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♪ 峠三題
(1) 庭の宝物
毎年、赤く透明に輝くフユイチゴの実に雪の染まるのを、私は楽しみに待つ。
7キロばかりの通学路は、中学三年生になると、同級生たちは時間を惜しむように、徒歩から自転車通学になる。私だけがいつまでも徒歩通学だった。そんな私をみて担任の先生が、「オマエは歩いて、風や道端の花と話しながら来たらええ」と、自転車の買ってもらえない私を慰めてくれた。
みんなより1時間ばかり早く家を出る。ジュジャ峠で自転車のみんなが追いつき、自転車を押しながら私に話しかけてくる。しかし、下り坂になるや「お先に! 」と風のように軽やかに行ってしまう。銀輪の眩しさだけを残こして私はまた一人になる。峠の風が寂しく吹いていた。どんより曇った冬空に吐きかける溜息が白く渦巻いていた。
大雪の日、峠が通れなくなった。私は峠と平行して、木々に覆われている林道を見つけていた。一人ぽっちの歩き、そんな私がときには惨めになり、峠で話し掛けられるのが厭で見つけてあった林道だ。重なる木々が傘になり、雪も少なく歩くことが出来た。私はみんなを林道に案内して学校へ行った。途中、小さな兎の足跡や鳥の足跡があった。そして目にも鮮やかな透明の赤い実が、白い世界に光っていたのだ。「ザザザー」と木々が雪を落す。赤い実は揺れはしても埋もらなかった。それがフユイチゴだと知ったのは随分後だ。
同窓会に行くと「あのときのフユイチゴ綺麗やったね。あの時は、有難う」とみんなが私にいってくれる。
あの「時」とあの「白い峠」は、私を強くした。そんなことをいつも覚えていたいから私は一株のフユイチゴを庭に植えた。
雪虫が飛ぶ。明日あたり赤と白のダイモンドが私の心に灯るだろう。
NHK短文コンクール54「峠」入選作
(2)タクシーのおじさん
「下校時の児童を送るタクシー」の新聞記事をみた。子供たちが、理不尽な被害を蒙る物騒な世の中だ。契約しておくと、下校の子供を自宅までタクシーで送り届けてくれるサービスをタクシー会社が始めたらしい。
私の脳裏に「あの時」が浮かび上がった。
町から20キロばかり離れた寒村だった。中学校は自宅から7キロほど離れていた。
通学路に、ジュジャ峠がある。山を切り開いた峠だろうか、片側は一段高く雑木林が続き、もう一方は杉木立ちが並び、木々の隙間から渓流がチラチラ光っていた。昼でも薄暗く、渓流が岩に打ち砕く音が泣いているように、峠の上まで響いていた。そこをタクシーが時々通る。路線バスもあったが、通るのは日に二本ほどだ。村に来る人は、駅を降りるとタクシーに乗る。自家用車も珍しい時代だった。
お客を乗せて村に入ったタクシーは、帰りは空である。私たちはそれに目をつけたのだ。
セラー服姿の黄色い声で、五、六人が鞄をもつ手を上げて「乗せて〜」と空タクシーを追いかける。必ず止まってくれた。私たちは嬉々として乗り込む。峠からあと4キロほどの帰り道は、お抱え運転手で通学するお姫様気分でお喋りに花を咲かす。それが常習化されていた。
「今日はタクシー通らへんな」そんな時は、渓流の音だけが囁き、私たちのお喋りを消していた。
三年生になると一人二人と自転車通学になる。私一人だけ徒歩通学だった。
峠でタクシーに出会う。一人なので躊躇する。しかし、冬休み前の日暮れは早い。私は手を上げタクシを止めていた。
「乗せて〜」「一人だけか?」「うん。みんな自転車やねん」
運転手さんは、黙って車を発進させた。そして言ったのである
「このまま、どこかへ連れていこか?」
私の体は凍りついた。
「横着してタクシーに乗ってはいけなかった」「降ろして。降ろして」
声にはならなかった。ただ恐かった。空気もみんな凍てていた。
「アハハ。嘘や嘘や」運転者さんがミラー越しに、後ろで震えている私を見て大笑いする。
「会社の事務所で、ジュジャ峠で中学生が乗り込んでくるって有名やで」「先生は注意しゃらへんのか」「地元のタクシーだけが通るとはかぎらへんし、やめとき」
私はその後、中古の自転車を買ってもらい必死で乗る練習をした。「高校に合格するから買って」と先に合格祝いをもらったようなものである。なんども擦り傷を作りながら練習した。自転車ごと杉木立ちの谷へ転がり落ちたこともある。運良く同級生と、お兄さんが通りかかって引き上げてくれた。
あのとき、上手に練習が出来ていなかったのだろうか。私の自転車の乗り方は少し変だ。片足でバランスがとれない。でも格好が悪いだけで支障があるわけでもない。
格好の悪い私だか、いろんな人のお蔭でいま生存しているのだと思う。
(3)峠のお地蔵さま
遠くに琵琶湖が見える。ヨットも浮かぶ。手前に田んぼと集落が広がっている。あっ!公園が見える。神社も見える。その隣に見えるのは、美千代さんの家だ。峠から見下ろすパノラマに、だいたいあれは誰の家か分かる。知っている家をみつけると、「いま、何をしてるのかな?」と、峠道に並んでおられる、お地蔵さまに話し掛ける。
比叡山の山裾にある仰木地区の棚田は、山の上まで、水を運びあげるのが大変だった。小さい田には機械も入らない。村は高齢者が多くなる。そんなこんなで田んぼは区画整理をされ、幾何学模様を描く棚田になったのだ。その小さな田んぼの畦道には、たくさんのお地蔵さまがおられた。大きな石に涎かけを結んだだけのもの。目を細めたかわいいお顔をなさっているもの、分別臭いお顔の方と、いろいろだった。それが田んぼの整備どきに放り出され、一カ所に石の山のように集められ泣いておられた。村の年寄りたちが、思いついてこのお地蔵さんを峠の両脇に並べた。私もそれを手伝った。お地蔵さまを抱えて歩くなんて大変だったが、こうして並んでおられると、大昔からの親しい友達のように思え寂しくっても嬉しくっても、私は会い来るようになった。
何の変哲もない、知らない峠だったが、いまお地蔵さまに内緒話をしに来る。人の悪口を言いに来る。道で摘んできた花をあげる。お地蔵さまは「ありがとう」とも言わないし、悪口も黙って聞いているだけ。笑わせようと、懸命に考えたギャグを言っても笑わない。ただ黙っているだけ。(当たり前、石の地蔵さんだもの)でも私はしゃべりに来る。そして、悲しくって来たのに、嬉しくなって帰るのだ。
お地蔵さまは、峠を通る人や、話しかけてくる私たちを守って下さっている。私は今日も、一日の報告をしに行ってきた。何を報告したかはお地蔵さましか知らない。(随筆きょうと)
峠を越え、峠に見守られ、私は生きている。
2007.12.23
木村徳太郎の未発表の詩は別枠木村徳太郎(現在『伝書バト物語掲載』)に移動しました。ご愛読下さい。
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