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思いで 色 の 胡瓜
乾いた畝にヘチマかと思うような、大きな胡瓜が転がっていた。空へどんどん伸びて行く緑の蔓と黄色の花。それに気をとられ、大きくなっていたのを見落していたのだ。
胡瓜は「黄瓜(きうり)」とも書かれる。いつも食べているものは、緑の未熟な実であり、黄色く熟したこの大きなものが本来のものかもしれない。
高度成長期、働き盛りの夫は満員電車に揺られ、深夜に帰宅する。そして、懐中電灯と割り箸を持って庭へ出る。野菜につく虫退治をするのだ。子供たちはもう寝ている。子供が目を覚ます朝には、すでに出勤していた。そんな母子家庭のような時代だった。
あの頃、休日に子供たちと野菜作りに汗を流すのが、夫の唯一の人間らしさを保つストレス解消法だったのかもしれない。
露を乗せる大きな葉陰から胡瓜をもぎ包丁を入れる。包丁と胡瓜が小気味良く「トントントン」と連弾する。採りたての野菜は、どれも包丁に吸い付くように切れ味が良く、仄かな野菜の匂いに「命」が充満していた。
そのうち、子供たちも大きくなり夫のストレス解消法も、いつしか鍬はゴルフのパターに持ち替えられ、庭は樹木と花だけになっていった。
五月の連休に、孫と夫で網目のように深く木の根の走る庭を開墾し、二畝の畑を作ってくれた。私が畑のプレゼントを強要したのだ。そこに胡瓜の苗を植え、孫は「お〜ぃらの畑」と胡瓜の成長を楽しみにしていた。しかし次は盆にしか帰郷しない。盆には、胡瓜の収穫は終りに入っている。私は胡瓜の種子を内緒で蒔いておいた。それが上手く育ち帰郷時に収穫でき、孫の植えた胡瓜は、赤茶けた葉がカラカラと風に鳴り、ヘチマのようになって見逃されていたのだ。
ずっと昔、このように大きくなった胡瓜を食べたことを思い出した。祖母がやっていた調理法を思い出し挑戦してみた。堅い皮をむき、種を出して乱切りにする。胡瓜の浅緑の色と異なり、白いぶ厚い実が出てくる。それを「葛あんかけ煮」にした。
一口、口に入れるなり夫が「懐かしい味! 」と……。私にも懐かしさが広がっていった。忘れていた胡瓜の味だ。結婚して三十数年は経つと言うのに、この共有する懐かしい味を、二人で口にするのは始めてだった。
朱黄色のずっしりと重い胡瓜が、私たちを<胡瓜の思い出畑>へ運んで行った。
祖母が黄紅い大きな胡瓜の皮をむいている。種をスプーンで穿り出し、それを薄くスライスして胡瓜もみにする。赤紫蘇や梅干が加わる。麩やワカメ、チリメンジャコが入れば上等だった。夏休みは来る日も来る日も胡瓜の糠漬けと麦ご飯。毎日毎日が胡瓜だけの貧しい昼餉だった。たまに大きな胡瓜が、卵を落とした「葛あんかけ煮」になる。それは大ご馳走だった。お八つも胡瓜だった。井戸に小さい桶が浮かび、そこに胡瓜やトマトが入っていた。それに少しの塩をつけて食べる。胡瓜の青臭い匂い、トマトの甘酸っぱい匂いが鼻を抜けていく。
「胡瓜はもういやや」と思うが、次の日には蝉を追いかけ川遊びに興じ、お腹をすかした昼餉には、そんなことを忘れまた胡瓜を食べていた。(河童も顔負けのおかっぱ頭の少女だったのだ)
夫も胡瓜ばかりを食べていたという。やはり大きな胡瓜を食べ、胡瓜以外に食べ物はなかったらしい。
お互い始めて聞く共通話に、胡瓜の煮物がほろほろと崩れていく。
二人の知らなかった昔話が、まだまだ沢山あることに嬉しくなった。
曲がった胡瓜が敬遠され、形の整った規格品の胡瓜ばかりが店頭に並ぶ。また庭で作っていたときも、食べ盛りの子供たちを抱えた食卓に、朱黄色になるまで忘れられる胡瓜が、乗ることはなかった。
新婚時代、たまたま入った店で夫と並んで腰掛ける私だけに、酢味噌をのせた<蛇腹切り>の胡瓜が出された。怪訝顔の私に「お腹の赤ちゃんへ」という。どうして妊娠していることが分かるのか不思議だった。腰掛けて上半身しか見えないと思っていたが、カウンターの中からは私のお腹の膨らみも見えていたのだ。客に合わせて接し対応する姿勢に、私はプロの姿勢を教えられた。そしてその時、私も主婦のプロになろうと、心したのだ。
炒めもの、サラダに浅漬け。古漬けは水に晒し絞りショウガ汁をかけ、冷やしておくと暑さが吹き飛ぶ。ピクルス、パスタ、キムチに、キュウリウザクに……。<飾り切り>もいろいろと覚えていった。
小気味良く俎板を鳴らして胡瓜を薄く切って行く。速く薄く「コトコト」と叩く音が、私はプロの主婦技のようで得意げだった。しかし、いつしかその技は<スライサー>(調理器具)にかわり、居眠りしていても同じ厚みの薄切りが、手早く失敗無く出来るようになった。俎板から音も消えていった。
あの子供時代の胡瓜から何十年という「時」が流れている。畳に落ちる陽影が柔かくなり、少し秋めいた風が流れていく。胡瓜の上へも流れていく。
たかが胡瓜一本であるが、そこに長い時の推移と、時代の移り変わりを見るようだった。
孫の「お〜ぃらの畑」は作物だけでなく、思い出と言う作物も実らせ、残して行ってくれたようだ。
年月の皺を重ねて胡瓜花
胡瓜の花は皺が多い花ですね。
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田舎で暮らした子供の頃は、その季節になれば日々同じ野菜ばかりを食べたものです。胡瓜の季節は、来る日も来る日も胡瓜ばかりでした。それも、胡瓜揉みと胡瓜汁ばかり。
そしてまた、胡瓜は夏の3大オヤツの一角を占めていました。畑に生っているのを気の向くままに千切って、棘を手で扱いて齧り付きます。塩など持って遊んでおりませんし、まして、冷やしている間もありませんから、生暖かくて生臭い胡瓜は例え3番目とは言え、余り美味しくはありませんでした。それでも、空腹を満たすためによく食べました。
思えば、無農薬で産地直送(体内へ)の新鮮な食べ物だったのですが・・・。お孫さんに植物を通してに生命の輝きを教えて上げられることは、お婆さんにとってもお互いに幸せだと思います。それも、ご主人あってこその花ひとひら家の様ですが。
2009/8/24(月) 午前 7:51 [ 道草 ]
「鈍な娘」 竹村 浩
哀しい程正直で鈍な娘が好きになつた
ひそかに私を愛してゐたのであつたが
私が木のやうなので外の男を愛するやうになつた
この頃 私はその娘が好きになつて
その娘と話す時間をたのしんでゐる
あの頃は私も若氣のいたりでいかもの喰ひで
木のてつぺんで柿を落してゐる娘が好きになつたりして
どこか異質のある女がほしかつた
夏の晩方 ねずみさしの木の蚊やりのかげで
書きものに疲れて立つてゐる私のそばで
胡瓜の皮をむきながら――その手は手甲布あてた跡が白く目立つた――
赤くちぢこまりながら笑顔の花を咲かしたのだが
秋になると 腹が空いてそれでも何もせず
家の中にごろごろしてゐる私に
はづかしい焼米の袋を帯の間から出してくれたのだが
その頃は 月夜になつた野良帰りを
鈴蟲のやうに唄つて行く娘の心を知りながら
私は一度も家から滑り出なかつた
いつも私が窓から月を眺めるのは
おまへが寝巻になつて講談雑誌を讀む頃だつたらう
平凡で正直な日本娘
私は おまへと結婚する男が羨しくなつた
男も善良で正直なお店者である。
2009/8/24(月) 午前 7:52 [ 道草 ]
おはようございます。
花ひとひらさんはエッセーも絵もプロの方ですかーーー???。
もちろん俳句もとっても味のある素敵な句ですし。
すべて本格的に勉強された方の力強さに圧倒されています。ポチ。
2009/8/24(月) 午前 7:55 [ 彷徨人 ]
道草さま。有難うございます。胡瓜は今は年がら年中食べることが出来ます。(一時、この季節感のなさが世相として語られることもありましたが、いまやそれもなく、年中あって当たり前の野菜になりました。)太陽に焼けて赤くなったお化け胡瓜を食べられたことは幸せなのかもしれません。子供時代いやだと思っていたものが、まさか大人になってこんなに宝物に見えるようになるとは想像もしませんでした。
生暖かい胡瓜も、井戸の胡瓜も宝物だったのではないでしょうか。空腹を満たすもの、あれは宝物を詰め込んでいたのではないかと思ったりもします。
胡瓜の棘、良いですね。小さい胡瓜の先の花、(いまはそれを飾りとしても売られていますが)大好きです。夏野菜の花は黄色のものが多いですね。大きなかぼちゃの花、小さなゴーヤの花、西瓜の、トマトのマクワのオクラの・・
実と表情のつながるところが楽しいです。実に花がついて商品になっているのは胡瓜だけかな。
はい、もう一畝つくってもらえるようにサービスしています。
2009/8/24(月) 午後 6:23
「鈍な娘」 竹村 浩
私、これを「純な娘」と最初読んでいまいました。「鈍」なのですか。
うふふ、男の人って勝手者ですね。でも死に間際になって「平凡で正直な日本娘」がいたことを思い出せてよかったですね
2009/8/24(月) 午後 6:32
ほーさんさま。有難うございます。でも「あんまりてんご言わんといて・・・)(大阪弁で、ご冗談をの意)
俳句を味のあると言っていただけ嬉しいです。俳句を大阪弁でつくるとどうなるのでしょう。(なんだか挑戦したくなりました(笑)なにもかも下手な横好き、本格的に勉強したことはありません。でも今、こんな事言われて少し「うふふ」と嬉しくなっている「鈍」な者です。有難うございます。俳句のほうは、ほーさんさんをお手本にしていきたいです。
2009/8/24(月) 午後 6:42
夏の太陽をあびて育つ野菜のおいしさ。胡瓜もトマトも茄子も、みずみずしく甘ぁいですね。子どもの頃から親しんできた味ですね。
今は一年中スーパーで買うことが出来ますが、やっぱり味が違いますね。最近、また取り立ての野菜、少し曲がった野菜もスーパー以外で売っていますね。
主婦にとっては味は変わらず、お値段少し安くお買い得です。
まな板の上でトントン、トントン、お料理すればおいしさ一緒ですよね。
>私も主婦のプロになろうと・・・。
花ひとひらさんは、ほんとに主婦のプロ!
いつもブログを見せていただいて感心していましたよ。
2009/8/26(水) 午前 10:03 [ あしび ]
幼い時代に連れて行っていただき感謝です。絵がうかぶいい文章ですね。最近、飲むのに忙しく荒れた文章を書いているのでちょっと反省ですが、生身の人間に興味あり私より10歳上の方を弄り回しています。いまどき教育勅語を云々という人が珍しくて。
また今日もこれからその方をいじりに行ってきます。
2009/8/26(水) 午後 7:26
あしびさま。有り難う御座います。もぎたての胡瓜、トマトは本当に味が違いますね。先ず、もぐときに匂いがします。子供のころ口にひろがった味は、この匂いから来ていたのだと思いました。あの俎板の上のトントンの音、速くリズミカルに、主婦のラップミュージックみたいで楽しくまたそれが鼻高く(笑)。最近は曲がった胡瓜も見直されると共に、曲がらない胡瓜の品質改良も日夜なされているそうです。たかが胡瓜一本にも世相や、人のエゴや感性や味覚がと、沢山乗るのですね。
現在はプロでなくとも主婦は(これも機械化?)みなプロでプロの必要が無いのかもしれません。でも職業は(主婦)と胸をはれる気構えも持っていたいなぁ〜と思うのですが・・・あしびさん、仲良く主婦しょうね。よろしくお願い致します。
2009/8/26(水) 午後 10:18
tetuoさま。有り難う御座います。訪問させて頂いてその緻密さにコメントを残せずにいます。
>荒れた文章を>いえいえ、そんな風には感じません。「良きお酒をたしなまれている」そんな風です
>今日もこれからその方をいじりに行ってきます>
あまり年上の方を表裏返されないほうが・・・(笑)でも年を取って来ると右も左も表も裏ものんびり聞けるようにもなるような・・・そしてその上で自分が見つけられるような・・・
でも楽しそうですね。お酒を呑んで教育勅語や平成二十一年を酌み交わされ、生身の人間の息づかいを感じるのって・・・(江戸の粋なおじさんを想像したりします)
2009/8/26(水) 午後 10:38
戦前、戦中、戦後を田舎で育った私は、何もかも貧しくて、食べ物とてろくなもの無しで生きてきました。今から思えば、胡瓜や茄子やトマトなどの季節物は大事な食べ物でした。ただし、蛋白質ゼロ、甘さ無しの食材ばかりでした。芋も主食代わりで、毎日毎日弁当には芋やなんきんばかりでした。でも親は必死に働き、子供は手伝いばかりでした。勉強は学校で済まして、帰宅すれば仕事の手伝いでした。それでも勉強が好きでしたね。
話がそれてしまいましたが、胡瓜には今もって郷愁が湧きません。貧農の食べ物には惨めな思いばかりです。御免。
胡瓜に寄せる思い出を綿々と綴られた文才豊かな花ひとひら様に大きな敬意を捧げます。
2009/8/31(月) 午後 6:54
またやってきました。お詫びにやってきました。詩情豊かに綴られた「胡瓜の思い出」を読みながら、子供時代に思いを馳せ、つい不本意なコメントを書いてしまいました。秀作文に水をかける不作法を致しました。どうぞお許しください。
胡瓜とその花を優しいタッチで美しく描かれました。
2009/8/31(月) 午後 8:47
tueda67さま。有り難う御座います。REが遅くなり申し訳有りません。ほんと、胡瓜は水分ばかりですね。でもあの水分とても美容に良いらしいです。(姉が胡瓜パックというのをやっていました。食べ物を食べ物以外にあの時代使ったのは胡瓜ぐらいでしょうか)食べ物は蛋白質がゼロでも甘味がなくともお腹の足しになれば・・・
そんな時代もあったのですね。話が逸れる・・・それがブログの良い所だと私は思いますからいろんなことを語ってくださるのが嬉しいです。社交辞令やお義理のものよりうんと嬉しいですよ。またそれが出来るのがブログの良さではないでしょうか。
私の父はサツマイモの蔓を嫌がりました。私はとても美味しい食材だと思うのですが(現在は美味しく味付けされた物が通販で、高値で販売されてもいます)戦時中を思い出すからと薦めると不機嫌でした。それぞれに思いがあるのですね。胡瓜が大好きという人も有るだろうし、食にもそれぞれの過程が養分になって現在があるのかもしれません。(胡瓜はそんなこと知るや知らずやですが)
2009/9/1(火) 午前 10:22
tueda67さま再度訪問有り難う御座います。上にも書きましたが、ぜんぜん不作法でもなく嬉しいですよ。ただ最近場違いなコメントが入ります。
不愉快なのでコメント欄を無くそうかと思うことも有ります。
せっかくのブログ、自分の楽しみに、そして、社交辞令で無く忌憚の無いことを言い合える。そんなブログにしたいです。文章は本を出したいためにブログを始め、そして文章教室に入ったのです。そして文を綴る楽しさを教えていただきました。その楽しみはブログでも細々と続けていきたいなぁ〜と思っています。
>秀作文に水をかける不作法を致しました>いいえいいえ、とんでもございません。水はかけてやってください。水は花にも人にも大事な物です。これからも宜しくお願い致します。
2009/9/1(火) 午前 10:46
胡瓜て万能ですね。今更に気付きました。私は古漬けが一番です。
なるほど胡瓜はもつと大きくなるのですね…親戚が届けてくれる野菜はどれも形は不揃ひですがいつも一番うまいとかんじます。やはり先祖の土で育つたからなのでせうか。おいらの畑♪大事にしてくださいね。
2009/9/3(木) 午後 4:24
くろひつじさま。有り難う御座います。古漬け美味しいですね。私は浸かりすぎて少し酢っぱくなったものに生姜をすりおろして食べるの大好きです。浅漬けに無い味が醸し出されます。最近の漬物は浅漬けが多いですね。(人間も同じかな?)古漬け女房などと言うのはどうでしょうね(笑)
ご先祖様の土で育てられるなんて素晴らしいことですね。代々のご先祖さまの「気」も養分になっているのでしょう。おいらの畑、次は何を植えようかと思案中(但し、作物はまったなしなので、早く決めないと)
2009/9/4(金) 午後 2:57