|
弘ちゃんは生きている(55)木村徳太郎作(未完)
「先刻は恐かったわ・・・」
小使いさんが茶を運んできた。
楠田、前田さんの腕力沙汰を見たとみえ、そんな前置きをして、
「前田さんはしょうがない人や。やくざのようで常識のない人や」
と、校長か、楠田さんか、どちらに言うともなく喋って出て行った。
「田植えも近づき、忙しくなって来ますので今は駄目ですわ。秋の収穫が終って、暇にならんと水道の話も持ち出せませんなぁ」
「区の争いに気が付きませんでした。学校区全般の事ですから、区と区がしっくりしないまま、子供のためと言って強引に願って、もやはり駄目でしょう」
茶をすすりながら、校長と楠田さんは、桧牧区と自明区が対立する現在、すぐには実現しそうもない有様なので校長の口調はなんとなく重たい。が、
「会長さんにもたれます。早く実現するように計ってくださいな。遠藤さんも見積もりを出されたことですし・・・」
と、諦め切れないと見え、遠藤さんにかこつけて校長は楠田さんに執拗に頼んでいる。
「育友会長を務めている間に、私も仕事を残しておきたいのです。校長の仰ることも分かります。ともあれ、資金です。資金があればとやかく言われず、強引にでも施工するのに残念なことです」
工事資金があれば、楠田さんでなくとも、誰にでも出来るだろう。分かりきった事だ。今更のように町村合併で、桧牧区、自明区所有の山を個人持ちに慌てて分けてしまった事を後悔して、楠田さんはいつまでも愚痴をこぼしていた。
☆
桧牧区と自明区の感情のしこりのとれることを願う校長も、児童の間に対立が現れ、足もとに火がついたというのか、水道工事どころではない。
放課後、校長を囲んで職員会議が開かれた。
良い考えも浮かばないと見えて。誰の顔も深刻である。
「赴任されて間もない校長に心を砕かせて申し訳がないと思います」
校長の暗い面持ちを見て、主任の平田先生は、児童間の対立感情を解く案も出さず、卑屈にも校長のご機嫌を伺うことだけを言う。
「低学年では対立がなく、高学年の間で対立があるのではないですか」
低学年を担任する田中先生は、自分には関係がないと言わぬばかり。
それを聞いて五年生を受け持つ伊藤先生が
「五年生は前田朝子の盗人事件で対立が激しいように思われますが、他にはこれと言ったこともありません。六年生の間でじめじめとした対立感情が激しいのではないでしょうか」
六年生を受け持つ梶野先生に目をやって詰問といったふうだ。
「そうでしょうか」とぼけたように梶野先生が呟く。
「高学年の対立意識が強く、低学年にはそのようなことを意識していません」
六年生を受け持つ梶野先生に、責任あるといわんばかりに再び伊藤先生が言った。
「梶野先生、どう思いますか。育友会長の楠田さんに聞いたのですが、学級委員の桧牧区の炭谷くんと、副委員長の自明区の奥田君の仲が上手くいっていない。二人が喧嘩大将だから、他の子供たちは自然と分かれて、わいわいとやっているようですが・・・」
校長は炭谷君、奥田君を溯上に乗せた。
「私はそうだとは思いません。桧牧区と自明区の区民の対立感情が、子供たちに影響しているのです。ことごとく高学年が事を起しているふうに、仰るのは、表面だけをみて、裏の区民の対立に気づいておられないからです」
「それもあるだろう」
育友会の総会で、区民の対立をしみじみと味わされた校長は、梶野先生の発言に頷く。
「じゃあ、児童の対立に手がうてないと言うのですか」
誘導的な質問を平田先生が出した。
「そうとは言いません」
「じゃあ、どのようにすれば・・・」
平田先生、梶野先生の間に議論が戦われそうになる様子に、
「区民の対立が根底にあるから、難しいことは分かる。それで、区のことは別として、学童の融和をまず考えよう」
教師として先ず児童の事から、解決すべきだと分かりきったことを校長が言って中に割って入る。だがそれに応じて、誰も具体的な意見を述べない。
春の暮れはなかなか暮れ落ちない。日暮れが長いように話し合いも一向に進まなかった。
その時、会議の気づまりを吹き飛ばすかのように、電話が激しく鳴った。
電話機の近くにいた田中先生が立って行き、受話器を取った。
話し終わり受話器を元に戻すなり、
「校長先生。また悪戯をしたものが出ました」
自席に戻るのももどかしそうに大仰に言う。
越出あや子の父が電話をして来たと手早く田中先生が語った。
「ほう」
朝から不機嫌な顔付きをしていたのを一層ゆがめて校長はあっけにとられたように、溜息をついた。
|