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2012年、ガイドブックを持って古事記ゆかりの地を旅し、古事記の世界を楽しみたいと思う。
小学校2年生のとき分かれたYちゃんも、古事記ゆかりの鳥見山を覚えていてくれたのだ。
やまと まほろば
2012年は「古事記」完成から1300年にあたる。
そして2月11日は建国記念日(紀元節だ)。紀元節は神武天皇の即位日の祭日だ。
この歴史の記念すべき瞬間に立ち会える喜び、
タイトル「やまと まほろば」を新しく加えていこうと思う。
子供のころ父が話してくれる古事記や日本書紀の世界が好きだった。とても面白かった。古事記の絵本を繰るのが好きだった。それは父が橿原神宮の神職だったからだろうか。父が児童文学をやっていたからだろうか。あのときの絵本はもう失くしている。(昔は古事記=神話=の絵本はたくさんあった。近年はあまり目にふれることがない)
大人になって古事記、日本書紀を読み返すとかなり難解だ。子供のころ聞いたり絵本で読んだものは、どれも心躍り楽しいものだった。
私が胸躍らせ聞いたあの話を孫に伝え、残してやりたいと思う。
古事記、日本書紀は様々な研究者によって語りつくされている。私などが口を挟むことでもないし、古事記の広い世界を解説するには私は勉強不足だ。
ただ子供のころ、父が聞かしてくれた「古事記」の面白さを取り戻せたらと思う。
父は言っていた。古事記は源氏物語より、もっと男と女の恋の話である。心の葛藤の話である。神様は人と同じで兄弟喧嘩もする、殺し合いもする、騙すこともする、生き方のすべてが含まれている、森羅万象、あらゆるものを抱いている素晴らしい書物だといっていた。
期せずして「なら記紀・万葉名所図会_古事記編_」が送られてきた。そしてなによりも嬉しかったのは小学校2年生のときに別れたYちゃんからの年賀状だった。
奈良で過ごした小中学校時代、私は「変人の児」と、教師たちからさげすまれていた。「古事記」が好きとでも言おうものなら「あんな荒唐無稽なありえない話が国始まりとは悲しい。」「おまえの親父は変人だ」と一笑された。「変人の児」は広まり何かにつけて笑いものにされた。家に帰れば父が「日教組のデモシカ、アプレ教師が国を潰す」と言う。私は居場所がなかった。季節季節に姿を変える自然が私の唯一の友達だった気がする。いま思えばあの自然が古事記だったのかもしれない。
目を瞑るといろんな野の花が浮かんでくる。優しい風が頬をなでていく。そして、奈良榛原の鳥見山のツツジも目に浮かんでくるのだった。
小学2年生になった新緑の萌えるころ、榛原からまだ奥の村の神社に引越しが決まり、父はお弁当を持って仲良しだったYちやんも誘って鳥見山へ連れて行ってくれた。咲き誇るツツジを前に、鳥見山の「八咫烏(ヤタガラス)」の話をしてくれた。
遠くは山々の連なりと雲海、つつじ咲き乱れる中、黄金の光を放ち八咫烏は神武天皇の前に舞い降りたのです。
「道が分からなくなった神武天皇の前に、天照大神の使いの八咫烏があらわれ、道案内をしてくれたので戦いに勝ったんだよ」と古事記の話をしてくれた。鳥が大きく羽根を広げたような稜線を見せている鳥見山、祝うような紅赤なツツジの群生、渡ってくる風の中に、私は古事記の人物が確かに傍で息づいているように思えた。
しかし、あれから半世紀以上も経つ。本当に私は鳥見山へ登ったことがあるのだろうか。そんな思いがしていた。
昨年末、ひょんなことから思い出すこともなかったYちゃんの現住所を知った。そして年賀状を出した。返信が来たのだ。
「昔のお話ですが、お別れする時、榛原の鳥見山に登ってつつじの花見をした記憶がありますか」と書かれていた。
そうだ、Yちゃんも鳥見山を覚えていてくれたのだ。つつじが満開だった古事記の中の鳥見山は本当だったのだ。二人で手をしっかりつなぎ、赤いツツジの前で父の話を汗握り聞いていたのは、やっぱり現実のことだったのだ。
私は決心した。「あのときのドキドキ感を取り戻したい。そして孫にそれを語ってやりたい」と。それは美しい日本を語ることだと思う。
「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる 倭しうるわし」ヤマトタケルの歌だ。ヤマトタケルノミコトは「日本武尊」(日本書紀)「倭建命」(古事記)の二つの漢字表記がある。
「やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとし うるわし」「まほろばとは本当にすばらしい所」という意味。「国のまはろば」は「国のなかで一番すばらしい所」と言う意味だ。
高校は地元を離れ、桜井の高校へ行った。日本史を教える高齢の女先生に出会った。私たちはお婆ちゃん先生と呼んでいた。お婆ちゃん先生が居眠りをしている私たちに言ったのだ「いつかあなたたちは、太古からの素晴らしい日本の歴史の詰まっているこの地で、青春時代を過ごせたことに感謝し、大きな財産になる時がきっと来るでしょう」と・・・ お婆ちゃん先生は古事記が好きだという私を変人扱いにしなかった。私は小中学校時代のいじめから解き放たれたのだった。
感謝の気持ちと、私はいま大きな財産の中を、とても贅沢に歩かせてもらっている。それを守り語り続けたいと思う。
参考文献
*「古事記」太安万侶によって献上された、現代に伝わる日本最古の書。
*「古事記伝」本居宣長の「古事記」全編に渡る注釈書 古事記の現在語訳はたくさんある。漫画でも描かれている。いろんな研究書がある。そんなな仲間入りはどだい無理な話である。
花ひとひらの古事記物語(やまと まほろば)であり、挿絵である。お許しいただきたい。
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節分・鬼やらい・追儺(ついな)の楽しみ
節分の豆まきが済むと立春。いくら寒くとも「あ〜〜春が来る」と、豆をまく手が弾む。節分は「季節が分かれるとき」という意味だから、立春、立夏、立秋、立冬の前日すべてが節分と言えるのだが、立春にだけ言われるようだ。
そして春を迎えるにあたって邪気や災難を払い、新しい年の豊作・福善を願ったことから、節分と追儺(ついな)の行事が生まれ、「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄払い」「厄おとし」「厄神送り」等と言われ、悪い鬼を駆逐するのに豆まきがおこなわれる。「続日本紀」によると、諸国に疫病が蔓延し多くの死者が出たとき、 官職の者が鬼の姿をして災害や疫病などの災いに見立て、黄金の仮面に矛(ほこ)や盾(たて)を持った者が豆を撒きながら悪魔悪鬼を追い払い(おにやらい)、新しい年を迎えたのが後に神社やお寺でも節分の夜に豆まきが行われるようになり、江戸時代になると宮中の行事だけではなくなり、民間でも広く行われるようになったらしい。
そしてその豆まきの方法も、地域によっていろいろと異なる。
「福は内福は内、鬼は外鬼は外、天打ち地打ち四方打ち、鬼の目ン玉ぶっつぶせー」と唱え、豆は災難よけに残しておき、山へ行く時や遠出の時に食べ、また自分の年の数だけ食べると、福が授かるとも伝えられる。 一般的には「福は内、鬼は外」と言うが「鬼は内、福は内」というところもある。「鬼は外」といえば祭神を追い出すことになってしまうからだ。鬼も祭神であり、日本文化はどれにも神を恐れ自然を敬う姿勢がうかがわれる。
季節の行事、文化は大事にしたい。
我が家の節分の献立は例年決まっている。
そしてまた鬼も良い。
山形県山辺町大寺地区にある「鬼の目」の地名は、 大昔、赤鬼と青鬼が隣村の黒鬼に苛められていたのを、村の男が助け、助けられた赤鬼と青鬼はお礼にと片目をそれぞれ差し出した。一つの目は天を見る目で天候を早く察知でき、もう一つの目は地を見る目で水のわき出るところが分かるというもので、男の村はそれ以後豊かになった。男が亡くなったとき、村人はその二つの目玉を岩の中に埋めて霊を慰めた。すると岩肌に丸い石が増え続け、村人達の目にはそれが鬼の目のように映ったことから生まれた。この地方の豆まきのかけ声は「福は内、鬼は内、鬼はござんしょう(よくいらっしゃった)」と言うらしい。
吉野山の蔵王堂でも「福は内、鬼も内」で、鬼を集めて改心をさせる。鬼は「魔よけの鬼」であって「悪鬼」ではない。豆まきで他家から追われた鬼を門まで出迎え、客人を案内するように奥座敷に招き、坐布団に坐らせて丁寧に挨拶し、酒やご飯をすすめるという地方もある。また豆まきそのものをしないで、全国の鬼を呼び集めて供養する修正会(しゅしょうえ)も行われる。鬼を一方的に追い出すだけでは真の家内安全につながらず、身を清めて真人間にすることが本当の供養との考え方なのだろう。
一般的な「福は内、鬼は外」のやり方で鬼を一方的に追い出すのでは、節分の夜寒は、鬼だらけになってしまう。
人間の心の中には三匹の鬼がいると言われる。一匹は欲の鬼、二匹目には怒りの鬼、三匹目には愚痴の鬼。これらの迷いの邪鬼を追い出してみんなが幸せになれるように願いを込めるのが豆まきなのだろう。
大きなフロァーには歴代のジャンボ凧。2階に上がれば凧凧凧。紅白の房を目に取り付け、鬼が涙を流しているような「見島鬼ようず」
角凧「羅生門」(縦3・6メートル、横2・4メートル)凄い迫力だった
全国各地の鬼の絵を集めた「鬼の凧展」へ行ってきた。
以前に「八日市大凧会館」へ行く機会があり、凧の図柄の斬新さ、数々の凧の面白さに魅了された。八日市大凧会館は滋賀県の東部にある日本一の大きさを誇る伝統文化「八日市大凧」を中心に、日本各地の伝統凧や郷土凧、世界各国の凧500点ほどを常時展示している博物館だ。 子供のころ冬の遊びは凧揚げだった。稲刈りの終わった田んぼの切り株に足を取られながら揚げた凧。放課後の運動場でも良く揚げたものだ。男児が揚げる凧を持たしてもらうのが女児の役目。両手高く凧を持ち上げ男児の合図に合わせて手を離す。タイミングよく男児が引く糸に操られて凧が揚がったときの晴れがましさと大歓声。うまくタイミングが合わず凧が地面を叩くときは口喧嘩になる。どちらになっても、男女児仲良く寒風のなかを頬を赤くして遊んだものだ。奴凧が多かったが、手先の器用な児は竹ひごを組み障子紙を張り自分で凧を作っていた。足は新聞紙を細長く切り繋げていた。その足が千切れると運動場の隣の我が家に、皆で雪崩れ来て修繕する。そんな時父が堅い堅い餅を焼いて待っていてくれた。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/39230807.html
時が流れ、我が子たちが嬉々として揚げていたのは「ゲイラカイト」と呼ばれるビニール製の凧で、誰が揚げても高く天を舞い、その揚がりすぎる調子良さに私は不満でもあった。しかしそんな不満さえ宝物に思えてくるほど現在は凧揚げなど誰もしない。冬の空はただ寒さだけが舞っている。
凧は遠い思い出だけになったと思っていたが、東近江市の成人式典開催日には毎年20畳敷の大凧が、当年の新成人たちで揚げられる。平成の大合併で八日市市は東近江市に名前を変えたが「近江八日市の大凧揚げ習俗」が受け継がれているのだ。
八日市市地方では江戸時代男の子が生まれるとお祝いに凧が揚げられた。それが村の行事となり、だんだん凧も大きくなり、国や地方の祝い事にも揚げられるようになっていき、ついには100畳敷大凧になり、明治時代になると100畳敷大凧より大きい160畳、200畳も作られ240畳敷大凧が揚げられるようになった。平成5年には国の無形民俗文化財にも選ばれた。最近では220畳敷大凧(縦20.5m・横19m)が揚げられたそうだ。 新成人を中心に、大凧の秘伝を製作作業の始まりから大凧揚げの感激に至るまでを体験することで、次世代の担手となり、育成される「チャレンジ大凧」の精神が、勇壮に大空を泳ぐことになる。毎年ニュース映像でも映される、素敵な季節の風物詩だ。 博物館には、ホールいっぱいにその大凧の数々や、もちろん懐かしい奴凧、小憎らしく思ったゲイラカイトなども展示されていた。郷愁と共に、数々の凧のデザイン、色合いに感動してしまった。館長さんが丁寧に数々の凧の説明をして下さったのも嬉しかった。そしてすっかり「八日市大凧会館」のファンになってしまった。
そして博物館で「節分」に合わせて、全国各地の鬼の絵を描いた凧を集めた特別企画「鬼の凧展」が開かれたのだ。 鬼は「魔よけの鬼」であって「悪鬼」ではない。日本人の精神文化である。その鬼が凧になり、どんなデザインで飾られているのか(祭られているのか)私は心躍らせ、車を走らせた。
どの鬼の目もまぁるく優しかった。たたずんで見とれていると、青鬼は「泣いた赤鬼」のあの優しい鬼さんが空を駆けてみんなを見守ってくれる千の風になるのだろう。
全国十五都道府県の凧作り職人、凧愛好家が製作した二十六点が展示されていた。どの鬼も製作者の慈しみを感じさせ、心の迷いを掬い取ってくれるように思えた。凧に「優しい心を持って、鬼のように強く育って欲しい」そんなメッセージが感じられた。鬼にまつわる伝説を材題にしたものもあった。数々の昔話が面白く躍り出てくるようだ。どれもこれも鮮やかな色彩が心躍らせ、面白いデザイン(図案、絵柄)に心躍る。桃太郎の昔話に登場する鬼や猿、キジの連凧は空に揚がれば、空一杯に躍動する昔話が広がるのだろう。そんな想像する楽しさもくれた。
帰宅する車のフロントガラスに真っ白の伊吹山が映る。その上は青空。広い広い空いっぱいに「鬼はうち、鬼はうち」と鬼たちを抱きこんでいるような空が広がっていた。 あの鬼たちを思い出し豆まきをする。 最近豆まきする人が少なくなった。その分どうも「邪鬼」が増えているようにも感じる。凧揚げもしなくなった。凧を揚げるとき、人は空を静かに、そして真剣に見上げたものだったのに。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
♪ 節分 木村徳太郎
寒いくさめを ひとつして あの子は 柊 門に挿す。 きつと鬼も 来ないでせう 寒くて鬼も 来ないでせう。 こうとつめたく ひとつなく 冴えてる鷺の しらじらさ。 まだまだ春は 来ないでせう ほんとの春は まだでせう。 ひそかな寒の 月の街 皸(あかぎれ)ぬくめて いそいでる。 帰れば火種も あるでせう 家には火種も あるでせう。 |
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和綴じ本制作第1巻
四つ目とじ本制作工程メモ
四つ目綴じ本制作工程
冬の夜 文部省唱歌
燈火 ( ともしび ) ちかく 衣縫ふ ( きぬぬう ) 母は
春の遊の 樂 ( たの ) しさ語る。 居並 ( いなら ) ぶ子どもは指を折りつつ、 日 數 ( かず ) かぞへて喜び勇む。 圍爐裏 ( いろり ) 火はとろとろ、 外は 吹雪 ( ふぶき ) 。 この歌が好きだ。外は吹雪。雪を眺めながら暖かい部屋で縫い物をする。静寂の中、針が語りかけてくる。それは縫い物の楽しさを教えてくれた祖母の声であったり、布地に浮き上がる様々な模様の、意匠たちのざわめきであったりする。今はもうあまりみられない、縫い物、囲炉裏、ともし火などの日本の文化が吹雪の中に浮かび上がってくる。春を待つ心がちろちろと私の胸に燃えてくる。
最近、断捨離(物への執着を捨て身の周りをキレイにし、 心もストレスから解放されてスッキリする)をする知人が増えてきた。ぼちぼち身辺整理をする年頃になってきたと言うことだろうか。
私にはこれがなかなか出来ない。「着物をタンスの肥やしにしておくならリフオーム」とか言われるが、私は簡単に糸目を解くことが出来ないのだ。一針一針運ばれた美しい凛とした縫い目を見ると、やはり着物のままで置いておきたくなる。着なくともときどき箪笥から出して見る。心落ち着かせる和の色、意匠、眺めるだけで心が落ちつき、箪笥でなく私の心の肥やしになる。そういうわけで、整理のつかないまま、他にも後生大事に置いているものは沢山ある。捨てることが出来ない代わりに、これ以上、物は増やさないようにしてはいる。
断捨離をする知人から「貴方なら捨てないで使うんじゃない?」と私が捨て場所?になったりする。針仕事で主に帯や花嫁の内掛けを内職にしていた知人が「もう体力的に仕事は無理」と金襴緞子の端切れを沢山送ってくれた。それは着物と同じく、眺めているだけで心豊かになるものだった。物を貯めるのはもうやめた。私も断捨離をしたいと思っている。が、布地になると病気かもしれない。我が家の押入れはまた膨らむのだ。
そのままにして置いていたのでは、まさに断捨離の一糸になってしまう。そこで私は決行した。
以前から手作り本を作りたいという夢があった。いままでに2冊の本を出版をしたが、どれも高くつく出費だった。出版部数を沢山に望まなければ、次回は世界でたった一冊の自分の手づくり本を作ってみたいとかねがね思っていたのだ。
近くにご夫婦で和本の制作をやっておられる方がいらっしゃった。そしてその方の指導を仰いだ。
1) 知人から送られた襴緞子の布地がたくさんある。(和本の表紙に使える)
2)針を持つことが苦痛ではない
3)和本は100年はもつという。
条件がそろった。
「和」が好きである。日本の文化が良い。その中で、和本は歴史と直結しているという思いが今までからあった。その思いの波はあるときは怒涛のように押し寄せ、また静かな感動に浸らせとても興味があった。和本を作りたいと思っていた。
型紙も簡単に作れた
どれもこれも美しい金襴緞子地が表紙になる
和本作りはやってみると意外と簡単だった。(自画自賛かもしれない
が、手先は器用なほうだ。まだ目も見える。=針穴に糸が通る=)
先生お薦めの「金箔地唐草文様金襴緞子」地で最初は制作してみた。和布と、とじ糸の彩のバランスを考えるのもとても楽しい。力を入れて抜きあげる針と糸はそのたび心を落ち着かせてくれる。
吹雪が良く似合う。
頂いたものには華やかなものが多かった
「霊芝雲和金糸緞子」や「小花文様金襴緞子」などもある。これはお茶席で使う袱紗に仕立ててみた。花嫁衣裳の内掛けの残り布と言うことで、「金銀菊散文様金襴緞子」のように、朱色(あけいろ)の華やかなものが多い。また始めて知ったのだが、布地の裏にまたがる糸の多さに驚いた。毛糸編みの柄編みも裏に沢山の糸がまたがるが、それを編みこんでいく。が緞子の場合は糸がそのまま横たわっている。縦糸横糸を修練の技で操り、表からみると単純な模様(図案)にも糸が引きつらないように織られていくのだろう。模様をプリントしたものでなく、1本1本の糸がみな主役なのだ。そんな思いがした。
緞子地を使い何冊も本を作ってみたいと思う。まさに世界に一つだけの本である。断捨離などと言わせない。
出来た本には希望と夢を綴っていくのだ。
知人にも和本を贈ろう。やはり希望と夢を綴って欲しいと思う。
春の遊の 樂 ( たの ) しさ語る。 春までに何冊できるだろう。吹雪がまばゆく見える。 |

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デイサービス「おしどり」でお誕生日会をしていただきました。手作りのカードは大切にします。 歌詞集を20部つくりました。好きな冬(1月)の歌を集めました。
いままで訪問した施設の皆さんからリクエストを集め、人気のあるものから歌詞集をつくりました。
手作りのカードを頂き嬉れしかったので、私も手作りで誕生日カードを作りました。(「みんなで見守っているよ」と人の和を連ねました)。オカリナでハピーバースデイ・ツユーとジブリミュージック(ゲド戦記、天空の城ラピュタ)を吹いて録音したものと、そろそろ「バアチャンが話しておきたいこと」を手紙にし、プレゼントと一緒に送りました。
♪ オカリナを吹こう (28)
一月のオカリナ訪問ボランティアは一人だった。ユニット「赤とんぼ」で三人で訪問することが多いが、一人は正月明けから三月までマレーシァに行く。生活費は日本の三分の一で済むと言うことでアパートを借り、日本でのしがらみにとらわれず、のびのびと過ごすらしい。ご主人のゴルフ代も随分安いらしい。私たち夫婦も誘われたがその気はない。しがらみがないと言うことに「退屈しない?」と聞くと、いろんな文化・スポーツのサークルが充実しており、日本人同士で集まってお料理、パンつくり、コーラス、絵画・ジム・・・・と退屈などしないらしい。
彼女はいつもお土産を沢山持って帰国する。「紅茶、コヒー、蜂蜜、貝柱エキスの調味料、クッキー、・・・」それは山のように沢山だ。しかし私の偏見だろうが、商品に書いてある説明文が読めないこともあり、また味覚が違うので申し訳ないと思うものの、どれも使わずに溜まる一方だ。和食系の私には匂いがきつくまた味もきついと感じるのだ。彼女は一旦、三月ごろ帰国して、暑さを逃れてまた七月ごろにマレーシヤに行く。優雅だと思うし、日本にいるより生活費が安くつくと言われても、私に真似をする勇気はない。留守期間中オカリナの練習に穴が開く。練習の楽しみが減ることのほうが気にかかるが、彼女はギターも出来るし、彼女の帰国を待っていて下さる人も多い。彼女の暑い異国の土産話を楽しみにしている人も多い。
そんな彼女も、向こうでは日本の唱歌、童謡を楽しむことが多い。どの国の人にも日本の唱歌・童謡は人気があるらしい。
今年はもう一人も抜けてしまった。ご主人が脳梗塞で正月に倒れられたのだ。今までも義母さんの介護を抱えながら、オカリナが息き抜きになると楽しんでいてくれたが、そうも行かなくなった。他所事とばかり思っていた「年金で海外暮らし」とか「家族の介護」が、私にも身近に感じられる時流を感じる。
一人で頑張って待っているからね、「オカリナをいつまでも続けてね」と思う。続けることの楽しみを大事にして欲しいと思う。
施設訪問を一人でやれるように、歌詞カードで重点的にやることにした。
月々に歌を選んで歌詞カードを作った。今までの訪問でどの施設でも人気のあった歌の歌詞カードも作る。施設によっては歌詞がボードに書かれたり、歌集が作られたりしているが、ボードの字が見え難くかったり、歌集を上手く捲り、歌うページを探せない人もいる。そんなことを考え字も大きくし、捲りやすいた歌集を作った。オカリナ伴奏で歌ってもらう歌だけを集め、一人一人に手渡せるようにした。リクエスト曲もどんどん増やして歌集を作ろうと思う。
一月は私の誕生日で、オカリナ演奏の合間にお誕生日会もして下さった。
「ハピーバースデイ」を歌い、手作りのバースデイカードと花束を下さった。やはり祝って貰うことは嬉しい。「年齢を誕生日ごとに減らして、若く元気でいて下さい」と言ってくれる。「それは、、、みんな一緒に、ね」と答える。
(一月の歌)
一月一日:明治期から戦前にかけて唄われた小学唱歌。作詞の千家尊福は出雲大社の80代祭祀継承者であり、出雲大社神楽殿の東側には「一月一日」の歌碑が建っている。(平成7年にはシングソングライター森高千里が「ジンジンジングルベル」のカップリングでこの曲をカヴァーしている。私は森高千里の大ファンだ。
小学校の時、一月一日は全校登校日で紅白の饅頭を頂いて帰った。家々に並ぶ国旗も清清しかった。澄みきった青空に羽根突きの羽をクルクル打ち上げたり、凧あげをしたのが懐かしい。
お江戸日本橋:この歌はいつどこで習ったのか、ちゃんと歌える。手まり歌とし遊び歌でもあった。上り唄と下り唄があり「お江戸日本橋を七つ立ち」し、草津まで行き姥ヶ餅を食べ(上り十八)大津から下り富士の裾野の吉原へ。そして箱根を越えて「酔いも鮫洲に品川の、女郎衆に、心引かれて旅の人、こちや憂を忘れてお江戸入り。(十八)」となる。
富士の山:文部省唱歌、作詞は巌谷小波、作曲は不詳。日本が世界に誇る霊峰 富士。葛飾北斎の浮世絵『富嶽三十六景』に「赤富士」として描かれ、『万葉集』や『古今和歌集』では歌枕(うたまくら)として数々の歌に詠み込まれ、文化・芸術の世界でも古くから親しまれている。
スキー:スピード感のあるスキーの醍醐味を感じさせる曲。作詞は北海道生まれの詩人時雨音羽。別に作詞:林柳波、作曲:橋本国彦で、昭和7年『新訂小学唱歌』に発表されたものもある。文語調ながら分りやすい歌詞なので、時雨音羽作詞の「スキー」と並んでどちらも現在でも歌われている。
のことを政界でも「トロイカ」とよばれたりしましたね。
銀色の道:この楽曲は、二グループの歌手(ダークダックス、ザ・ピーナッツ)の競作となった。作詞宮川茂が幼少を過ごしたオホーツクの紋別がこの曲の楽想のルーツだと言われている。銀色の道とは広野を走る鉄道のことで、 銀色の道誕生の地ということで「銀色の道」鴻紋軌道記念碑が紋別市旧JR紋別駅跡地「氷紋の駅」にある。
(懐かしの歌)
水戸黄門:テレビドラマ水戸黄門の主題歌で「あゝ人生に涙あり」。(山上路夫作詞・木下忠司作曲)
私の長女は幼稚園のころからこの歌が好きで、「人生楽ありゃ苦もあるさ 〜〜」と歌いだすと、私は襟を正したものです。
星影のワルツ:この歌はあまり好きではないのですが、どこの施設でも高齢者の方の好きな歌、№1です。どうしてでしょう。昔を思い出されるのでしょうか。思い出は大事にして欲しいとリクエストに入れることにしました。
ここに幸あり:昭和31年に発表。富田常雄の恋愛小説『ここに幸あり』が松竹で映画化されることになりその主題歌として企画されたもので、大津良子の歌声が人気になりました。昭和33年大津美子が三橋三智也とともにハワイ公演したときもこの歌が大好評で、公演後楽譜を求めるファンが楽屋に殺到し、そのため、彼女は観光にも出かけず、300部あまりの楽譜を手書きし続けたそうです。
高原列車はいく:作詞:丘灯至夫、作曲:古関裕而、唄:岡本敦郎。福島県の裏磐梯あたりを歌ったものと言われる。小さな列車が磐梯の美しい自然の中を走る光景を思い浮かべる日本人の原風景がちりばめられており、旅行の楽しさが溢れるようだ。
ハワイ航路:歌唱:岡晴夫 作詞:石本美由紀。石本自身は、作詞当時までハワイ航路(横浜〜ホノルル〜サンフランシスコ)には乗船の機会が無く、作詞のイメージは、瀬戸内海を航行する別府航路と、伊豆七島航路をイメージして作詞したと言われている。岡の没後は坂上次郎が歌い継ぎ、近年では氷川きよしもカバーをしている。当時、この曲がきっかけでハワイブームが起き、歌った岡晴夫のアロハシャツ、リーゼントも大流行した。明るく軽快なメロディーは敗戦を引きずりながらも希望を求めていた人々に口ずさまれ、大ヒットとなり戦後歌謡の代表作となった。
蘇州夜曲:西条八十作詞、服部良一作曲。李香蘭(山口淑子)の歌唱を前提に作られ、李香蘭主演の映画「支 那 の 夜」(昭和15年)の劇中歌として発表された。
母さんの歌:作詞・作曲窪田聡。進学校に進んだが頽廃的な生き方に憧れ、授業をさぼって映画・たばこ・酒に耽溺する日々を送っていた。同級生たちのほとんどが有名大学をめざすなか、文学で生きていく決意を固め親が準備してくれていた入学金・授業料をもって家出をし、そのころ、共産党系の人たちが中心になって進めていた「歌声運動」に惹きつけら文学を捨て共産党に入党する。母親から小包が届き始めたのはそのころのこと。次兄が、彼の下宿を探し当てたのです。母親からの小包には、彼の好きな食べ物や手編みのセーター、ビタミン剤などが、そして「体をこわさないように」と言う母親の手紙がいつも入っていた。歌詞は母の手紙の文面の一部だ。この歌は母親への思いと疎開時代に見た田舎の光景とが重なって生まれた歌だろう。「母さんの歌」だが、2番の「お父うは土間で藁うち仕事」の部分に、自分の勝手な生き方を黙認してくれた父親への感謝の気持ちも込められている。 幸せなら手をたたこう:坂本九が歌ってヒットした。童謡としても親しまれている。65回選抜高等学校野球大会にも使われた。「手、足、肩、頬、ウインク、指・・・」といろいろ入れて態度で示す。リハビリにもなる歌である。 |

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脳いきいきふれあいアート<49>
くわいの正月飾り
新しい年の第1回目の「脳いきいきふれあいアート」教室は、新春らしくクワイの量感画をやりました。(「クワイの正月飾り」というカリキュラムを私流にアレンジしての現場実践です。) 正月のおせち料理に使われる「クワイ」に、以前から魅かれるものがありました。青磁のような光沢と表皮のツルツル感、深海のブルーのような色合いがなんとも不思議でした。また漢字で書くと<慈姑>です。漢字にも惹かれ、ふれあいアートで一度はやってみたい素材でした。
クワイを購入に行きました。なんと近くのスーパーに売っていないのです。聞いてみると「おせち料理を手作りする人は少なくなり、クワイなどというものが使われることはもっと少ないので仕入れていない」と言うのです。寂しいことです。
そう言う私も、芽がニヨッキリ(だから目出度い)出て、不思議な色合いの植物に謎めいた深さを感じるものの、食べたのはほん数回で苦くて美味しいとは思いませんでした。
クワイはオモダカ科の水生植物で、昔は田んぼの周りに生えていた。
歴史的にはかなり古く、室町時代の書物にすでに記載されているがそのころの品種はまだ積極的に食べられてはいなかった。江戸時代になり、中国産のくわいが我が国に根付いてから、一般に食べられるようになった。 形を見れば分かるとおり、丸い玉の部分から芽がにょきっと出てこれが「めでたい」とか、芽がぐんぐん伸びて「出世する」「家が繁栄する」という縁起ものとして、おせち料理の定番になり、時期的にもちょうど正月ごろが旬になるため使われるが、最近はくわいを知らない人も多く精進料理のお膳やおせちに出ても「何これ?」と不思議そうな顔をする人もある。 くわいは漢字で書くと「慈姑」。いろいろな説があるが最も一般的なのが、形が女性の乳房に似ており、慈悲深い女性が子に乳をあげている姿にちなんで慈姑と言う説。「姑」は、普通「しゅうとめ」のことを指すので、「なんでしゅうとめが子供に乳をあげるの?」と疑問に思うが、「姑」という文字には「婦女の通称」という意味もあり、昔は女性一般をさして「姑」と言っていたようで「慈悲深い女性」の乳房の意味が通じる。 また、クワイの葉が農作業に使う「クワ」に似ているからとも「いぐさ」にも似ているので「食えるいぐさ」という意味でクワイになったとも言われる。 とても栄養豊富な食材で、中国ではて漢方薬にも用いられている。豆類に匹敵するほどのタンパク質、カリウム、マグネシウム、リンや鉄などのミネラル類、またビタミンEなど多くのビタミン類も含み、糖尿病・便秘に効果的で美しいお肌を保ち、ストレス防止にも役立つ。 そのまま食べるとアクで苦いので、江戸時代になって煮たり揚げたりという調理法が普及してから、食材として一般化するようになったようだ。現在出回っているくわいは野生ではなくほとんど栽培物なので、アクも弱いが、それでもしっかりアク抜きをしないと苦みが感じられる。うっすらと残る苦みが好みと言う人もある。デンプン質が多いため、調理法によって独特のモチモチ感やシャクシャク感も楽しめる。 ○くわいの煮しめ 1 くわい6個の皮をむき、下部を平らにして、十字に隠し包丁を入れる。 芽の先の部分は適当な長さを斜めに切り落とす。 2 多めの水に20分くらい漬けてアクを抜く。 3 水気を切ったくわいを鍋に入れ、濃いめの昆布だし150ml、酒25ml,みりん25ml、砂糖5ml、しょう油5ml、塩少々で弱火で火が通るまで煮て、その後20分くらい煮汁にひたしておく。 ○くわいの素揚 1 アクを抜いたくわいを、良く水気を切って油で素揚げして、熱いうちに塩をふりかける。(なかなか火が通らないので、170〜180℃くらいの低温でじっくり揚げる。) ☆皮をむくとき、間違えて芽がとれてしまったり、大きすぎて素揚げには向かないくわいの場合は、皮を向いた後薄くスライスして素揚げして塩をふれば、「クワイチップス」になる。 以前に描いたオモダカの絵です。オモダカの葉は鍬の形みたいですね。
教室が終わった後はクワイチップスをすることに決め、京都の錦市場までクワイを買いに出かけました。なかなかの高値でしたが、クワイの不思議な色が嬉しくて電車の中で何度も袋を開けてはドキドキしました。
色が魅惑的なクワイです。
ドキドキしついでに金箔も購入しました。同じなら金紙でなく、「本物の金箔を使うという体験もみんなにして欲しいと思ったのです。随分今回は高い材料費になりましたが教室の皆さんの喜ぶ顔を思い出し、お年玉にしました」
金箔は今年も皆さんと「脳いきいきふれあいアート」を楽しめることに感謝し、また私へのお年玉にしました。
1)「明けましておめでとうございます。今年もよろしく」「脳活性化<ふれあいアート>で今年も楽しく」の挨拶で開講です。
2)オカリナ伴奏で「お正月」の歌を歌います。それぞれの今年の抱負やお正月風景を聞かせていただきました。おせちの話もでます。
3)おせちのクワイの説明をし、クワイをテーブルに並べました
4)クワイを半分に切りクリーム色の中身を見たり、匂い嗅いだりして量感画の始まりです。
5)「クワイの正月飾り」のカリキュラムを、「クワイの量感画」に変えました。
6)中身を感じる色画用紙に、クワイの形に囚われず、ひたすら色遊びを楽しんでもらいます。
7)色遊びを始めるとオイルパステルの面白さに時間が直に過ぎてしまいます。
8)モデルのクワイを見ながら、芽も大事にしてクワイの形に切り抜きます
9)赤い和紙の上に金箔とともに構成して、切り抜いたクワイを貼ります。
10)それを厚めの金銀箔の入った和紙に貼り、上部に正月用のスタンプを押しました。紐をつけ飾れるようにしました。
私はスタンプを押すことしか頭になかった(字の下手なのが無意識にでも潜在的にあるからでしょうか)のですが、スタンプより自筆がよいと、達筆で「愛」とか「慈」と墨跡鮮やかに書かれる人もあり、立派な正月飾りに満足をするとともに、今年もまた教えられることが多い教室始めになりました。
正月に帰郷していた孫にも「クワイの正月飾り」をためしにやらせました。
やはり子供の作品のほうがいきいきしているように思いました。私にはまだまだ脳活性が必要ですね。やはり既成観念に囚われるところが無意識に出るようでした。
孫がとても楽しがってやってくれたのが、私なりの「脳いきいきアート」への挑戦の自信にはなりました。
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