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日本の原典〜古事記物語〜
上巻 第1話 _国生み_ 天地はじめてひらく
芳しい木の葉を震わす風のような声が、私の耳元をまたしても優しく通り過ぎていきます。
「前回は結婚を誘い合う神様が、お姿をお見せになられるところでまででしたね。いよいよ国生みが始まりますよ〜」
淤能碁呂島(おのころしま)の聖婚(1)
誘い合う(いざないあう)神様の名前を、男神は神伊邪那岐神(イザナキノカミ)、女神は妹伊邪那美神(イザナミノカミ)と言います。
あるとき、高天原にお住まいになられる神々がお集まりになり、泥海のように漂い混沌としているはるか下界を見降ろして、この二柱をお呼びになり、「混沌としているあのところを整え固めよ」と、玉飾りのついた美しい、天(あま)の沼を治める「天の沼矛」と言う尊い矛(ほこ)を渡されました。
二柱は畏れ多く、矛を受け取り高天原と下界をつなぐ「天の浮橋」に立ち、下界の一面どろどろとした海原を見下ろしました。どこまでもどろどろとしていて水面も地面も区別がつきませんでした。そこで二柱は手と手を重ねあわせ、天の沼矛をしっかりと持ち、その海原に突き降ろしかき廻してみました。すると、かき混ぜるたびに、潮がゴウゴウと鳴るような、それは不思議な音が湧き出ました。 ♪こをろ♪こをろ♪こをろ♪こをろ 二柱は、こをろの音を引き上げるように、目と目を合わせ息を合わせ、さぁっ矛を引き上げました。すると、矛の先から塩のしずくがぽたぽたとしたたり、それが積もり固まり、塩の球が出来ました。この球はおのずから凝って固まっていたので、淤能碁呂島(おのころしま)と名づけられました。
「いよいよ地球の誕生でございますよ」凛とした声がまた響いてきました。「わたしたちのご先祖は、数十億年も前から、すでに地球が自転していることや塩の固まりであることを知っておられたのでございますね。」
その声に、私はドキドキワクワクと、ますます胸が高鳴っていくようでした。 二柱はその球の島に下りてみました。そこは荒々しい原野で生き物の姿はなにも見えません。
二柱はまず、「天の御柱」(神霊が昇り 降りするために、地球のどこからでも見ることができる、太く高く、大地と宇宙を結ぶ大切な役目をする柱)を立てられ、つぎに「八尋殿」という宮殿を建てられました。 こうして新居も出来上がり、やれやれと安心して一息つき、お互いを見つめあわれました。 優しく伊耶那美命を見つめておられた伊耶那岐命が、自分の体の下半身に何か不思議なものが、ぷらんぷらんとぶら下がっているのに、伊耶那美命にはそれが無いことに気づかれました。同じ体でないことが気になり、伊耶那美命に「あなたの体はどんな風になっているのですか」と尋ねられました。伊耶那美命も自分の体をしげしげ眺めてみました。「わたしの体はほとんど完成しているのですが、どうも一か所だけ、窪んで穴になっているようです。『なりなりて成り合わない』ところがあるようです。」 伊耶那岐命が「私のほうは一か所だけ、飛び出てぽこんとしています。『なりなりて成り余れる』ところがあるようです」。 「どうでしょう、あなたのその窪んだところに、わたしの飛び出たものを差し入れてみては。そうすれば『なりなりて』と成るのではないでしょうか。」 「それは良いことですね。そうしましょう」と、二柱は二つの体を合わせあうことを思いつかれました。 そして、「天の御柱を廻って結婚しましょう」と約束されたのです。 「あなたは右から廻り、私は左から廻りましょう。出会ったところで「なりなりて」ですよ」 二柱はお互いほんのりと頬を染められて、右と左に廻り始めました。そして出会ったところで、伊耶那美命が「あなにやし、えをとこを(ああ、なんとええおとこ!)」と弾んだ声で言いました。伊耶那岐命も負けずに「あなにやし、えをとめを(ああ、なんとええおとめ!)」と言いました。 またも芳しい声が聞こえてきました。「言霊といって言葉には不思議な霊力が宿っているのですよ。良い言葉を言えば幸せになり、悪い言葉を言えば不幸になります。そこで二柱は、国を産むにあたってお互いを褒め称える言葉をかけあわれたのですね。でも、こう言うとき、女人が先に言うのはどうでしょうね」
伊耶那岐命「女の方から先に声をかけたのは良くないのでは」と思いはしましたが、あまり気にもとめないで、男女の営みである『みとのまぐはひ』をされ、二柱は契られ、こうして八尋殿で結婚されました。 ところが、最初に生まれた子供は、なんと骨のない『水蛭子』でした。二柱は泣き悲しまれ、その子を葦船に乗せて流してしまわれました。つぎに『泡嶋』(淡島)が産まれましたが、この子も泡のように浮かび漂うばかりで人の形にはなりませんでした。 悲しんだ二柱は、「お互いを褒め称え、素晴らしい言霊を使ったはずなのにどうしてこのようなことになったのでしょう」と、「天つ神たち」に相談するため高天原に出向かれました。 さぁどうしてだったのでしょう。それはこの次に。 「ふることに伝う」。
あまりに稗田阿礼さまのお声の清清しさに、逸る心で「早く早く」と物語を急かせてはいけないかもしれませんね。ゆっくりとそのお声を楽しみ、鶯の声に誘われ、桃の花を求め、奈良の地を訪ね、古事記が誕生した古代社会の大局を追想してみるのも良いかとも思いますよ。 |
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近江商人発祥の地である近江・五個荘は街並みも白壁や黒塀が続き、川には錦鯉が泳ぎ、重厚で整然としていました。近江商人を創業者とする企業には伊藤忠商事、丸紅 高島屋、大丸、西武、三越、日清紡、東洋紡、東レ、西川産業、ヤンマーディーゼル、ワコールなどがあります。 ひいなのまつり
いくつになっても雛祭りは嬉しい。ままごと遊びをしている気持ちにさせる。ここ何年かはお内裏さまとお雛さまだけを下駄箱の上に飾ったりしていたが、今年は全部出してみた。小さなお道具の数々はチマチマとして、飾り付けに手間が要るが、それが又、幼いごろの人形遊びの世界に私を連れて行ってくれる。
子供のとき、お雛様はなかった。どうしてか緋毛氈だけがありそれは暖を取るのに使っていたような気もする。祖母が「戦争でみな焼けた。ええお雛さまやったのに」と悔しそうに言っていた。私は綿を入れて丸めただけの人形を作り、祖母に貰った着物の端切れを巻きつけ、自分でお雛様を作って楽しんでいた「雛」という友達の人形が増えていくことが嬉しかった。 雛飾りが欲しいと思ったのは長女を出産してからだ。女児を出産すると婚家に実家からお雛様が贈られてくるのが慣わしらしい。父は出来る限りの愛情と貧乏の中から所帯道具を工面して、嫁がせてくれた。それ以上を私は望まなかった。しかし、世間のしきたりを知らないと暗にほのめかされる陰口は厭だった。長女の三歳の誕生日に私たち夫婦は大奮発をし、七段の雛飾りを揃えた。夫が雛段を組み立て娘と私は説明書を見ながら雛を飾っていく。はしゃぐ娘がお雛様のどの顔より可愛く嬉しかった。共同作業が始まって行ったのだ。
娘が大きくなり雛壇に興味を持たなくなった。チマチマしたお道具を人形たちに持たせていくのが好きな弟と、段組みをする夫の活躍になっていった。
娘が嫁ぎ出産で帰ったとき、夫と二人で雛壇を飾ってみた。新生児の泣き声を横に、雛壇のお囃子がよけい賑やかになった気がした。「母乳に甘酒は大丈夫だろうか」などと言いながら、久しぶりの雛の宴は桃の花のように薄っすらと染まる懐かしいものだった。娘も母の顔になり雛を見る目が優しく潤んでいた。
「近江商人屋敷の雛人形」見学へ誘ってもらった。
三年前には、雛祭りにオカリナを吹きに行ったことがある。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/47140708.html どの雛祭りからも楽しい笑いと音楽が聞こえてくるようだった。しかし今年は雛に襟を正す思いもした。
あの時もお雛様をみるのがとても嬉しかった。ワクワク浮き浮きしたものが、湧いてくる。これは何だろう? 女性の性だろうか。雛を見てふっと母性が現れるような気がするのだ。
東近江市五個荘では、人間雛(若い娘さんたちが雛人形に化けて雛壇に並ぶ)が並ぶらしい。観光案内所「プラザ三方よし」で食事をしていると、観光ボランティアの妙齢のご婦人二人が、偶然隣の席で食事を始められ、「一人もお客さんが無く、気が抜けたなぁ」としょげている。誰にでもすぐ話しかけるのが好きな私だ。「人間雛を観に来たのですけど、空いているんですかぁ〜」と話しかける。当日だけのイベントだが、空いていて心置きなく観られるらしかった。ラッキーと、ますます話題が広がり、いろんなことを教えてもらった。別れ際に説明用に頭にマイクをつけるのを手伝ったりし、人間雛もこうして冠をつけるのだろうか、若い人は雛の冠で、高齢のボランティアさんはマイク?だ、などと思い、内緒ながらの面白さだ。ボランティアさんは沢山の説明を覚えなければならないようで、私には到底出来ない。笑いながらも感心する。。
食事をすませ屋敷通りへ行く。白壁黒塀にみこしの松だろうか、立派な松が空に手を広げている。水路には錦鯉がたゆたゆと泳いでいた。雪の残る石畳が重厚さを増している。屋敷通りと雪がとても似合うと嬉しかった。
通りを過ぎていくごとに凄い人並みになってきた。バスから団体客がどんどん降りてくる。高齢者が多い。急に人があふれ出して来た。
人混みにもまれていると先ほどのボランティアさんを見かける。先ほどと違い顔がいきいきとしていた。
人間雛の前も人だかりだった。沢山の人を前にして身動きも出来ずに重い衣装を着けて座っている、人間雛がなんだか可哀相な気がした。
雛めぐりは八カ所で行われていた。どれも回ってみることにした。雪かきもなされたのかなくなっていた。雪と屋敷通りを見られたのはラッキーだったのかもしれない。
どこもよく整備され、桁違いに大きなお屋敷や神社、寺が並ぶ。さすが豪商の地で、近江商人発祥の地は特別だと感心したりする。
明治期に全国の長者番付けに名を連ねた豪商たちばかりだ。手持ちの雛も財の現れなのだろう。宮中を模した大きな御殿雛、古く文化財のような雛、どれもこれもみなワクワクするものだった。商人にならず文学の道を志した外村繁の生家の雛もあった。
雛の見事さに圧倒され近江商人の商法や家訓、その暮らしや文化などを伝える博物館へも足を伸ばした。近江商人の「三方よし」を支えた女性たちの陰の力の資料が沢山あった。「近江商人の女性の一生」と言うのが大きく貼り出されている。「1)寺小屋に通う。2)年頃なると奉公に出、行儀作法、人との接し方を身につける。3)商家に嫁つぎ、奉公人たちの教育をし、主に代わり家を守る」
近江商人たちの伝承や記録はよく目にしていたが、彼らの仕事(事業)を側面から支えていた女性たちの実態を、私はあまり知らなかった。 近江の本宅で主人の留守を預かる妻のことを「関東後家」とも言うらしい。彼女たちは家政全般にとどまらず、丁稚の採用から教育と大きな役割を担っていたのだ。彼女たちの苦労と才覚があってこそ近江商人は生まれたのではないだろうか。そんな気がした。
そんなことを思って、改めて雛人形を見直すと、また違う感慨が起こってくる。雛は財の証だけではなかったような気がしてきた。
彼女たちは、雛を一つ一つ飾りながら何を思ったのだろう。雛の祭りを、それは盛大に行われたことだろう。そして女人たちは、雛人形を借りて女性の本能のようなものが静かに動いていたのではないだろうか。女性の歴史が息づいていたのではないだろうか。そんなことが思われてきた。
いろんな雛の顔があった。享保雛の面長の顔。時代は古いのに現在雛のようにふっくらとしたあどけない顔。小幡人形ののっぺりとした土雛の顔。金襴緞子のきらびやかな衣装でなく、近江上布を着る雛の顔もあった。その雛には「絆雛」「希望」と名付けられていた。
どの雛の顔にも歴史(精神)があるのに気がついた。近江商人の女たちの生き方を重ね、どの雛にも女性たちのしたたかな思いが秘められているような気がしてきた。
近江上布(麻)で琵琶湖をイメージしている創作雛。
雛人形のお姫様の装束は『小袖(こそで)』と呼ばれる肌着に2〜3枚、そして『長袴(ながばかま)』。その後、『単(ひとえ)』、『五衣(いつつぎぬ)』と呼ばれる、季節の移ろいを表した色目の重ね、そして『唐衣(からぎぬ)』『裳(も)』を着て『十二単』となる。これを全て麻で、色合いも青で統一したものだった。あまりの素晴らしさに「清湖雛」絵葉書を買った。
青湖雛の「絆雛」は二対製作され、一対は東近江市に一対は東北の被災地へ寄贈されるらしい。
雛にはどれにも「想い」がこめられている。そしてその想いが深く深く秘めているのが雛人形ではないだろうか。近江商人の女たちの想い、女人たちの想い、それは絆であったり、希望であったり、幸せであったり、情であったり、忍の歴史であったりするのだろう。
そんなことを思うと我が家の雛人形も飾りたくなったのだ。
我が家の雛にも歴史がある。それを押入れに閉じ込めておくことはないのだ。雛がとても愛しくなってきた。
雪明りの障子に雛壇の陰が映っている。陰も愛おしく思える。
女に生まれたこと、母となれたこと、どれも愛おしく思えてくる。
雛の祭りが過ぎても、人形を片付けずにいると結婚が遅れると言うが、昭和初期に作られた迷信だ。旧暦の場合だと梅雨が近づいており早く片付けないと人形や絹製の細工物に虫喰いや黴が生える、あるいは雛は春の飾りものだから、季節の「節」をきちんと守らずけじめを持たずだらだらしている(いつまでも飾っている)のを、嫁の貰い手がないと例えて、躾、生活を正す意味から言われのだろう。
私は自分の意思で、桃の花が我が家の庭に咲くまで雛を飾って置こうと思う。それまで十分に雛と語りあいたい。我が家の歴史を雛と語り合いたい。娘に購入した雛でもあり、私が欲しかった雛だ。
いつまでも巡りあいたい。
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「脳いきいきアートで楽しく過ごしましょう」の案内をいつもして下さいます。お陰で一緒に楽しんでくださる方が増えてきました。
曲線を無造作に組み合わせ色遊びをします。そしてタイトルをつけてみました。寒い寒いと、ちじこまっていますが、日当たりの良い斜面にはオオイヌノフグリが揺れていました。蕗の薹を探してみると、可愛い薄緑色の拳を持ち上げていました。春はもう来ているのですね。
タイトルは「オオイヌフグリの風」にしてみました。
脳いきいきふれあいアート<50>
曲線遊び
教室参加者に難聴のKさんが居られます。Kさんはぬり絵がお好きです。が、彩色が単調で知っているそのものの色を、下絵に再現するのに追われておられるように見えました。
Kさんにもっと彩や色を楽しんでもらえたら、オイルパステルを塗り重ねて自分の色をこしらえる面白さを伝えられたらと思いました。最初は「絵なんて、よう描かん」と仰っしゃっていたのが、みんなと一緒に何かをする時間を持つ楽しみを感じ始められました。そこで「簡単なお遊びアート」(勝手にそう名づけているカリキュラムです)をすることにしました。
1)正方形の画用紙を用意する。(画用紙はザラザラ面が表)
2)いろんな線(力を入れて描く線、力を抜いて描く線、太い線、細い線・・・・・)を練習しておく
3)好きな色のオイルパステルで、画用紙正面に曲線を1本、練習した線で描いてみる。
4)画用紙を90度まわして、また別の色で曲線を描く
5)また90度まわし、同じように曲線を加える
6)もう一度まわして描く
7)4回90度にまわして、最後は細かいくねくねした曲線を加える。これで最初の正面に戻る。
8)意図せず自由に曲線を描いて遊んでいるが、もし、正面に画用紙を置いて4本の曲線を描いてもなかなか描けないような、偶然の構成曲線が生まれる。
9)曲線で出来た空間に、自由に色を乗せていく。
10)白いまま塗らないでおくところがあっても良いし、色は単色でも良いし、塗り重ねて単色にない重ねる色の面白さ、オイルパステルの伸びる色合いも楽しむ
11)いくら塗り重ねても色は濁らないので、違う色に上からどんど ん塗り重ねて、最初の色を消していっても良いし、色を塗る楽し さを味わう。
12)塗り終えたものを少し離して眺めたり、天地左右を変えて観て 見るとまた違って見える楽しみが出てくる。
13)一番自分が気に入った正面を決めて、サインを入れる。
12)その作品から浮かんできたタイトルを考えてつけてみる。
タイトルをつけるのは、カリキュラムにはなく、私のオリジナルの考えでつけ足したものですが、これはみんなで大盛りあがりになりました。廻していき、線を加えて出来る偶然性の抽象表現の面白さ、こういう楽しさを、カリキュラムとして作成されている臨床美術に感心しました。やはり臨床美術のカリキュラムは「凄い」と改めて思います。その面白さを味わえ、伝えられることが嬉しいです。
最初、廻して曲線を描いていくことが理解できないのか、線をうまく描けなかった人が(教室には認知症の方も居られます)最後にはいろんな彩で空間を埋めて下さり、自分の作品をとても気に入り「是非、みんなに観てもらいたいから展覧会をして欲しい」と希望が出るまでになりました。また、Kさんもそれは見事な色調で作品が出来、色を塗る楽しみに没頭されました。お遊び感覚で完成した作品でしたが、どれもこれも私が予期せぬ出来栄えで「下手上手はない、お互いを認め合う」この臨床美術の心が自然と表面に出た教室になりました。難聴であまり人とのコミニィケーションがなかったKさんですが、Kさんの目の覚めるような色使いにみんなは感心して、Kさんの隠れていた才能を見つけたように喝采でした。
きっと、これからのKさんのぬり絵も変わっていくのではないだろうかと、私は秘かに楽しみにしています。
こうしていろんなことを楽しませてもらうことに、いつもながら、私が一番「脳いきいきふれあいアート」を楽しんでいるのだと思います。有難いことです。
それにしても、みなさんのタイトルの素晴らしいこと、台紙の空いた場所に俳句や川柳を加える人もあり、またまた素晴らしい作品になりました。絵に字が加わっている昔からの作品もこういうところから来ているのかもしれません。
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昭和五十四年一月、太安万侶の墓が発見された。四十一文字から成る銘文に「太朝臣安萬侶」の名のほか、居住地や位階、死亡年月日なども記されていた。
光仁天皇陵のすぐ近くにあるその場所は、二十一世紀の今、水田と茶畑が広がるばかりである。しかしそこに、いにしえびとの往来を、いにしえびとの命を思い描けば、同じ大和人、日本人であることに私は大きな誇りを感じるのだった。
十月の半ば、歴史の証人が眠っているその茶畑を歩いた。「立冬」も近く、茶畑に霜の朝を迎えるのも、すぐそこまできていたが、息を切らし急坂を登りきると額に汗した。そして汗の滴を落とすかのように、凛々と輝く白さで咲いている、お茶の花を見つけた。下を向き静かに咲いていた。
私は茶の花の無数の黄色い花糸(おしべ)に惹かれた。花糸の数は二百数十本はあろうか。大きな塊りとなり圧倒するばかりのボリュウームで語りかけてくる。
花糸の塊が、長い歴史の息使い、歴史の中に健気に生きていた民の集まり、見えることのない神の一つ一つに見えてきた。そして聞こえてきた。言霊の歌が・・・。 上代歌謡であった。
「臣安萬呂言す。それ、混元既に凝りて、気象未だ效れず。名も無く爲も無し。誰かその形を知らむ。然れども、乾坤初めて分かれて、参神造化の首となり、陰陽ここに開けて、二靈郡品の祖となりき。」(しんやすまろまをす。それ、こんげんすでにこりて、きしょういまだあらはれず。名もなくわざもなし。たれかそのかたちをしらむ。しかれども、けんこんはじめてわかれて、さんしんぞうかのはじめとなり、いんようここにあけて、にれいぐんぴんのおやとなりき。)
「元明天皇の臣下である安万侶がここに奏上いたします。遠い昔、すべてのものの形が定かではなかった宇宙の初めのこと。ある時、天と地が二つに分かれ三柱の神様が出現されました。次いで陰と陽が別になり、男女の二神が現れて万物の生みの親となられたのです」
朗々と歌い上げる格調高い声が茶の花を震わせていく。なんと美しい言霊の語りであろう。私も静かに諳んじてみる。茶畑の緑の風はさわやかに抜けていった。 古事記は「こじき」あるいは「ふることぶみ」と読む。日本民族の古い伝承と歴史の書物です。神も人もいきいきと天地を駆け巡り、心のままに笑い、泣き、怒り、戦い、そして殺し合い、愛し合う。それは現在の私たちと同じなのです。
ここには、人々が大切にしてきた民族の素朴な心や智恵、生命の歴史が込められているのです。先人の言い伝えや、心、知恵の教えを忘れた民族は、滅ぶと言われます。これからもっともっとグローバル化な世界になっていくでしょう。そんなとき自分の国の神話や歴史を何も知らないことは、とても恥ずかしいことだと私は思います。
私は千三百年前にタイムトリップしました。茶の花の中に入りました。
そこには稗田阿礼と仰るそれは見目麗しく聡明な若人が、周りの木々もが静かに聞きほれるような美しい声で、この国の原点を諳んじておりました。太安万侶さまがそれを墨色鮮やかに書き記しておられます。
のぞきこんだ私は「いのち」にふれることに遭遇した思いでした。いのちは海から生まれたとのことです。
そして、その書き留められた行間から、辺りに生々とした気配が動き始めてきたのです。
日本の原典〜古事記物語〜
上巻 第1話 _国生み_ 天地はじめてひらく
この世界のはじまり、宇宙は、天も地も無く、時間も空間もなく、有るのか無いのかわからない、混ざりあっているのか混ざっていないのか、もやもやとした状態で広がっていました。
そんな混沌としたなかに 「た・か・あ・ま・は・ら(高天原)」と言う声が響きました。
すると、光の粒が現れました。高天原の神々の最高神である天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)と、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)神産巣日神(カミムスヒノカミ)の神様でした。この神様たちは宇宙の心そのものであり、万物を生み出す心であらゆるところに満ち溢れておられ、性別もなく配偶神を持たない独り神さまで、その姿、形はとらえることはできませんでした。 が、地はまだ人間が住む土地として固まらず、若く、水に浮かんでいる脂のようで、海月(くらげ)のようにフワフワ、ユラユラと漂っていました。 その中へ美しい若芽がでてきました。葦が芽を吹くような生命のきざしでした。それが宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)で命の素になられました。そして天も地も永遠であるようにと、天之常立神(アメノトコタチノカミ)も現れました。この神様たちも性別のない独り者(単独神)でやはりお姿は見えませんでした。
稗田阿礼さまがそれは芳しい木の葉を震わす、風のような声で私の耳元へささやかれました。「この五柱の神々は、天つ神の中でも特別の神として別天津神(コトアマツカミ)と言います。大宇宙は、こうして男でも女でもなく、このお姿の見えない神様たちによって、見えるものより見えないもので、この世界を動かし、統一されたのです」。
次に国土が永遠に固まるように、揺らがらないように、祈る心から國之常立神(クニノトコタチノカミ)が生まれ、どっしりと大地が完成しました。広い広い果てのない宇宙空間が出来たのです。天と大地の間には豊雲野神(トヨクモノカミ)のフワフワとした星雲も生まれました。この二柱の神さまも単独神でお姿を見せられませんでした。
こうして天地の間に、宇宙のエネルギーが次第にかたまり、生命が湧き上がり、くらげのようにフワフワ漂っていた混沌の間からは、泥土と砂が出来ていきました。そして泥の神は、宇比地邇神(ウヒヂコノカミ)、砂の神は妹の妹須比智邇(イモスヒヂコノカミ)で、神々に男女の性別あらわれました。二柱は次々に、泥土から「いのち」をみずみずしく芽生え始められました。また 角杙神(ツノグヒカミ)と妹の妹活杙神(イモイクグヒカミ)も生まれ、世のすべてが豊穣になるように、また、芽生えた泥や土が散らばらないように、杙をお生みになり柵を作られたました。
「神様の名前は難しいですが、それぞれに意味があるのです。「杙」は地中に打ち込んで支柱や目印にする棒のことですね。神様はそれぞれに言霊をもってお生まれに成っていたのです」 次にいろんなものを生み殖やし、地が満ちるように清新な男根と女陰を象徴する意富斗能地神(オホトノヂノカミ)、妹大斗乃辨神(イモオホトノベノカミ)が現れ、門や戸を生んで星と星の境界を管理出来るようにされました。そして、於母陀流神(オモダルノカミ)も、生命の誕生に驚き、畏敬の念を持たれた妹の妹阿夜訶志古泥(イモアヤカシコネノカミ)も現れ、あらゆるものに命を吹き込み、姿を整え、陰と陽、男根、女根をつかさどり、生産と豊穣をつかさどられていくのです。
そして、結婚を誘う男の、神伊邪那岐神(イザナキノカミ)、妹伊邪那美神(イザナミノカミ)の女神が現れるのです。
「こうして重要なお役目を果たされた十七柱の神々がお現れになって、天地がひらいたのです。それは、百五十億年という気の遠くなるような年月がたどり着いた宇宙の始まりでした。」
「そしていよいよ日本の国生みが、日本人のご先祖となられる神伊邪那岐神、妹伊邪那美神の二柱によって始まります。」 一気にここまで、私は太安万侶さまのお書きになったたものを読み、稗田阿礼さまの鈴のようなお声にうっとりし、そして流れ来る茶畑の香りに、悠久の世界を歩くことになるのです。
<参考文献> 岩波書店:日本思想体系古事記。 小学館 日本古典文学全集〈1〉古事記・上代歌謡。 *この「古事記物語」はあくまで私が子供時代にワクワクと、心おどり読んだ、聞かせてもらった、あの心が基本になっております。本当の古事記を知りたいという方は専門書をお読みになり、ご自分での古事記を見つけて下さい。
国生みを知らずして日本人は何処へ行くのでしょう。そんなことを思います。これから、この日本で育っていく孫たちに聞かせてやりたいと思う「古事記物語」です。史実の間違い、また見解の相違のあることはお許しくださいますように。
これは後に和綴じ本に作成し
孫へプレゼントする楽しみと、実際に古事記のなかの地へ、旅する楽しみができました。雪が溶けると旅にでましょう。「やまとまほろば」に多く出会える楽しみを。 |







