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(5)
垣内の集会が終って、弘の父がふたたび桐久保宅に見えたのは十時近くになっていた。
「旦那さんのところは、竜門さんと中西さんの間に決まりました」
「そうかい」
あまり気にもしていない返事をして、
「弘坊を連れて早く帰れよ」
顔だけ弘の父に向けて言うと、桐久保さんは目を碁盤にもどした。
弘の父は板の間に腰をおろし、長火鉢の横の茶櫃を引きよせると、自分で茶を入れながら「旦那さん。一寸話がありますのや」
入れた茶を一息に飲み干すと、桐久保さんに声をかけた。
弘の父の話しかけに、梶野先生は気をきかして
「お話がありそうですから、失礼して風呂をもらってきましょう」
と、囲碁を中止して立ち上り風呂に行く。
桐久保さんは致方なく碁盤を離れて、長火鉢の前に座り
「話って何か」
聞かれて、弘の父は暫く言い憎そうだったが、
「今度分けてもらった山を金にかえて、借金をかえしたいと思います。就いては旦那さんに買って頂けませんか」
真顔で言う。
「そんなことだろうと思ったよ。自分とこの貸金はいつでもよい。すぐ売らなければないほど金が必要なのか」
眉間にしわをよせて言い、続けて
「金が出来そうだと、先に使うことを考えて、そのようなことではいかん。山は山三厘と言われて収益もなく、じっと持ちこたえて、苦しい暮らしをたえている者には、すぐに金を使う者の気持が解(げ)せん」
と、渋い顔付きになった。
「だけど、旦那さんは昔からの山持ち。自分は戦災で焼け出されて裸。身分が違います」
「山持ちやから、暮らしが楽やと言うのか。どつちが贅沢していると思う」
「旦那さんのほうでしょう」と、思っていることを言いたかったが、頼み事にきているいま「まあ、まあ、えへっ えへっ」と、
言葉にならぬことを言って、笑って答えなかった。
「山稼ぎで一日六百円。月に二十五日働いて一万五千円、親子四人結構やって行けるのやないか。酒に金をつぎこんで飲むから、暮らしがたたない。子供も可哀想だし、おっ母の怒るのも判る。一日に焼酎三合以上も飲めば、酒代も馬鹿にならん」
飲酒のことを突かれて、弘の父は頭があがらず黙ってしまった。
金のはいりが少しでも締まればよい。儲けても無駄に使えば足りなくなる。暮し向き を考えよと桐久保さんは言っているのだ。
それは弘の父にも判っているのだが、酒代がかさばることを言われて返す言葉もない。
「山は買ってもよい。だが町村合併で垣内の山を分けことになり、苦労もせないで手に入る。それを当てにする考えに腹が立つ。いつまでも立ちなおれないのは、そんな心がけだからだよ。今晩ひと晩考えてみることだ」
口答えの出来ない弘の父は言葉もない。
その様子に、桐久保さんは
「弘坊、弘坊」
奥の部屋に向って声をかけた。
弘が出て来た。
「風呂から帰っていた梶野先生から、弘が桐久保宅に来ていた事情を聞いた父は、頭をなんどもさげて恐縮。
父と弘の二人は 桐久保宅を辞して、春めいたとはいえ夜更けはまだ冷える外に出た。
「おっ母と、なぜ喧嘩した」
「悪い美代に味方をして ぼくを叱って、真珠玉を投げよった」
父は継母の仕打ちに抵抗を覚ゆることもあって、一寸悲しい思いにとらわれたが
「弘も大人になれば判るよ」
咄嗟にどうして説明してよいのか判らず曖昧な言葉でにごす父。
それに引きかえ 弘は判っている。
「母は継母だから」
と、口に出したいのだが、口にだせば父が悲しむ。唇をかんでこらえた。
黙る弘があわれに思え
「明日、桐久保さんに山を買ってもらったら、弘に自転車を買ってやるよ」
母の話をはぐらかせて、父が言う。
「ほんと。嬉しい」
父の腰をゆさぶり、二ども念をおした。
入る金を当てにして、使うことを先に考えることを反省せよと、桐久保さんに言われていたが、後妻としっくりいかぬ弘がいじらしく
「ほんとうに買ってやるよ」
と、約束をして、個人持に分けられる二反分の杉桧の時価を、胸算用していた。
外の浅井戸から釣瓶で、鉄分の多い赤茶化た水を汲みあげ、その水で顔を洗いながら、
隆と約束した昨夜のことを思い出した弘は、初夏に赤い百合が咲く処の雑草地に目をやった。
げんげのつぼみが首をもたげている。近よってしゃがみこみ、春の息ぶきをうけて
赤い百合の芽が出ていないかと目でさぐっていると、
「早く御飯食べて、学校へ行け」
母の声が背中にとんできた。
桐久保さんに山を買ってもらう話に行くと言っていた父はまだ寝ている。
自転車を買ってもらう約束を確めておきたかったが、起せば母が怒るだろう。
家に入って食卓についた弘は、父が起きてくれぬものかと、漬物と大根の実の味噌汁、
昨夜の麦まじりの残り飯を、時間をかせぐようにゆっくりと口にはこんでいた。
「兄ちゃん、早く行こう」
先に食事をすませた美代が、横からぐずった。
弘は仕方なく、箸を置いて立った。
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