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あわい を揺れる 秋桜 コスモス
秋彼岸も過ぎ、二,三日涼しい風を運んでいたのに2009年09月26日は、30度の夏日になった。秋と夏が行ったり来たりせめぎあいをしているのだ。秋と夏が押し合いをする、この押し合いの時を「あわいの時」とも言う。
秋桜(こすもす)が揺れる。秋を代表する花である。しかし、最近は夏から咲いていて夏の日差しにも、訪ずれ始めた秋の涼風にも、どちらへでもしなやかに揺れ、あわいの時を行ったり来たりと楽しみながら揺れているようにもみえる。
そんな秋桜を揺らす風が、この日の為に数ヶ月まえから伸ばし始めた私の髪を流していく。ぶり返えした夏日に、今、後れ毛をかきあげたばかりなのに。戸惑う私に「秋桜を見習いなさい」と風が声をかけて行くのだ。
実は私の心も、このあわいの時を彷徨い揺れているのだった。「寂しさ」「嬉しさ」「親離れ」「子離れ」それが勝ったり押しやられたり、行ったり来たりしているのだ。
次男が結婚する。結婚式に使うからと、幼いときの写真を取りに帰ってきた。三人の子供たちは、誕生時から一人一人に写真を整理してアルバムに残している。それは子供の成長記録でもあり、未来への夢でもあったように思う。
通知表や賞状、作文、絵画類も残していた。しかし、長女が結婚する時、それらを持たせようとしたら「相手がそんなものを持っていないのに私だけが持って行くのは可哀相や。アルバムはお母さんの思い出に家に置いとく。私たちは新しいアルバムをこしらえるからいらない」と言った。私はショックを受けた。親を捨てるような気がしたのだ。そのとき以来、アルバム類は屋根裏の奥深く仕舞いこみ、整理もしていなかった。写真は貯まって行くばかりだった。
恐る恐る屋根裏に入った。アルバムを屋根裏に納めたときは、もっと体が身軽に動いたはずなのになんと重労働に感じる事か。私も年をとったものだとつくづく思う。
アルバムを繰っていた次男が歌いだした。さだまさしの「秋桜」を……。
淡紅の秋桜が秋の日の
何気ない 陽溜りに揺れている
この頃 涙脆くなった母が
庭先でひとつ咳をする
縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話 くりかえす
独り言みたいに 小さな声で
こんな小春日和の 穏やかな日は
あなたの優しさが 浸みて来る
明日嫁ぐ私に
苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと笑った
あれこれと思い出をたどったら
いつの日も ひとりではなかったと
今更ながら我儘な私に
唇かんでいます
明日への荷造りに手を借りて
しばらくは楽し気にいたけれど
突然涙こぼし元気でと
何度も何度もくりかえす母
ありがとうの言葉を
かみしめながら
生きてみます私なりに
こんな小春日和の 穏やかな日は
もう少しあなたの
子供でいさせてください
アルバムを広げる縁側へ小春日が延びてくる。私の目から涙が流れていく。まったく「秋桜」の世界だ。
音痴だと思っていた子はやはり音痴で、最後は歌っていなかった。
私は咳を一つ照れ隠しにして、他の子供のアルバムも繰ってみた。
何十年ぶりかにみる写真の子供たちの顔に、惚れ惚れする。「なんて男前の長男なんだろう」「次男はなんて可愛い顔なんだろう」「長女はさすが美人だ」と、子育ての時には気が付かなかった親馬鹿が、自慢気に私に語ってくる。長女の「うちの弟は汚いです。私のノートや教科書をお母さんに叱られると机に上ってきて、涙とよだれでべとべとにします。」と、つたない字で書かれた「あのねノート」も出てきた。
そうだ、長女は六歳違いの次男の面倒を良く見てくれた。オムツを替え、ミルクを飲ますのがとても上手だった。次男だけではない長男もとても大事にしてくれた。長男を「ヤスベエ」と呼んでどこへでも、連れて行く。長男も長女の真似ばかりしていた。長女が通っていた絵画教室の先生は「ヤスベエ」が本名と思っていたと後で大笑いになった。
そして、それぞれが大きくなるにつれ、口を利くことも減って行った。長男と次男はライバル意識も芽生えていたのかもしれない。
それぞれが別々の道を歩んで行き、それぞれ別居が始まり、一人一人の写真はあまり貯まらなくなった。
次男も必要な写真だけを抜き、アルバムは持って帰らない。
私はアルバムは子供達のためにと思って残していたが、本当は私の為に、一冊一冊残していたものだったのだと、気が付いた。
しかし、子供たちにもこのアルバムを懐かしく思う時がきっと来るだろうと思う。長女のところに出来つつある分厚い新しいアルバムに、そしてこれから作り始める次男のアルバムに、長男に、それぞれの別柵付録としていつか付けられるのではないかと思う。
私は貯まりぱなしになっている写真をまた整理して行こうと思った。
今度は、大人同士のアルバムとして……。
私の心が揺れている。私の中を寂しさと嬉しさと懐かしさと、いろいろのあわいの時が駆け引きをしている。季節が綱引きをするように、あわいの時をさまよっている。「親離れ」「子離れ」それが勝ったり、押しやられたり、行ったり来たりしているのだ。
どの子も分けへだてなく大切な私の子供だ。
あわいの時があってもしかたがないだろう。
秋が夏とせめぎあい、そして必ず秋になり秋は来る。
あわいの時を子供に継ぐ時は、私が亡くなった時かもしれない。しかし、あわいを過ぎてこそ、円熟の季節はやってくるのだ。
もう暫らく、秋桜のようにあわいのときを楽しませてもらっても良いだろう。
着物に合うように伸ばした髪が、アップに結わえられていく。鏡に映る留袖姿に私は背筋を伸ばした。
「佳き日をおめでとう」
あわいの時が少し秋へ近づいたようだ。
姉は弟の結婚が自分のこと以上に嬉しいと言う。知人が「さだまさしの親父の一番長い日」をプレゼントしてくれた。「秋桜」は母と娘。「親父の一番長い日」は兄と妹。しかし母と息子、姉と弟でもよい。そして親父が、兄がいる。
みんなにあわいの時が揺れている。
両親への“お礼とプレゼント”に、「育てることに精一杯で旅行にも行ったことのない両親に旅行券を贈ります」と次男が渡してくれた。私はやっぱり泣いてしまった。
「子供は良く(親を)見ているのだ」
あわいのときを、秋桜のようにしなやかに行来するのも悪くはない。
こすもすに問ふ風聴く話あり
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
銀の落葉 木村徳太郎
天の落葉の
雪が降る。
どんどんどんと
街に降る。
お空は秋の
おはりだろ。
どんどんどんと
村に降る
銀の落葉の
雪が降る。
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ひとひらさまの、いつもながらの素晴らしい随筆に、
目頭が熱くなりました。
一番初めに、秋桜を大画面にして拝見しましたら、
本当に秋桜の花びらが風に揺れていました。。
そして、ひとひらさまの母としての、あわいの時。。
私も、こんなふうにアルバムを開いたり閉じたりして、
あわいの時を過ごしていたことが、
しみじみと思い出されました。
ひとひらさまの書かれた通り、
私も、古いアルバムが必要になる時がございました。
母を見送り、新しい生命が生まれ、
いつか、幼いこの子どもたちが、巣立つ時、
ルーツの証に手渡す時が来るのだと。。
ジューンドロップも、
かけがえのない生のルーツの証でございますね。
きっと、息子さんは、誰よりもそのことを
知っておられると存じます。
美しいあわいの風の中、寂しさを、ちょっぴり抜けて、
ひとひらさまが微笑まれているような、
秋の夜でございます。。(^_^)
2009/9/30(水) 午後 6:29
沢山のみなさまの温かいお祝いの言葉
有り難う御座います。お礼を申し上げます
南太平洋の地震に驚きました。現在二人は南太平洋へ旅行に行っております。無事です。ほんとうに何が起こるかわかりませんね。スマトラにも地震がありました。私たちはいつも死と生のあわいを漂っているのでしょうか。そんなひとこまに、こうしてたくさんの方の温かいコメントにお礼を申し上げます。
と共に、地震の被害に遭われた方々におもいを馳せます。自然は繰り返し動いているのですね。
2009/9/30(水) 午後 9:15
tethuoさま。ありがとうございます。>花びらが多いやつの方が途中で止める気持ちが起きたりするので・・・イイデスネ>確かに。今まで気づきませんでしたが(花占いはマーガレットのような花でやるのかと思もっていました)確かに多すぎても少なすぎても興ざめに・・・。これなかなかユニークな意見ですね。
何の花で何の花占いをなされたのでしょうか。う〜十年前!花の盛りのころの悩みだったのでしょうか。ちよっと興味があります(笑)
2009/9/30(水) 午後 9:28
ほ〜さん。さま、有り難う御座います。秋桜て細い茎がユラユラゆれて、情緒を誘いますが、本当はとても強い花ですね。それを隠して揺れているようなところが心憎いです。俳句であわいのときをたくさん楽しんでおられるますね。いつも褒めていただき有り難う御座います。
やっぱり褒められるとついつい嬉しくなります。ポチありがとう。
2009/9/30(水) 午後 9:35
あしびさま。有り難う御座います。長いこと仕舞いこんでいたアルバムを見出すと、ほら大昔、大掃除の時の畳の下の新聞を時を忘れて読んだでしょう。あれみたいです。
これからは私自身のアルバムも増やしたいです。
ちよっとやれやれという気持と(本を出し終ったのも重なり)少し今からっぽ状態です。渇入れにお茶でもどうでしょう。
2009/9/30(水) 午後 9:42
ささ舟さま。有り難う御座います。うふふ、子供は親の心配を余所に、自分で相手を見つけてきました。
>四条の花ひとひらさんの表情>?どんな顔をしてたのかしら・・・・と。秋桜には八重もあるそうですが、私は一重が好きです。一重ならtethuoさんの言われる多すぎない花びらのような気がします。秋は趣のある花々で嬉しい花野ですね。そんな花の一つで占いをするのも良いかもしれませんよ。
2009/9/30(水) 午後 10:04
志乃さま。有り難う御座います。はい!いろいろとありました。いまはそれを思い出して楽しんでもいます。親はいつも子どもの幸せを願っています。私も親にこうして心配をかけたり、祝福をしてもらったりして来たんだな〜といまさらに「順送り」と、感慨深いです。いまごろに親の気持が分かり感謝です。
志乃さん。結婚と言う形で無くともお母さんと一緒に秋桜を眺めることが出来るのは最高の幸せでしょうね。いつもありがとう。ポチありがとう。
2009/9/30(水) 午後 10:16
道草さま。有り難う御座います。私はアルバムを出してきて、つい自分たちの結婚式の時の写真にも見入ってしましました。(笑)忘れていたような時が、見られる写真と言う物も良いものですね。道草家でも、写真はそれぞれの方への最高のプレゼントでしょう。私も子供たちの分と家用にと整理していたのですが、一番最初(長女)のものが冊数は多いようです。孫の写真も初孫の方が多くようです。差をつけたわけではないのですが・・・。
目にみえる、歩んできた道が見られるというのもいいものですね
2009/9/30(水) 午後 10:48
「コスモス咲く道」 川滝かおり の、詩を有り難う御座います。写真だけでなく、手紙もいいですね。手紙類も全部置いています。(子供は忘れているでしょうが)そして親からの手紙も。なんだか秋の夜長はこうして写真や手紙を見直したくなりますね。秋は寂しいといいますが、そんな夜更けは寂しくなく、包まれるような気持になります。残しておく、残っている、その幸せがしみじみ体を包んでいく夜更けです。
2009/9/30(水) 午後 10:49
リヤドロさま。ありがとうございます。こちらこそ、素敵なコメントを添え、花を添えてくださるようで(私の思いをより的確に言い表して下さり)感謝です。>アルバムを開いたり閉じたりして>これもあわいのときですね。アルバムを仕舞いこんだままだったのですが、これからは、ときどき観る一時も大事にしたいと思います。
秋桜、風にとても似合う花ですね。(有り難う御座います。風を描がきたかった、秋桜もあわいのときを揺れているのを。でも難しくって・・・)
ルーツの証。若い時はそんなことより、前を向いて進むことしか気がつかないのでしょう。でも振り返る、綿々と続く生の証。秋桜はそんな悠久の時をも教えてくれるように揺れています。そして、「ありがとう。ごめんなさい」ジューンドロップを読んでいただけた幸せを改めて感じています。有り難う御座いました。
寂しい時は寂しさを、嬉しいときは嬉しさを、悲しい時は悲しさを、苦しい時は苦しさを、隠す事無くそれに甘んじて生きて行くのも良いのだと思います。旅行は山陰も良いなぁ〜と思ったりしています。
秋の夜長を、いろいろ思うことの幸せですね。
2009/9/30(水) 午後 11:13
ホントに、さだまさしの「秋桜」の情景そのままを体験なさっているんですね。それも“母”の側で。
素敵な絵。私には、直感的に揺れているコスモスに見えましたよ…。
2009/10/3(土) 午前 10:10 [ ほくと ]
ほくとさま。ありがとうございます。そうですよ。
以前から「秋桜」の歌は好きで、よくオカリナで吹いていたのですが、これからは吹くときになんだか涙こぼしそうです。この歌は娘さんですが、男の子にもこういう感情はあるのでしょうか(作者は男性ですね)息子、娘、男親、女親に関わらず、普遍の心持かもしれません。感謝です。こういう立場を体験できて・・・。
2009/10/3(土) 午前 10:45
向こうの方へ旅行いらしてたのですか。
天災に合われ 病院不足で大変の様で お気の毒です。
偶然とは言え こんな時に大地震でご心配だったでしょう。
ご無事で何よりです。
2009/10/3(土) 午後 8:22 [ - ]
そうなんですよ。もう驚いたのってなんの。ニュース聞いたとき心臓止まりそうになりました。ニューカレドニアなんですが、私カタカナにも弱いからニューカドレニアて検索したら、「検索結果なし」て? そんな「国は無いのか?」てまた慌て・・・影響無かったようです。でも影響ないと分かるともう忘れている自分に後ろめたさを感じます。スマトラでも(前回の時は知っている人が亡くなったし)また、地震があり怖いですね。心配して無事だった感謝の心を表さないと(募金ぐらいしか出来ませんが)と思っています。同じ地球の人たちですよ。
2009/10/4(日) 午前 10:23
お久しぶりです。舞です。
しみじみ読ませていただ来ました。
私も息子と娘のために思い出箱を作って、それぞれの歩みをつくってみたいなあと思っていましたから、ひとしお感慨深いがありました。
秋桜って、なぜか昔を思い出させる花ですね。
息子さんきっと、温かな家庭を作っていかれることでしょう。
2009/10/4(日) 午後 8:12
舞さま。有り難う御座います。おはよう御座います。女親って(男親は口に出さないだけかもしれませんが)娘のときより息子のほうが寂しいような気もします。
舞さんのところへ、今訪問させて頂きました。酔芙蓉がとても綺麗でした。あの酔い加減綺麗ですね。
人もああいう風に綺麗に変身できれば良いのにね。
秋桜、最近多く見かけます。群落しているところが多いです。でも空き地に数本とか、庭に数本はより秋に似合うようにも思います。そう言うときはやはり秋寂ですね。
息子達温かい家庭を作って行くでしょう。楽しみです。
2009/10/5(月) 午前 7:25
澄んだ青い秋空に、優しく揺れるコスモスを美しく見事に描かれました。文才に恵まれた花ひとひら様の詩情豊かに綴られる記事を毎回拝読させていただき、大きな楽しみにしています。
3人のお子様を育て上げられ、成長記録をアルバムに綴じられ家宝にしておられるとのこと、本当に貴重なものですね。我が家でも火事の持ち出しは、先ずアルバムと決めております。(余談ですが、デジカメになってからペーパーフォトがなく、困りましたね)。娘は、時々棚からアルバムを取り出して自分の成長の様子を子供(つまり孫のこと)に見せてしつけをしています。その脇からそっと苦笑して昔日を懐かしんでいます。楽しい日々の思い出や時には辛い思い出がこみ上げて来ます。アルバムは自分と子供の共有財産ですね。
2009/10/6(火) 午後 8:13
tueda67さま。有難うございます。そうですね、デジカメも良いですが、アルバムは1頁1頁めくる所に、文章で言う行間みたいに漂う空気感があり捨てがたいですね。私はいまだに昔のカメラで写真を写すのですが、現像してくださる写真屋さんが少なくなりました。写真は記録かもしれませんが、そこにある空気を私はつい探して見るのです。それが宝?かな。お母さんがまた自分の子供に自分の小さいときのことを語りながら写真を見る(アナログ人間で、やっぱりこのときはアルバムを捲りながらと行きたいです)横で苦笑?しながらみておられるtueda67さまの幸せが微笑ましく・・・(これもなんだか秋桜の世界ですね)
昔、このアルバムを水害で無くしてしまう家族のドラマがありましたが、アルバムは家族の宝ですね。
私はこの機会を得て、アルバムを繰っているのですが(若かりしころの私がいて)また別の意味で苦笑しています。
2009/10/7(水) 午後 2:14
近くにコスモスで町おこしをしてゐるところがございまして、今年も見にいきました。昨日は昨日で、出掛けた公園にコスモスのお花の迷路がございました。そのなかを少女が駆けてをりましたが、画になりますね。拝読してゐて、ふと、あの子も成長するとともに、ご両親もコスモスの中を駆けてゐるあの姿を思ひ出されるのだらうかと思ひました。
秋風に揺れるコスモスの花は、どこか哀愁を感じるときもございますが、それはやはり、この「秋桜」の歌をこころのどこかに留めてゐるからなのでありませうか。
2009/10/17(土) 午前 6:58
くろひつじさま。有り難う御座います。コスモスの花の観光園がこちらにも沢山出来ました。花の摘み取り園も有ります。この季節を代表する花ですね。以前空き地などで弱弱しく、かつ思わぬ強さで咲く花だと感心していました。観光園の花も空き地に咲く花も>どこか哀愁を感じるときもございます>きっと見る人の気持を正直に表してくれる花なのでしょう。そして「秋桜」の歌。
なかなか「語りかけ」の多い花です。秋の桜と言うだけあって桜に通じる情感があるのでしょうか。あの揺れる長い茎が良いのかも知れません。思い出を揺り籠のように揺らす花ですね。日本には明治20年頃に渡来した花で、すっかり市民権を得ていますが、万葉の時代には似合わない花かもしれません。
2009/10/17(土) 午後 9:17