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(あらすじ)
弘は、父と継母と、連れ子の妹の四人家族。戦災で焼け出され村に帰った弘の父は、少しばかりの山仕事で生活を支えていた。山深い村が、「町村合併」になり、その前に、村の持ち山を村人に分配してしまうことになる。弘の母は、苦しい生活のなかで酒癖の悪い弘の父への不満などが、弘へ辛く当たる態度に出る。そして、
山の子供たちは、そんな大人の世界とは別に子供の世界で大きくなっていくが、大人の世界を少しづつ垣間見、巻き込まれていくことになる。分配どき、村と個人の境界線の木を、自分のものとして伐った者もいる。弘の父は労せずして入った金を、「自転車を買ってやる」と弘に約束をしておきながら、金の大半を酒に使い果たしてしまう。そして弘の父と母の喧嘩が始まり弘は家を飛び出した。(花ひとひら)
*原文の「お父っあん、お母っあん」を父、母で打ち込みました。また、不適当な表現は避けるようにしました。後に(校正、添削、未完のため加筆)時には、また考慮させて下さい。
弘ちゃんは生きている」(27) 木村徳太郎 作
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表に飛び出したものの、行く所もない。
宿直だと言っていた梶野先生のいる学校のほうに、なんとなく足が向く。
県道はすっかり暗くまだらな人家の明かりが、家を思わせて、行くあてのない弘の淋しい心が、いっそう淋しいものにさせる。
いつかは、美代と喧嘩をして母に叱られ、父を慕ってお宮の石段に腰をおろして、父を待ったことがある。
そのときは、父が垣内の集会所に居(お)って、あてがあったが、今日は誰も頼みにするものがいない。
梶野先生にでも、この淋しい気持ちを話してみようかとも思う。だが、恥ずかしくって話せそうにもない。
石段に腰を下ろした弘は、父、母のことを思ってみる。
父はどうしてあんなに酒を飲むのだろう。母はどうしてあんなに叱るのだろう。
考えても分らない。目から涙も出なくなった。
心にかかることは、父と母の喧嘩が「どうなっただろう」と言う心配ばかりだ。
喧嘩が怖くって、夢中で家を飛び出したものの、そのことが心に掛かり始めると、じっとしておられない。
立ち上がって、家のほうに引き返し始めた。家の中の気配一つでも受け止めて逃がさないと言うふうに神経をそばだてて家に近づいた。
「自明の峰垣が来よった。前田が伐った分は自分のものだとねじこんで来よった」
話し声が聞こえる。
父でも母でもない。すぐに桐久保さんの声だと分った。
「へぇっ。早いこと、どこで聞きよりましたんやろ。でも伐ってしまいよったもんは、どうなりまんねん」
酒の悪癖と、母との喧嘩で、父の声は元気がない。震えている。
弘は、雨戸の節穴から、中をそおっと覗いてみる。
喧嘩のときに投げ出されたのだろう。道具や瀬戸物の割れたのが、部屋いっぱいに投げ出されている。
その醜いものを忘れでもさせるように、母の内職の真珠球が、きらりきらりと光輝いて散らばっている。
あれを拾い集めるのも大変だ。それどころではない。散らばり失くした真珠球の弁償をするのも大変だろう。
母がくやしそうに、父への怒りと不平をむせび泣きながら、桐久保さんに訴えている。
「だから言わないこっちゃない。余分な金を持つと、こんなことになる。でも、まあ出来てしまったことはしかたがない。ともあれ、夫婦喧嘩は後まわしにして、この方が先だ。前田も、『もう金を使ってしもうたやろか』」
母の言い分をなだめながら、この方が大変なのだとばかりに、桐久保さんが話し続けている。
「前田といつ別れたんや」
「それが、酔うてしまうて、分りまへんので…・」
桐久保さんと、向かい会って話している間に、酒の癖で仕出かした過ちを思いかえしたのだろうか、目にみえないものに責められているように、うなだれて気弱くぼそりと言う。
「だらしのないこっちゃ。おまけに、このありさまはどうや。都合良くわしが着たから喧嘩も止まったものの、来なかったらどうなるんだ」
出来たことは仕方がないと言いつつ、桐久保さんも、散らかっている道具類を見回して、あきれたふう。
「明日にでも、自明区の峰垣に、桧の話を示談にさせなけりゃならん。金ですますとすれば、前田にその分を戻してもらわなけりゃならん。もう、帰っておるやろ。前田はおまえさんほど酒も飲みよらんからのう」
雨戸の節穴からのぞいていた弘は、桐久保さんの、その言葉に、山で父が言っていた事を思い出した。
なにか「もめなきゃいいが…・」と、独り言を言ったはずだ。
その言葉の意味を問い返したとき、「子供にはわからん」と、言いよった。
どうやら、そのことに繋がりがあるようだ。子供の弘には、大人の世界の難しい話はわからない。
だが、桧牧垣内の立木として伐ったものが、自明区の峰垣さん個人持ちのものだと言って来よったことが、子供の弘にもぼんやりと分った。
「見てきまひょか」
ふいに、母が思いついたように立ち上がって言う。
山で父が、言いよったことを桐久保さんの言葉に思い合わせていた弘は、どきりとして、節穴からおもわず、二、三歩後ろにしりぞいた。
母は、父と一緒に酒を飲みながら、父をほったらかしよった前田さんに腹立たしいものを覚えたのだろう。
その腹立たしさが、少しでも、前田さんが困りよるようなことが起きるのを望んでいるに違いない。母はそんな性質だ。それとも桐久保さんにお愛想を言ったのだろうか。
母が出てくるだろうと、物陰に身をひそめて伺がった弘は、そんなことを思いながら、様子を伺っていた。が、母は出てこない。
2006.11.07
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