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♪ オカリナを吹こう (15)
元気です!
「今津」から始まったオカリナ行脚も、いつしか15回目となり、生活圏内の「膳所」まで進んだ。いろんなことに感動しいろんなことに苦労もし、そんないろんなことが懐かしい。
15回目は膳所の老人会から「オカリナ行脚の話と演奏」を依頼された。始めて声をかけて下さった「お招き行脚」で面映い気もする。
手渡して頂いた地図通りに、行けたことのない方向音痴の私だが、この「老人憩いの家」には簡単に行けた。
行脚である。歩くことを目的にはしているが、今回は自宅から自家用車で移動した。国道1号線は渋滞する道路で、いつもなら迷うことが多く目的地に定刻ぎりぎりに到着することが多いのに、1号線から坂道に上るポイントを間違えずに入れたので、坂道に立つ大きな合歓の木を眺めながら運転する余裕もあった。
「憩いの家」はまだ新しい建物で、前庭には色取り取りに花が植えら、手入れの行き届いた花壇が迎えてくれた。同行者たちは膳所駅で待ち合わせ、老人会の人が迎えに行って下さっている。いつも方向音痴で、遅刻寸前の私が先に着いていることに皆は不思議そうだった。生活圏内になれば、そうそう間違わずに私も目的地へ行けるのだ。
「老人憩いの家」は、名神バイパスを作るとき住宅地の一部が削られるので、土地を提供する代わりに、この老人施設を代変えとして建てられたそうだ。高齢者社会の来ることを先読みしていたバイパス開通事業だったのだろうか。
昭和40年以降どんどん宅地造成がなされ、琵琶湖を眺めてニュータウンがたくさん誕生して行った。家を持ち子育て真っ最中の若い世代が新しい故郷を築いて行った。高度成長の時代で大阪、京都へ満員電車に揺られて働きに行き、郊外に庭付きの家を持つのが活気の源となった。そして新故郷の琵琶湖の辺りで育った子供達は大きくなり、より便利で、かつ自分の生活に合わせて核分裂するように故郷を離れ、いま高齢者だけが残ってしまった住宅地は多い。
こうしてみんなで寄れる施設があるのは、仲良く高齢者同士で手を取り合い、助け合って暮らしていける宝であろう。
介護制度の一つで高齢者が利用する「デイサービス(通所介護)」などとは異なり、元気で自立した高齢者自身が運営し楽しくやっておられる、この老人会のようなものは、各地に生まれつつあるようだ。介護保険で「デイサービス」を運営している施設でも、自立している高齢者の引き籠もり、孤独死、認知症予防に力を入れ、介護認定を受けている人とは別に、健常者も同じ様に趣味や会話を楽しみ残りの人生を充実させられるようにと、いろんな形作りをし、併設する所も多くなってきた。 高度成長時代、個々に走ってきた世代であるが、高齢になりこうして人と交わり、肩書きを捨て古きよき時代の井戸端会議を発展させたような雰囲気を楽しんでおられるのだろう。
「老人会」などとはほど遠い。元気一杯の方達だ。最高が98歳と言われるが、どうしてどうして、演奏参加の私たちが向こう側に座ってもおかしくはない雰囲気だ。
私たちもすでに高齢(60歳以上)になっている。招いて下さるほうも、招かれるほうにも大差はない。特に女性はおしゃれで元気だ。実年齢を当てることは難しい。しかし参加者は殆ど女性で男性は少ない。この会も男性二人だけと言うのはなぜか寂しい。女性のほうが平均寿命は長いのだから、当然と言えばそれまでだがそればかりでもなさそうな気もする。
老人会といえば、今までは「ゲートボール」と決まっていたようだが、こうしていろんな催しを自分たちで組み、いろんなことにチャレンジして、みなさん楽しんでおられる。カルチャーとしての習い事なども、会員のプロ級並の人が他の人に教え、お互い楽しんで居られるようだ。
私たちの出演前に、郷土を話題にした紙芝居があり、そのあとでオカリナ伴奏でみなさんが歌って下さる趣向だった。最近はいろんな療法がある。リハビリ体操療法、園芸療法、音楽療法……といろいろあり、とくに音楽療法はオカリナもそうだが、いっしょに歌を歌うのが活性化に良いようだ。若かりしころ「歌声喫茶」へ通ったり、またフォークソング世代で、青春が甦るのだろうか。
15回目までのオカリナ行脚は、介護施設や介護認定者が憩う「デイサービス」訪問が多かったが、こうして心身ともに元気な高齢者の集りはまた異なる雰囲気があり、圧倒された。いくつになっても人と交わっていることは元気のもとであり、楽しいことである。苦しい時代や、戦争体験をしてこられた高齢者は、今が一番楽しいと言われる。高齢者が健やかに余生を過ごせる時代であって欲しい。そう改めて思う。
大きなブルーシートにガムテープで碁盤の目を作り、枡目に重さをつけた紐つきオジャミを入れるビンゴーゲームが始まった。平衡感覚と、重さの抵抗力を感じリハビリにも効果があるようだ。みなさんの手作りで開発されたレクレーションの一つと言うことだった。
「一緒にどうですか」と言って下さった。ゲームというのは、ついついむきになってしまう。夢中になり盛り上がるものだと感心させられた。誰もが、夢中になって目が血しばってくる。嬌声が飛び交う。老いも若きも(一番若い人は68歳らしい)箸が転げても可笑しいという乙女時代にもどり、艶っぽさが溢れる。笑う角には福来る。みなさん笑って元気なのだ。
今回の行脚は、美味しいお弁当をいただき、また交通費、謝礼までいただき、そしてなによりも私たちもメンバーに入れていただいて、遊ばせもらうと言う思いもかけないビッグな行脚になった。
帰り道、坂道の合歓の花が乙女の集団のように揺れていた。老人会の人たちも合歓の花に負けないほど美しく元気いっぱいだった。合歓の花が青空に弾けているのだ。
年重ね豊かさ揺れて合歓の花
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とても楽しいでした。今日の句は良いですね
2009/7/16(木) 午後 3:18 [ 翠 ]
翠さま。有り難う御座います。昔乙女の元気さ、私たちもあやかりたいです。年を重ねることの豊かさ、それを感じたいですね。
2009/7/16(木) 午後 7:00
ひとひらさま、おはようございます☆
先日から、拝見しながらコメントが遅れてしまいました。
お元気なご復活と、オカリナ行脚のスタート、
お喜びいたします。
以前の日記で、オカリナ行脚の継続で、
悩まれていたご様子がありましたが、
本当に素晴らしい発展ぶりで、何よりです!
実は、40代初めに、過労から大病をしたことがありました。
寝たきりの布団の中で、宗次郎さんのオカリナを
何度も聞いておりました。
オカリナの音色は、弱った身体に、山の緑、風の匂いを、
私に届けてくれました。自然の慰撫そのものでした。
ひとひらさまも、そんな慰撫を、
人々に送り届けられている方だと。。。
続けていただいて、私まで嬉しいです。
そして、こんなにいきいきと、余生を過ごされている方達の
存在を知ると、お年寄りの暗いニュースばかりなので、
パッ、と、明かりがついたような気持になれました。
年重ね豊かさ揺れて合歓の花。。ありがとうございました☆
2009/7/27(月) 午前 6:14
リヤドロさま。有り難う御座います。いつも丁寧なコメントに感謝致します。なんだか時々いろんなことで悩む事があります。でもそういうことを温かく見守って下さるブログ友に感謝です。>本当に素晴らしい発展ぶりで、何よりです!>有り難う御座います。いつもいつも迷いが有りますがそこから発展も生まれるそんな気持です。いろんなことがあっても続ける事の「力」それが成長もするような・・・そんな気もします。
今日はプロの画家さんの展覧会に行ってきました。絵として目に見えている部分だけでなく、その中にある葛藤や悩み、それが次なる飛躍となってまた絵に表れている軌跡のようなものを教えられました。そして「一人でもこの絵で勇気や喜びを与える事ができれば、芸術家として本望」と話されるのに目から鱗でした。私は実はいま、一つの事をなし終えた気分で、虚脱感を覚えていました。でもプロでなくとも普通の私ですが、みんなこの部分(停まってもまた進む)が生きていると言う事なんだといまさらのように感じて帰ってきました。
2009/7/27(月) 午後 8:52
私も誰か一人にでも「オカリナを聞いて良かったよ」と言われたら、もう止めないでと思います。こうしてお互いがきっと希望を与えあっているのでしょうね。今日のリヤドロさまの言葉で私はまた癒されました。そして勇気をもらえこれが、知らないうちに支えあっているということなのでしょうね。そして>年重ね豊かさ揺れて合歓の花>になるのだと思います。年を重ねないと分からない事もありますしね。(なんだかコメントの返事にならないことばかり書いてしまいましたが、お許し下さい)
こちらは晴れたかと思うとまたバケツを引っくり返したような雨が降ってきたりと、お天気が安定しません。でもその少しの間の晴れているときの青空の美しいこと。感動しました。豪雨で被害にあっておられる人たちもきっとこの青空を垣間見て生きておられるのだと思います。
2009/7/27(月) 午後 8:54
私は人に何も届けられませんが、人から頂くばかりですが、それを頂いて私自身が慰撫されているなら、それが頂いた方への恩返しになるかとも思います。(メールやコメントに元気を頂いています)リヤドロさま始めみなさま有り難う御座います。自然体でいきたいと思います。弥榮弥榮。こちらこそ、ほんとうに有り難う御座います
2009/7/27(月) 午後 8:54
ひとひらさま、おはようございます。ご丁重なお返事ありがとうございました。
たった一人でも、感動を与えることができたなら、
芸術家として本望、という画家の方のお言葉、そのご姿勢そのものに、感動します。
私は、生存中、無名で逝った作品を、観たり読んだりしていますと、凄まじい苦悩ぶりに、涙が出そうになることがございます。死して生き続ける芸術作品には、こうべを垂れてしまいます。
その真摯さに、心打たれるのだと思います。
ご本も、ブログも、ひとひらさまの真摯さのありよう、
まったく同じものだと、いつも感じさせていただきした。
停まってもまた進む。。
このお言葉にも、示唆をいただきました。
人の成長は、ゆっくり、ゆっくり、でいいのですね。
咀嚼しながらでないと、一歩も前に進めないような、
のんびり屋の私にも、力をいただけます。
私こそ、ありがとうございました。
2009/7/28(火) 午前 5:21
リヤドロさま。改めて有り難う御座います。通り一片の挨拶で終わるようなところがあるのもブログですが、こうして本音をいろいろと語り合えるのもブログですね。到底私など真摯さと言うものに縁遠く生きていますが、やはりいろいろと悩みもあるのが人間。そう言うところで、いろいろとお話しが出来て嬉しいです。>人の成長は、ゆっくり、ゆっくり>成長は死ぬまで・・・ブログを通してもまだまだこれからも成長させていただけるような気もします。有難いです。
私もリヤドロさまや皆さまに教えられながら、これからもゆっくりと、成長して行ければ嬉しいです。これからも宜しくお願い致します。お互いよい意味で刺激を与えながら歩んでいきたいですね。有り難う御座います。
2009/7/28(火) 午後 9:44
音楽といふものは不思議ですね。全然知らない者同士でもひとつに繋いでしまふ力があるやうに思へます。だからこそ、ゲームも一緒に楽しむことができたのかもしれませんね。ところで「オジャミ」てなんですか?なんとなくボールのやうなものを想像してゐます。
お元気さうでなによりでございます。
2009/8/1(土) 午前 0:16
くろひつじさま。有り難う御座います。音楽は一瞬にして共有できる言語と心かもしれません。
「オジャミ」ですか。これは「おてだま」のことです。
「おてだま」てなに?長方形の布4枚を袋状に繋いで中にジュズダマや大豆や小豆を入れた、ボールのようなものです。ふふふ、これは女の子の遊びに使います。最近はこの形を使った大きな物が、クッションになったり枕になっています。良く出来た(昔の人の考えた機能的、造形に感心します)地方によっておてだまの呼び名は違うのかもしれませんね。なんとか元気にやっています。有り難う御座います。
2009/8/1(土) 午後 9:03