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♪ ラフカディオ・ハーンの世界
雪おんなと八手の花
雪がチラチラ舞い始めるころ雪の結晶のように咲き、雪が終わる頃には、その姿はない。春を呼ぶ淡雪に交じり、ふと気がついた時にはもうその姿はなくなっている。
八手(ヤツデ)の花は冬に咲く。
花野は彩が消えると、冬枯れのセピア色が広がるばかりだ。そんな中、天狗の団扇のような形をした葉が青々と逞しく光っている。その枝先に白い円錐形の花穂をつけ、蒲公英の綿毛のような白い毬の花を咲かせるものがある。日当たりの良い所より日陰のほうが育ちやすく、目立つことの少ない八手の花だ。
しかし、白い毬の花が咲きはじめると、荒々しかった大きな葉は果然、優しさを増すように薄暗がりの僅かの陽を受けて、華やかさを増し始める。そして、雪のシャンデリアのように広がった白い小花が、虻や蜂を集める。
何度かの積雪の後、八手の花は蕊をほろほろ落としていく。まるで雪がほろほろ融けて行ように零れていく。気が着いた時には、もう花の姿は跡形も無くなっている。
子どものころ、冬の夜……。 「ちよっと……」便所へ走る。
便所には、ブリキ製の容器が吊ってあり中に水が入っている。先端についている突起を、手のひらで数回押すと水が出てくる。それで手を洗うのだが、水が氷柱(ツララ)になっていた。
私は横着をして手を洗わないで走って戻る。そんなとき必ずそれを咎めるように「ザザザァー」と言う音が後を追いかけてくるのだ。怖かった。手を洗わずに走るとき、いつも音が追いかけてくる。それは、便所の横にある八手に積った雪が、滑り落ちる音だと聞かされても怖かった。いつか聞いた「雪女」が私を浚いに来るように思えた。深々と降る雪の寒気が、余計に恐怖をつのらせた。
子どものころ、古事記や今昔物語や日本霊異記を読むのが大好きだった。そしていつのころからだろう。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/28380196.htmlを夢中になって読むようになった。
ラフカディオ・ハーンは「不思議なことの物語と研究」として、我が国古来の民間伝承を丁寧に取材し、それを元に多くの作品を残している。そこには、人間としての素朴さ、誠実の美しさ、寂しさが良く描かれている。古事記にしろ、ラフカディオ・ハーンの世界にしろ、決して荒唐無稽の作り話ではない。難解な書物に書かれる倫理感、哲学より、私にはとてもそれらが分かりやすく、そして祖先から子孫へと受け継がれていく日本人のDNAが、ここかしこに踊っているように感じる。教え、日本人の感性、精神が響き渡り、私の胸を躍ら、読みふけるのだった。
寂しさがある。裏切りもある。欲深もある。しかし、日本人の性格と生活の底に流れる、人間的な美しさがどこにも溢れ出、自然を、人を、動物を愛おしみ、賛美し、そして親子の情、男女の悔悟を美しく浮びあがらせている。
どんな書物よりも私には、それは人間性に対する深い洞察力につらぬかれているように思う。
暖を取りながら本を読む。静寂のなかに登場人物が躍り出す。古事記が躍る。ラフカディオ・ハーンが語る。
外はまた雪がちらついてきた。八手の花が零れていく。
ラフカディオ・ハーン作「雪おんな」……。そして、八手の花……。
雪おんな ラフカディオ・ハーン
(略)
「それはわたしじゃ。……このわたしじゃ。お雪じゃ 。あのとき、ひとことでもしゃべれば命をとると、かたがた言うておいた。じゃがの、あすこに寝ている子どものことを思えば、この期(ご)に及んで、そなたの命はもらわぬ。このうえは、せめて子どもを大切に、だいじに育ててくだされや。子どもにもしも憂き目をみせるようなことがあれば、その報いは、きっとこのわたしがしますぞえ」
こう叫んでいるうちに、お雪の声は、しだいに風のひびきのように細くなって行き、やがて、その姿は白くきらめく霧となって、屋根の棟木の方へのぼって行くと見るまに、引窓から、震うがごとくに消え去って行ってしまった。それぎり、お雪の姿は、ふたたびみることはできなかったのである。「怪談」より
ふと目をあげた先の、八手の花がなくなっている。いつのまにか消えている。八手の花が、何かを見届け終えたように零れていく。虻や蜂を集め、雪の結晶が融けて行くように、蕊がほろほろと零れていった。
ほろほろ零れると、春の兆し……。
子どものとき追いかけられて怖いと思ったのは「雪女」。
ラフカディオ・ハーンは「雪おんな」。
八手の花が零れて消えていく。
雪は美しくそして恐ろしい。
雪おんなは子を愛する人に託して、消えていく。そして融けていく。
雪おんなが引窓から、震うがごとくに消え去って行くとき、雪おんなは温かい涙を零すのではないだろうか。八手の花が涙のようにほろほろと零れていく。
花を無くし葉だけの八手のなんと、寂しげなことか。薄暗がりの中、花と共に華やかさと優しさのあった葉が、また荒々しさだけを残している。
私が子どもの時に出会ったのは、葉ばかりの八手の上に乗る「雪女」。
私はいま、「雪女」でなく「雪おんな」を見ている。
葉と共に八手の花は宇宙ごと
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前の日の夢 木村徳太郎
心はみんな 起きてゐる
心はみんな 駈けている
<君 飴チョコと 取替っこ
してくれないか その花と
ううん 雌蕊がきれいだもん
栞にするんだ だから嫌>
みんなの心に 花がある
みんなの心に 鳥がある
<あの鳥なんだか 知ってゐる?
ほうれ魚を とっただろ
あれは鴎だ 海の鳥
羽がとっても 強いんだ>
心はみんな 駈けてゐる
心はみんな 起きてゐる
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くろひつじさま。有り難う御座います。どうして天狗の団扇が八手なのか子どものころ不思議でした。でもいろいろ考えて見ても、天狗に持たすに似合うのはやっぱり八手でしょうね。どちらも古いものなんだと、そしてそれを定着させた日本人の感性に感心します。(葉が多くとも、末広がりの八で治め、そう言う名前を付けたことにも感心です)私は女性で、八手の葉には追いかけられたほうです。マジで恐かったですよ。でも大きくなって花を知ってからは不思議な植物で冬は生け花に使っています。匂いも良いし、冬の代表花だと思います。
2010/1/27(水) 午前 7:09
くろひつじさま。うふふ、私も妖怪大好きなんですよ。水木しげるさんの「妖怪文庫」は全部そろえています。他にも書棚にならんでいます。(特に日本の妖怪が好きです)
目に見える妖怪よりも目にみえない妖怪には尊い力がありいろんなことを教えてくれます。
平成の時代に現れているのは妖怪ではなく「ばけもの」だと思います。「人間の面を被ったばけもの」と言うでしょう。
ばけものだらけですね。おぞましや・・・・
2010/1/27(水) 午前 7:19
道草さま。ありがとうございます。八手は便所付近だけで無く、鬼門や、また目出度い木として玄関にも植えられます。(私はそれだけ人との関わりが昔は多かったのではないかと思います)
花は初冬から雪が降り始めるころまで咲きます。我が家の庭にももう花はありません。が、先日、山背の大塚古墳へ行きました。(通りました)偶然二日まえに「卑弥呼の三角神獣鏡」が三十数面出土したというところでした。古墳と言っても広大なもので、歩いているところが(お寺、山、民家)が全て古墳の範囲だそうです。そこの薄暗い山奥では八手の繁みがあり、花が溢れるばかりに咲いていました。(この時季咲いているのもあるのですね)とても不思議な気持でした。私はてっきり「雪おんな」と思いましたよ。ひっそり
と雪おんなが生きているようでした。山を抜けると小春日和の陽のなかでした
2010/1/27(水) 午前 7:35
そうですよ。八手の花は雪が降り出すといつのまにか消えています。
「冬が来た」 高村光太郎
そうです。雪おんながくるのです。
2010/1/27(水) 午前 7:44
なるほど、ヤツデの花を雪女に重ねましたか、発想が豊かですね。
ヤツデの花がある日突然消えるのは、冬の餌に飢える鳥達が一斉に飛んできて食べるのか、と思っていました。
夢がなくてすみません^^
2010/1/27(水) 午後 2:15
お友達のパソコンから 飛んできちゃったです。
ムベの事沢山教えてくれて有難う。
初めてみました八手の花 雪女と合わせて感激です。
ポチで有難う
2010/1/27(水) 午後 2:21 [ - ]
八手の花は今が盛りで春まで咲きます。
2010/1/27(水) 午後 4:49 [ コナンメ ]
こうま地蔵さま。有り難う御座います。「アヌビスの恋」も妖怪の一種?素敵でしたよ。
八手の花が消えるのは雪が溶けるからです。鳥は食べませんよ(笑)
余談ですが、私のほうでは鳥に実を全て食べられるのですが、八手の咲いていた地域は何処の家のナンテンも(取られないように袋をかけていないのに)食べられずに綺麗に残っていて不思議でした。あれはなんでしょうね。
鳥たちは冬でも餌に飢えると言うことは無いと思いますよ。
2010/1/27(水) 午後 7:16
志乃さん。有り難う御座います。雪深い所から飛んできてくれたんですね。雪のたくさんあるところはまだ八手の花があるかも知れませんよ。雪解けが近づいたら消えるみたい。
ムベは言い忘れましたが「ムベかな」と言う言葉があり、どうして滋賀県と関係があるかを言い忘れました。後ほど補足に行かせて頂きます。ポチありがとう。雪おんなも喜んでいるかな。
本当のことを言えばあのひっそりと美しく咲いている八手の花をあまり人が、見向きもしないので不満だったの。可愛そうだよね、雪おんな(八手の花)これで少しは喜んでくれたらいいなぁ〜
2010/1/27(水) 午後 7:31
コナンメさま。有り難う御座います。八手の花は11月の季語ですが、そうですよね、いまでも咲いています(我が家は気が付くともう無くなっていましたが)今が盛り(雪盛り)で春の淡雪と共に消えるようです。
コナンメさんはどこから来ていただいたのでしょうか。まさか妖怪じゃ?(妖怪は好きです。ウイルスとかバケモノはいやですが)
2010/1/27(水) 午後 7:40
まず、トップの八手の花の写真にうっとりしました。花八手はこんな感じの花だったんですね。知りませんでした。
暗闇の中で、八手に積った雪がざぁーっと零れ落ちる音は怖かったでしょうね。外トイレの経験は私にもあります。冬は水洗器に付いている突端を押しても水が凍っていて出てこないんですものね。
私はラフカディオハーンの作品は「耳無し芳一」しか読んでいなかったと思います。
花ひとひらさんは、いろいろ貴重な作品をお読みになっていらっしゃるんですね。
上のようなステキな文章をお書きになる花ひとひらさんの底辺がそんなところにもあるような気がします。
2010/1/27(水) 午後 9:52 [ afuro_tomato ]
やつでの花!これはまた傑作ですねー。
冬に咲くやつでの花は、冬を越す準備の遅れた虫たちの絶好の働き場所のようで沢山虫が集まってきます。やつでもそれが目当てなんでしょうね。
2010/1/27(水) 午後 10:57 [ ほくと ]
afuro_tomatoさま。 有り難う御座います。八手の花は雪おんなだと思って描きました。
闇夜だけでも恐いのに、何かわからない不気味な音はますます恐怖の、るつぼです。子どもの時の闇夜は恐かったです。今みたいに夜は明るくありません。それに寒かった。
現在からは怪談は生まれにくいでしょうね。雪おんな、雪女、雪娘、雪女郎、などとその土地につたわる伝説として残っている物で、少しづつ話の内容も異なります。「雪おんな」のように子どもを託して去って行くのや、旅人を凍死させるだけのものと、いろいろです。その土地土地のの違いによっても、伝承が変化するのでしょうか。でもどれもがそこに信仰と教えが入っているように思います。ハーンの作品にはプラスなんだか優しいものが流れているので好きです。文章は思っていることを上手く書けるようになりたいと思いますが、理解してもらえれば一番嬉しいですね。
私は afuro_tomatoさんの写真が大好きです。「みつめている」そんな気迫と優しさが漂ってくるのです。そんな afuro_tomato さんにステキな文章などと言って頂くと雪穴を掘らなくっちゃ。
2010/1/28(木) 午前 7:29
ほくとさま。ありがとうございます。薄暗がりの八手の花はほくとさんなら星座になるかもしれませんね。>冬を越す準備の遅れた虫たちの絶好の働き場所>自然は上手くなっていますね。みんな循環しているのですね。匂いを出しておびき出している雪女と思わないで、手をさしのべている雪おんなですね。
2010/1/28(木) 午前 7:33
花ひとひらさん、八手の花をしみじみ見て考えています・・雪女・・の物語姿を思い出しています口から雪の粉を吹き出し人を凍りつかせる・・・そして八手の葉だけで花が落ちた姿・・・きっぱりと冬が来た・・八手の白い花も消えて2月に入ります
2010/1/30(土) 午前 0:20
吉野の宮司さま。有り難う御座います。「雪おんな」のお話には人を凍死させ、冬の厳しさに気を引き締めるよう警告したものから、助けて貰った返礼にくるもの、そして夫婦になり子も成すが、夫(男性)の裏切りにあうこと(これは他のお話にも多いですね)子を置いて去る女の悲しみが物を凍らせる。どれにも人の心や感情が伝えられているのだと思います。
大雪かと思えば春のような陽気、季節もなんだかあいまいになってきました。でもニュースなどでは、豪雪の所もありで今の時代ではどんな伝説伝承が生まれていくのでしょう。(後の人はそれにいろいろ教えられることが多いので、これから先にはどんなお話が伝えれていくのだろうと思います)。
八手の花は地味な花ですが見ていたら面白い花だと思います。
もう二月、立春とはいえ昔はこれからが豪雪でした。吉野の山も雪で埋まるのでしょうか。でも後一息です。春がすぐですね。桜の蕾が随分膨らんでいました。
2010/1/30(土) 午前 7:27
ひとひらさま、おはようございます。
雪おんなと八手の花、身震いがしてくるような美しさに、
引き込まれて、何度も拝読してしまいました。
小泉八雲の邸宅を、山陰の旅で訪ねました。
八雲が愛した、静かで美しい街を、ゆっくりと歩きまわりました。
ブログに載せれば、ひとひらさまにも、
見ていただけたのにと、少し後悔しました。
昔、岸恵子さんの、雪おんなを観ました。
その映像は、女ではなく、おんな、、でした。
八手の花の中に、
消えていくおんなの、哀しい背中が見えました。
実に、厳寒のこの季節の歳時記、氷の冷たさまでが。。
その後のお父さまの詩で、
ぬくくなってまいりました。
2010/2/2(火) 午前 6:10
リヤドロさま。有り難う御座います。いつも私の思いを的確にコメントしていただけ、感謝です。雪女でなく、雪おんな……。
岸恵子さんの映画ですか。ピッタリですね。美しい、そして哀しい背中、リヤドロさんの言葉にかかると、ほんと、氷の歳時記が見えてきます。ありがとう。
徳太郎の詩も読んでいただけ有り難う御座います。良いな良いな。
みんなで取りかえっこして、みんなで駈けようね。そんな気がします。
雪に想いを馳せていたら、本当に雪が降りました。昨日、突然、見る間に雪が降ってきて積もりました。(昔は買い物に行き、雪がなかったのに店を出ると雪が積っている。そんなことがしょっちゅうでしたが、最近はそれがないので、とても胸がときめきました。雪おんなと出会えましたよ。
夜は屋根の雪が「ドスンドド〜ン」て、この音がまた春を呼ぶようで、良いものです。そして今日は「なごり雪・・・」素敵ですよ。
雪深い生活は大変ですが、やっぱり雪おんなは日本の情緒ですね。
2010/2/2(火) 午後 6:56
ひとひらさま、こんばんは☆
東京も、昨夜、初雪が降りました。
そして、雪降る窓辺に、本当に薔薇が咲きました。(^_^)
2010/2/2(火) 午後 8:40
リヤドロさま。お知らせ有り難う御座います。素敵ですね。薔薇と雪の精かな。豪雪の地方の方は生活も大変ですが、美しい雪に生活の辛抱も出来るのでしょうね。そして春を待つ気持が高鳴る。自然の高貴さですね。東京にも雪が降りましたか。綺麗だったでしょう。こちらは春の雪で、そのふんわりしていること。気持が暖かくなる白さでした。春を呼ぶなごり雪でした。
「雪降る窓辺の薔薇」また一つ素敵な物を教えていただけました。
2010/2/2(火) 午後 11:21