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実寸大の柿
柿 日和
地元にある芸術系大学が地域と組み、いろんなイベントを行なっていた。その一つに「ブォーリズ・カフェ」があった。赤いレンガ塀に囲まれた三角屋根と、尖った塔の可愛い教会は、ウイリアム・メレル・ヴォーリズの手によるもので、登録文化財にもなっている。地元の誇りの教会だ。以前から温かく優しい感じのする、曲線の扉や蔦の絡まる窓辺に興味はあったが、クリスチャンではないので近寄り難かった。そこに喫茶店が設けられているのだ。知人と早速覗いてみた。教会の窓はステンドグラスとばかり思っていたが、柔かいオレンジ色一色の硝子がはめられ、優しくその色の光が部屋を包んでいた。窓や壁を伝う蔦紅葉に季節を教えてもらっていたが、部屋の中からみると、窓に影を映して光の粒子のように揺れていた。そして静かに音楽が流れてくる。光と影の注ぎ込む空間が、私の心を優しく紐解いて行った。
ここは懺悔の場だろうか。どんなことも包み込んで許されるような気がしてきた。
私は大の柿好きだ。柿に目がない。秋の好日、毎日柿を食べ続ける。
オレンジ色の光が、柿の世界へ誘うように思えてきた。まるで柿の海を漂よっているかのような光と影である。
「なぁ柿とり(盗り)に行かへんか 」急にあらぬ事を口走る私に、知人がコーヒーを急いで飲みほした。
私は以前から、どうしても気になる事があったのだ。田舎道を走っていると、たわわに実った柿の実が鴉に突かれ、雪のころはヘタばかりが枝に残っている。そうかと言ってそれを盗る勇気もない。「誰も採らへんのやったら貰ろても、ええのんと違うやろか。やっぱり泥棒やろか」と懺悔した。
すると、友は心強い! 「偵察に行ってみようか」と、話がすんなり決まってしまった。教会でこんな会話がなされるとは、お釈迦様いやキリスト様もびっくりだろう。
オレンジ色の光に背を押され、小春日和に誘われるように野にくり出した。日本百選の棚田で有名な所である。畦の柿の木もなんだか風情がある。鴉に突かれそのままにしておくほうがが良いのかもしれない。しかし、小春とは言え、稲刈りも終え尋ねてくる人も無く静かな田園がセピア色に広がっているだけだった。
女の人が畑仕事をしていた。「柿を一つ二つ貰えませんか(遠慮気味に言う)」「これは渋柿やで食べられへん(不審気に睨むように言う)」「渋柿が欲しいんです。吊し柿にします」と答えると、田圃脇に止めてあった軽トラックの方へ行ってしまった。
戻って来る手に綺麗に乾いた干し柿が二つ。それは、ぼってりとして私の一番好きな乾き具合だ。「食べてみ」と手渡してくれた。口に入れると甘くて美味しい。美味しさに顔が緩む。童心に帰った。
そして、なんと!
「家で食べる分はもう干してあるから、後はいらん。いくらでも採ったらええわ」と言う。おまけに「菊菜を食べるけ」と、手入れをしていた瑞々しい菊菜まで摘んでくれる。私にはその女性がマリアさまに見えた。
しかし私たちは、急な偵察だったので鋏みを持って来ていない。手の届く範囲の柿を数個いただいて帰った。
翌朝早起きをして、高枝鋏みを携え大手を振って柿の木へ向ったのは言うまでも無い。
私は誤解をしていた。
稔りぱなしの柿を、農家の人は怠慢で採らず農村の衰退のように思っていたのだ。成り物を有り難く頂く心、原始の心を失いつつあるのかと寂しく思っていた。しかし、自分たちが食べる分は、ちゃんと採っておられたのだ。高齢化が進んだのであり、怠慢ではなかったのだ。それが分かって安堵した。
朝靄が流れる中を知人が柿の木に登って行く。これには驚いた。柿の枝に両足をかけ、踏ん張って高枝鋏みを振っている。朝の光をうけ後光が射していた。木登りなど、とうてい出来ない私はまたマリアさまかと思った。彼女がどんどん柿を落としてくる。朱色の玉が清々しい空気の中を走ってくる。私が拾う係りになる。二メートル先に落ちる。駆け寄る。反対側に落ちる。駆け寄る。なかなか忙しい。屈んで拾う背中に「ゴ〜ン」と音を立てて特大の柿が落ちてくる。可笑しいと二人で笑い転げる。たまには上手に柿をキャッチする。私は土手を降りるのもへっぴり腰で、お尻で滑らないと下りられなかった。知人はそんな私を見かけによらない人だと笑う。私も知人を、見かけによらない猿人?だと笑う。お互いそんなことが可笑しいとまた笑う。澄んだ空気の中を老婆二人のはしゃぐ声が流れて行った。柿が草叢に落ちる。追いかけると竜胆が咲いていた。野菊の上にも落ちる。たまに、石に当たって割れたりもする。高枝鋏みが陽光にきらりと光り、陽の色ををいっぱいに吸った柿が跳ねる。
私は思い出していた。やはりこのようにして柿を採ったことがあるのだ。高枝鋏ではなく、竹の先に割れ目を入れ小枝を差し込む。それが柿採りの道具だった。私が使うと竹がよじれて割れてしまう。夫が採り役だった。柿を拾うのは子供達と愛犬のレオ。深い草叢に落ち込むと柿はどこに落ちたか分からない。それをレオが上手に咥えて出てくる。落とされる柿は子供達が上手にキャツチする。私はあまり役に立たなかった。
「あ!こんなところに竜胆が、センブリが、ツルガネニンジンが」と見つけていた。顔をあげると湖西線を走る列車が見えた。その向こうに琵琶湖が見えた。広い広い野があった。住宅公団の開発予定地が、耕作されない田圃と薄を共に広がっていた。そして、柿の木が点在していた。そんな幻になってしまう柿の実を、私たち家族は採りに行った。田圃を売却した人の中には、突然手にした大金を子供が遊ぶお金に使いきったとか、先祖代々の土地を手放したことの慙愧の念におかしくなったとか、お金を海外旅行で使いきり、結局身代をつぶしたとかが噂されていた。
ある日、ストンと山が消え谷が掘られブルドザーが何台も動物のように動き始める。子供達が化石を拾って遊んでいた山も一夜にして消えてしまう。ただただ人間の力に驚く日々だった。伐採され燃やされる栗や橡(クヌギ)の木を拾って、椎茸菌を植えた。柿は渋柿ばかりで吊るし(干し)柿にした。果皮を剥き枝と柄のT字型の部分を利用して、1本の紐に数個から十数個挟んでいくのだが、おおざっぱな性格の私は、挿む柿の数がまちまちだったり、挿まれる間隔が統一されていない。夫が「同じやるならもっと美的にやれ」と言う。開発地を通り過ぎると在所があり、その里には「柿簾」が整然と秋色を見せていた。私にそんな真似は出来ない。柿を二つづつ振り分けて行き、紐を輪にしてT字型にかけて引っ張る。そういうテクニックを夫に教えてもらった。紐には棕櫚を裂いて使うのが良いと教わり棕櫚を植えた。私は、柿を捥ぎ皮をむき柿を吊るす。その一連の作業が楽しかった。なんだか、知恵を働かせ進化していく原始人になったような手作業の一時が大好きだったのだ。手が渋で黒くなってくる。包丁もネバネバしてくる。布巾で汚れをとる。やっていることが形として見えてくる。その過程が面白いのだ。
開発地はどんどん整地されて行き、宅地の抽選が始まった。当る確率が100〜150倍とも言われた。柿の木も、田圃も山も川もなくなった。そして5000戸近くのニュータウンが生まれた。里にはもう柿簾はみられなくなった。「心は丸く、田圃は四角」のスローガンが掲げられ圃場整備が始まり、四角い田圃の水田に舞う桜の花びらを求めて、人々が訪れるようになった。
柿を採り終えたころに、農作業の人の姿が点を置くように見え始めた。採った柿は約四百個もあった。凄い働き人に思えた。
沢山の量の柿を見て、夫が「食べるだけ貰ってくればいいのに」と言う。
「? これ私、全部食べるんやけど」……。
棕櫚で括られた柿簾が我が家の軒先に揺れた。教会のオレンジの光りのような柿簾が揺れた。農家の人の優しい甘味、歴史の甘味、季節の甘味、奮闘の甘味、沢山の甘味が熟成して揺れていく。あ〜〜〜喉が鳴る。
干柿の甘味のカロリー気にはする
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秋陽 木村徳太郎
土手をゆく
僕の背に
おんぶよ
秋陽は子供です。
___柿の実が
光ってて
秋陽は
欲しいとぢれました。
___土手をきて
黄金の田
二人で
見てますお昼です。
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ほくとさま。有り難う御座います。お金は使っても使っても減らないのは、きっと飽き(私は持ったことがないので分かりませんが、きっとそうじゃないかと思います)るだろうけど、柿は食べても食べてもどんだけ食べても食べ飽きることのないものかもしれません。(他の果物にかえてもそうではないだろかと柿好きは思います)柿照り葉、葉も綺麗だし、皮と実が同じ色なのも嘘っ気がなくて良いし、渋いのも甘いのも、堅いのも柔かいのも、良いとこだらけ(贔屓の引き倒しです)
同じ様に柿の好きな方がいらっしゃって嬉しいです。でも終わりがあるからまた次の年の楽しみもあるような・・・。
2009/11/28(土) 午後 6:41
道草さま。有り難う御座います。食べ物が豊富にないとき、自然の中の恵みがどれほど有りがたかったか。成り物が輝いていましたね。今はいくらでも食べるものがあるので、柿も不遇を買っております。
吊るし柿はお正月に飾るものだと思っている人もあるようです。それなりに謂れがあるのでしょうね。正月用に1個か2個ぐらいしか干せない年も有るのですが、今年のビッグなこと。(今年はいっぱいご褒美がいただけたようです。)福は分けないといけないかもしれませんね。
2009/11/28(土) 午後 6:52
秋の封印、とても繊細な詩ですね。大和路はまさに柿日和のところです。そしてこの詩の足音がしてくる。とても嬉しい詩です。有り難う御座います。(私の柿好きはやはり大和からくるのかもしれません。柿の音はやはり
>くろもじをけずっているかすかなもののけはい>
これですね。情景がとても嬉しく浮びます。
2009/11/28(土) 午後 7:01
こうま地蔵さま。有り難う御座います。そうですね。夫も子供のとき柿の木から落ちて(折れて)大怪我をしたそうです。だから「柿の木に登った」と報告したら、青い顔をしていました。そして沢山の柿を見て「良くの深い婆さんたちだ」と一言。うふふ、当っているかもしれない。柿採りは首が痛くなりますね。
2009/11/28(土) 午後 7:06
***さま。有り難う御座います。「なり放題、食べ放題」良いですね。なんだか観光農園に住んでいるみたいですね。
種田山頭火も柿が好きだったようです。柿は誰の心にも懐かしくあるのかもしれません。お国が変わればマンゴー?になるのかな。
只、気になるのは漫画などでよく「柿どろぼー」とかいうのをみました。なり放題、食べ放題といっても日本ではどろぼーになったのかもしれません。いまは成りっぱなしですが・・・・。
あまり食べ過ぎてお腹をこわさないようにね。
2009/11/29(日) 午後 11:29
11月の歌も今日で終わり。明日から「師走」で愈々年末の慌しさが始まります。昨日、岐阜の兄から大きな富有柿が送られてきた。今日の絵の大きな渋柿には及びませんが、秋の味覚は有難いですね。柿と言えば、大和と岐阜、滋賀でしょうか。大きな渋柿を白壁を背に簾のように干すと、絵の傍の干し柿になり、昔の子供(今の高齢者)の美味しいおやつになりました。柿は盗むもの・・渋くてぺっと吐き出したり、烏を脅して熟柿を種ごと食べてお尻に詰めたり・・悪童期が甦ってきます。
今日の柿にまつわるお話は、子供達への読み聞かせ会(八王子市では学童が放課後に市民センターに集まり、当番制の親から本を読み聞かせる会があります)に最適のように思いました。
2009/11/30(月) 午後 4:28
tueda67さま。有り難う御座います。明日から師走。一年が駆け足になっていくように感じます。でもそんな中で送られてくる季節のお裾分け、嬉しいですね。富有柿は大きいです。私も例年驚くほど大きな富有柿を頂くのですが、どうしたらこんなに大きな柿に成るのかと驚きます。送ってくれた人作る人それぞれの人を思う楽しみも乗ってきますね。果物が無くなったころのお八つに干柿がなり、人間の知恵にも感心します。え〜〜柿は盗む物なんですか。でも微笑ましいです。
昔の子供(今の高齢者)は柿を食べるだけで無く「さるかに合戦」のお話や「木守柿」のことから、食べるだけで無くいろんなことも教えられたように思います。そして白壁に影とともに映す柿簾の美しさ・・・いろんな事を教えられました。外からは分からないので誰でも一度は渋柿をぺってやったかもしれませんよ。
読み聞かせ会をやっておられるのですか。素敵ですね。
子供達にいっぱいお話を聞かせてあげて下さいね。
私たちがさるかに合戦の話を聞いたり、木守柿のことを聞いたりしたように子供達にはたくさんたくさんお話を聞かせて上げて下さい。
2009/11/30(月) 午後 10:29
大好きな柿から、マリアさまが、二人も!
ひとひらさまも、お友だちも、可愛い少女になって、
夢中で柿とりですね!
あんまり楽しい日記で、にこにこしてしまいました☆
高齢化が、こんなふうに進んでいるのですね。
きっと、ふいの侵入者にも、
喜ばれたのではないでしょうか。
いつも自然と共にあるお暮らしぶり、
いきいきとされています。
おとうさまの、秋陽も、やさしいです!
2009/12/1(火) 午後 3:54
昨日高知から帰りました、今日から師走。師走の月例祭でした。柿を沢山貰い、神様に供えました。明日はこの中のいくつかを吊るし柿にしょうと思いました。
2009/12/1(火) 午後 5:53
リヤドロさま。有り難う御座います。REが少し遅れました。ゴメンナサイ。そうですよ。なんだかマリアさまのように心優しい人に囲まれているようです。(ブログもそうかな)
田舎の成りっ放しの柿は柿にも悪いような気がします。
干いた順番に食べていますので、もう大分お腹の中に入りました。田舎の風情も外から眺めている分には、長閑な所ですが、中に入ると、高齢化やなんやかと、問題点も有るようです。でも願ばくは(第3者の勝手な願いですが)広がる田圃、季節の稔りもの、それと共に暮らす人との一体感が続いて欲しいです。カメラマンが踏み荒らした棚田の畦は後ろめたい気がします。写真とりでなく柿とりを手伝うと良いのにと思ったりします。
私たちも侵入者ではありましたが、菊菜や柿を頂きお話が出来、嬉しかったです。こちらはまだ自然が多く残っています。いまでは住めば都、好きな郷土になりました。父の詩も読んで下さり有り難う御座います。
田舎の秋は秋陽だけでなく、人も子供のようにするようです
2009/12/2(水) 午後 2:50
吉野の宮司さま。お疲れ様でした。お帰りになると、今度は落ち葉掃きに追われておられるのでしょうか。お忙しいですね。お体をおいとい下さい。
奈良、とくに吉野は柿の名産地で沢山の柿がありますね。月例祭には季節のお供えものに神様もお喜びになり、そしてお下がりを感謝して人がよばれる。自然と神様と人は一体ですね。沢山あったら吊るし柿にされるのは良いと思います(甘柿も大丈夫です。試作済み)干し柿に紅葉の散り葉も似合いますね。掃除をしながら干いた柿を一つ・・・なんて。(これは私のことで、宮司さまはそんな行儀の悪いことはなさらないと思いますが)
2009/12/2(水) 午後 3:00
日本画家の重鎮、平山邦夫画伯がお亡くなりになった。突然の訃報に驚くと共に悲しみが増す。地元に佐川美術館があり、平山邦夫画伯の絵が常設されている。画伯の絵が好きで何度と訪れるのが楽しみで、目を瞑れば数々の絵が浮かんでくる。絵に魅力を感じると共に、画伯の人柄も魅力的だった。
シルクロードを愛し、バーミヤン遺跡の破壊には心を痛められ、画伯の原点は平和を願い、人々を平和に導く事であった。そして、「花と語り合いながら美しいところを描くことが大切」と仰っておられた。誰にならったこともなく我流であるが、私も絵を描くのが好きである。そこには、この「花と語り合う」の言葉に、ずうと導かれていた気がする。八ケ岳山麓で、地元の小学生らを対象にした絵画教室を開催されており、いつも「花と語り合いながら美しいところを描くことが大切」と子供たちに語り、スケッチする子供たちの輪に加わっておられる姿をみて,ますます大ファンになった。そして私もいつも花と語り合い、美しいところをみつけ、美しい心でいたいと、それを指針にしていた。
2009/12/2(水) 午後 11:15
79歳の死去は早すぎる。残念で仕方がない。しかし、画伯の教え、優れた作品は永久に残る。画伯の急な死に寂しさと驚きを感じるが、作品は生き続け、人々に生きる希望や癒しを与え続けていく。原爆症を負いながら、いつも平和を願いその大事なことを教えて下さった絵は、世界の遺産でもある。素晴らしい画家の偉業は永久に残る。芸術の素晴らしさも教えて下さった。画伯を偲んで美術館へ行き、静かに冥福を祈りたいと思う。
2009/12/2(水) 午後 11:16
ひとひらさま、おはようございます。
平山邦夫画伯、お早すぎて残念でございます。
偶然のことでございますが、長女の一番最初の勤務地で、
当時学長をされておられ、ご一緒に撮影したお写真が残っております。とてもお優しい方でおられたと聞いておりました。
最後まで、絵筆を持たれておられたのこと、
謹んでご哀悼申し上げます。合掌…
2009/12/3(木) 午前 6:26
リヤドロさま。おはよう御座います。有り難う御座います。ほんとに驚きと悲しみで、コメントを掲載いたしました。それに応えてすぐにコメント入れていただけ嬉しいです。お嬢様が画伯と一緒にお写真を・・・宝物ですね。とても優しいお人柄が画像からも余すところなく伝わってきて、よく絵の前で佇みました。地元の美術館は平山画伯の常設館で画材なども全て見せて下さっています。あの混じっている砂などもあります。
美術館へは癒しの時間をいつも頂いていました。
突然の訃報は悲しいですが、また絵の前に佇ませて頂きます。>謹んでご哀悼申し上げます。合掌>
一緒に合掌してご冥福を祈りたいです。
2009/12/3(木) 午前 7:32
毎度、読みごたえある掲載、なんだかもうしわけありませぬ
(自分の手抜きぶりが後ろめたいんだな〜)
しいんと清らな頼もしさがこもっていた画伯の絵には宗教性が宿ってたよね
あんな心象画も、日本人の心の表れだったのよね
2009/12/4(金) 午前 7:12 [ LUNANA ]
海月さま。有り難う御座います。>自分の手抜きぶりが後ろめたいんだな>そんな事言われたら、今度は私が長い場所とりで後ろめたくなりますよ)それぞれで良いのだと私は開きなおっています。そしてその中で、こうして目をとめ声を掛けていただける事が嬉しいし、友達になれた喜びですね。
平山画伯は原爆を体験して地獄絵を見ておられますが、「自分は醜い汚い物は描かない、綺麗な物」で表現すると仰っています。地獄絵で人々に訴える訴え方、そうではなく静かな祈りから人々に訴える表現、それぞれです。私たち凡人はなおさらそれぞれで良いのではないでしょうか。
でも私は平山画伯の絵が好きです。あの燃える朝焼け、とばりの降りた青い空、月、そこから感じる物も人それぞれでしょうが、原爆の地獄絵からも「祈り」、美しい空気感からも「祈り」人はそれぞれ感じるのだと思います。だから後ろめたい事など感じないようにしましょう(生意気言っていますが、誰しも戸惑いや元気よさやいろんな時があります)でもそんないろんな時に好きな絵と向き合える、これが人類の宝だと思います。今度の休みには佐川美術館へ行ってこよ〜〜〜
2009/12/4(金) 午後 7:15
干し柿の自家製なんてなんとうらやましことです。市田柿を買うかどうか悩んでいます。その上、ヴォーリズの建物がお近くに?重ね葉さねうらやましい。軽井沢で最初に祖母たちが借りた夏の家がヴォーリズの設計した宣教師用の小さくても住みやすく心地よいとてもよい家でした。住む人のための家が彼の優しさの根源にあります。ブログのどこかに書きました。
2009/12/9(水) 午後 5:13 [ isabella ]
isabellaさま。有り難う御座います。大きな大きな渋柿です。手作りで乾きかけると手で揉むと市田柿のように白い粉が吹き、より美味しくなるようですが、私の手作りはそれまでに毎日数が減っていきますので、市田柿のような美しさはありません。でも美味しいですよ(羨ましがらせるばかりでスイマセン)琵琶湖の周辺にはヴォーリズの建築物が数多くあります。最初、滋賀県に英語教師として来日し、伝道に熱心なあまり解職になり、京都のYMCA会館建設の現場監督を担当して、そこから建築家としての歩みが始まったらしいです。それで、滋賀県には彼の沢山の建築物が残っています。どれも温かみと美しさがあり湖国にとても似合っています。
2009/12/9(水) 午後 9:28
でも私の住んでいるところは小さな田舎町でこんなところにもあるのは不思議だったのですが、今回、教会の初代牧師との繋がりで、建てられた事を知りました。近くにいつでも癒されるような建物を眺められる事が出来るのは嬉しいです。そうでしょうね。>住む人のための家が彼の優しさの根源にあります>頷けます。isabellaさんの記事読みたいです。探して見ますね。彼の建築物に住んでおられたなんて、それこそ超うらやまし!です。
2009/12/9(水) 午後 9:28