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弘ちゃんは生きている(68)
神社の神主さんは、子供たちの手で水道を引く物語を書いて童話コンクールに出した。それが入選して、村の人は神主さんが童話とかいうものを書いていることを知った。川合先生も少しだけ感心して、梶野先生と一緒に桐久保さんの家で、その物語が放映されるのを観ていた。子供たちは越出あや子の家に集りテレビを観る。まるで自分達と同じような物語に感心して息もつかずに熱心に観ていた。村人たちは、物語のように弘たち子供が、やはり水道を自分達の手で引こうとしているのを始めて知った。子供たちに美味しい水を飲ましてやりたいとそう思った。桧牧区と自明区のいがみ合いは別として村人は子供たちと一緒になって穴を掘り、パイプを埋め、学校まで水を引きはじめた。学校まで引いた水は近くに貯水池をつくり、そこで各家の庭に在るシュロとウメちゃんのお父うが焼く炭とで、水をろ過してポンプで汲み上げ、運動場に水飲み場が作られ、ローカにも水道の蛇口は作られた。
水道が完成して、運動場の水飲み場を全校児童が囲んで、校長先生、梶野先生、隆、奥田君、炭谷君が水道栓を同時に開けるのを固ずを飲んで見守った。いっせいに栓が開けられ、ほとしばる水が陽に照らされて流れ落ちた。いっせいに流れ落ちる白い水しぶき。「ばんざ〜〜い」歓声がおこった。
ウメは後ろの方でその流れをじっと見詰めていた。
「弘ちゃん!」
元気良く澄んだほとしばる水に、ウメはこの水は弘ちゃんだと思った。
「みんな。この水は弘ちゃんやよ。忘れたらアカン。弘ちゃんは生きている。
この水のように生きて私らを見守ってくれてるんや。弘ちゃんをいつまでも忘れんと大切にしょうな」
ウメはさけんでいた。一瞬静かになった校庭に
「そうや。弘ちゃんや。弘ちゃんや。この水は弘ちゃんや。弘ちゃんは生きているんや」と大合唱になった。
☆☆☆
弘は神社の水を水道に引くことを、みんなでやる話が出てからは、毎日のように神社に行って、神主さんと親しくなっていた。そして「僕らのこともお話に書いて」と頼んでいた。神主さんはそれを作品に書いて、コンクールに出し入選したのだった。
弘はウメちゃんに言われたように、お母も大事にした。お母もその気遣いがやはり嬉しいのか、あまり弘を苛めることも少なくなっていた。弘のお父うも町へ出稼ぎに行き、お金を稼ぐことに精出しお酒を呑むのを忘れるようにした。美代もお母に甘えてばかりいないで、兄の弘に、色んなことを聞いたり教えてもらったりして弘を見直していた。弘は水道が完成することに夢をのせていた。みんなを励まし率先して動いた。
お母がいつもの体調がすぐれないとき、風邪をひき、夜になると苦しく咳き込む。弘は見かねて、「お母、薬を買ってきてやる」からと、暗い外へ自転車を飛ばした。
いつかもこうして、弘は夜に家を飛び出したことがあった。しかし今はあの時と違う。自分の悲しさで飛び出ているのではない。お母を助けてやりたい。心配そうな美代も安心させてやりたい。留守のお父の変わりに僕がみんなを守るんだと強く思った。空には生んでくれたお母のような星が、きらきらとそれを見守っていた。しかし、
その帰り道、弘は自転車ごと夜道を飛ばすダンプカーにはねとばされたのだ。
村の人々がつぎつぎ駆けつけ大騒ぎになった。神社の神主さんも夜中に雨戸を激しく叩かれ目を覚まし、駆けつけた。隆は夜道をひたすら走って、ウメの炭焼き小屋へ知らせた。暗い夜道を走りながら「弘ちゃんは死なへん。不老不死のテンダイウヤク飲んだやないか」「是対死なへん」叫び泣きながら走った。知らせを聞いてウメも走った。勝手知ったる山道だったが、何度も転げ、「弘ちゃん。弘ちゃん」叫びながら走った。
弘はお母の薬を握り締めたままもどってはこなかった。
梶野先生は、学童に弘の詩を書かせることで自分を慰めた。
炭谷君の詩 「ひろっちゃん」
ひろっちゃんが死んでからは
桧牧は急に
さびしくなった
ひろっちゃんがいて
けいきをつけてくれたら
桧牧の子どもたちも
もっともっと
げんきよくたのしく遊ぶのに。
奥田君の詩 「ノートの表紙」
弘っちゃんのそう式の時もらったノートを
今使っている
ノートの表紙には
みどりの木の中におおきな建物がある
青い空の下で
子供がベンチにこしかけ話している
そばでハトが豆を食べている
あんなところが日本にあるのだろうか
あったら一度行ってみたい気がする。
みんなは弘ちゃんが懸命になってくれた、いろんなことを思い出していた。
弘ちゃんの優しさや思いやりを、そしてあの頑張りをいつも思い出してやって行こうと思った。
ウメはお父がまた他所へ行ってみたいことを桐久保さんに話すと、こころ良く受け入れてくれたので、また「渡り」でお父と村を出ることにした。隆は泣きながら弘に貰った赤いユリの球根をウメにわけてやった。
神社の宮司さんもその後、村を去った。梶野先生も移動で学校を去った。残った校長と川合先生が「水道の水は大事に引き継いで守って行く」と言っていた。
弘の家では弘と入れ違いのように美代に弟が生まれた。
お母もお父も美代も、弘の生まれ変わりだと大喜びをした。
その村はどこにでもある静かな村だった。一度はいがみ合い権力争いもあったが、子供たたちの懸命さに教えられ、緑溢れる水のきれいな田舎だった。
☆☆☆
ウメは梶野先生から来た手紙をとりだした。「桐久保さんたちが働きかけ、昭和40年に厚生省の事業認可をうけ、昭和42年二月に町議会で上水道建設予算が議決され、スピード施工により、43年の9月に給水が開始されたこと。そしてその頃から村にも住宅団地の開発が進み、創設僅か五〜六年で既設給水能力が対応不可能となり、また、あらたに桧牧浄水場が作られ、54年9月に完成して、この20日の10時から式典が行われる」と書いてあった。「サイレンと共に水道の蛇口から新しい水が出ます。それはきっとあの桧牧の水飲場の水道の水が流れ出たときと同じ感慨だと思います。私はその時間に水道の蛇口を捻り、弘君を思い出します」
ウメは水道の前で待った「9、8,7,6,5,4,3,2,1、0」蛇口から、ほとしばって水が流しに落ちる。太いその白い水の線は、カーテン越しに入ってくる優しい光に虹色に染まっていた。遠く離れた桧牧区でも同じ様に光をあびて、今、水が流れ落ちたのだろう。「弘ちゃん。ありがとう」
水の不便なあのとき、弘と二人で水脈を探したこと。そして水の恩恵をうけ今の水道のお世話になる道しるべになったこと。
学校の水飲み場の水道は、水道の便利さや有り難味を村人にも感じさせ、全戸に水道が行き渡る発端になったのだと言う。
ウメは水をコップに受け飲んだ。元気で優しいかった弘ちゃんの味がするように思った。
☆☆☆
ウメちゃんはすっかりお婆さんに成っていた。
子供のころ遠い井戸から水運びをしたこと。おおきな瓶に入れてその水を保存したこと。小さい綺麗な小川で野菜を洗い、洗濯もしたこと。お茶碗を洗った御飯粒に魚がそれをつつきに来たこと。池の水も綺麗で鯉やタニシもいたこと。そうそう、水汲みは子供たちの仕事だったけど、水道が出来仕事が無くなった分「勉強しなさい」とすぐに言われるようになったけ。自分で運んだ風呂の水張りなら、そんな失敗はないのに、水道が勝手に風呂に水張りをしてくれるので、てっきり入っていると思い風呂を空焚きした人もあったなぁ。雪の日に水汲みが無いから霜焼けもあかぎれもなくなった。
水は人の生活をどんどん変えて行ったように思う。ウメは目をつぶって田舎の川や湧き水を思い描いた。
湧き水はいまペットボトルに入れて売られている。川面には映っていた合歓の木もなくなった。山の木がどんどん切られ水が生まれない。水不足がある。水が汚れている。
そしてだれの心にも水のあることが当たり前になってしまった。そしてあの学校もいまはもうない。
「弘ちゃんはいつでも生きている」ウメは水道を捻るたびにそう思う。水を大事にして、いつも弘ちゃんの笑顔を思い出せるようにしないといけないと思う。弘ちゃんに申し訳ないと思う。
「弘ちゃんは生きている」そう胸を張っておれるようにしなければと思う。
水を粗末にしたら、弘ちゃんに申し訳ないとウメは思う (完)
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