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山頭火 野に咲く 秋の七草の萩(ハギ)尾花(オバナ)葛の花(クズノハナ)撫子(ナデシコ)女郎花(オミナエシ)藤 袴(フジバカマ)桔梗(キキョウ)はもちろん、彼岸花(ヒガンバナ)竜胆(リンドウ)野菊(ノギク) 麒麟草(キリンソウ)釣鐘人参(ツリガネニンジン)吾亦紅(ワレモコウ)水引草(ミズヒキソウ)に蓼 の花(タデノハナ)・・・。数え上げればきりがない。色とりどりに咲き乱れる花野が広がる。しかし、 10月も終わりに近づくと、少し寂しい風がその百彩を一つづつさらっていくように吹きはじめ、晩秋の足 音が忍び寄ってくる。花野に秋の時雨がやってくる。そんななかを、最初から目を引くような彩も持た ず、かわりに褪せもせず、悠然と時雨の花野を飾る花がある。秋の野芥子(アキノノゲシ)だ。夏の終わ りから晩秋まで次々と淡黄色の花を咲かせ、次第に草丈を増し一メートル以上にもなる。その茎は太く堅 く、機械の除草作業さえやりにくい。子供のころ、この硬い茎を使って男の子がチャンバラごっこの刀に していた。私はただそれを見ていただけ?それとも悲運のお姫様役だった?記憶にはない。しかし、その 地味な色合いと大きな背丈には、不思議な存在感を覚えていた。今も、野原にこの花をみつけると懐かし く、たちまち花の周りにいろんな色をつけた風が吹きはじめ、私を想像の世界に連れて行く。 風の走る音がした。そこに俳人、種田山頭火が歩いている。 すわれば風がある秋の雑草 「山頭火俳句集 草木塔」 秋となつた雑草にすわる 山頭火 私も、アキノノゲシの前に座ってみよう。 やつぱり一人がよろしい雑草 山頭火 いつも一人で赤とんぼ 山頭火 私は、いつのころからかこの(雑草)をアキノノゲシのことだと、そしてアキノノゲシを山頭火と勝 手に結びつけている。 想像の旅をする私に、山頭火が(水、空、草、夕焼け、赤とんぼ)をいっしょに連れて歩いてくれる。 アキノノゲシは野菊(ノギク)のような、たおやかな美しさはない。色は地味で無骨で粗野と言えよう。 花は夕方には閉じ、渋い臙脂色と緑に包まれて硬くなった花は、寂寥感を漂わせているようにも見える。 そして、この花はとても時雨に似合う花だ。傘を持たずに慌てて走り抜ける花野でこの花に出会ったら、 思わず濡れるのもかまわず立ち止まり、そして耳をすませ、風に、周りの空気に、目を凝らすだろう。 わたしひとりの音させてゐる 山頭火 時雨に野の音が吸収され、ただ一本アキノノゲシが揺れるだけ・・・。 そんななか、池田遙邨画伯の「山頭火シリーズ」(山頭火行く1984年)を観て飛び上がってしまった。 山頭火は多くの文人に語られ、多くの画家に表現されている。その表現は無常感であったり、放浪の旅で あったり、流れる水であったりする。 しかし、私が山頭火に惹かれるのは、「優しさ」だ。「惑いの中に有る優しさ」とも言えば良いのだろう か。どの句も、私を優しさで包んでくれるのだ。無常や宿命や病み疲れを、足で歩き、心で歩き、歩き倒 した後に残ったものが、「優しさ」ではないかと思わせる。いろんな評が有り、私ごときが種田山頭火や 池田遙邨画伯を語るのはおこがましいことだが、山頭火にそして池田遙邨に心を癒されるのは事実だ。 池田遙邨画伯の描かれる山頭火には、そこかしこに小動物や野の花が出てくる。そして、私が遙邨画伯の 絵をみて飛び上がったのは「山頭火シリーズ」の(山頭火行く1984年)だ。 遙邨画伯の絵は、季節の野を旅する山頭火と、野に咲く花(ススキが多い)や小動物が、まるで山頭火 を見守っているように同じ画面に描かれている。小さい花は具象的に描かれていないので、「これはミゾ ソバ?ヒガンバナ?ノギク?」と、こちらがイメージで花姿を膨らませる。そしてそれは小さく描かれて いるので見落とすこともあるほどだ。そんななかで、「山頭火行く」は画面に大きく野の花が、野蔓をか らませて描かれている。陽が沈みかける空に立つ山頭火と二分するぐらいの大きさで野の花が描かれてい る。私はこの花が、アキノノゲシだと思うのだ。そして、私がアキノノゲシに山頭火を重ねるのは、あな がち間違っていないのではないだろうかと思うのだ。 私も旅をしてみる。山頭火を思い、アキノノゲシを眺め、池田遙邨画伯の絵を観て・・・・。 なんて幸せな「時」だろう。 山頭火も、このアキノノゲシを見ただろう。花の前に座り、夜露に濡れて萎んだ蕾のもとで野宿をした だろう。アキノノゲシは、他のどの花よりも、いつも何かの虫が寄ってきて休んでいる。
とんぼとまつたふたりのあひだに 山頭火
これはアキノノゲシにとんぼがとまっているのだろう
ほんにしづかな草の生えては咲く 山頭火
そして、夜が明けるとまた旅を続けるのだ。花は咲き続ける。どこまでも野の花を連れて旅をする。 山頭火も見た?池田遙邨画伯も見た?同じものを見ている幸せ。そして実際には、旅が出来なくても (想像できる幸せ)これは、なににも代え難い楽しい一時である。 笠にとんぼをとまらせて歩く 山頭火 珍しくアカトンボが寄ってきた。空は焼ける入日だ。夕焼けだ。 月光(ひかり)の銛 木村徳太郎 光の銛を 見ましたか。 夜の四つ角 寒の街 ぐさっと刺さって 居りました。 光の銛を 見ましたか。 月が怒って 投げた銛 何故だか恐くて ありました。 2006.10.19
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