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(13)
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学童たちが教室を去って、宿直室に一人残された弘は、淋しくてならぬ、三つの林檎を二つ食べ、美代子に一つ持ってかえってやろうと、あとの一つに手をつけていない。が、まだくいたりなくて、交番さんが置いて行った一切のするめに手をつける。
するめをしがみ、桐久保さんに行ったであろう父のこと、自転車のことを思って、淋しさをまぎらわせる。
そのうち、あまり顎をうごかせたためか、二針縫った傷が、ほころびたように痛み、包帯がずり落ちそうで、もとになおそうとする。包帯の結び目をさぐりあて、締めなおそうと、包帯を半分ばかりほぐす。
「ほどいたらあかんがな、弘」
梶野先生は。弘の父と宿直室に来て弘のようすに驚いて注意。
「ずったんかいな」と、言いながらそばにより、包帯を巻きなおしてやる弘の父。
巻きなおしながら
「するめしがんどんのか。するめみたいなものしがむから、包帯がずるんや。やめとき」不服そうに言い、弘の口にはみだしているするめを、手でもぎとりかけて
「おら、交番さんに、もらつたんや」歯でくわえてとらせない。弘の言葉に包帯を巻きなおす手をやすめ、梶野先生のほうをふりかえり、
「先生。えらい心配かけてすみません」するめの悪口をいったことに、ばつがわるそうだ。
「どうしまして」と、答えたものの梶野先生は、するめをしがんでいると、包帯がずりおちる。そこまで気がつかなかつた不見識を問われているようで、ちよっととまどったようす。が、交番さんの不見識を問われるようなことは、若くとも先生だ。すぐ、
「するめは造血剤にいちばんいいのでして…」と、学のあるところをひれきして、いっしゅんおめつた先生の立場をとりもどす。
「造血剤って、そない血がでましたんやろか」「たいしたこともないです四、五日もすればもとどおりになります」傷の説明をする梶野先生。たいしたこともなさそうな傷に、ほっとしたような弘の父。
「医者のかえり、お家に行きましたが、弘君が学校に来たがるもんで」と、つけ加える梶野先生。
「へえ、えらいすんまへん」おっ母がどうもきつくって」と、弘の父は恐縮そうに言い、母のことにふれられることをさけたいようす。つづけて
「弘。お父っあんと家へかえって寝よう」包帯をまきなおしてやり、手をひっぱって弘を寝床から立たせながら言う。
「学校終わったらかえる」
残った林檎とするめに目をおとしかえりたくなさそうな弘。そのようすに、一つ残った林檎を、新聞紙につつみ
「弘君。お父さんも言ってはる。いっしょにおかえり」と、弘の手にもたせて、梶野先生もすすめる。が、「いや。学校終わるまでここにおる」と、駄々をこねる弘。
その弘の心をやわらげるように「どうも、お母と具合がわるうて、こまりまんがな」と、一人言のようにいって、ふれたくなさそうだった。母親のことについふれてしまった弘の父。
「いや、そのことは…・」
こんどは梶野先生が、ふれたくなさそうに言ったが
「弘君が、学校に出した詩を、よませてもらったんですが、お父さんがおられない時の弘君は、どうも具合が悪そうですね」と、弘の詩を「こんな詩です」と、口ずさんでみる。
口ずさみながら、弘の家の事を思う。思うと弘の家に行った時の母親のヒステリックな仕打ちも家計が豊かでないことが原因とも思える。
常日頃、話し合ったことのない弘の父に、そんなことを話すのに、いまがよい機会ではないか。弘の詩を口ずさみ終わった梶野先生は
「深酒はあまりいいことはないようですよ。奥さんの機嫌の悪いのも、それが原因ではないですか」と、気軽く言ってみる。
「そりや、先生。わかっとりまんねん」へら、へら笑って、恥ずかしげに言う弘の父。
「少しはつつしまれたら。弘君と母親のうまく行かないのも、それが一つの原因ではないですか」梶野先生は、やっと本筋に入ったというふうに力をいれて話す。
「へえ、へえっ、へえ…」
笑って答えない弘の父。その父に
「桐久保のおっちゃんもいいよった」と、弘が口出しをする。
弘にまで口出しをされた父親は「お前だまっとり。自転車、買うたらへんぞ」と、
弘にそんなことを言って、ごまかそうとする。が、たしなめられているのは自分。間が悪そうに
「弘。早よかえろう。自転車買うたる。もう、あんな詩とか言うもん書かんといてや。お父つあん、さっぱりやわ」と、ふたたび、それとなく梶野先生から、たしなめられていることと、弘の口出しを、はぐらかせるように、笑って言った。
「先生。えらい迷惑かけてすみませんでした」と、弘の手をとり、
「おら、寝とっても、そればかり思っとった。山、売れたんか。お金もろたんか」
と、たずねる弘に、答えないで弘のお父つあんは「お金まだやけど、きっと買うたるよつてに、早よ家にかえろ」と、弘をうながして帰ろうとする。
「ほんまやで。おら、嬉しいな」ぐずっていた弘は、怪我をしたこともわすれたように、お父つあんの言葉に嬉しそうにしたがった。
枕元の学用品をまとめてやりながら、梶野先生は「服がまだ乾いていません。後から誰かに届けさせます。傷が痛まなければ月曜日から学校に出させてください」と言い、弘にもたせて弘と弘の父を宿直室から送り出した。送り出しながら
「弘。自転車のことばかり考えよるから、木からおちよるんや」と、弘をからかいながら、山を売って金が入れば、その当座は生活にゆとりが出来て母親の心も一刻はやわらぐであろうと、弘のことを思ってみた。
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