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(11)
「痛まないかい」
「痛まん。先生と学校に行く」
家庭の事情がいっそう深くわかり、折り合いの悪い弘を家に残しておくより、学校に連れて行ったほうが、いいようにも思える。
母親のじゃけんなようすに、弘はそれを願っているようだ。
まだ少し早いが開襟シャツを弘にきせ、「服は家で洗います」と辞退する母親に
「学校で洗わせます。学校から帰るまでには乾きますでしょうから」と、弘のことが
心にかからないのか、一言の礼も言わない母親を後にして、着替えた服を新聞紙にくるみ、弘をつれて表に出た
☆
鈴(りん)をふる校番さん。
石鹸と糊の匂いがほのかに鼻につく清潔な布団。
家のあかじみた布団とちがう。体がうくようで落ちつかない。
先生の宿直室で、その鈴を聞き、いっそう落ちつけなくくすぐったい。
布団を頭からかぶった弘。
休みの鈴で、もう来るだろうと思った学童たちが「弘ちゃん言うたら、弘ちゃん」と、
宿直室の入り口で呼んでいる。学童たちの声がさわがしい。
頭と足の甲に包帯を巻いた弘は照れて布団にもぐったまま。
「死んでるのとちがうか」
男の学童が言っている。
「ほんとや。死んいるのかもわからへん」相づちをうっている女の学童。
「あほ言え。弘ちゃんは不老不死の薬のみよったもん。死によらん」
さわがしい学童たちの声をうち消すように、真面目くさって言う隆。
「不老不死ってなんや」奥田君が問い正している。
「教えられへん。その薬のんだら、人間死ねへんのや」
「あほ。そんな薬どこにあるんや」否定する奥田君に、隆の言葉がとぎれ、
「ほんまやわ。隆さん、何言うてはるねん」と、女の学童が奥田君に加勢している。
「上って見てみよ」奥田君が宿直室に上がる。それにつづいて、がやがやとさわぎながら、
宿直室に上がった学童たちが、布団をかぶっている弘をとりまき、
「弘ちゃん。弘ちゃん」と、口々に呼ぶ。が、掛け布団の空間から頭の白い包帯を少し見せ、弘はうごこうとせない。
「寝てよるんやろか。弘ちゃん」隆が、掛け布団のすそを、かるくもちあげた。と、
「ううん。痛い」それよりも早く、手で布団を「ぱっと」持ち上げて、弘がしかめた顔をみせて言う。
「なんや、死んだまねしてはってん」女の学童が、馬鹿にされたと言うように愚痴る。
「それみい。死んどらへんやろ。弘ちゃんは死によらへんのや」
さきほどの話を、うなづけさせるような言い方をした隆は「痛いっ」と言った声と、頭に巻かれた包帯に気付いて、自分のそこつを詫びるように「痛いことあらへんか。布団めくってすまん」と、弘に言う。
「ううん。大丈夫や」
布団にもぐった息切れでなく、級友たちにとりまかれてはにかみ、頬を赤くした弘が首を振って答える。
みんなにとりかこまれ、こんなに関心をもたれたことが、てれくさくうれしそうだ。
木から落ちた時のこと。医者に行ったこと。傷のことを話す弘。
聞いている学童。自分たちだけのことを話している学童。
「弘ちゃん。これ。あっしんど」
弘の話がとぎれた時、越出あや子が息を切らせて入ってきた。
赤いリンゴが三つ。
「先生が鈴がなるまでに、買ってこいと言いはって走ってきたんやで」と言いながら、くるんだ新聞紙をひろげて弘の枕元に置く。
「僕にくれるんか」
「ふん。先生、弘ちゃんにやってくれと言いはったんや」怪訝な顔の弘に、あや子が説明。
みんなにかこまれ、先生からリンゴをもらって弘はいっそうにこにこ顔。
「リンゴむかなあかんがな。気のきかんやっちゃな」隆の言葉に、あや子がすまなそうに、はにかむ。
「うち、むいてきたろ」
「うちや」「うちやし」校番さんの部屋に、リンゴをむきに行くのをとり合う女の学童。
「やかましい」それを見て奥田君がどなった。
その声に合したように
「ええっ。何を喧しく、言うとるんじゃ」と、校長先生が、みんなの知らない人を案内して、宿直室の入り口からのぞいた。
女の学童も、にこにこ顔の弘も、どなった奥田君も、隆も、男の学童も、バツが悪そうなようすで、入り口に向ってもぞもぞと行儀よく座る。
「弘。どうじゃ」
校長先生がスリッパをぬいで、上がって来る。
いつもとは、何となく校長先生の様子が違う。それに知らない人も一緒に上がって来たので、学童たちは、しおらしく校長先生をみつめている。
校長先生から言葉をかけられるなんてことは、かってなかったこと。
恥かしげに、にやりと笑ったまま、弘は答えない。校長先生は、今朝の出来事を小さい声で話している。聞いている人は「ふうん、ふうん」と、にこにこわらって、あいづちをうっている。
話し終わると「静かにするんじゃ。よその人が来られて、笑っていられるぞ」と、学童たちに注意をしておきながら、校長先生と知らない人は「あっ、はっ、はっ」と大きな声をあげて笑い、笑い終わると
「弘、気をつけて早よなおれ」と、弘に言葉をかけ、きょとんとした学童たちを残して、宿直室を出て行った。
「あれ、なんじゃろ」奥田君が、正座の足をたまりかねたように投げ出してけげんな顔。
「校長先生、どないかしょったんやろか」「あれ、だれじゃろ。何処へ行きよるのか、ちよっとついて行ってみい」きょとんとしていた学童たちは、思い思いの姿勢にかえると、知らない人について、また騒ぎ出した。
「あや子。リンゴむきに行くふりして、見て来い」奥田君が越出あや子に言う。
「うちも、ついて行ったろ」おきゃんな、中峰由子が立ち上がる。と、
隆がリンゴを持って立ち上がりかけた越出あや子をとめて
「見に行かんでもええ。おら、知っとるんや。ありゃ校長先生やが」と、真顔で言う。
「何言うてんねん。馬鹿にしよって。校長先生わかったるがな」
奥田君が、隆の冗談ごとのような言葉に喧嘩の口調。
「ちがう。あの人やがな」
「あの人って」
「ほら、今校長先生と来はった、あの人やがな」「あの人って、いま校長先生と、きはった人かい。アホやな。校長先生が二人もあるかい」説明の足らない隆の言葉に、せき込んで自分の言葉に自分がうなづいたふうに言った奥田君は
「リンゴ早よむいて来い」と、越出あや子にふたたび指図。
どう話していいのか、しばらくとまどっているふうの隆が、やっと話の筋がまとまったのだろう「おら、お父っあんに聞いとったんや。校長先生、こんどの四月にかわりよるんや」
傷をした弘を見舞って、宿直室にきた学童たちは弘のことよりも、隆の言葉に心をうばわれたようす。
「へえっ。ほんとほんとか」
リンゴをむきに出かけた越出あや子も、奥田君も男女の学童たちも、隆に念をおす。
隆の話はまっさら嘘ではない。現在の校長は停年で、昨年に退職することになっていたが、一教室増築中で、それが落成するまで「もう一年」ということで、特に許可されて奉職していたのである。校舎も落成も町村合併になる四月、新しい校長が赴任して来ることになっている。と言うことをお父うさんから聞いていたと言う。
「いまのは、そのこんどくる校長はんや。それがこっそり見にきはったんや」
隆の話は筋が通っている。それに昨年、そのような噂のあったことも学童たちは知っている。まして、桐久保さんは、育友会の役員さん。学校の話になると学童たちは隆の話を疑わない。隆の話に、とくしんしたように中峰由子が
「そや、そや。こんどきはる校長はんや」と、言った。それにあわせて
「わあっ。校長はん、かわりはるんや」女の学童たちが、いっせいに手をうって騒ぐ。
「そんなアホなこと言ったら、叱られるぞ」隆の話に手をうってさわぐ女の学童たちを制しんがら、隆に言う奥田君。
「ほんまやから、しかたがあらへん」
言われた隆は、ちよっとバツが悪そうだが、言葉をあらためない。
「ほんまかうそか、校番のおばちゃんに聞いたろ」越出あや子がリンゴをむきに立ち上がって駆け出した。二,三人つづく。
その時、二時間目の授業の鈴が大きく鳴りひびいてきた。
「弘ちゃん。リンゴ、交番のおばちゃんに、むいて持ってきてもろたるわ」駈けながら言う、越出あや子。弘を残して、奥田君も隆もほかの学童も「弘ちゃん、元気でな」「弘ちゃん、しっかりしいや」
と、口々にさけびながら、教室に向って駈けて行った。
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