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美代ちゃん の なんなんなつめ
「あの子はたあれ」細川雄太郎作詞・海沼実作曲
あの子は だぁれ だれでしょね
なんなん なつめの 花の下 お人形さんと 遊んでる
かわいい 美代ちゃんじゃ ないでしょか。
あの子はたぁれ だれでしょね
こんこん小やぶの 細道を 竹馬ごっこで遊んでる
隣の健ちゃんじゃないでしょか。
この歌が大好きだ。美代ちゃんが大好き! 棗(なつめ)が大好き!
「なんなんなつめの・・・」と歌いながら、せっせと今年も棗の実をもぐ。艶やかな緑の葉に隠れて刺が刺さる。夏に咲いたクリーム色の小さい花と艶々の緑葉を食べ、そこから生まれたような淡緑色の小さい毛虫もいる。刺されると棗の刺より痛い。
でも私はこの棗採りが嬉しくてしかたがないのだ。
“美代ちゃん”を思い出す。健ちゃんを思い出す。実の中から幼いころの風が、吹いてくる。美代ちゃんは、隣の美代ちゃんであり、私であり、我が子の幼い姿であり、孫であり、それらが実の中に揺れているのだ。
隣に美代ちゃんの家があり棗の木があった。「あの子はだぁれ」の歌はその美代ちゃんの歌だとばかり思っていた。間違ったままで覚えている歌がたくさんあるが、この歌もそうだった。「可愛い美代ちゃん」を2番と同じ「隣の美代ちゃん」と私は歌っていた。幼い私たちは木の下に茣蓙を敷き、ままごと遊びやお人形遊びをよくした。みんなふっくらほっぺの可愛い少女ばかりだった。歌に美代ちゃんだけが出てくるのが羨ましくもあった。
結婚してふっくらほっぺの可愛い長女を授かった。祝いに棗の苗木を頂いた。(夫の職場に実家が植木屋さんという方が居り、節々の記念にいつも植木をプレゼントして下さった)私は可愛い長女に棗の木と美代ちゃんとが重なり、棗のプレゼントに大喜びをした。でも借家住いで苗木を植える場所がない。父の家に預けることにした。
父も棗の木を見て「良い木を貰らったね」と大喜びをしてくれた。
庭に一本(ひともと)なつめの木 弾丸あともいちじるく
くずれ残れる民屋に いまぞ相見る二将軍
と乃木将軍の「水師営会見」の歌を父は歌ってくれた。私には、棗は「あの子はだぁれ」の世界の木であり、それが嬉しいのだが父には父の世界の棗の木が広がるようだった。しかし二人して棗の木に大喜びをし、「棗はゆかしい木だ」とますます私を嬉しがらせた。
滋賀県に引っ越し百坪余の庭を持った。私は一番に棗の木を父に返してもらった。「そうか、植え変えるか」と父は少し寂しそうだった。父は棗の木を我が家の大事な預かり物と言うだけでなく、乃木将軍の歌の木としても慈しんでいたのだろう。引き取るのが悪いような気もしたが、私の幼児時代のふっくらほっぺと、娘のふっくらほっぺが乗る棗の木だ。やはり我が家に移した。
そして棗は子供たちと共にすくすくと大きくなり(記念に頂いた木の中で松、栗、は枯れてしまった)歌のように、棗の下で茣蓙を引き長女と私は人形ごっこや、ままごとをした。時には訪ねてきた父もその下に座り込む。「棗は良い木だね〜」と言う。私も「良い木やぁな〜」と頷く。遊んでいる爺ちゃんと孫と娘だった。棗のピカピカの葉を照らして雲が微笑むように流れていた。
数年して、棗に実がなった。私には“棗と言う木”それが私の心の襞を織るものであり、私の心の古里として「なんなんなつめ」が有ったので、実にはさほど興味はなかったし実がなることも知らなかった。
緑の艶々の実はすぐに茶褐色の皺々になり齧ると林檎のような味がした。鄙びた味がした。それはやっぱり「なんなんなつめ」の味がした。美代ちゃんは棗に実が成ることを知っていただろうか。田舎のことで、実の成る木を持つ家はたくさんあったが、棗の実の記憶は私に無かった。それは派手さのない懐にいだかれる安らぎのあるような、やっぱり「なんなんなつめ」の小さな実の味だった。
夫と私は、それぞれが懐かしいと思う木を植えた。子供時代の憧れで、自分の庭に欲しかった実のなる木を二人でたくさん植えて行った。しかし、私たちが懐かしく思った柿も木通(あけび)も茱萸(ぐみ)も無花果(いちじく)も子供たちは食べたがらない。棗の実にはそっぽを向く。庭になる実は私たち夫婦の懐かしさだけが実っているのだった。
そして、どれもこれも鴉に盗られてしまう。そんななかでキウイと棗だけは鴉も突かない。キウイは毛ムジャラで美味しく見えないのかもしれない。棗は小さく餌の収穫としては効率が悪いのかもしれない。しかし、実の奥まで虫が食べ進んでいる。美味しく食べられないわけはないと思った。懐かしい“美代ちゃん”の木に実る実だ。たまにポケットにいれて齧る程度だけではもったいないと私は思った。
棗についていろいろ調べた。
花は淡緑色で小さく目立たない。果実は2cmほどの卵型、熟すと赤黒くなり次第に乾燥して皺ができる。茶器にも「棗」があるが、これは形が棗に似るため。(うん。確かによく似ている)。そして棗の実は漢方薬として優れものと言うことだった。中でも目を惹いたのが「毎日3粒、棗を食べると年を取らない」とあったことだ。
こんな素敵な物を食べずに土に返すのはもったいない。「生り物は頂いてこそ冥加に良い。食べんとアカン」と近所のお爺さんに教わっている。
また棗は万葉集や古今集にも出てくる植物である。
梨(なし)、棗(なつめ)、黍(きみ)に粟(あは)つぎ、延(は)ふ葛(くず)の、後(のち)も逢はむと、葵(あふひ)花咲く
(万葉集 作者不詳)
梨、棗と続くように、あなたに会いたい。葛のつるが別れてまたつながるように、またあなたに会いたい。あなたに逢う日は花咲くようにうれしい。
玉掃 刈り来 鎌麿 室の樹と 棗が本と かき掃かむため
(万葉集 長意吉麿)
神聖な玉掃をつくる玉掃の草を鎌で刈り採って来い、そこにいる鎌麿よ。庭の室と棗の木の下を掃除をしたいから。
あぢきなし なげきなつめそ うき事に あひくる身をば すてぬものから
(古今集 藤原兵衛)
古今集や万葉集にも出てくるということは、復元でなく万葉時代と同じ物を今、私は食べているのだ。万葉の時代の”美代ちゃん”も、棗を食べたのだろう。白緑の不思議な色を持つ実だ。形は少し異なるが「勾玉」のような思いを私に抱かせ、万葉の世界へ運んでいく。悠久の時を思う幸せな時である。
ホワイトリカーに漬け込む。干す。蒸す。漢方薬作りの真似ごとをする。いろいろと試行錯誤をしてみた。しかしどれも皮が堅く食べ難い。生で齧るのが一番美味しかった。
しかし、棗は私の”美代ちゃん”であり「美容に良い!」「毎日3粒、棗を食べると年を取らない」と言う。これを皺々にして捨てるわけにはいかなかった。
そして、ついに私流の食べ方を見つけたのだ。
真っ青な空。陽射に少し汗ばむが、通り抜ける風が心地よい。金木犀が匂ってくる。私は上機嫌で「なんなんなつめの花の下〜」と歌いながら棗の実を収穫して行く。そして大鍋にたっぷりの水を張り火にかける。それだけである。浮き上がっていた棗が沈みだす。カルシュウム分が多いのだろうか。白い灰汁がでる。それを掬い取り、棗をゴロゴロ転がす。万葉の美代ちゃんが、昭和の美代ちゃんが、平成の美代ちゃんが転がっている。美代ちゃんが沸々はじけ始めると砂糖を加える。それだけである。だが、砂糖水を含んだ棗はぷっくりとして、口に含むと崩れ林檎ジャムを食べているようだ。皮は口に残るので、ジャムのようには行かないが、このとろける様な果肉と皮が絶妙なハーモニィーとなる。棗の実を容器に分けて冷凍室に保存する。水を多い目にして出来たシロップは、飲料として瓶に詰める。(あとで知ったのだが、中国にはデチュ茶(ナツメ茶)があるそうだ。それはきっとこのシロップを薄めて飲むのではないだろうか)甘味を含んで柔かくなった実は、堅い皮も気にならない。ヨーグルトに毎日「三粒」いれて食べる。「三粒食べていると年をとらない」。それはきっと不可能だろう。しかし棗を食べると私には、可愛い美代ちゃんがいっぱい寄って来るのだ。思い出は年をとらない。美容上は不可能でも、年をとらないと言うのは本当のようだ。それでいいのだ。
歌も時代によって変化する。「あのこはだぁれ」の歌を知る人も少なくなった。
まいばん棗を一つずつ食べたので
まいばん棗が一つずつ減りました
もしも 棗が一つもなくなったら
わたしはなにをして
夜をすごせばよのでしょう
時計塔の下で一目惚れする恋もなく
泣く泣く別れを惜しむ 古里もなく
子犬もなく
まいばん棗は一つずつ減って
まいばん夜更けは一つずつ去って
わたしは最後に一つの棗を食べました
「棗のうた 岸田礼子作詞・木下 牧子作曲」
現在はこの歌が合唱曲として多くの人に歌われている。
しかし、私には棗がなくなることはない。一つずつ食べても、心にはいつも美代ちゃんが残っている。
ふっくらほっぺの孫にも棗のシロップ煮を送る。「水師営会見」の歌が好きだった父の墓前にも棗を供える。
いつでも私には「なんなんなつめ」があるのだ。
「桃、栗3年、杏は4年、梨は5年、棗はその年、金になる」棗はダイヤモンドになった。
棗熟れ歳月のせて唄も出て
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ママゴト 木村徳太郎
ゴヨウイガ デキタ
ヒナタノ ニハノ
ハナムシロ。
マネク オキャクハ
ミンナ ナカヨシ
トナリグミ。
オハヤク ハヤク
カイランバンヲ
マワシマセウ
___ケフハセックヨ
ソロッテ ゴチソウ
アガリマセウ
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翁草さま。有り難う御座います。思い出は年をとらないし、いくら増えても(加齢)良いですね。棗は3個ではなく、3粒でしたね。(訂正させて下さいね)こうしていろいろコメントから私の勉強不足を教えていただける機会も嬉しいです。ありがたいです。
翁草さんの田舎には棗があるかもしれませんね。きっと美代ちゃんもいると思います。大事にしたいです。
他にもたくさん思い出す人が多いです。
2009/9/25(金) 午前 11:06
ほ〜さん。さま。有り難う御座います。美代ちゃん可愛いでしょう。棗みたいに描きました。
いつも大ポチ有り難う御座います。今日も3粒食べました。
2009/9/25(金) 午前 11:10
市内に住むようになってから、私は果実のなる木を育てるのが夢でした。庭が狭いので、大きな鉢を選んで柿・栗・李・棗・茱萸などを植えました。しかし、果物の木は植え方や剪定や施肥など、鉢植えはかなり微妙な世話が必要らしく、総て枯れてしまいました。私の遣り方が下手だったのかも知れません。それ以来、果実の生る木は諦めて、遠く昔を偲ぶだけに留めております。棗の詩は幾つかありますが、私の好きな泣菫の詩です。棗の木があったあの家の姉妹の妹の名は、美代ちゃんだったのかも・・・。
「なつめ」 薄田泣菫
棗(なつめ)の枝をゆすったら、
黄金の色の実が落ちる。
妹が一人あったなら、
夏は二人でうれしかろ。
一人はあった妹は
いつやら遠い国へ往(い)った。
知らぬ木陰でこのように、
夏は木の実を拾うやら。
2009/9/25(金) 午後 7:06 [ 道草 ]
棗の木、我が家の庭(正しくは藪)でいちじくと勢力争いをしております。最近はイチジクが劣勢。イチジクも食べたいのに…。
2009/9/25(金) 午後 10:35 [ ほくと ]
道草さま。有り難うございます。植木の手入れも結構難しいですね。私は素人の上に薬は掛けませんので、柿も栗も虫に遣られてしまいます。剪定も時期が難しいです。そうかと言って伸び放題では大きくなり日陰になりますし、最終的には植木屋さんに頼む事になったり(植木の散髪が好きで、昔は垣根も全部私がしていたのですが、最近は脚立に登るのが怖くなりました。)薄田泣菫
さんの詩は、やはり棗の木で遊んだ思い出なのですね。棗は団栗でもなく柿でもなく、やはり棗の存在はそのような「木」なのですね。棗の実はそういう思いに良く似合うのでしょう。一人で拾う棗は寂しいです。沢山の思い出と一緒に拾う実なのでしょう。
2009/9/25(金) 午後 11:58
ほくとさま。有り難う御座います。うふふ。食べるなら無花果ですよ。無花果も美味しいです。棗は強い木ですので、無花果が押しやられているのですか。
でも無花果や棗が勢力争いしているなんてとても贅沢ですね。
2009/9/26(土) 午前 0:06
美代ちゃん 懐かしい歌が耳に入り込みます。
浜育ちの私にはとっても羨ましい
グミ 山イチゴ いちじく そんな物しか浮かんできません。
絵が何とも可愛らしいですね。
ポチでありがとう〜☆^
2009/9/27(日) 午後 1:06 [ - ]
棗の木にも色々なお話があるんですね。興味深く読ませていただきました。私も採った棗、どうして食べようかと考えています。
2009/9/27(日) 午後 4:43
志乃さま。有り難う御座います。都会から田舎に引っ越して、田舎の木や花と友達になったのが、いつまでも心に残っています。そして歌もいつまでも反復できる歌もあります。それが故郷で、そして、その時を何度でも生きられるという嬉しいものかもしれません。
そうしてこうして知らなかった浜育ちのお友達から、また違う事をたくさん教えてもらえるのが嬉しいです。絵は志乃さんの小さいときもこんなんではなかったですか。
ポチ有り難う。
此方は昨日今日と夏日です。水の中気持よいだろうな〜。
2009/9/27(日) 午後 5:26
みずさま。有り難う御座いました。棗つながりですね。履歴においでくださっていたのと後先になりました。
乾燥させるのも(干し葡萄)良いかも知れませんね。
何にしても季節の食べ物、自然を頂くのですから有り難いですね。またお邪魔させてください。有り難う御座いました。
2009/9/27(日) 午後 5:29
花ひとひらさん こんばんわ
棗の実・・・とても懐かしいです。
子供のころ本家の庭に大きな木があって青い実が少し茶色になるのを
待って食べました。そうそう青臭くてりんごのような味でした。
棗の実は生でしか食べたことがありませんがいろんな食べ方に挑戦された花ひとひらさんに拍手です。ジャムにしてヨーグルトに入れて食べる・・・体に良くて年もとらない・・・・花ひとひらさんの若さの
秘訣ですね。
2009/9/28(月) 午後 10:40 [ 堅香子 ]
堅香子さま。おはようございます。有り難う御座います。驚きました。棗を転がしながらいろんな人のこと思い出すんですよ。堅香子さんのことも思い出しながら「コロコロ」やっていました。(通じたのかしら)
そうですか。実家(本家)の庭に棗があり食べられたことあったのですね。些細な事かもしれないけれど共有できることってあるのですね。とても嬉しいです。有り難う。堅香子さんも機会があれば是非煮棗にして食べて下さい。冷凍室に沢山保管しているので差し上げたい気分です(笑)。おいしいですよ〜〜。
2009/9/29(火) 午前 7:03
ひとひらさま、こんばんは☆
なつめの実の中の、お人形の愛らしいこと!
私は、一才になったばかりの孫娘のほっぺを
思いだしてしまいました。
ひとひらさまのお部屋に伺うと、
いつも、季節と懐古の芳しい香りがしてまいります。
私も、この歌をたくさん歌ったはずですのに、
すっかり記憶が遠のいておりました。
田舎も無かった私には、
自然と季節を実感することが少なく、
このような豊かな感性を持ち合わせておらず、
いつも拝読すると、わくわくしてしまいます。
万葉から繋がるなつめ、
緑の葉がきらきらと光り、実は、固いチェリーのようで、
口に含んでみたくなります。
ひとひらさまが、お元気で、こうして変わらずに、
愛しく日々を綴られておられ、とても嬉しく存じます。。
2009/9/29(火) 午後 5:48
リヤドロさま。いつも丁寧なコメントに感謝いたします。有り難う御座います。美代ちゃん可愛いでしょ。きっと私たちも大昔はこんなんだったかなと・・・。
幼児のふっくらほっぺ、ほんとリヤドロ人形そのものです。
棗の木は大切な木ですので、いつまでも歌っているのだと思います。そうしておいでくださった方々と、又こうして棗の歌を歌える事がとても嬉しいです。有り難う御座います。
棗の葉の艶々も魅力があります。万葉の時代からあんなに光っていたのですね。いつも思うのですが、こう言う昔からある木は、その時代の人と同じ物を見る事が出来る幸せですね。
ぼちぼちですが、やっぱり日々を綴っていきたいと思います。(自分の心が残りますからね・・・)
そして、ときどきリヤドロ人形にも会いに行きたいです。
穏やかにたおやかにリヤドロのように過ごせればいいですね。
お孫さま、可愛い盛りですね。我が家の孫もこんなほっぺです。ときどきふくれて、もっとふっくらするときもあります。
2009/9/29(火) 午後 9:21
今晩は。秋の夜長にナツメの話を興味深く読ませて頂きました。有難うございました。回を重ねて、色々な話を「労せず」に読ませていただき、どんどん博学になって行きます。嬉しい事です。それにしても詳しく綴られるご努力は大変なものと推察申し上げます。
みよちゃんは私にとって幼馴染のKちゃんのような気がします。
そして、ナツメのある水師営での日露両将軍の会見は、絵本や父の歌で覚えて今も忘れません。日露戦争の戦果は日本の誇りでしたからね。
ナツメの葉と実そして幼いみよちゃんの絵はとても素晴らしいと思いました。
2009/9/29(火) 午後 9:53
tueda67さま。有難うございます。今日は秋の夜長の初め。少し夜更かしをしております。同じ夜長に棗の話を読んでくださいましたか。有難うございます。それぞれに幼馴染の美代ちゃんはいますね。
それは宝物だと思います。
水師営の歌、父が聞かしてくれました。歌もまた耳に残るものがあります。これも宝箱です。
>詳しく綴られるご努力は大変なものと推察申し上げます>大変といえば大変ですが、楽しんでやっています。私の残しておきたい宝箱ですから・・・。
でもtueda67さまのようにきちんと更新は出来ず、不定期です。でもこうして不定期のなかを訪問して来てくださるのは嬉しいです。有難うございます。画面からですが、棗の実をお一つどうぞ。
2009/9/30(水) 午前 0:10
こんな素敵なブログに出会い驚きました。
コスモスの染み入るような情感にあふれたお話、なんてまあ。また来させて下さいね。
2009/10/2(金) 午後 5:17 [ 秋大好き ]
秋大好きさま。有り難う御座います。「四季の歌」に秋を愛する人は心深き人、愛を語るハイネのようなぼくの恋人とあります。きっと素晴らしいお方が訪問下さったのですね。有り難う御座います。恋人になってまた御出で下さいと厚顔で〜〜〜。よ(^o^)ろ(^o^)し(^ ^)くぅ(^-^)ノ゙
2009/10/2(金) 午後 7:34
乃木邸の玄関前に、「棗の木」の孫がゐます。
実を言ふと、私は棗の実を見たことがありません。茶道具で「なつめ」は扱つてゐましたが、棗の実に似てゐるから「なつめ」といふんだと教はりましが…ぴんときませんでした、、。
いちど囓つてみたいものです。
2009/10/6(火) 午前 1:53
くろひつじさま。有り難う御座います。孫の木が植わっているのですね。一度訪ねてみたいです。なつめはひらなつめではなく茶入れは蓋の部分を少し平らになっていますが、ほんとによく棗に似ていますよ。お茶道具にも名づけられる(こうして付けられる名前にも感心します)乃木将軍も愛しんでおられた実となりますと、よけい奥ゆかしいです。最近は「びっくり棗」といって大きな(食べるところが多いからでしょうか)実が売られていましたが、ちよっと興ざめでした。やっぱり私には「なんなんなつめ・・・」の棗が心で食べられます。
くろひつじさま。来年は(鬼を笑わさずしっかり覚えておきます)一枝送りますね。齧って見て下さいね。
2009/10/6(火) 午前 7:27