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絵葉書「岬の分教場」より
初恋 の 旅 (1)
「初恋」に会ってきた。
小学生だった昭和三十年代、田舎の映画館は、三本立て50円の料金だった。他に娯楽のない田舎だ。父に連れて行って貰う映画がとても楽しかった。
チャンバラ映画、美しい美しい女優さんの外国映画、難し過ぎ退屈でいつのまにか眠ってしまう映画、それらはどれもフイルムに雨が降る古いセピア色の映画だった。どんな筋だったかも忘れている。映像も思い出せない。でも、一つだけしっかり覚えている映画があるのだ。瀬戸内海の島で、天に昇るような炎天下の畑へ天秤棒を肩に食い込ませ水桶を運んでいた。演じていた乙羽信子や殿山秦司をしっかり覚えている。それは「裸の島」と言う映画だった。どうしてかそれだけは鮮明に覚えている。違う世界が有ることを子供心に知った始まりだったかもしれない。
映画だけではなかった。大阪生れの父はよく大阪へ連れて行ってくれた。「昔、昔、お爺さんが、大阪城に石を寄贈して、石に名前が入っているやで」と話す。なんでもご先祖さんが小豆島の人で、大阪に出て財をなした。しかし、大東亜戦争の戦火でなにもかもそれは無くなったのだと話す。通りかかる露路露路では、父が子供のころに遊んでいた遊びのことを話してくれた。
終戦の年に生まれた私は、父の腕にぶら下りながらそれを聞く。それらは、「桃太郎さん」や「花咲か爺さん」の昔話を聞いているのと同じ響きで、私に流れて行った。
中学生になり恋?をした。恋に恋する思春期であれが初恋だったのだろう。父を尋ねて来る大学生で、瀬戸内海に浮ぶ自分の故郷の「蒲刈島」の話を良くしてくれた。当時私たちが住んでいた奈良の片田舎を「自分の故郷の景色と、とてもよく似ている」と語る。私はそれが嬉しかった。そして、図書室で瀬戸内海の本を借り、どんなところかと何度もページを繰っていた。瀬戸内海の明るい海が眩しかった。本に差し込む昼休みの光りは、私の胸をドキドキさせ、そして切なくさせた。彼が故郷と言う瀬戸内海を想像しては、はるか彼方の波音を聞くように、図書室通いが私の日課になっていた。
読書や映画鑑賞は好きだ。それはあの昔、父に連れられ行った小さな映画館、日差しを背に受け懸命に本を繰った図書室が原点になっているのかもしれない。
父の愛蔵書はたくさんあった。しかし、父はプロレタリア文学が嫌いだった。父の本棚にない本を図書室で借りて読んだ。図書カードに図書室の本が全て羅列されたのではないだろうか。
学校へ巡回映画が来る。板敷きに膝を抱え、時々友達の顔を盗み見て観る映画は楽しかった。そんな巡回映画の中に「二十四の瞳」があった。瀬戸内海の島が舞台だ。瀬戸内海の煌きと、子供たちの瞳の煌きが私にはどうしてか切なくもあった。そして物語に泣いた。その本は家には無かった、図書室で「蒲刈島」を探し、「二十四の瞳」の原本を何度も読んだ。甘ずっぱいトキメキと、本の中の厳しさは、私に憧れと切なさを瀬戸内海が生んでいた。
長い時が過ぎ、いつしかそんな事を忘れていた。
しかし、新しい家族が誕生し、夫と三人の子供たちと孫を持つ、この幸せな色どりの底には、私が生まれたときからの彩も底光りして横たわっているのではないだろうかと思う。原点が堆積して今の地表がある。そんな気がしている。それを掘り起こす事が出来ればと、父の詩と私のエッセイで本の出版を試みた。しかし、それまで文章を書いた事が無い。勉強のために同人誌に入れてもらった。そこで「二十四の瞳岬文壇エッセー募集」を知ったのだ。
そして応募してみた。なんとそれが「優秀賞」に選ばれた。嬉しかった。受賞通知と共に、たくさんのパンフレットが送られてきた。その中に「岬の分教場文芸教室」と言うのがあった。二十四の瞳の子供たちが通っていた小さな木造平屋の分教場の写真が載っていた。校庭に国旗がポツンと立っている。私が通っていた小学校ととても似ていた。写真からは潮風が感じられた。私の学校は木々を渡る風だった。それだけの違いで、写真から皆んなの歓声が聞こえてくる気がした。
私が通っていた小学校はもうない。統合され校舎もなにもない。もう一度どれだけ見たいと思ってもそれは叶わないのだ。
私は写真の分教場に行きたくなった。校舎の中にはきっと小さい木の机と椅子、黒板があろう。写真の中から「二十四の瞳」の子供たちと大石先生の歌声が聞こえてくる。小学生の私の声も聞こえてきた。私は決心した。「岬の分教場へ行きたい」「小さな机と椅子に座ってみたい」……。
しかし、私は一人旅をした事がない。どんな時でも切符から宿舎から、誰かが面倒を見てくれた。夫に声を賭けてみたが興味を持たない。知人にも声をかけたが興味を持たない。
それから、私の悪戦苦闘が始まった。JRの時刻表、フエリーの運行、バスの時間、ホテル。どうしても動線が繋がらない。私にとっては未曾有の地に向う心地で、見当もつかない。しかし参加の申し込みをしてしまった。詳しいプログラムが送られてきた。プログラムには、授業以外に「おなご先生のオルガン伴奏で、七つの子を合唱する」となっていた。私は厚かましくも「オカリナを吹かせて欲しい。故郷を合唱させて欲しい」と申し出てしまった。すぐにそれは了承された。もう小豆島に行くしかない。後には引けなかた。
私は毎日、小豆島行きの行程作成に四苦八苦した。あちらこちらに電話を掛けた。ホテルはネットでいくらでも予約ができる。しかし、声を聞いて予約をしたかった。「あの〜〜女の一人旅なんですが、一人でも大丈夫な安全な部屋、ありますか」などと、トンチンカンな問答が繰り返えされた。フエリー会社は港で担当が違う。あちらへこちらへと迷った。港へ行くバスの時間を調べる。そこまで出来れば、後はJRを繋げるだけだ。最初の悪戦苦闘が、そのごろにになると時刻表を見るのが面白くなって来ていた。時刻表から推理小説が生まれるのも理解出来る気がした。文芸教室の始まる前日から行かないと間に合わない。前日に観光することを決めた。しかし、小豆島は予想外に大きく一日では周りきれないことも分かった。何処と何処を回るか、それを決めるのに案内書を繰り返し読んだ。
文芸教室に、二十四の瞳の映画村や壷井栄文学館、文学碑の散策は含まれていた。しかし、それに参加していたらその日に帰れなくなる。私は二日も宿泊は出来ない。前日にそれらを自分で周ることにした。それ以外に、なぜか「大阪城残石記念公園」が気になった。子供の頃に聞いた「じいさんの名前が大阪城の石に刻まれている」と言うのを思い出した。小豆島から大阪城に石が運ばれたのは本当らしい。私はそこへも行くことにした。小豆島と言えばオリーブだ。オリーブ公園も行くことにした。あとは農村歌舞伎の舞台、棚田の千枚田も見たいと思った。「裸の島」を思い出していた。ホテルは「醤油の郷」の近くだった。いつでもそこは周われる。
一人旅の計画立ては、いつか不安から楽しくワクワクしだしていた。
そして詳細の計画表を夫に渡し、私は一人旅に出たのだ。
白い波を蹴ってフエリーが進む。たくさんの島影が見えた。昔、ドキドキしながら図書室で一人覗いていた写真集の景色があった。私はなんだか初恋に会いに行く心地がしてきた。私の中に懐かしさがプチプチと弾けて行くのが分かった。
小豆島は、何処も優しく迎えてくれる風が吹いていた。そして私は気がついた。この優しさ、これは初恋に似ていないだろうかと。
「裸の島」の映画だけをどうしてしっかり覚えていたのだろう。どうして図書室で瀬戸内海の島々を探していたのだろう。どうして、二十四の瞳文壇エッセイに応募したくなったのだろう。
岬の分教場へ向う心はまさしく初恋に似ていた。
分教場は思っていた通りだった。小さな木造の校舎。板張りの廊下。私たちはこの廊下を横一列に並び、お尻を上げて雑巾かけをした。傷ついた黒板がチヨークの粉をつけていた。戸口に黒板消しを挿んでおいて、戸を開けた先生を真っ白にしたものだ。二十四の瞳の子供たちもそんな悪戯をしたのだろうか。オルガンや大きな模型の算盤があった。ローマ字表も張られていた。何もかもが私の小学校と同じだった。座る小さい椅子が温かかった。廊下に差し込む光りが、私を完全にタイムトリップさせた。廊下を走る子供たちの声、そこにスカートをひるがえし走る私の姿もあった。あの時の暑い暑い夏、窓の外にはサルスベリが咲いていた。蝉が喧しかった。流れる汗をぬぐいながら教科書を広げていた。
一筋の風が入って来る。それは潮の匂いを連れ、そしてサルスベリでなく、窓の外はオリーブの木だった。
私を現実に引き戻したが、確かにこの校舎には、二十四の瞳の子供たちと大石先生がいた。そして、山の学校の私もそこを走るのだった。
参加者名簿は広島、香川県の人たちばかりで、滋賀県の私が目につく。なんだか転校したときのことを思いだした。授業はおなご先生の出席とりから始まった。“おとこ先生”と“おなご先生”の授業は、とても良かった。終了証書授与式に、私を代表に指名して下さった。私は級長になった気がした。オカリナで故郷を吹いた。(オカリナを続けていて良かったとつくづく思った)最後に校長先生が「岬文壇エッセイ」の話をされ、私を紹介してくださった。面映ゆかった。私は光りの中にいた。
しかし、もう戻らないといけない。後ろ髪をひかれる思いで「早引き」をした。バス停に急いだ。このバスに乗車しないと、その日のうちに帰れないのだ。
目の前に広がる海に暑い日ざしが降り注いでいた。
「初恋の旅」(2)へ続く
http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/50613750.html
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ほう、大学生への初恋のおもひをこう語りますか、さすがですね。
2010/7/28(水) 午後 2:12
ひなちゃん。こんにちは。昔の映画に素敵なものがたくさんありますね。(懐かしさ等も乗っかって)それに他に娯楽がなかったのかな。映画が楽しみでした。
初恋?うふふ、もう時効だから話しても良いかな。
ここで食べた「かごめ弁当」もとても美味しかった。懐かしさが湧き湧きあがってくるような二十四の瞳の子供たちが「かごめかごめ〜」て遊んでいるのね。またあの島の人たちがどれだけ二十四の瞳を大事にしておられるかが分かる島でした。
2010/7/28(水) 午後 6:00
オカリナのうたさま。有難うございます。読んでいただけとても光栄です。有難うございます。そしてコメントも。
エアコンもない暑い校舎。私たちの小学校時代もそんなものありませんでした。ただ自然だけ、自然の風と、やはり自然の一部のような子供たち。あの机に座ると、とても素直になれますね(「ハイハイ」と当てて欲しくそれに一途になれました。私はそのうち中学校になると、分かっていても手をあげなくなりました。今思えばいやな子ですね)素直な可愛い?私が座っていました。嬉しかったですよ。
オカリナは気持ちを入れて吹けました。(と、思う)これも嬉しかったです。
2010/7/28(水) 午後 6:12
こうま地蔵さま。こうま地蔵さまにも初恋のおもひが有りそうですね。そのころの自分に会えるのも幸せなことだと思います。
2010/7/28(水) 午後 6:15
「二十四の瞳」の映画は何回見たのかなぁ、と思わず指を折ってしまいました。あの頃の、あの雰囲気は、今はもうないでしょう。すべて懐かしい思い出になりました。
さて、花ひとひらさんはこれからどこに行かれるのでしょう。
そこも「初恋の旅」の場所ですか。
2010/7/28(水) 午後 8:40 [ afuro_tomato ]
私が一年生で入った小学校は、二年生の時に移転。しばらく畑になっていたのですが、そこが砂採取業者に買われ“土地”すらも消えてなくなってしまいました。
でも、思い出は余計はっきりと浮かんでくるようです。それでいいのかもしれませんね。
2010/7/28(水) 午後 9:24 [ ほくと ]
afuro_tomato さま。おはようございます。有難うございます。
きっと同じではないと思いますよ。あのごろは水道もなかった。生活状況も時代状況もすべてが違う(それが雰囲気が違うということでしょうか)。でも私はフエリーの中で隣のおばちゃんが話してくれた「海底を通って水は徳島買うてるんや」の中に、しっかり当時の生活環境が浮かび上がりましたよ。そしてあのごろの雰囲気がありましたよ。(雰囲気はそれぞれの人の心の中に思い描けるものだと思います)だから小豆島が海外資本に買い取られそうになっているなどという噂も聞いたことがあります。でも私は、人の心の雰囲気や思いは買い取られないものだと思っています。だから雰囲気や懐かしさ・思い出は自分の心で見出すものと思っていますから、平気ですよ。色あせません。
うふふ。私は今回ですっかり変な自信がつきました。(一人旅できるんだぁ〜)初恋の旅でも(私の知人は70歳越して恋を探して出歩いていますが)そんな旅でもない。自分を探す旅でもない。観光でもない。そんな旅をしていきたいです。
2010/7/29(木) 午前 8:07
ほくとさま。おはようございます。ほくとさんが言われるように私もそれでいいのだと思います。
私の小学校跡はゲートボール場になっていて、お年寄りが楽しんでおられました。
校舎をなくす時、そこの記録などはどうなったのでしょう。それが少し気になりました。私、卒業のとき答辞を読んだんだぁ。あれ残っているかなぁ〜、ないだろうなぁ〜。
小豆島へ言ったとき「残っている」ことの大きな財産を改めて思いました。人間だけでしょうね。残しておくことが出来るのは。
そして、形がもしなくなっても、心に残しておけるのも人間だけでしょうね。
2010/7/29(木) 午前 8:20
花ひとひら様おはようございます
初恋…心地がいい時間をいただきました。
小豆島へ一度訪れたことがあります。はじめて訪れたのに懐かしさを抱き また訪れたいと ふと思うことがあります。とても好きな場所のひとつです。 花ひとひら様の初恋にため息です^^
今日も素晴しいお話ありがとうございます。
ここのところ忙しくゆっくり時間がとれずにおり コメント訪問が遅れがちですが 末永く宜しくお願いいたします。
2010/7/29(木) 午前 8:46
ひとひらさま、こんにちは☆ 初恋の旅、引き込まれて拝読してしまいました! 作品が、優秀賞として冊子に掲載される過程に思いを馳せながら、旅の同乗者のように、わくわくとしてしまいました。
壺井栄の作品も映画も、とても懐かしいです。私も街の映画館に足げく通いつめた少女だったので、セピアの光景が重なりました。ひとひらさまは、常に人生の軌跡を、丁重に追われて、鮮明な記憶と共に綴られる場面の再現力に、いつも感服いたします。岬の分教場とオカリナの音色、初恋の地に流れた「故郷」。セピア色の映画のままに、心に残りました。素晴らしい旅日記、ありがとうございました☆
2010/7/29(木) 午後 3:56
こうげつさま。有難うございます。私もまた小豆島には行きたくなりました。私の思いますのに、人によってその場所に対する思いは違うのではないだろうかと気がつきました。小豆島もただ観光の島と捉ええリゾート地と捉えればそれまでのこと。また過疎地と捉えればそれまでのこと。でもたくさんの人の思いがつまっているところと思えば素通りは出来ませんね。それにあの島の人たちどの人もとても親切でしたよ。商業べースだけではないものをどこでも感じました。
あのね、私周る所が沢山あったし、最初はタクシーに乗ったのだけれど、その運転手さんが、自分の儲けを別にして、これから先は渡し舟で行くほうが安くつく、そこからはバスが出ているて教えてくれるの。普通なら、タクシーの稼ぎ時なのにね。お土産送る時も、とても親切に選んでくれたし(人が少ないということもあったけど)ホテルの人も親切だったし、どこも不愉快な思いをすること(最近そういうの多いけれど)一つもありませんでした。ラッキーだったのかもしれないけれど。
ブログは自分の楽しみだと思います。コメントとか、訪問は気にしないで。私ものんびり長〜くお付き合い下さい。
2010/7/29(木) 午後 6:37
リヤドロさま。有難うございます。いつも長い読みにくいのを丁寧に読んでくださり、感謝です。受賞の作品を集めた冊子も、記念に残るものです。どこにも手作りの味が滲み出ていると思います。それがあの二十四の瞳、坪井栄さんの心なのでしょうね。
リヤドロさまの旅もいつも素敵です。
私もこれから、素敵な旅を沢山したい気になりました。
こちらこそ、有難うございます。
二十四の瞳の子供たちと大石先生のブロンズ像がありました。
リヤドロ人形に通じるものがありました。
2010/7/29(木) 午後 6:46
今晩は♪
小豆島へは 就職前の春休みに 姉と祖母の3人で行きました。
大阪南港からのフェリーで 島内のバス観光とホテルが セットされたパック旅行でした。
当時祖母は78才。船なら楽だろう、と姉が企画してくれました。
団体旅行のレクリエーションでも 最年長ということで 祝っていただき、(確か 誕生日の頃でした。)良い思い出になりました。
私自身の 憬れの地は 埼玉県と東京でした。 小5のとき 好きだった男子が転校して行った先です。
つい2年前、
ネットで彼を見つけました♪
(ブログ 「もしも願いがかなうなら」に書いてます)
昔のまま 人なつこい笑顔の 素敵なおじさんになっていて 嬉しかったです(*^_^*)
2010/7/30(金) 午後 7:11
早起きネコさま。有り難う御座います。大阪南港からもフエリーが出ていますね。私もどちらにしようかと思いながら(きっとツァーだったらそちらを組まれるのでしょう)値段、時間を考えて姫路からにしました。いろいろ考えるの最初、私の頭の許容範囲を超すわと言う感じでしたが、だんだん、細かい計算をするのも楽しくなり、旅は始まっていると思いました。
家族旅行もまた楽しいでしょうね。良い思いでなりましたね。
エ!ネットで初恋の人と、そう言うこともあるのですね。
長生きしないといけませんね。
2010/7/30(金) 午後 9:08
今晩は♪
今は 時刻表検索というのもあり
到着時刻または 出発時刻と 目的地を入力すると
何時にいくらで行けるかわかって楽しいです。
安くいくか、早くいくか、と 何通りか選べます。(*^_^*)
憬れの彼は 転校してから30年以上 生死さえ知らなかったのに
漢字で名前を入力しただけで…
本当に驚きました。 とある大企業のホームページで
「100人のチャレンジャー」として 老若男女の元気な社員を取り上げ、
インタビューしていました。写真が3枚もあり♪♪
幸せでした(笑)
別にコメントを交わしたわけでもありませんが
見つけられただけで 嬉しかったです。
他にも
「林雅彦 奈良」
で 検索すると 同級生が今 有名な洋菓子屋さんだとわかりました。
パソコンなくても 携帯で 楽しんでます(*^_^*)
2010/7/31(土) 午後 5:53
早起きネコさま。有難うございます。
いろいろ検索したり調べるの楽しいですね。そして実際に出かけるのってより楽しいです。
「憧れの彼」憧れだからわざわざ入力なさったのかしら。ネットは
恐ろしくもありますね。
でもおもちゃはおもちゃかなと思ったりもします。
見つけたときの早起きネコさん大喜び、楽しそうですね。
2010/7/31(土) 午後 9:47
違和感もなく、読んでしまいました。
洗練された文章に感動です。傑作
2010/8/2(月) 午前 7:14
日本書紀さま。有り難う御座います。長い文章を読んでくださり有り難う御座います。傑作も有り難う御座います。
暑いですが御自愛くださり、良き夏を楽しんでください。
2010/8/2(月) 午後 5:59
花ひとひらさんの文学も、日々が堆積した地層に咲く一輪の花で
そんなにすこやかにつつがなく花開くことができたなんて、
きっと天でお父様が御加護なさっててくださったんだね
もちろんお母様もね だからこそ、こんななつかしい言葉を風に乗せられるんだ
2010/10/19(火) 午前 5:41
海月さま。文学なんて言われると、そんなもの何もありません。でも思ったことを書き残すのは快感ですね。海月さんもそうでしょう。
良いことも失敗も記録はいいですね。海月さんも、夢が開くときがきっと来ますよ。そのとき、いろんなこと懐かしくなるよね。
私、こうしてみんなに見守られているんだと思うと有難いです。
ありがとうね。
2010/10/19(火) 午前 10:33