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(ゴーヤの写生)
「脳いきいきアート」風にゴーヤを描くことに挑戦してカリキュラムを考えました。
脳いきいきアートはモデルの中身を観察し、味わい、匂いを感じ、それにまつわる思い出を右脳に喚起します。熟したゴーヤの中に赤い種が入っています。それらに感じる色画用紙を5色用意し,その中から自分の感じるものを選んでもらいます。
ゴーヤの形に囚われず毛糸を転がしていくように、ゴーヤの突起を楽しみ、線を途中で切らないで元の場所へ戻ります。
出来た粒粒に感じる色を乗せ、そしていつものように構成していきましょう。
今夏はあちらこちらで「ゴーヤスダレ」が目につきました。
我が家でも夫がゴーヤの苗を買ってきました。勤務しているデイサービスの施設でもプランタンにゴーヤを植えました。
節電対策もかね、暑さをやわらげようとあちらこちらでゴーやが植えられたようです。
台所へ入ってくる風が夏の名残を感じさせ、ゴーヤカーテンも役目を終え、ゴーヤの山が出来ました。台所にゴーヤが沢山差し入れられました。
勤務しているデイサービスは、民家型小規模通所施設というのでしょうか。田んぼと畑の中の民家です。いろんな採れたて野菜が近所の方のご好意で台所に溢れます。
利用者さんの昼食はスタッフが順番で調理します。部屋に煮物の匂いとまな板の「コトコト」の音が流れます。利用者さんも手伝って下さり食事準備が出来ます。
盛夏のなごりの風をのせ、ゴーヤが山のように積まれゴーヤチャンプル、味噌汁、サラダ、ピクルス、佃煮、テンプラ・・・とゴーヤが食卓に溢れる日が続きます。
「なんか他に食べる方法ないやろか?」利用者さんとスタッフは少しゴーヤに飽きてきたのです。
そんな時Tさんが、「輪になってるからドーナツに出来ひんやろか」と言いました。
Tさんは認知症です。でもその発想に驚きです。Tさんはゴーヤの輪が「ドーナツ」に繋がったようです。
そこで挑戦してみました。
ゴーヤドーナツ
1)ゴーヤを5mm〜1cmの輪切りにする。
2)種と白いワタをスプーンで綺麗に取り去る。
3)軽く塩をふり、10分ほど置いてから洗い流す。(塩で揉まない)。
4)市販のホットケーキの素でドーナツ生地を作る(卵の買い置きがなく卵なしで粉を攪拌して揚げると、ドーナツではなくテンプラのようになりました。菓子作りに卵は必要なものだと、卵を買いに走りました。)
5)少ししんなりしたゴーヤを、ドロリとした生地のホットケーキミックスをたっぷりとつけ、表面がカリッとなるように低めの油でじっくりと揚げました。
6)ドーナツ型で型抜きしたような、リング型の可愛いドーナツが沢山出来ました。
7)上から粉砂糖をふりかけ、ベビードーナツの出来上がりです。
8)割ると綺麗な透き通った緑が現れます。
9)だれもこれがゴーヤだとは思いませんでした。
10)綺麗なドーナツやと大好評。
11)苦味もなく美味しく出来上がりました。(かすかに苦味を感じるという人もあり、味覚の感性を呼び覚ますことにも役立ちました)
12)簡単にとても美味しいドーナツが出来ました。Tさんの知恵に、いまさらのように感心させられました。
ゴーヤが沢山、夏の名残のように積み上げてある。それを前にして話が盛り上がった。「昔はゴーヤなんてなかったなぁ」「緑のカーテンとかで最近植えられ始めた野菜や」「夏バテにええんや」「黄色の花が咲くんやで」「葉に触れただけでゴーヤの匂いがする」「へ〜〜?ゴーヤてどんな匂い」とか、通所介護の施設は老若男女で賑やかな輪だ。
私はおもむろに語りだした。
ゴーヤは決して最近、もてはやされ始めた野菜ではないのだ。
私は幼少時にゴーヤを観ている。絶対観ている!
ゴーヤとは言わず「レイシ」「ニガウリ」と言われてはいたが、あれはゴーヤだった。黄色い花が揺れ側を通ると不思議な青臭い匂いがした。胡瓜にイボイボをつけたような実が重たげだった。大きくなりすぎた胡瓜が、夕焼け色になるように、それも赤くなっていた。そして中から夕焼けが落ちたような真っ赤な種がのぞいていた。
昭和20年初期に過ごした奈良の八木町の家は「鰻の寝床」と言われ、入り口が狭く奥に長い長い造りだった。叔父が魚屋と果物屋をしていた。果物と野菜が並び、片方に魚が行儀良く並んでいた。それを横目にして奥へ進むと暖簾がかかっている。その暖簾の奥が生活の場になっていた。井戸や竈があった。小さな庭がありその奥に、はばかり(便所)があった。そしてその向こうに別棟があった。
店の大きな西瓜が井戸に浮いた夕方は、近所の人たちが集まる。昼は折りたたんで納められている床机(「バッタン」と呼んでいた)が広げられ、大人たちが四方山話を始め将棋をする。子供たちは大人が、大げさな仕草で聞かしてくれる怪談話を手を握り締め聞いたり、花火をして遊ぶ。蚊遣りの煙が細く昇っていた。
西瓜の種飛ばしをしながら、私はその恐い話を聞くのが好きだった。
しかし、話を聞いた後はお便所へ行くのが怖い。便所は店の一番奥にあり、庭には背の高いシュロの木がざわざわと鳴っていた。シュロの大きな葉の黒い影が「ザワワ」と動くと、もうそれは飛び上がるほど恐かった。
それだけではなかった。便所のむこうの闇の中に、シュロの葉影からチラチラと明かりが見えかくれするのだ。
別棟にお婆さんが一人、住んでいたのだ。皆が西瓜を食べるときも姿を見せない。見るのは便所に行ったときだけだった。大きな箒を持って黒っぽい服を着ていつも庭掃除をしていた。私は童話の中に出てくる魔法使いのお婆さんだと信じていた。大人たちが「あの人は本土の人と違う」と話していた。私には「本土」の意味が分からないので、違う世界に住む〝魔法使いのお婆さん〟だと思っていたのだ。
ある時、家のものに内緒でそこを探検に行った。家の中を覗くと、綺麗な箪笥や鏡台があり、箪笥の上に西洋人形がガラスケースに入っていた。横には数人のこぼれるような笑顔の写真がのっていた。
庭に胡瓜のような不思議なものがぶら下がっていた。手を触れると不思議な匂いがした。店に並ぶ野菜にはないものだった。
それは緑の葉を茂らせ、濃い緑や赤やオレンジ色の夕焼が落ちたように綺麗な実だった。私は不思議で何時までも見ていた。
そのとき、
家の中から風のようにお婆さんが出てきて私を引っ張った。怖がる私に「美味しいよ」と揺れる実から赤いドロリとしたものを掬って渡してくれた。
私は魔法使いの食べ物だと思った。気持ち悪かったが好奇心でそれを口に入れた。優しいほんのりとした甘みで恐怖心は遠ざかっていった。
お婆さんに会ったのはそれっきりだ。居候していた叔父の八百屋から私たちは田舎に引っ越したのだ。
転居先の田舎で、あの不思議な植物を見る事はなかった。そして私はお婆さんのことを忘れていた。今度は野山の探検に急がしかったのだ。畑の中のかくれんぼで同じような黄色の花をみることはあったし、緑の葉がゴワゴワと当たるときもあったが、不思議な匂いを嗅ぐことはなかった。
昭和47年 5月15日。「沖縄本土復帰!」という新聞記事が目に止まった。私はそのとき初めて「本土」と言う言葉を知った。
そしてあのお婆さんを思い出した。あのときの青臭い匂いが新聞のインクの匂いと共に蘇った。 あのお婆さんは沖縄の人だったのだと気がついた。
私は農園をしている知人に「ニガウリ(ゴーヤ)」を植えてもらった。畑にざわざわ揺れる緑の中に、太陽を丸ごと吸い取ったような朱色のものもあり、真っ赤なゼリー状に包まれた血糊のような種子が出来ていた。「これ食べれるで」と私は誘い二人で食べてみた。あの時と同じ優しい甘味が広がっていった。
あのお婆さんは本当に存在していたのだ。昔、庭先で揺れていた胡瓜のようなものは、きっと沖縄から大事に持って来られ、沖縄の夕焼けを思い、日本の夕焼けを吸って赤くなっていたゴーヤではないだろうか。
そしてあの種子が、今のゴーヤブームに広がっているのかもしれないと思うのだ。
「子供のころから、絶対ゴーヤはあったよ」
風に揺れていたニガウリ(ゴーヤ)の記憶が消えさることはない。
終戦後のこと、沖縄のこと。消えかかる記憶の中に笑顔で映っていたお婆さんの家の人の写真も浮かんでくる。あのとき、お婆さんはどうして一人だったのだろう。年齢からいくと、お婆さんはもういないだろう。でも私にゴーヤの思い出は残る。いろんなことが走馬灯のように走っていく。ゴーヤがほろ苦く走っていく。
*ゴーヤはニガウリ、錦茘枝(キンレイシ)、蔓茘枝(ツルレイシ)とも言われる
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東大寺―戒壇院― 木村徳太郎
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