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水墨画 「 重陽 」 花逕画
§近鉄ニュース§
株式会社 近畿交通社 昭和二十五年一月五日発行
宇治橋渡り始め式
童話作家の見た二十年目の盛儀 木村徳太郎
私は高階宮司さま(橿原神宮宮司)のお伴で宇治橋渡始式に参列することができた。宿には佐々木先生(前公爵貴族院副議長)はじめ、宮川先生や加藤先生と言った国学の大家や神社本庁の方々、全国の神社関係の主だった人々でいっぱいであった。
神社界のことは何も知らぬ私であったが、高階宮司さまの傍らで、お話を伺っていると、神社界の逞しい明るい建設的な脈動がひしひしと、感じられた。
十一月三日は盛儀の日であった。
檜の御用材を積んだ御木曳車に、長い綱をわたして、車上や、綱の中央や先頭に、曳子が「ぬさ」を振り、木遣音頭に声張り上げて唄えば、それに応えて綱を持つ曳子がえんやえんやの掛声も勇ましく車の音を軋ませて、宿の前の方に進んできた。
聞けば、旧神領八千人あまりの人が、奉仕をしているとの事であった。
勇み肌や中年者や血気の青年の多い中に、伊勢古市の子供達ばかりの白鉢巻の健気な一団の姿は、私には胸のうたれるものがあった。
午後一時の第一鼓が、紅葉の映ゆる神路山に鳴り響くと、斉館の庭に、神宮の大宮司さまや職員の方達が真白い斎服で、橋工が素袍鳥帽子姿、旧神領内より選ばれた、高砂の舞にまみまほしき渡女大西さん(75)は緋袴と純白の被肩、夫栄蔵さん(81)は浄衣、風折鳥帽子を着けて立ち並んだ。その向かいに参列員が立ち並び終ると、神宮の大宮司さまから斎館の庭を出て、参観者の群の中を参進して仮橋を渡って、橋姫神社に至り渡始の祭典が初められた。
この間に、浄衣の技手は橋工を従えて宇治橋に至り、北側欄干の外より第二番目の擬宝頭をはずして、橋の鎮めを堅く納めると、再び祭場に帰ってきた。
渡始のすべての儀式が終ると、再び仮橋を渡って内宮側から、いよいよ総工費三百五十万円(資材は別)巾四間、長さ六十間余、欄干、橋板、総檜の木の香りも床しい宇治橋を、衛士の先導で渡り初めたのであった。
参列者の一員として、橋上を歩む私は、何かしら胸にこみあがって来る有り難さ、勿体無さに、五十鈴川の清流の両辺や、清流の干砂にまであふれるような参観者の群が、ぐっと大きくぼやけて眼に映じ、その讚暵のささやきまでが、波のように自らには感じられて、何か目まいのするような思いにとらわれた。
神橋にめをとそろえてにぎはしく
宮の御さかえわたるもうれし 房子
この日北白川夫人祭主には、小袿に緋袴の装束を召されて、宇治橋西詰の幄舎に御出ましになられ、終始渡始式を総監あらせられたが、渡始の行列が橋姫神社奉告を終り、渡り返しに先だって新橋をお渡りになり斎館へ御入りになられたのであった。
渡り返しになつて、全国からの三夫婦家族七十八組と二三四〇名が、参観者の人目をひいて、すぐ後ろから渡つて来る足音を、私は夢心地で聞きながら宇治橋を渡り終つて斎館に入つた。
しばらくして太鼓を合図に櫓の上から祝餅撒きがはじまつた。
この日の祝餅は、三重県下の神職が一升の糯献納を申合せ、それに旧神領の崇敬者達の一握り献納によるものを合せて、十七俵の撒餅が行なはれたのであつた。
直会場に入り祭主さまの澄み通つたお声を身近に拝して、尊きお方を警護される人もないのに、私は新しい時代の流れを感じながら、神職さんの差し出して下さる御神酒を、素焼の盃に戴いて、神式の饗膳を珍しげにいつまでも手をつけずに眺めていた。
直会会場を出ると、この日十余万の参観で、てんやわんやの雑踏する神園を抜けて、夕やみ迫る町を、感懐を胸に刻みつつ、宿に帰つた。
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第62回神宮式年遷宮の「宇治橋渡始式」が、平成二十一年十一月三日に執り行なわれる。
父の遺品を整理していて「宇治橋渡始式式典」に、父が参列させていただいた記事を見つけていた。父の30歳代の頃であろうか。読み返してその時の情景が嬉々として伝わってくる。また若々しく瑞々しい文章だと思った。
私の知らない父をまた発見した思いだった。
ところが
それだけではなかった。
ブログでいつもお教えを戴いている、吉野の吉水神社の佐藤素心宮司さまが、式年祭典に参加されることを知った。http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/59092049.html
父が教えてくれたのだろうか。
私は厚かましくも、「六十年前にもやはり、心清め、心躍かせ、式年祭に参加した若き神官がいたことも想って下さるよう」にと、お願いをしてしまった。
悠久のときを結んで巡り合うこともあるのだ。そんな気がした。
次の二十年後の宇治橋渡始式式典には私も参拝させて戴こう。そんなことを思ったりする。そんなことを思う楽しさが有り難いと思う。私はもう存命していないかもしれないが、若し生きていたら、(父が参拝しその子<私>に続き、そしてその子<私の子供、父から行けば孫>に続き、またその子に続き<私の孫、父から行くと玄孫>)またその子(私の玄孫、父から行くと来孫>この辺りまでは可能かもしれない。)
いや可能でなくとも、こういうことを楽しく思える時を与えられ、頑張って生きていこうと思う希望や生きがい、それがいただけるのが、日本の文化であり、伝統だろうと思う。それが自然を崇拝し、神さまを敬うことなのだろうかもしれないと思った。
菊の香や悠久の時携えて
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こんばんは。
花ひとひらさんは水墨画も描かれるのですか???。
確か花ひとひらさんのところは神社の神官さんのお生まれでしたよね。日本の良い文化は大切にしていきたいですね。
最近は齢なのでしょうか、いろいろ残していきたいことが目についてしょうがありません。
2009/11/2(月) 午後 6:50 [ 彷徨人 ]
ほ〜さん。さま有り難う御座います。俳句を忘れて戻ってきました。早速にコメントを有り難う御座います。
はい!。父が田舎の神社の神官で児童文学をやっておりました。神社にいたのは私の中学校までです。でも思い出は一杯有ります。それから都会の大きな神社に移り、そこでは神社で墨絵やお琴や活花やお茶やいろいろの教室がありました。そこで墨絵を習いました。絵はその時から好きだったのですが、習ったのはこの時の墨絵だけです。思い出してまたやり始めようとしていますが、腕が随分と寂れています。墨から彩を導き出すのは難しいです。実物を握り締めその通りに(そうなりませんが)描くのが一番かな。>最近は齢なのでしょうか、いろいろ残していきたいことが目について>うふふ、私もです。よろしく。
2009/11/2(月) 午後 7:06
あ!言い忘れました。墨絵の先生は花仙先生で私は花逕と号を頂くまで行きましたが逕のしんにゅうが嫌だとごねたのが昨日のように思い出されます(きかんきな娘でした)いまはこの号が好きです。大事にしなければと感謝しています(笑)
2009/11/2(月) 午後 7:10
「宇治橋渡始式」と称する儀式のあることは、まるで知りませんでした。終戦直後に父上が経験されて、そして今年で62回目ですか。宮司の父上にとっては、その時はさぞ感激された出来事だったことでしよう。綿密な文章から、当時の息使いが伝わって来るような気がします。
家族を他の誰よりも大切にされる花ひとひらさんのことですから、20年後もそのまた20年後にも、式典に参列することは可能だと思います。悠久の歴史の中で、在りし日の父上をしみじみと偲んでください。
そろそろ紅葉も色付く頃です。「宇治川の瀬を早みかもひた紅葉」松本たかし。
水墨画の雅号は「花芯」がよろしいのでは。花ひとひらさんは芯の強い御方でもあることですし・・・。
2009/11/2(月) 午後 8:07 [ 道草 ]
道草さま。有り難う御座います。父が宇治橋渡始式に参拝させていただいたのは昭和二十四年の時と思います。復員してきて神官になりたてのごろだったのでしょう。(59回目?)そんな中で厳かな式典に参加出来た高揚さが良く出ている文章だと思います。なんだか初々しい父ですね(笑)それから今、62回です。
40年後は無理ですが、ひよっとしたら二十年後は参拝できるかもしれませんね。悠久の歴史の中にいるのって素敵ですね。
紅葉はこちらも大分赤く染まってきました。でも今日は木枯し1号で木の葉が随分散りました。こちらの名物?時雨と虹でした。これからは毎日がこういうお天気です。雅号「花芯」?なんだか少しエロッポイですね。
2009/11/2(月) 午後 11:26
今回の記事の始め部分で、京都の宇治川に架かる橋と勘違いしました。途中で変だと気付いて、伊勢神宮の五十鈴川に架かる宇治橋だとわかりました。「宇治橋渡始式」のお父様の記事は何と詳細にしかも神官としての専門用語が沢山使われていることに感心致しました。
厳かな儀式に参加され、名誉に浴され素晴らしい経験をされたお父上様に尊敬いたします。11月3日に行われた儀式であることも、伝統ある日本文化の伝承に相応しいことだと思います。
余談ですが、神官の家系の知人がいますが、やはり一般人と違って国文学や神道に詳しく、彼の話は大変有益ですね。
2009/11/4(水) 午後 1:40
tueda67さま。有り難う御座います。宇治橋は宇治川と間違う方が多いですが、伊勢神宮の神宮式年遷宮(定期的に行われる遷宮)が二十年ごとに行なわれ、それに先立つ四年まえに五十鈴川に架かる宇治橋が新しくされます。なぜそうなったかはいろいろわけがあるようです。父の記事はそのわけのある恐らく59回目S.二十四年に参拝させていただいたときのことだと思います。
そうしてまた新しい二十年が始まり、また始まり、そうして今もこれからも続いて行くのです。素晴らしい日本の文化と伝承ですね。二十年間で1億人が渡たるとも聞きます。私も是非渡らせていただかないとと思います。
>やはり一般人と違って国文学や神道に詳しく、彼の話は大変有益ですね>うふふ、神官も私は一般人と思いますよ。でもなんでも勉強することは素晴らしいですね。
2009/11/5(木) 午前 8:15
木村徳太郎先生の30代の文章に触れ、何か身近な感激を感じました宇治橋の渡り始め行事が戦後の昭和24年に行われた事を思うにつきすごく感動します・・・その当時総工費350万にビックリしました。あなたが20年後渡り始めされるときが楽しみです。
2009/11/9(月) 午後 0:25
吉野の宮司さま。有り難う御座いました。父の文章だけで無く宮司さまの画像を見せていただけ http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/59105275.html
余計に文章が鮮やかに思い描けました。
60年前の350万というのは現在では億と言うお金でしょうか。凄いですね。(こういうことをこの不景気に無駄などと言う人もいますが、決してそうではないですね。だからこそあれだけ多くの人々の参拝で埋るのでしょう。のんびりした悠長なブログですが、次回にはそういうことも書いてみたいです)
うふふ、二十年後頑張りたいですね。
今日は西行庵の紅葉を堪能してきました。命が随分延びましたよ。
2009/11/9(月) 午後 11:28