来た道行く道通りゃんせ/風にのって花ひとひら

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日本の原典〜古事記物語〜   
 上巻  第1話 _国生み_ 
 
「男神の神伊邪那岐神(イザナキノカミ)と、女神の妹伊邪那美神(イザナミノカミ)の二神のお子はどうして駄目だったのでしょう。
 
 私稗田阿礼が謳い上げ安万呂さまが編纂されましたが、決して荒唐無稽なものではないのですよ。
安万呂さまも千三百年の間、この茶畑の下で 「古事記」の夢を見つつ、そして読み解いてもらえることを願い眠っておられます。さぁ〜、私と一緒に考えてみて下さい
 
 芳しい木の葉を震わす風のような声が、私の耳元をまたしても優しく通り過ぎていきます。物語が面白いと筋だけを追っていた私は少し恥ずかしくなりました。透き通る水のせせらぎのようなそのお声に、心を映してみましょう。
そこは宇宙です。
 
       淤能碁呂島(おのころしま)の聖婚(2
 前回で、まず生まれたのが、おのずから凝って固まった淤能碁呂島
(おのころしま)と名づけられた地球でしたね。
 淤能碁呂嶋は、自転(じてん)する島のことです。 月は地球を中心としてめぐり、地球は自転しながら他の星とともに、太陽をめぐります。これを太陽系と言います。この太陽系は、もっと大きな銀河系の中心を中心としてめぐります。大銀河系はさらに大きな宇宙の島を中心としながら、自ら動いて中心に帰っています。 
 自ら動いて中心に帰一する。この天体の動きは、一分一秒の誤りもなく、今もなお無限創造の道を大宇宙で展開しているのです。
わたしたちのご先祖は、数十億年も前からすでに地球が自転していることを知っておられたのです。)
その地球に伊耶那岐(いざなぎ)・伊耶那美(いざなみ)の二神が降りてこら
、天地を貫く真理を天之御柱(あめのみはしら)とし、その中心真理が、四方八方に展開していく無限次元世界の宇宙を八尋殿(やひろどの)として、真理の法則にしがって、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の理想通りに、現象世界を創造することにされたのです。そしてこの中心に帰一しながら、無限に創造していくという真理は天体だけでなく、(十)の陽電子を中心に(一)の陰電子がまわる法則となっています。この法則は、自然の草木、天地一切全てのものにあてはまる法則です。ですから、法則にしたがいこの大きな中心に帰一しながら無限創造が行われなければならないのです。
「法則を破り大きな中心に帰一することを忘れ、自分個人を中心に考えたり、党や宗派や思想だけで考え、また国 一つを中心にすると、人類も滅ぼしかねないということを、すでに古事記は教えているのです。古事記はただ読み物としてではなく、こう
いうことをも指し示し教えているのですね」 
伊耶那岐命と伊耶那美命は「陰(マイナス)の力である女神と、陽(プラス)の力である男神の力を一つに結び合わせて、すばらしい現象世界の国生みをされようとしたのでした。が、現象世界は波動の世界ですから、かならず一方は足りないところ、とは言ってもそれは不足して駄目というものではなく、表現して創造していく空間や時間や場所が出来るということであり、又、一方は一つの世界を創造完成しても、更に次の世を創造したくなってくる意欲が出てくるということです。 二神はこの言霊に導かれ、お互いを褒め称えることをされ一生懸命、国生みをなされました。が、 失敗なされたのは、「いくら頑張って努力しても、陰の力が先になっていますので、ちょうど、服を縫うのに糸を先にし、針をあとにしているようなものですから『骨折り損のくたびれもうけ』と生命をすりへらしてしまう水蛭子(ひるこ)が生まれたのです。そして、せっかく生んだと思うもののみんな、水のあわのように、消えてしまうと言う淡島が生まれることになったのです。  木の葉がざわざわと騒ぎだし悲しそうな声がしました。
二神は「失敗の理は何であったのか」神想観(瞑想)をして現象世界から実相世界に行かれ、天之御中主神にお教えを請われました。
「お前達二人は、天之御柱をめぐり、国生みをなす時、これで充分うまくいくと思って仕事をしたのかな」と、お聞きになりました。伊耶那岐命は、「いいえ、陰(マイナス)の力である女性が、陽(プラス)の力である男性の先に立って仕事をすることになったので、宇宙の法則に合わないのではないかと思いました」すると伊耶那美命は「でも二人が力を合わせて仕事をするのですから、少し順序が違っても一生懸命にしたのなら良いのではないでしょうか」すると天之御中主神は「お前達の国生みは、法則をはなれてすることは出来ないのだよ。」「お前達はその答を聞こうと、わざわざ実相世界まで尋ねてこなくとも、心を静め、我の心を捨てて、私の心と波長を合わせれば何時でも私の声を聞くことが出来るし、私の声を聞こうと思わなくともお前たちの魂に本能の心として思わしめ、お前達が、天之御柱をめぐり国生みしようとした時、お前達の心の奥底深く、「宇宙の法則に合わないのではないか」と、ふと無心に思ったあの想いが、私の声だったのだ」「やっぱりそうでしたか」二神様はうなずきました。「国生みと言うのは、ただ一生懸命にやればそれで良いということではない。 すべての人と事と物との中にひそんでいる神の声を聴きながら、宇宙の法則を自分のものとし、創造することが一番大切なことなのです」 
 
天之御中主神の言葉を聞き、このようにわかり切ったような間違いをした二神は悲しくなり「大きな間違いをおこしてしまった私達はもう駄目でしょうか」。と聴きました。「間違いということは、お前達自身が駄目だということではない」
またしても涼やかな声がしました。
「この国は言霊の国です。間違いと言うのは「間が違っている」と言うことなのです。善も悪もどのような人や事や物でも、それ自身には良いも悪いもないのです。それらの(間)がどのように関連してどのように使っていくかと言う、目的と法則が宇宙の法則や理想、(即ち天之御中主神の心)に合っていないということでしょう。国生みの始めに、なぜ失敗のような目に合ったのか考えますに、法則はどのようにも使うことが出来ますが、二神に宇宙の法則ある天之御中主神の心を無視して創造することは出来ないということをお教えになったのですね」今一つ大切な事は、失敗というのは、こうしたらこうなったという法則を発見出来たことであり、失敗のように見えた時は、どのようにしたら良いかということを、先ず国生みの始めに二神は体験されることになったのです。」
 
こうして失敗したことは、過ぎた思い出として初心に帰り法則のまま、新しくやり直せば良いということを二神は教えられたのでした。その真理は、共に観、共に感じ、共に歓び、いざない合う『いざ』というのが、二神の意味であり、陰(ー) と陽(+)のある意味だと悟られたのです。
失敗のように見えても「失敗したから駄目だ」と考える事は、神様の御心にそむくことになってしまいま。失敗のように見える、その中にこそ神様は深い創造の喜びを秘めることを教えておられるのです。
 
この事をはっきりとお知りになった二神は早速、『詔(の)り直(なお)す』ことにしました。 
 
「あなにやし、えをとめを 」「あなにやし、えをとこを」 そうして
淡路島(淡道之穂之狭別)が産声をあげ、二番目に体が一つで顔が四つある四国(伊予の二名島)で、伊予の国(愛媛県=愛比売。お姉さんと言う意味)讃岐の国(香川県=飯依比古。食べ物の霊が依りつき食べ物が沢山ある)阿波の国(徳島県=大宜都比売。穀物の神)土佐の国(高知県=建依別。強い霊が依りつく)そして三番目に三つ子の隠岐ノ島。(天之忍許呂別)四番目にこれもまた体がひとつで顔が四つある筑紫島(九州)で、顔ごとに筑紫国(福岡県=白日別。明るい太陽が照る)豊国(大分県=豊日別。太陽が燦燦と降注ぐ)肥国(長崎県=建日向日豊久士比泥別。太陽に向かい太陽の霊力を尊ぶ)熊曾国(鹿児島県=建日別)。五番目に壱岐の島(天比登都柱 六番目に対島(天之狭手依比売)七番目に佐渡島。最後に、本州である大倭豊秋津嶋。(秋津とはトンボの古名で、トンボが交尾をしながら飛んでいる姿に似ています。五穀豊穣の意味を表します)
こうして、これらの八つの嶋(日本=大八嶋国)を生み、次に吉備の児島、小豆島、大島、姫島、五島列島、双子の島の日本の国土を産み終えられました。そして次にこの大八嶋国に住む神様を産まれるのです。
それはまた次に。「ふることに伝う」。
 
芳しい木の葉を震わす風のような声が、またしても、私の耳元を優しく通り過ぎていきました。「今一度、言霊について触れてみましょう。」
 
(おとめの言魂の一つは『音芽(おとめ)』。です。実相世界や心の世界が音(言葉・波動)となって現象世界に芽(姿.形)をあらわしていくという力です。おとこの言魂の一つは『音古(おとこ)』です現象を現し出す波の原動力をふりむく、何時も天神(あまつかみ)の神意(みこころ)にまつろうとしながら「理(ことわり)」を修めていくことです。
ですから、
あなにやし、えをとめを )ということは、現象にあらわれている(うつし出されている)美しさ、良さを、喜び、楽しみ、味わい讃歎することです。現象創造の第一は先ずそれが第一声でなげればならないのですね。
〈あなにやし、えをとこを  )ということは、この現象の美しさ良さは、まったく天神(あまつかみ)、のおかげであると感謝し、理想は惟神(かんながら)にあらわれることを確認し、日常生活を喜び楽しむことです。そのため(あなにやし、えをとこを)が先行してはまずいのです。
現象世界の中に理想があると観てしまうからです。良さがあらわれていないと、自分をなげき、世をのろいますので、ひるこ・あわしまが生まれることになるのですね。
このように、古事記は言霊から生まれた記紀でもあります。それぞれの神様の名前にもそれが(言霊)があります。それはまたいつかお話したいと思います。
涼やかな声と共に、木の葉が一枚、二枚、私の肩に舞っていきました。
 
    流された蛭子が流れ着いたという伝説は日本各地に残っている。日本沿岸の地域では、漂着物をえびす神とし、信仰するところが多く、蛭子が恵比寿・戎と、同一視されるようになった。蛭子を祭神とする(蛭子神、蛭子命)神社は多く、西宮神社などがあり、恵比寿を祭神とする神社には恵比寿=事代神とするところが多い。生まれてすぐに流されてしまう蛭子の哀れとの感情が再生の神話を紡いだとも考えられる。Wikipedia より。
  淡島神社は、古事記のストーリーにぴったり符合するところに位置しており、イザナギノミコトとイザナミノミコトが最初に懐妊し、水子として堕胎してしまったアワシマ(淡島)を祀る神社であると確信できる。 Wikipedia より。
 
日本の心は素晴らしいですね。
 
 

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