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スポンジと竹ペンで「雨」を試作してみる。
雨の画像をいくつか紹介する。
教室のみなさんと先月、葛飾北斎展に行ったので、浮世絵に「雨」が多いことと、浮世絵の雨を紹介する。
脳いきいきふれあいアート<54>
雨・ 雨・ 雨・ に 遊ぶ
「脳いきいきアート」の現場で一番心がけていることは「季節」。季節を感じながら、その上で脳活性も出来ると嬉しい。
六月は雨。花なら紫陽花だろうか。昨年の六月の教室は「タッピングで描く紫陽花」だった。今年は雨で遊ぶことにした。
雨の呼び方を列記してみよう。(これほどに沢山の呼び名があるのは日本だけかもしれない。)
霖雨・地雨(長雨)・霧雨・豪雨・篠突く雨・俄雨・肘笠雨(傘を被るまもなく、肘をかざして袖を笠のかわりにする)・驟雨・凍雨・五月雨・夕立・氷雨・秋雨(秋霖)・時雨(俄雨)・春雨(春霖)・村時雨・片時雨・横時雨・春時雨・卯の花腐し・虎が雨( 旧暦の5月28日に降る雨。曾我兄弟が討伐たれた日でこの日に降る雨は虎御前の流す涙であるらしい)・薬降雨( 旧暦の5月5日に降る雨でこの日に竹の節にたまった雨水は薬効があると言われる)・半夏雨( 7月2日ごろ,夏至から数えて11日目に降る雨。この日の雨は,大雨になる事が多い)・寒九の雨( 1月13日ごろ、寒に入って9日目に降る雨のこと、この日に雨が降ると豊作になると言われる)・ 村雨・ 群雨・叢雨(玉が散っているような雨)・怪雨( 花粉、黄砂、火山灰などいろいろな塵が混じる雨)・天泣(狐の嫁入りとも呼ぶ)外待雨(私雨)梅雨には(梅雨・入梅・栗花落/堕栗花(ついり)・五月雨・菜種梅雨・
走り梅雨・送り梅雨・戻り梅雨・空梅雨・山茶花梅雨などがある。
翠雨(青葉に降りかかる雨)緑雨(新緑の頃の雨)麦雨・甘雨(草木を潤う雨)瑞雨(穀物の成長を助ける雨)秋霖・夜雨・・。まだまだありる。ひと湿りの雨は、雫雨・涙雨・小糠雨、更には糸雨・疎雨・微雨・朦雨など・・・。 洗車雨(旧暦7月6日に降る雨。彦星が織姫に会う為に牛車を洗う水が雨になると)酒涙雨(旧暦7月7日に降る雨、年に一度しか会えない惜別の想いの涙の雨)御山洗雨(旧暦7月26日に降る雨。山の不浄を洗い清める雨)作り雨(打ち水のこと)樹雨(濃霧の森を歩いているときに木の葉からしたたり落ちてくる雨)・ 言霊の国。日本人の言葉の奥深さはこうして「雨」も隣同士にあるのだろう。歌(和歌、短歌、俳句、童謡、演歌・・・)にも恋や花よりも雨は多く出てくる気がする。楽曲も多く歌い尽くせずに声がかれるほどだろう。 沢山の呼び名を持ち、歌に歌われ、文に書かれ、絵に描かれ、各人の心にその雫を落とす雨は、いろんなことを友として誰の心にも雨輪を広げているのだ。
薫風のなかに雨の匂いを感じ始める六月の教室は雨でいこう ! 臨床美術は「臨床」とつくことで、難しく感じたり絵を描くことは苦手と、アートそのものにアレルギーを感じる人もいるが決してそうではない。アートを楽しみに感じて、生き生きとしてもらえたら良いのだ。絵は上手に描くことでも、アートは特別な人だけのものではない。表現する事の喜び、楽しさに、物の見方も変わって生活にも潤いが生まれたら嬉しい。その一つの形の現れとして、「脳いきいきふれあいアート」を私は実践しているのだと思う。臨床美術士として「知識の量、情報量」を多く持ち専門的なことも大事かもしれないが、子供のように素直に心を動かせ、素直に立ち止まれる。それが「感動」となり、その感動を伝えたい思いと願い、それが人の心を打つのであれば、それは生き方としての行動にもつながっていくように思う。高齢者や認知症の人にもそれは感じてもらえる。そして人に伝える前に私自身が感じたく「脳いきいきふれあい」を続けられる原動力になっているのだろう。
この面白さを伝えたい! そして、誰にでもある表現能力、自分自身を表現する方法はいろいろあるだろう。それはその人の能力だと思う。認知症になってもそれはある。だからその能力を認めあうことで自分をも引き出すことが出来れば素晴らしいと思う。そして「実技」という形だけにこだわず、絶えずコミュニケーション(寄り添う)と言うことも大事にしたいと思う。それを大切にし、そしていつも季節とも寄り添いたいと思う教室だ。 そんなことで 「さぁ〜〜 雨の中で遊んでみましょう」 カリキュラム 雨のガラス絵(梅雨の空)
と言ったもの、さて絵を描くとなるとなかなか難しい。みんなを雨の世界にまづ導こう。
1)雨の画像をいくつか用意する。雨の歌を合唱する。沢山の雨の言葉を伝える。雨の思い出を語り合う。これは作品作りにスムースに入れることの大事な導入部分であり、個々のいろんな感性に触れる事ができるとても楽しいときだ。ここが盛り上がればもう絵が描けたも同じ。
2)透明塩化ビニール板にスポンジと割り箸ペンで楽しむ。(以前に花火のガラス絵をやったことがある。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/51890730.htmlそれとおなじ方法だと伝える)筆を持つと緊張する人もこの技法はリラックスするのではないだろうか。
3)ただこれをしていると、楽しくて時間の経つのも忘れ、いつまでも透明下敷きとアクリル絵の具から離れられず、色を重ねたり、削ったり、加えたりで終わりがない。(生き生きと子供のように目が輝いてくる。きっと臨床美術の右脳の周波が溢れ出ているのだろう)
4)透明下地の色を重ねた裏側と表側から見た感じの意外性、また透明に光が差し込むことによって、ステンドグラスのような美しさも味わえる楽しさを感じる。
5)時間を切ることの難しさを感じながら仕上げてもらう。
6)出来た作品をみんなで鑑賞する。どれも素晴らしい雨が生まれた。 下手上手は決してない。「上手くなくて良い」上手いの裏には「下手」がある。だから下手上手ではない。その人の表現が満ち溢れている。私の役目は、相手を認め、それぞれの素晴らしい所を見逃さない抽象的でなく、具体的に褒める。それを心がける。
作品製作手順のなかで、その都度次々に思いがけない「!!。ハッ。ワァ〜〜」が現れる。自分で失敗と思っても、失敗などはない。どれもこれも見とれる素晴らしい作品になっていることを伝える。そして抽象的でなく具体的に感じる一つの方法として、出来た作品に自分でタイトルをつけてもらうことにしている。 鑑賞会を終え、作品をタベストリ風にして持参した紫陽花を飾ってみた。 |
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