来た道行く道通りゃんせ/風にのって花ひとひら

のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

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雪への手紙 寒葵

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雪への手紙(三)

 前略
 白い雪が積もりました。

 ハート型のシクラメンに似た葉が数枚覗いている。雪をかきわけていくと、壷形をした黒茶色の花がみえる。カンアオイだ。
 雪中に健気に咲いている。それは、白い歯の笑顔が、とても素敵だったナロンさんのようだ。私は暑い国を思い出した。
「日本人の色白は雪が降るからで、色白は賢い。雪のように日本人は純白で清潔だ」と本気でいう。私が「肌の色の違いは陽光によるもので、白い雪の世界も、雪焼けで色黒になる」といっても理解が出来ないようだった。

     たつきと コート預けて 未知の国 旅立つ鞄に 牡丹雪のる

 出発の朝、前が見えないほどの牡丹雪が舞っていた。バスがチエーンの音を響かせてきた。1998・01・26日は、大雪だった。
 駅を5つもいけば、雪のないことは分かっているが、私はキヤリーバッグに長靴、分厚いコート姿で、チェーンの響くバスに乗った。

 空港に雪の雫を落とすように、コート、長靴を預け半袖になった。初めての海外旅行である。娘が「泳げるようになったらハワイに連れて行ってやる」といっていた。それは、半世紀も泳げない私に、「まさか泳げるようになることはない」とたかをくくって言ったのであろう。
夫が早期退職者の対象になった。以後の生活不安もあったが、私と娘に海外旅行を勧めてくれた。娘が「ハワイより、泳ぐならプーケットが良い」と計画をたててくれた。
 学生時代に割引搭乗券(スカイメイト)を使い、飛行機に乗った。眼下に雲があり、雪を持つ富士山の頭が覗いているのに大感激をした。あれ以来飛行機には乗っていない。不安と緊張の搭乗だった。
 約6時間でバンコクのドムアン空港に着く。2時間の時差だ。そこから玩具のような飛行機に乗り換え、プーケットまでの1時間半は、ますます不安だった。
プーケット空港は、リゾートを楽しむ外人たちで溢れている。私も機内でタンクトップに着替えていた。解放感が広がって行く。
 現地係員のナロンさんが、大きな名札を掲げて待っていてくれた。色の黒いナロンさんや椰子の木、頬を打つ暑い風は、異国にきた思いを大きくする。数時間前の牡丹雪をぬけてきたのが不思議だった。
 島は、日本の中古車とトゥクトゥク(三輪タクシー)で溢れている。全て屋根が無い。ガタガタの道を、人をむきだしにして車とバイクが流れる。私は髪をなびかせ、暑い空気を切取るように走るオープンカー(軽トラック)に、映画のワンシーンの中に入っているような錯覚を覚えた。
 白亜のモダンなホテル。プーケット・アルカディア・ホテルに着く。ナロンさんが、明日のオプショナル・ツァーの案内をする。私は端正な顔立ちと、白い歯の笑顔がとても魅力的なナロンさんに、あれもこれもと申し込み、娘に「泳ぎにきたんやろ。そんなにあっちこっちへ行かんでもええ」と叱られた。午前中はビーチで泳ぎ、午後は島内観光とショッピング。タイ古典舞踊とタイ料理。そして映画「007」のロケ地のパンガー湾をめぐり、プロンテプ岬で雄大なサンセットを眺めることにした。私はそれ以上に、象にも乗りたい、カヌーにも乗りたいと言って娘をますます怒らせ、欲しい玩具をねだる子供を叱りつける母親のように、そのときから私と娘は、完全に立場が入れ替わった。
 ビーチでは半身ヌードの白人女性。なぜか大きな扇子を持って民族柄のサリーを売りに来る現地人。私たちを「ジャパニーズ」と珍しそうに囁く金髪の男女。人は少なく、広がる白い砂の一部にとけこみそうだった。
 私はクロールで、ゆっくり手足を伸ばす。底の白い砂地まで透き通って見える。陽を通して私の影が映って揺れている。色鮮やかな魚が一緒に泳いでいる。プールでしか泳いだことのない私には、夢の世界だった。すっかり異空間と異時間を満喫していた。そして売りに来るサリーが欲しい。金髪女性が、毛髪を細かく編みこみ、結い上げてもらうのを見ると、私もやりたい。ビーチに広がる珍しい花を摘み取り持ち帰りたい。・・・・・・・
娘がまた怒る。「植物を日本に持ち帰るのは生物分布を乱すことになる」「背の低いお母さんにサリーなど似合うわけがない」「その短い毛を編み込んだら、奈良の大仏さんや」。腹が立つがもっともだともいえた。
 二日目は一日目の疲れが残っていたので、ホテルで終日過ごすことにした。私はビーチに出て魚と戯れ、背泳ぎで青い空に染まり、覚えたてのバタフライをやる。魚たちが怪魚の出現と、散りじりに逃げていく。私は得意になっていた。水からあがり日光浴をする。乾燥した風は心地よく、暑さを忘れ眠くなる。お腹がすくとホテルのレストランに行き、パイナップル、ドリアン、マンゴーなどフルーツをいっぱい食べる。水着のまま庭を散策する。ブーゲンビリア、ハイピスカスが溢れ咲いていた。ホテルの屋上からは、小島群が一望だ。息をのむような雄大な眺望が広がっている。アンダマン海の真珠と讃えられるプケート島の波が、エメラルド色の海原に真珠のように転げていた。太陽の楽園だ。
目一杯楽しもうとする主婦の習性が働くのか、私は一日貪欲にビーチで過ごした。
 夜中に凄い震えが襲ってきた。歯までガチガチとなる。全身が焼けどを負ったように真っ赤だ。恐ろしく、不安が震えをよけいに大きくする。布に触れる体は飛び上がるほど痛い。娘が恐い顔をしてバスに水を張る「水風呂に朝まで浸かっとき。限度をわきまえない主婦はこれだから困る」と、目をつりあげている。私は朝まで水風呂に座っていた。
 翌朝、顔から足の先まで真っ赤な私をみんなが見ているようで恥ずかしかった。人々は胸で手を合わせ腰を落すタイ式の挨拶をする。なんだか複雑な気がした。娘は離れて近寄ってこない。口までひりひりし、ジュースばかり飲んでいた。ナロンさんが私の顔をみて、あっけに取られている。「白い雪降る国の人間は、賢いどころか馬鹿だ」と思われたようで、雪のように溶けてしまいたかった。
 バンコク市内をナロンさんの案内でまわる。アユタヤ遺跡、バンパイン宮殿、サイモンショーもみる。美しい踊子の全てが男性だという。ナロンさんはじめ、タイ国の男性はみな綺麗だ。ローズガーデンで食事をする。ナロンさんは外で待っているという。私は一緒に食事を誘うが断わられた。何度も誘う私に、娘が日焼けでひりひりする痛い腕を抓る。私は悲しくなっていた。豪華な料理を私たちは食べているが、現地の人たちはこんな場所で豪華な食事をすることもなく、貧しい生活をしているのではないだろうか。空港でみた貧しい格好の人たちを思い出していた。
 次の日ナロンさんと別れ、シンガポールに飛んだ。握手するナロンさんの手は茶黒かった。私の手も負けないほど茶赤になっていた。
 シンガポールの空港に、私たちを待っているはずの係員がいない。夜になって人影が少なくなっても、誰もこない。私は娘の顔をチラチラと見る。一言でも喋るとまた怒られそうで、ナロンさんと握手した手を黙ってさすっていた。娘が席を立つ。置いてきぼりにされるのではないかと、泣きそうになる。
戻ってきた娘が「電話をかけてきた。もう直ぐ迎えに来るから辛抱し」と諭すようにいう。ツアーの現地事務所に電話をしてくれたのだ。
それから、2時間ほど待っただろうか、中国系の係員がやっと来た。彼はしきりに「事故に出あったので来るのが遅くなった」という。それならそれで連絡の仕様はあるだろうにと腹が立つ。
宿泊するラッフルズ・ホテルに着くと、玄関のベルボーイが私の顔をみて、酒をあおる真似をする。私の真っ赤な顔をみて、酒で赤くなっていると思ったらしい。私は衣類が触れると痛いので、プーケットで、布に紐をつけただけのような服を購入して纏(まと)っていた。きっと身持ちの悪い女と思ったのだろう。
私は疲れも増し、不愉快だった。係員が「お詫びにコーヒーを、ルームサービスしました」という。私は礼もいわず不貞腐れていた。
コヒーも飲まずにベッドに入った。コヒーを飲んでいる娘に、「ようそんなもん飲めるな」と怒鳴っていた。娘はすました顔で、横を向いて飲んでいる。よく旅行中に同行者と気まずくなると聞くが、私と娘も険悪な状態になっていた。
 翌朝からは、他のツアー客と合流し団体旅行になる。マイクロバスが、ホテルを順番に回ってツアー客を乗せて行くのだが、若い女性グループが時間を守らない、騒ぐ、と行儀が悪い。「雪降る国の乙女だろうに」と睨んでみるが、私は真っ赤な顔の変なおばさんでしかないのだろう。
 マー・ライオン、博物館、植物園、水上マーケットを廻る。ショッピングでは、店員がついて廻るのにも辟易した。チャイナタウンで、チャイニーズ・ニュウーイヤー(陰暦の新年)を迎え、竜が音楽に乗って練り歩く。舞踊が始まる。それを娘と花輪にもたれて見ていた。ふと横を見ると娘がいない。
後ろへ、花輪ごとずりさがっているのだ。居眠りをしていた。私の守役に疲れてしまったのだろうか。父親から、「お母さんを見てやって欲しい」といわれていた。私は、お金を出しているのはこっちだと、傲慢に思っていたのだがなんだか申し訳なく思えてきた。

 関空へ帰ってくると、珍しく大きな牡丹雪が舞っていた。手のひらの上で直ぐに溶けてしまう。過ごした時間が、夢のように消えて行くようだった。まるで冷凍庫の中のようだ。急いでコートを受け取り羽織るが、私はまたガタガタ震えはじめた。今度はあまりの寒さに震えるのだ。
家につくとあたり一面、白い世界だった。私は風邪を引き、3日間寝込んでしまった。
 娘が、「もうお母さんとなんか、旅行に行くのはこりごりや」と、捨台詞を残して下宿先に戻っていった。
そしてまた、たつき(日常)がもどった。

「雪が降るから色が白く、賢い」といったナロンさん。地球温暖化のせいか、雪が少なくなりました。そして人も季節も、なんだかのっぺらぼうになったように思います。ナロンさんの国はどうでしょうか。
雪がちらついてきました。
8時間向こうの地球(プーケット)では、今、ブーゲンビリアが咲き乱れているのでしょうね。なんだか地球が愛しくなりました。
草々


木村徳太郎の作品(童話、論評、随想)を別頁「木村徳太郎=現在『伝書バト物語』『児童文学者の目より見たる』」に掲載しています。ご愛読下さい。 


 地球の皺     木村徳太郎 詩集「馬鈴薯の澱粉」より
     
          平野と山の 高低(たかひく)は

          どうして地球に あるんだろ


          <冬に林檎(りんご)が 干(ひ)からびて

           縮(ちゞ)むと皺が 出来るだろ>

          <地殻(ちがら)が冷えて そのやうに

           地球も皺が 出来たんだ>


          平野と山の 高低は

          地球の皺だよ 愉快だな。

2008.02.09

木村徳太郎

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伝書バト物語(16)マウスを画像上に乗せてください。拡大します。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 
今日の教育界への提案
【 日曜 夕刊 】 昭和四十一年10月十六日発行  28号


児童文学者の目より見たる    木村徳太郎
  日教組の倫理綱領の影響
(エ)“でも先生”の言行為
 学校から帰って来た娘が、「天皇は、国民の税金で毎日贅沢なご馳走を食って、なにもせずに遊んで暮らしている。国民の寄生虫のようなものだ」と、F先生が話されたという。
 日教組の論理綱領の階級史観で、天皇さまを支配者か権力者のように思い、幼い生徒たちの頭に憎悪心をたたき込もうとするために、そのように言うのか。それとも戦後のアプレ感覚で、深く考えもせずに言うのか。よくもぬけぬけと、社会科の時間に教室で生徒を前にしてこんなことを放言出来たものと、あきれるより悲しみで目の前が暗くなる。
 放言したF先生にまたしても逢わねばなるまい。
 電話で聞くと、今夜は宿直だと言う。夕飯もそこそこに、早速と学校にかけつけた。 
「また、嫌な敵がやってきた」と言わぬばかりに、こちらの挨拶も受けず顔をゆがめて、憎々しげに私を見つめているF先生。幸いB先生もいた。
 B先生は、この学校へ来て八年になる。B先生だけが日教組的でなく、村人にも信頼されている。
「また、難しい話でしょうか」
私に険悪なものを感じられたのだろうか、冗談のように愛想を言って椅子を持って来られた。B先生とストーブを間に、F先生とさし向う。
「天皇さまは、現憲法でも国民の象徴で、日本人の精神的和合の頂点にあらせられる。我々日本人は、祖先から尊びお慕い申し上げてきた。天皇さまは、日夜、国民のなりわいを思われ、国事と言う大切な事を処理され、日々勤め励んでいらっしゃる。君が言う如く、遊んではおられぬ。国民の税金と言うが、君も国民の税金で月給を貰っているのではないか。天皇さまと蛆虫の如き君と比較して話すのも恐れ多いこと事だが、天皇さまは君の仕事よりも何百倍もの重大なお仕事をしていらっしゃる。故に、天皇さまの月給が、君の月給よりも何百倍であっても、なんら言うべき筋合いがない」
 唯物史観で、全てを割り切ろうとする先生に、唯神面から話してやっても解かりそうにない。単刀直入に唯物的な解釈で話してやった。
「それを寄生虫とは何たる事か。教科になんら関係のない事を、君は日本人として、社会科の時間に生徒の前で、なにを根拠にさような事を話すのか。とくと理解の出来るように、弁明されたい」
娘が教えを受ける先生だけに、かような話を聞けば、私の気性としてそれこそ殴りつけただろうが、私は腹をおさえた。
 顔を伏せて答えないF先生。口はばったくそんなことを言っておきながら、それに答えようとしない卑屈な態度。私はいらいらとしてきた。
「どうして、答えないのか」。怒気のはげしい大声に、答えざるを得なくなったのか、
「そんなにはっきりいいません。H先生が言ったのでしょう」
答えをさけるように、他の先生の名前をだした。
「娘が言ったのは、H先生じゃない。H先生も言っているのなら、改めて逢う。今は君にたずねているのだ。君から解決しようじゃないか」
「すいません」
 常日頃、必要以上に高圧的な言葉で放言するF先生に似合わず、おどおどとした様子で蚊のなくような声でぽつんと詫びる。
父兄の知らないあいだに、学童の純な心を一方に偏したある思想にぬりこめてしまう。詫びられても、許しておけるようなものでない。
 これは有識者に話して、善悪のけじめをつけてもらいたい放言だ。だが、そこまでF先生と、ぎりぎりの対決をすることもあるまい。反省してもらえばそれにこしたこともなかろう。
 本人に、直接あたればよいとやって来た私に、素直な様子でないにしろ、放言を詫びる先生。その時、仲に入られたB先生が、たまりかねたように、
「私もあまりな言葉と思います。常日ごろの木村さんのお考えと気性から申して、許し難いことと来られたのでしょう。私からもよく話しますから、今日はお帰りくださいませんか」
怒りに燃えた私をなだめておっしゃる。許し難い気持は消えないが、放言だけは確めたと同時に、先生の考えの浅はかさにいたたまれぬ悲しみを胸にいだき、一応B先生の言葉にしたがったのである。
 F先生よ。そのまま何事も起さずに帰ったが、君の言った放言だけは覚えておいて欲しい。僕はかって、君たち先生を「敵」といったことはない。それなのに君は絶えず「敵」という言葉をつかって、僕のことを人々に噂話しているということを教えてくれた友人がある。
 日教組倫理からみると、僕は確かに敵に違いなかろう。だが、極端な放言をして、村の学童、いや日本中の学童を迷わさないでほしいと思うから、君たちの憎悪に甘んじ、そして、敵となって戦っているのだ。全学連のような逸脱した行動にでるような、馬鹿な人間にだけは育てないでほしい。
 F先生よ。僕の心はおだやかでない。その記録だけは残しておく(つづく)

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