|
弘ちゃんは生きている(62)木村徳太郎作(未完)
農をやっていないお父っあんは、頼まれものの山の下刈りも終って、毎日昼寝が出来るほど仕事の閑な時期がきた。
今日も雨が降らず、昼寝から目覚めたお父っあんは、また野球の仲間入りに学校に出かけようとした。そのとき、
「役場からふれが出よった。五時から嶽山で雨乞いや」
大仰な声を出して入ってきた前田さんが、伝達書をお父っあんに見せる。
目覚めの欠伸をして背をそらし手足を伸ばし終わると
「野球に行こうと思ってるとこや。そんなこと、わしには関係ないわ」
子供たちと野球をする事が楽しいのか、お父っあんは雨乞いなんてどうでも良いと言う。
「アホ言ったらあかん。村の人に叱られるぜ」
「やりたい奴は勝手に嶽山に登ったらええ。おれは、水に関係がないし・・・」
「まあまあ、冗談言わんと頼むぜ。お前が太鼓を打たんと、誰も景気よう打ちよらんへんからな」
「子供が待っとると思うけど、しかたない。今日は野球を止めて嶽にのぼるとしょうか」
お父っあんが、行かぬと野球が出来ないと言わぬばかりに立ち上がった。
「頼むぜ。四時頃から登ってんか。太鼓は青年団がかついで行くことになっとる」
前田さんはそれだけ言ってまた、区内を廻るべくお父っあんの家を出て行った。それと入れ替わりに
「おっちゃん。野球に行かへんけ」
四,五人の学童が、まるで友人を誘うみたいにやってきた。
「今日はあかんのや。これから嶽へ登って雨乞いや」
「おっちゃん、来なんだらあかんがな」
「まんまかいな。嬉しい事を言うてくれよるなぁ」と、
水屋の処に足を運んで、駄菓子を持って来ると本当に嬉しかったと見えて、子供たちの手に少しづつ駄菓子を与えた。
子供たちはそれをを早速口に入れながら帰えっていった。
「おっ母。嶽に雨乞いに行く。堤燈に新しい蝋燭を入れてくれ」
黙って真珠の糸通しをしていたおっ母に言いつける。
言いつけられたおっ母は、相変らずむっつり顔で、お父っあんの嶽山に登る支度を手伝った。「晩御飯は帰ってから食べる」
山行きの仕事着に地下足袋をつけたお父っあんは、新しい蝋燭をいれた堤燈を腰にたばさみ、台所に行くと、一升瓶に、五,六合残っていた酒を水筒につめて、肩に引っかけて家を出て行った。
学校の近くから、嶽山に登る道に来た。
お父っあんは、子供たちだけが野球をやっているのだろうと学校の方を見る。心引かれるのだろう、暫らく立ち止まって様子をみる。
そこへ
「野球よりも雨が大事や。早よ行こう。村の若い衆ももう登りつくころや」と、前田さんが後ろから声をかけながらやってきた。
海抜七百二十四米。四月十日の嶽登りの行事以来のことである。常日頃は登らないだけに、雑草が生え繁り道が判別しにくい。
ところどころに出ている岩頭を目当に、お父っあんと前田さんは登って行った。
ずうと先の方を青年団員が声高く話し合いながら登って行くのが見える。
嶽の中腹に桧牧区と自明区の登り道が合する処にきた。
背中一杯に染みた汗に、一息入れるために二人はその場所に腰を降ろした。
青年団員もそこで休んだのであろう。あたりの雑草が折れて乱れている。
太陽が頭上にあるが、杉木立が太陽をさえぎって日影をいっぱい作っている。
登り道の三方から吹きあげてくる風が涼しく冷たい。腰をおろして間もなく嘘のように汗が引いて行く。
三方からの道から村民が続々と頂上目指して登って行くのが、姿はみえぬが声と草の動きで良く判った。
お父っあんと前田さんは、それにせかされでもするように、汗が引くとまた登り始める。
頂上に着いた。
松の古木の木影に太鼓が坐えられて、その傍に青年団が五,六人休んでいる。太鼓を運んできた汗の流れをぬぐっている。
まだ村民の姿は見えなかった。
弘のお父っあんは一休みして汗を入れると太鼓に近づき、前に腰をおろすと元気よく打ち始めた。
それに合わせるように、前田さんが鉦を叩き始める。静かな山頂の空気をふるわせて、太鼓の音と鉦の音が調和して、心よいリズムを響かせながら、山々を越えて広がって行く。
空と麓の村内にも響いていることだろう。
それに引きづられて登って来たように、周囲から村民達が頂上に続々と顔を見せる。
暫らくすると、あっちこっちの山々の頂からも、太鼓と鉦の音が響き流れてくる。
桧牧区と自明区だけではない。郡内の各垣内が時間を合わせて雨乞いをはじめた。
(でんでん、チンチン、ででんでん)
雨よ降れ降れ、雨水たもれ
雨の神様 早よたもれ(でんででん)
弘のお父っあんが調子よく太鼓を打っているその傍へ、近よった村人の一人が
「お父っあん。何年振りじゃろう。もう十年も昔になるじゃろうか」と、言葉をかける。それに答えて
「そうじゃのう。もう十年にもなるか」
お父っあんは十年前にも同じような水キキンがあって、雨乞いをした年があったのを思い出して、太鼓を打つ手を少し休めた。
頂上に集ってきた村人たちは、あたりの雑草や投枝を、持参した鎌で刈り始めた
ノコギリで投れた木をひいている人もいる。
四時頃になり、うづたかく積まれた投木や雑草の山に火をつけた。
すざましい火気が舞い上がる。太鼓と鉦の音が、火炎に合わせて狂るったように流れる。
燃える火の近くは、大気に身体がとろけそうな熱気である。
村人たちは、日照りと火気の暑さを逃れるように木影に寄り合って雑談を交わしている。
お父っあんは、頭から水をかぶったように肌着が、汗でびっしょりで、顔にも油をぬったかのように、てらてらと光らせ、流れる汗をぬぐおうともせず、太鼓を打つ手を休めない。
前田さんも鉦を打つことを休みそうにない。
嶽の頂上からも、雨乞いのためのたきびの煙が大きく、空に舞い上がっていた。
子供たちも、村人の雨乞いの行事を知って、常日頃あまり気にもしなかった水の不足さをはじめて知ったかのように、野球をやめて嶽山から立ち上る煙のうねりと、流れてくる雨乞いの太鼓と鉦の音を聞きながら、梶野先生を中心に寄り合って休んでいた。
「先生。学校の水はあかんし、水道を引くと言う話やったけど、いつになったら出来るのですか」
奥田君が不審気に聞く。
「僕も判らない。校長先生は熱心にそのことに当っておられるが、今のところちよっと出来そうにない様子だね」
梶野先生も判らない。
今年のように日照り続きで、空梅雨であった年だけに、いっそう水のないことが切実にこたえてくるが、桧牧区と自明区の感情の対立で、水道施設のことにはいつまでも解決しそうにない。
神社の参道の手水舎も。水が足らないのか止められていた。
木村徳太郎の「弘ちゃんは生きている」(56)までは、同人雑誌に発表済み。今回の(62)は手書の原稿用紙の升目に残されていました。ここで木村徳太郎の足跡はとだえます。
原文に忠実に打ち込みました。(仮名遣い、字送り、固有名詞などに不備も有ります)これをどのように展開して行こうとしていたのか私にも分からず、また私に納得の行かない部分もあります。そこで、(57)〜(59)は木村徳太郎に、花ひとひら(和子)も筆を加え、次に展開出来易いように進めました。そして(60)(61)に花ひとひらの創作を加え、木村徳太郎が完成したかったであろうと思える結末に、持って行くために新たな人物も加えました。(木村徳太郎は不本意かもしれません)が、完結するためには、私なりの創作も加えていかねばなりません。残された(62)の手書原稿に、結びついていくように苦慮いたしました。
そして、これから先は花ひとひらの一人歩きになります。
皆さんの応援とご指導のもとに歩んでいきたいと思います。またここまでの長い長い「木村徳太郎の少年創作童話」を読んで下さった皆さまに感謝をいたします。お礼を申し上げます。
父は、完結へ運ぶ私の未熟さを笑っているでしょうが、完成させ、形にすることには異存はないと思います。不思議なことと思うのですが、そのためにいろんな巡り合わせに出会っているような気がします。これは、すべて木村徳太郎が、つかわせてくれたのではないかと思うのです。
頑張って完成したいと思います。改めて皆さまに感謝の気持です。今後ともご声援、ご指導をよろしくお願い致します。
2006.06.21
|