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♪ツバナ
見渡す限り緑。緑。早苗も負けずと緑風をつくる。畦には、若草や青草が刈り取られ、緑のうねりのよ
うに束が無造作に置かれている。刈り取られたタンポポの丸い綿毛は、いくつもいくつもコロコロと風に
舞い、その緑の海の波間を浮き玉のように軽やかに漂っている。
草刈機が普及したためか、最近の畦草は絶えず刈り取られ、綺麗な幾何学模様を緑で描いている。緑がし
たたるこの季節、洗練された緑の世界がどこまでもどこまでも広がる棚田だ。昔の畦は、もっと草が多か
ったように思う。草陰から蛇に出くわす、蛙が水の中に「チャポン」と逃げる。驚く先にはスイバが揺れ
ており、風と戯れる立ち姿に「スカンポ、スカンポ、ジャワサラサ」と鼻歌が出た。ツバナの白い穂は、
光を浴びて柔らかさを増し、口に含むとチューインガムのようだった。アザミも咲いていた。キンポウゲ
の黄色花は、緑のしずくの川にまるで星のように散らばっていた。
懐かしく思う土手だ。
地元の土手は緑、緑、そしてカメラの三脚がずらりと並ぶ。緑に散らばっていた彩は、懐かしい思い出
だけに咲くようだ。蛙も、蛇もこれでは出て来難くかろう。綺麗過ぎる畦、洗練されている緑に少し寂し
さを感じた。畦の風と空は、私に昔の田園風景の残影を残していく。
♪ 京都新聞「窓」欄 2003.06.05. 投稿掲載
(新聞が運んだ茅花の思い出)
新聞紙上で「茅花(ツバナ)流し」という言葉を見つけた。良い言葉だ!と思った。
昭和30年代初め、都会から引っ越してきたやせっぽっちの私に「これ食ってみな」と茅萱(チガヤ)の白い柔らかい穂が差し出された。綿菓子のように甘くっておいしかった。ツンバラといって茅花の若い穂だと教えてくれた。
私は遠足の時それを採っては食べ、先生にしかられ、みんなにあざけるような笑いでからかわれた。でも教えてくれた子だけは笑っていなかった。そういうことが思い出される。土手に茅萱が銀色の布のように穂綿をいっせいになびかせている。まさしく「茅花流し」だ。嬉しい言葉だ。
その後、琵琶湖が海とつながっていた名残として咲く浜昼顔(ハマヒルガオ)が紹介されていた。淡水湖が海の名残だった?浜昼顔?と興味を持ち、近くなので見に行った。広がる湖と渡ってくる風、砂の感触、浜には薄桃色の花が静かに広がっていた。
太古のロマンを秘めて静かに咲いている花。良かった、見に行って。幸せな気持で帰る土手に夕焼けに染まって茅の穂がなびいていた。お金のかからない小さな幸せ。新聞が運んでくれた。
注)湿気を含んだ南風を「茅花流し」というそうです。
私には野原一面、風に流れる茅花が波打つ一枚の布のように見えました。
夕焼けには茜色の布になりました。
♪ 木村徳太郎 童謡詩 【日本の旗】より
ピアノ
ド レ ミ ファ
まるい 銀玉
ハコからつんと出る。
ソ ラ シ ド
ころころ 銀玉
ころげて歌になる
ド シ ラ ソ ファ
いくつも銀玉
お空へ転げて行く。
♪ タンポポ綿毛が刈り取られ、そのまま丸い形で青草の上をコロコロ風に転がっていました。
上のピアノの詩を思い浮べました。
2006.05.04
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