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新玉ねぎの量感画
玉ねぎの量感画
オリジナルカリキュラム、立体と玉葱の色合いをとても楽しんで下さり、素敵な作品が並び嬉しいです。
大成功!アートは楽しい。そして感じる心が溢れて脳いきいき!
脳いきいきふれあいアート<57>
玉ねぎの量感画
家庭菜園を始めていろんな発見をする。(私が無知だっただけなのだが)
春に玉ねぎを収穫した。前にも玉ねぎを植えたことはあるが「ラッキョを植えたの?」と聞かれるぐらい小さいものだった。現在はいろいろ勉強をして土つくり、肥料つくり、そしてなにより世話をかかさない。ミニ農婦に近づきつつある。土に触れる楽しさや、自分の収穫したものを食べられる楽しさは何ものにも代えがたい幸せだ。
今春は大きな玉ねぎが収穫出来た。土の中から白磁のような玉ねぎが現れる。まさしくこれは輝く真珠! 「パールオニオンだ」みずみずしさに匂いまで甘く感じられた。
そして知ったのだ。
この新玉ねぎを上手に保存しておくと、あの茶色の玉ねぎになることを・・・・・私は新玉ねぎとカレーに入れる茶色の皮の(皮をむくとき涙が出るしツーンと辛い匂いがする)玉ねぎは、別の品種だとばかり思っていた。春先は新玉ねぎを店頭で求めてサラダにする。夏近くになれば店頭に茶色の玉ねぎが並ぶ。別物だとばかり思っていたのだ。自分の手で収穫してそれは同じもの、言うなら新玉ねぎがひねたら(高齢になる)茶色になるのだ。
春に「新玉ねぎの量感画」を臨床美術でやった。新玉ねぎを穴の開くほど見つめた。そして茶色の玉ねぎにも興味を持った。あの薄い、薄い、吹けば飛ぶような皮。あれは新生児の肌からいろいろを包み持ってあの茶色になったのだろう。真珠から琥珀になったわけだ(と思う)。そう思うと秋にはぜひ「玉ねぎの量感画」もやってみたいと思っていた。
しかし、「新玉ねぎの量感画」のねらいは、その妖しげまでに輝く白色、それをとりあげているのだ。臨床美術のカリキュラムは協会から購入することになっている。カリキュラムに新玉ねぎはあっても玉ねぎの量感画はない。自分でオリジナルで作成するしかない。
量感画は、中(中心)に点を打つことから始める。そして色や匂いを感じながら作成していく。いろんな色を重ね色を生み出していくたのしみであり、決して写生ではない。そしてそのとき脳活性をするのだ。
教室の参加者は高齢者や障害のある人が多い。最初は「絵などよう描かん」とか、ひたすら私の試作画を模写に(昔の美術の授業は模写することだったらしい)専念していたのが、いつのまにやら「アートって面白い、自由になれる、気持ちが晴れる」などと嬉々として向き合って下さっている。が、抽象的なものや立体アートになると躊躇される傾向がある。それらの面白さをどのように理解してもらえるかが、最近の私の課題だった。
そこで玉ねぎの薄い皮に注目してみることにした。立体感にも興味をもち、それに集中してもらえないかと考えた。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
1) 玉ねぎをよく観察してもらう(薄皮の繊細さ、匂い、重量など)
2) 玉ねぎに関するそれぞれの思い出や、玉ねぎに関して知っていることなどを語り合う
3) 描画用画用紙の中心に点を打ち、少しず玉ねぎを成長させるように広げていきふんわりと描く(二 つ描いてもらう)
4) 一つには皮の色から感じる色をたくさん選びどんどん重ねて成長させる。
5) 皮の筋やヘタ、残っている根などを竹ペンでスクラッチしたり色鉛筆で描く
6) 玉ねぎの形を観察してそれを切り抜く。(白いままのものも切り抜く)
7) 皮が乗って描かれているほうを二つにちぎてみる。ちぎったものを白い玉ねぎのままの方に乗せ、玉ねぎの一部が見えているように する
8) 千切って残ったもの(皮)を玉ねぎのヘタや皮がめくれて千切れているところに貼る。(ここで立体感 を味わってもらう)貼ったり千切ったり、切ったりは皆さん大好きだ。
9) シッカロールをふりかけ磨いて、玉ねぎの光沢を出す。
10) 台紙に貼り、いろんな形に切ったり、合うと思う色を加え構成する
11) サインをいれ完成。
(下に白い玉ねぎを重ねることによって玉ねぎはこうして何重にも包まれていることを感じてもらいたい。また千切った残りを貼ることによって、皮の繊細さをより感じてもらえる)そんな思いを量感画にして、オリジナルカリキュラム「玉ねぎの量感画」を作成してみた。
たまねぎの茶色の皮はクエルセチンという成分。血管を丈夫にし、高血圧を予防する働きがある。皮自体は食べにくいので、皮からだしをとってスープなどに活用。お茶
我が家のタマネギ
などにして市販されている。油汚れのひどいフライパンや鍋に、少量の水とたまねぎの皮を一緒に入れて沸騰させ、そのたまねぎの皮で汚れの部分を拭くと、簡単に汚れが取れる。
玉ねぎってカレーに入れたり、肉じゃがにしたりの程度しか知らなかった。でも玉ねぎってすごい優れものだ。自分が育てたということもあるけれど、玉ねぎに大きな尊敬と愛情が湧いてきた。 |
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今月の脳いきいきアートはトマトです
毎朝美味しいトマトが頂けます
美味しいトマトの断面を描きました
脳いきいきふれあいアート<56>
美味しいトマト を 描く(トマトの断面画)
前回は半切りのメロンの量感画だった。一年の予定表を出している。「『次回は美味しいトマト』ですね」と、早くもトマトをどのように美味しく描くのかと楽しみにして下さるメンバーがいる。「ウフフッ。美味しいよ。うちで採れたトマトよ」とだけ予告しておいた。
トマトが大収穫だ。どれも太陽を一杯吸って真っ赤に色づいている。今までにもトマトを植えたことはあるけれど、いつも色づかず、「トマトの収穫は難しい」とあきらめていたが、臨床美術カリキュラムの「おいしいトマトを描く」をどうしてもやりたいと思っていた。
畑に肥料をしっかり入れ、日陰になると色づかないのだと思い、周りの木々の枝払いもした。植えたのは4本(大トマト、ミニトマト、フルーツトマト、黄色トマト)だったが、どんどん伸びる脇芽を掻き、それも植えておいた。ちよっとしたトマト畑が出来た。
毎朝、有難いことに水遣りをしながら捥いで、すぐに口に入れられる。その美味しいこと!。 トマトはおいしかった。
脳いきいきふれあいアート(臨床美術)は、作品制作に入る前に、描くものの話題を引き出し、試食をしたり、感触を確かめたりして制作に入っていく<導入部分>がある。(かなり重要な部分だ)これがしっかり出来ればもう制作できたようなもの。右脳はすっかりトマトで染まっていく、トマトの世界に入り込む楽しい時になっていく。
みんなからどんなトマトの話題が出るだろう。
私のトマトの話題も紹介する。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/49219822.html
息子は赤道直下の国に行って10年近くになる。沢山実った赤いトマトを見ながら「いまでもトマトは嫌いだろうか」「暑い国のトマトは美味しいだろうに。太陽を食べるような美味しいトマトなのに」「トマトは美味しいよ」などと息子に語りかけるようにトマトに言っている。
そしてそのおいしいトマトを描いてみた。
(ねらい)トマトの断面の形の面白さ、みずみずしさ、甘さ、触感を感 じ、透明感と質感の色彩表現を楽しむ
1) 塩ビ板正方形を2枚1組用意する
2) 試作参考を見せ、トマトの話題を引き出し、スライストマトの断面造作を表現する楽しさに脳活性を導くようにする。
3) トマトに感じる色を選び、メタリックホワイト、メディムを混ぜて中央から描きトマトを広げていく。
4) その上にもう一枚、塩ビ板を張り合わせる
5) 種のあるゼリー部分に竹ペンで圧力をかけると、白く線描きが出来たりする
6) その線を大事にして油性マーカーでゼリー状部分を上から描く。
7) 重ねたときに下の絵の具が滲みはみ出ても良い(これが面白い味を出す)
8) 果肉部分の色の変化や種が動くのを楽しみ、上の塩ビ板にトマトに感じる色をさらに重ねていく
9) 塩ビ板に 描けたものを 台紙に張りつける
10)サインをいれる
11)美味しいトマトをお皿に乗っているように構成したり、スタンドを作りインテリァにもしてみた。
台紙に張らず白い紙に貼り、お皿にしてみた。
トマトには蝉の抜け殻もついていました。カラスに突かれないように早起きの競争ですが、蝉にはおいしい我が家のトマト、食べて欲しいです。
教室に入る前にいつも試作をするが、簡単に美味しいトマトが描けるのが、嬉しいのと面白いので何枚も試作をしてみた。
なにより我が家の美味しいトマトがモデルだ。絵だけでなく、みんなが美味しい、美味しいと食べてくれるだろう。美味しさを制作出来たみんなの弾ける顔が浮かぶ。厚紙でスタンドも沢山作った。おいしいトマトが並ぶのが楽しみだ。
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(朝顔 )暑中お見舞い申し上げます。
(昼顔) 暑さ厳しい折、ご自愛下さい。
(夕顔) 暑い中にふと感じる涼が嬉しいですね。
日本の原典〜古事記物語〜 (7)
須佐之男命(すさのおうのみこと)
伊邪那岐命は天照大御神に、「あなたは、高天原を治めなさい」もの静かな月読の命には「あなたは、夜の国を治めなさい」須佐之男命に、「あなたは、 海原を治めなさい」と命じられ、近江の国多賀の地に座されました。
伊邪那岐命、伊邪那美命によって、夫婦の道を始められ、大八嶋国(我国の国土)をお生みになり八百万(やおよろず)の神々をお産みになり、やっと「命」の荷を降ろされたのです。
(現在、命の源(命の親神様)として滋賀県犬上郡多賀町に「お多賀さん」と親しまれ、二神は揃って祭られています。)
連日30度を越す猛暑日のなか、涼を求めて多賀大社へ行ってきました。
清流に囲まれ、石の橋を渡ると茂った木立の中に堂々とした本殿がありました。静寂さが清らさな涼をもたらしてくれました。蝉の声も厳かに聞こえてくるのが不思議です。大八嶋国の生みの親である二神さまがいらっしゃるところだと思うと、暑さも吹き飛びます。神木を渡ってくる風も涼々とし
「臣安萬呂言す。それ、混元既に凝りて、気象未だ效れず。名も無く爲も無し。誰かその形を知らむ。然れども、乾坤初めて分かれて、参神造化の首となり、陰陽ここに開けて、二靈郡品の祖となりき。」と上代歌謡が響いてくるようでした。
ここまで読み進めてくると、随分いろいろありましたね。「古事記」の文章は素朴なので分かりやすいのですが神様の名が長々しく、それでまいるのではなかったでしょうか。しかし、一語一語に意味があり、命のあらわれであり地名もそうです。地霊のあらわれであり言霊です。
それは、古代人と現代人の心をつなぐ唯一のものだと思います。(言葉や地名は便利ならばいい、分かればいいというものではないような気もします。)
そんなことをいろいろ改めて思いなおし、多賀大社の帰りには「糸切り餅」を買いました。お餅の白に、赤青三筋の細い線が涼しげで中の餡もとても美味しく、それはすっかり暑気払いになりました。
糸切り餅からも涼をいただき、さぁ〜物語を進めましょう。
この国を託された天照大御神、月読命、そしていっこうに泣き止まない須佐之男命の三神はどうなさたのでしょう。
いよいよ古事記は面白くなりますよ。
<須佐之男命の号泣>
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜ん!」須佐之男命は国を治めることをしないで泣き続けました。ひげが胸元に届くほどに年月が過ぎても変わらずなき続けました。治めるように言われた、川、海、森の水分を自分の体に吸い上げて涙に変え、流し続けものですから、川海、森山は枯れて乾いた荒れた国になりました。 そのために疫病がはやり、わざわいも沢山起こるようになってきました。たまりかね伊邪那岐命が「私が命じたこともせず、どうしてこんなに泣き続けているのだ」。すると須佐之男命はなんと「お母さんに会いたい」と言うのです。 「ダメだ!言うことを聞かずどうしても会いに行くというのなら、この国から出て行くがよい。そして、二度と戻ってきてはならない。」ときつく言われました。しかし、須佐之男命は「かまいません。私はどうしてもお母さんに会いに行きたいのです!」「分かった、だったら行くがいい。そして、二度と帰ってくるな!」と言い渡しました。 しかし伊邪那岐命は「息子よ、お前は本当は心根の優しい子なのだろう」と伊邪那美命に会いに行く後姿を優しいまなざしで見送ったのです。そして「私はもう疲れてしまった。まだまだ心配なことはあるが、高天の原には天照大御神が、夜の世界には月読命がいる。私の役目はもう終わったようだ。」と、我が子を追放され、たいへん気落ちされて淡海(琵琶湖)の多賀に隠居をされたのでした。
<天照大御神と須佐之男命の対決>
ドシーン、 ドシーン 突然大地が揺れだし高天の原の神々は大慌てです。 「何事です! この地響きは何が原因なのですか」「大変です! 弟君の須佐之男命さまが高天の原に参られたのです」「弟が来るなんて、父に海原を治めるように命じられたはずなのにどうして私の国に来るのでしょう。もしかして、この高天の原を奪おうとしに来たのでは」と、天照大御神は疑心暗鬼になられ、男の戦の格好の威風堂々とした格好をして、地面を踏み込まれました。あまりの凛々しさに土煙が淡雪のように舞いあがりました。そして威勢よく弓を振り上げ「弟よ、お前は何のために高天の原に参ったのだ。返答次第ではただではおきませんよ。」「お姉さん、そのものものしい格好はどうしたと言うのです。なにか勘違いをなされ私をお疑いになられたのですか。私はやましい気持ちなど一切ありません。なぜ泣いているのかと父に聞かれ、母に会いたいから泣いていると答えると追放されたのです。だから、姉さまに挨拶をしてからこの地を離れようとして参ったのです。決してこの国を奪うような心はありません。」「真ですか?」「本当です。信じて下さい。」「ではそれが本当かどうか証明をしなさい。」「姉さんも疑い深いですね。ではこうしましょう。互いに『うけひ』をして子どもを産み神意を伺いましょう。そうすれば、私の潔白が証明されるでしょう(「うけひ」というのは、あらかじめある物事を神に約束しておき、その約束どおりの結果が現れるかどうかで、神意を占うこと) 須佐之男命は「それぞれ別々に子を産む」と言うことをして、その結果で判断しようと提案したのです。 『天の安の河(天の 川)』の両岸に分かれて二神は立ちました。その回りを高天原の神々が、心配顔で見守っています。先に天照大御神が、須佐之男命の剣をもらい、三つにへし折り『天の真名井』の聖なる水ですすぎました。そしてその剣をがりがりと噛み砕き、ぷーっと吐き出すとそれは霧のように広がりその中から、三柱の海を守る姫神が産まれました。長女をたぎり姫(多紀理姫)。次女は、いちきしま姫(市寸嶋姫)、三女は、たぎつ姫(多岐津姫)です。「この三姉妹は『宗像三女神』と呼ばれ、肥の国(福岡県)の宗像郡にある沖の島・大島・宗像にそれぞれ祀られています。また次女のいちきしま姫は『弁天さま』とも呼ばれて、宮島、江ノ島、琵琶湖の竹生島、吉野の奥の天河などに祀られています」 次に須佐之男命が、天照大御神の身体につけていた五種類の珠飾りをもらい同じように『天の真名井』ですすぎばりばりと噛み砕き、霧のように吐き出すと五柱の男神が産まれました。長男を、あめのおしほみみ(天の忍穂耳)、次男は、あめのほひ(天の穂日)、三男は、あまつひこね(天津日子根)、四男はいくつひこね(活津日子根)、五男は、くまのくすび(熊野久須毘)です。 「長男の正式な名前を、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命と言って『まさに勝った。私は勝った、素早く勝った』という意味です。そこで、天照大御神は「私の勝ちです。五柱の男神は、わたしの珠から産まれたので私の子です。三柱の姫神は、剣から産まれたからおまえの子です」と言われました。しかし、須佐之男命はその言葉を聞くなり大喜びで、『うけひ』は私の勝ちです。邪心がないから清らかで、か弱い女の子を得たのです。私の潔白が証明されました。と自分勝手に解釈して、「勝った! 勝った!」と大はしゃぎです。 (よくよく考えてみれば、お二人は『うけひ』をする前に男を産んだ方が勝ちだとか、女を産んだ方が勝ちだという取り決めをされてはいなかったのですね。) 須佐之男命の喜びようは尋常ではありません。「勝った、勝った」と田畑を壊し、溝を埋めあげくの果てには、神々の台所に大便をまき散らし、ふざけ回りました。しかし、そんな弟の須佐之をみて姉の天照大御神はとがめないで、皆に「糞のようなのは酒に酔って吐きちらしたゲロでしょう。田のあぜを壊して溝を埋めたのは、耕す土地を増やそうとしたのでしょう」と弟をかばわれました。そんな姉の心を知らず調子にのった須佐之男命の乱暴はますますひどくなるばかりでした。そして、まだら模様の馬を生きたまま逆はぎにして、天照大御神がお仕事をされている機織り小屋の上に登り「えいっ!」と投げこまれました。機織り女たちは驚き気絶してその場に倒れ込んでしまいました。その拍子に手に持っていた梭(両端の鋭く尖った横糸を通す木の道具)を取り落としてしまいそれが運悪く、ほと(女陰)に突き刺さり織女が死んでしまいました。 機織り小屋は神様の衣を織るための神聖な場所です。そこを血で穢したうえに死人までだしたのですから、このありさまをすぐ近くで見て、天照大御神もとうとう堪忍袋の緒が切れたのでしょう。とんでもないことをしでかした須佐之男命に激怒され嘆かれ、そしてあまりの悲しみに怒る気力も失いただ黙ったまま外に出られると、そのまま『天の岩戸』にお隠れになられてしまったのです。 すると、高天原は夜のように真っ暗になってしまいました。さぁ大変ことになりましたね。 この続きはまた「ふることに伝う」
私は古事記を読み進め、古事記は「絆のお話」ではないかという気がします。
大八嶋国はたくさんの絆から生まれているのではないでしょうか。そんな気が致します。人は荒涼とし始めましたが「絆」を見直すことにも気づき始めました。古事記は、大八嶋国の成り立ちだけではなく神代から続くこの森羅万象の宇宙は絆から成り立っていることを教えているのではないでしょうか。そんなことを思いつつ「古事記」を紐解き上代歌謡に耳を傾けています。
夫婦はお互いを気遣い、父(伊邪那岐命)は子たちを気遣い、姉(天照大御神)は弟を気遣い、古事記には絆が原点になっているように思うのです。
それは大八嶋国の原点であり、そして神代の子孫である人もまた、絆の宇宙でありたいと思うのです。
以前に「姉と弟」で書いたエッセイがあります。
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脳いきいきふれあいアート<55> メロン の 涼感画
七月の「脳いきいきふれあいアート」のカリキュラムはメロン。先月の教室のとき、皆さんから「守山メロンを一度食べたい」と言う話が出た。隣市の「蛍メロン」のことだが、高価で購入には整理券も入る。どこのメロンにも負けない美味しさで、甘味を押さえた豊潤な味わいは絶品だと聞く。私は西瓜派で、メロンをあまり口にしない。(高価だというイメージがあり、庶民には高嶺の花だと思っている)しかし、「せっかくだから守山メロンを画材にするか」と、整理券を手に入れた。
スーパーなどで安いメロンを購入することはあったが、高価なものを購入するのは始めてである。作品を試作するためにメロンに包丁を入れると甘い香りが充満する。食する前からよだれが出てきた。
香りだけでもう作品が完成した気になる。皆さんの喜ぶ顔が浮かぶ。作品制作後、みんなでメロンを食べることにしている。
臨床美術では導入部分として、モデル素材の試食、形態、匂い、などを感じ、そしてモデルに関する思い出話などで盛り上げる。描くモデルと一体感になることから始まるのだ。まずサイコロ状に小さくきり爪楊枝に刺して試食してみる。甘いメロンの匂いが充満し歓声が挙がった。
作品制作にみんなの力が入る。「メロンの涼感画」が始まる。臨床美術で「りょうかんが」と言えば「量感画」である。重さ、匂い、味、思い出などを量とし、そして今回は季節感を感じるためにそこに「涼」も加えるのだ。
暑い日だ。「涼」を感じて制作する。終われば守山メロンを食べることが待っている。みんなの目がらんらんとしているように思えた。
1) 白い下敷き用紙とトレッシングペーパを重ねる。
2) トレッシングペーパーの上に、メロンの断面図を描く。
(いろんな色の混ざりや色の加えを楽しんでもらう)
3)メロンの皮の部分をよく観察をし、一番濃いと思う色と、
他の色味を加え皮を描く。
4)竹ペンでスクラッチをし、表皮の網目を描く。
5)描き終わったメロンを切り取り、色台紙を選び、
下敷き用紙をカットしたものの上に切り抜いたメロンを構成する。
トレッシングペーパーの透け感が涼を呼ぶ
6)種を貼り付け、サインを入れて完成。
メロンを食べながらの鑑賞会。「おいしいおいしい」。
絵のメロンも「おいしい、おいしい」。
逆さにすると表情が変わる騙し絵
前回の教室のとき、生徒さんが福島から郷土玩具の起き上がりこぼしを買ってきた。それがとても愛らしく、また簡単に作れそうだったのでみんなで起き上がりこぼしも作ろうと提案していた。
ところがだ。簡単に作れると思い、粘土や重りに使うビー玉や、鈴などを購入していろいろ作ってみたが上手くいかない。中が空洞でないと起き上がらないことを知った。粘土では塊になり空洞にするにはどうすればよいのか。いろいろ試してみるが出来ない。簡単そうで誰にでもすぐ作れるように思えたが、なんのなんの起き上がりこぼしは優れものだった。伝統の郷土人形は優れものだったのだ。
土産は粘土で出来ていたが粘土で作ることはあきらめて、いろいろ試行錯誤してみた。
アイディアがでた。
1) 中を空洞にするためにラップの芯を使った。
2) 2センチ幅に輪切りにして重りに小石をボンドで貼り付けた。
3) 輪の 面に絵を描く
(騙し絵をデザインしてみた。ひっくり返せば怒った顔と笑顔になる。)
切込みを入れ輪に貼り付ける
4) 重心のあるほうに、笑顔がくるように貼る。
5) 怒った顔も転がして、いつも笑顔で起き上がるようにする。
素敵なアイディアの物が出来たと自画自賛。
粘土で作ったものは左右には揺らせるが、こけてしまうと起き上がれない。
転がしても転がしても笑顔で起きる起き上がりこぼしが出来た!
我ながら、なかなかよいアイディアの起き上がりこぼしだ。(失敗しながら、挑戦する面白さに魅了された)
今回の教室はメロンで贅沢。良い作品が描けて贅沢。そして起き上がりこぼしでみんなで大いに遊ぶ 楽しい教室になった。
しかし、今日の講師料は全て画材代に消えた。
でも充実した日だった。
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オカリナを吹こう(32)
ミニ コンサート 「最高の七夕」
まだオカリナ教室をしていた頃、いろんな施設にオカリナを吹かせてもらいに行っていた。もと同じ職場の人が引き抜かれ、民間の介護施設へ施設長として沢山移っていった。生徒さんたちの励みにもなるのでそういう施設にボランティアで、オカリナ演奏によく行った。施設長の気概に賛同する施設や、なんとなく合わない施設とそれは様々だった。ボランティアに対する意識も様々だった。そんな中、毎月訪問する施設があった。全国的に展開するグループ会社が運営し、各施設の入居者を満杯にし、どれだけ採算が取れるか(売り上げを競う)ランキングがあった。介護事業もビジネスだった。
そんな中、懸命に本部とやりあいながら自分の感性を生かし介護に取り組んでいる元同僚に惹かれ、そのグループホーム(認知症対応型施設)に毎月行っていた。彼女は施設長会議(支店長会議)に出席するごとに売り上げが棒線グラフで表され、売り上げ優先を言われると話していた。その企業は儲けることばかりに走っていたのだろうか。最初から介護事業は儲かると踏んでの事業だったのだろう。時代の寵児のようにもてはやされた若い社長に、不正が発覚し企業は潰れた。しかし会社を潰すことは出来ない。入居している高齢介護者を放り出すことになる。施設介護事業は一括譲渡され、別の大手グループ会社が引き取った。
彼女は退職し自分の思う介護が出来るところへ転職していった。(介護も事業と言うからには採算も取れないといけない。しかし必要以上の採算重視より介護重視に自分をおきたかったようだ)
入居者と職員はそのままで、名称が代わったその施設に東京から単身赴任で新しい施設長が来た。そして私もボランティアで行かなくなった。
五、六年はたとうか。そこからオカリナボランティアを言ってきたのだ。オカリナ演奏を楽しみに待っていて下さっていたあの時の利用者さんは元気だろうか。色々とごたごたが有り施設の重苦しい空気はいま、どうなっているだろう、そんなことも思い浮かび引き受けた。
現在、どんな風に施設の日常が有るのか、どんな人たちが(どんな音楽を好まれるのか)分からない。私は度胸を決めて自分なりの選曲をしてとにかく訪問することにした。
30曲ばかり選んだ。その中から独奏するもの、みなさんに歌ってもらいその伴奏にオカリナを入れるものとに分けてみた。
独奏グループ
1.アメージング・グレス。竹田の子守唄、砂山、七つの子(メドレーで)
2.勿忘草をあなたに。遠くへ行きたい。岸壁の母(台詞を入れる)
3.君をのせて
皆に歌ってもらうグループ(歌詞カード持参)
1七夕、きらきら星。うみ。海。我は海の子
2青い山脈。瀬戸の花嫁。バラが咲いた。大きな古時計
3四季の歌。ふるさと。琵琶湖周航の歌。夕焼け小焼け
以上の20曲を用意した。
事前に琵琶湖周航の歌と青い山脈はみなさん大好きであることを聞いていた。そしてグループホームだ言うことも考慮して欲しいと言われていた。
1、2グループの順番は皆さんの前に立ってから決めることにした。
他に童謡唱歌オカリナ教本も持参した。
入所者さんもスタッフもほとんどが入れ替わっていた。施設が出来たときから入所されているOさんの顔が見えた。Oさんに声を掛けたが覚えておられなかった。スタッフの人が「アルツハイマーになられた」と言う。以前随分いろいろお喋りさせて頂いていたのにと思うと寂しくなった。出されるお八つもこぼしながら食べられている。でも顔がとても明るい。
用意した20曲を全部吹かしていただいた。まだ時間があるとのことで「いつも皆さんが歌っておられる歌で、リクエストがあれば言って下さい」と言う。
「荒城の月」がでた。唱歌用の教本を持ってきて良かったと思う(全ての楽譜を覚えてはいない。)教本のページを繰っていると「私踊る!」と言いながらもじもじしておられる方がいた。
「みなさん、荒城の月を吹かせていただきます。大きく歌ってくださいね。それと踊っても下さるそうです」とその方を前に引っ張った。
「先生の前に出て邪魔したら悪い」とまだもじもじしておられる。オカリナは伴奏だ。私が隅に下がり荒城の月を吹き始めた。昔踊ったことがあるのだろうかシナをつくり踊って下さる。それがとても楽しそうで面白い。オカリナを吹く口元も顔も緩む。すると、別の人たちも「私も踊る」と五,六人前に出てこられた。そして同じように手足を踊らせる。私もますます張りきって何度も「荒城の月」を吹いた。スタッフの人たちも「最高や!」と言いながら踊りの輪に入る。思いもしない状況になった。
みなさんから手拍子や大きな歌声が響いた。オカリナの音を小さくすると不振な顔をして踊りの方たちが振り返る。もう楽しいたら無かった。
皆さんが「今日はとても楽しかった。また来てください。本当に来てくださいよ」と大拍手をして見送って下さった。
Oさんのことは寂しかったが、私は最高の時間を貰った。オカリナを吹いていたから、こんな楽しいこともあるのだと嬉しかった。今の入居者は自立の人が多いとのことだったが、どの人も明るいのが嬉しかった。
そしてオカリナを吹き続けていたからこそこんな嬉しく楽しい時間が頂けたのだと思った。
きっと私はまたこの施設に寄せていただくだろうと思う。 |

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