交代でやる。しかし、お酒を嗜む父の作るものは、茗荷を縦切りに細く刻み、花かつおをかけたものや、味噌をつけて焼いたり、茗荷の天婦羅など酒肴になるものが多かった。父も茗荷が好きだったのかもしれない。二人は上手く作れなかった昔の畑のことなどを語りはしないが、あの瑞々しい茗荷の群生を、お互いの胸のなかに思い浮べながら、杯を重ねていたのかもしれない。
茗荷は冥加に通じ目出度いものらしい。夫の実家は、“茗荷紋”である。私が大の茗荷好きと知り、夫は柿の木の下に茗荷を植えてくれた。茗荷と柿の木は相性が良いというのだ。夫は子供のとき柿の木から落ち、父親に何里も背負われて、町の医者に行ったことを話しながら植える。私は出会うことのなかった夫の父親を想像する。そして私の父親も思い出す。
いろんなことを思い出しながら今朝も茗荷を刻む。葉状の付け根に小さい花の蕾があった。咲いている茗荷の花を見たい。筍状の茗荷の一枚一枚を丁寧に土や砂を取り除き、薄黄色の美しい花をコップに浮かべたい。我が家の茗荷はいったいどうしたのだろう。出てくるのをまったく忘れている。茗荷の匂いは土の匂い思い出の匂いだ。
明日、また茗荷の匂いを買わねばならない。茗荷よ。物忘れをしないで出てきておくれ。秋風に私は切に願っている。それでないと、財布も軽くなるではないか。
昨年の茗荷はhttp://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/17957315.htmlです。
♪ 日暮れの路 木村徳太郎 童謡詩「日本の旗ノート」より
レモンのような
陽が沈む時
街はレモンの
色してた。
葉っぱの落ちた
並木が 路へ
悲しい唄を
うたってた。
僕はチヨコレート
ほゝばりながら
冷たい路を
歩いてた。
2007.09.14
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茗荷があまりに美味しそうで、刻んでお汁に入れたくなったほどです。私も好きですが花ひとひらさんの茗荷好きには負けますね。野菜は何種類も作っていた実家ですが、葉っぱのよく似た生姜は沢山作っていましたが茗荷は作っていませんでした。裏の竹薮の中に自然生えしていましたが食卓には上りませんでした。私は結婚してから食べるようになったのです。結婚してから食べるようになったものには、納豆、茗荷、他にも芋のツル、唐辛子の葉っぱなどあります。納豆は匂いが嫌われたのでしょうか。フナ寿司、なれ寿司が大好きな実家ですのにね。芋のツル、唐辛子の葉っぱは手間を惜しんだのでしょうか。いくらでもある他の野菜の方が手間要らずですから。茗荷が食卓に上らなかった理由は分かりません。食文化も目からうろこの事が多いですね。
2007/9/14(金) 午後 7:40 [ おいちにのさん ]
茗荷紋がこんなに沢山あるとは知りませんでした。御主人の実家の紋が茗荷紋とは、深い縁があったのですね。普段は家紋など忘れていますが、息子の宮参りの時の着物を私の実家が作ってくれた時、夫の実家の丸に三柏の紋を付けてくれ、ちょっと嬉しかったです。最近は「膳所藩の門を移築しているため軒丸瓦に膳所藩本多家の立葵の紋が見られます」などボランティアガイドで説明する事が多いですが実生活では家紋とは縁遠い生活です。
2007/9/14(金) 午後 7:56 [ おいちにのさん ]
そうそう!実家の柿の木の下にも茗荷がありました。蚊にさされながらとったっけ。
我家の茗荷は5個しかとれませんでした。でも自分ちでとれた茗荷の香りは格別ですね。来年はもっと採れるはず・・・です。多分。
私の一番は「テンプラ」しゃきしゃきしておいしいですよね。
塩でキュキュってもんで、御酢をかけるとぱあっとピンクになるでしょ。あれもいいなあ。
実はね、明日から旅行なのに、冷蔵庫の野菜室に茗荷が3個あるのにさっき気づきました。食事準備前に花ひとひらさんのブログ読みにきたら、気づいてなにかに使ったのに・・・あ、そうだ!甘酢漬けにしていこう!もったいないもんね。
2007/9/14(金) 午後 9:38 [ ma_*ha*040* ]
おいちにのさんさま。なんだか美味しいものが沢山並びましたね。茗荷好きの同胞がいらっしゃると嬉しくなります。それに芋ツル、葉唐辛子も大好きです。今日も他所で芋つる、葉唐辛子の話で涎をこぼしながら(行儀悪いですが)弾んできました。捨てられるものですが美味しいです。一手間かければとても美味しいです。野菜が身の回りに沢山あると、見向きもされない品物なのかもしれませんね。近所の貸し農園の隅に草と一緒に芋ツル、葉唐辛子が捨てられています。もったいない。それに青トマトも捨てられています。これももったいない。ほんとに食文化は目からうろこ、そして楽しいですね。似た嗜好が出てくると、これまた嬉しくなります。茗荷は薬味にしか使わない人もいますが、少しえぐい味?は他のものに比べられない味です。同じようなものに穂紫蘇もありますね。これも大好きです(例によって食べ物の話になると俄然張り切ってしまいます。)茗荷は花も美しい。花だけを甘酢に漬けたり、清汁に浮かべたりします。でも今年は花に出会っていません。どうしたのでしょうね。いつもなら、沢山取れるのに・・・。残念です。
2007/9/14(金) 午後 10:43 [ 花ひとひら ]
茗荷紋、私も沢山有るのに驚きました。それだけ茗荷は親しまれているのでしょうね。紋も自然を表していてこの具象美にも驚きます。日本人ってえらいな〜と思います。女紋で母親の(実家)紋を受け継いでいく風習もありますね。実生活では縁遠いですし、こういうものが最近は廃れていくようにも感じますが、それなりに道理があり、また美しいものだと思いますので、大事にしなければいけない文化でしょうね。ボランティアガイドは自分の勉強にもなり、素敵なことをやっておられますね。タダなんとなく観ているのでなく、こうしてボランティアのかたが丁寧に説明して下さるのは嬉しいし、何かを感じられるのは ありがたい事です。良いことをされていますね。
2007/9/14(金) 午後 11:08 [ 花ひとひら ]
まーめさま。柿の木と茗荷はどんな因果関係があるのでしょうね。きっと茗荷は木の陰が好きなのでしょうか。甘酢漬けのピンク色は素敵です。柴漬けになった赤紫色の茗荷も美味しいですね。まーめさんところは五個も収穫が会ったのですか。いいな〜〜。私の所は皆目です。そうです。もったいないもったいない。なにか美味しいものに変身させてから旅行にお出かけてください。茗荷の吃驚するようなレシピがあれば教えてくださいね。
2007/9/14(金) 午後 11:33 [ 花ひとひら ]
私は、初夏から秋にかけて、青じそと茗荷と新生姜は冷蔵庫に欠かさず入れています。ぼちぼち新生姜だけ手に入らなくなりますが・・・。秋茄子の揚げ浸しに、これらの薬味をた〜っぷりのせていただくのが至福の時です。茗荷の由来、なるほど!と読ませていただきました。
2007/9/14(金) 午後 11:36 [ ぱやこ ]
ぱやこさま。お早うございます。昨晩ぱやこさんのコメントを嬉しく読ませていただきながら、どうしょうもない睡魔に襲われ、タイピングしていても手で打つのでなく、こっくりこっくり頭で打っているような状態になり、早々と寝てしまいました。失礼いたしました。
ぱやこさんも美味しいもの同胞ですね。青シソはもうすぐ穂シソになります。これもとても美味しいですね。青シソは白い花、赤シソは紫色、(この咲き分けにも感心します)美味しいのは断然青シソ、赤シソの穂は飾り物に使います。庭にちょっとこういうものがあると季節を感じられるしお料理も楽しくなります。
2007/9/15(土) 午前 6:29 [ 花ひとひら ]
秋茄子の揚げびたしに、たっぷりの茗荷、(朝からもう涎ものです)美味しいものをいただくのってまさしく至福のときです。そして感謝の気持ちが自然と出てきます。余談になりますが、丁度先々日服部幸応先生の「食育」の講演を聴いてきました。美味しいものをきちんと食べることの大事さ、改めて感じました。お料理に愛情たっぷり、これは他のことにも愛情のか
けられる人のようです。ぱやこさんは、ハナマルですね。
今日の献立決まり!。秋茄子の揚げびたしに茗荷、花かつおたっぷりに美味しいお出汁をかけます。あ!。それにとても美味しいジャガイモをいただきました。(外がサツマイモみたいに紅色で、中が黄色です。これとても密度が高いジャガイモっていう感じで美味しいです)ジャガイモも大好きなので、今夕は大好きなものばかりに囲まれます。とてもいまからもう食いしん坊は、わくわくとして、一日元気に頑張れそうです。美味しいものにばんざ〜〜い。有り難う。
2007/9/15(土) 午前 6:30 [ 花ひとひら ]
花ひとひらさん、主婦感覚は同じですね。3個で○○円の時は今に庭に出てくるからと手を出しませんでした。5個になったときは、買う気になりました。鰹のたたきに薄切りにして添える。もちろん朝のお味噌汁に。袋にいっぱい詰まって○○円を見つけたときは、考える余地なく。甘酢漬けにしました。この時期の楽しみですね。花ひとひらさんの茗荷はまるまるとおいしそうですね。物忘れ・・・そんなこと忘れて季節の頂き物を賞味しています。残念なことに我が家の庭には、今年顔を出してくれませんでした。能面にも「茗荷悪尉」というのがあるのですよ。先端が細く尖り、途中で曲がったいわゆる茗荷の形をした眼をした尉面です。
2007/9/15(土) 午後 11:59 [ あしび ]
あしびさま。休日の朝は、薫り高いコーヒー片手に朝焼けの茜空をながめています。そして、「茗荷悪尉」を観てきました。(ネットで)早起きは3文の徳とか言いますが、もう10文ほど徳をした気分です。有り難うございます。超人的なパワーを持つ老人の面で耳が無いのですね。(これって、耳が無いのは嫌な俗世の言葉を聴きたくないからかななどと思ってしまいました。悪尉面ですが、茗荷のような目のせいか、可愛いおじちゃんに見えました=勝手な解釈でゴメンナサイ。だんだん能面に引き込まれていきました。)
2007/9/16(日) 午前 6:14 [ 花ひとひら ]
あしびさんのところも茗荷が出ませんでしたか。昨年にたくさんいただいた茗荷屋敷?も今年は無い(鹿に食べられたのかも知れないと言われていますが)ようです。茗荷は店に売っているけれど、あの美しく儚げな花が見られないのは残念ですね。オクラの花も薄黄色、同じような良い色合いの黄色で、両方とても私は好きなのですが・・・。
この冬は茗荷の甘酢漬けも、柴漬けも有りません。寂しいですね。厳しい冬が予想されます。(ちよっとオーバかな)季節の異変が起こっているのでしょうか。以前ほどこの時期の朝露も清々しさを感じられないのは私だけでしょうか。季節はキリリとしたものが欲しいのにね。なんだか何もかもキリリ感がなくなってきたような世の中を感じます。これって私の加齢のせい?。いつまでも茗荷の目を持ち続けたいです。良いものを教えていただきました。有り難うございます。(2)
2007/9/16(日) 午前 6:15 [ 花ひとひら ]