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♪ 六月の雫 ジューンドロップ
紫陽花が薄い藍色になると、保護色に隠れるように濃い緑の葉へ、小さな雨蛙がやってくる。
紫陽花は、中心の小さい粒々が花だ。薄藍色の花粒が、雫のように雨蛙に落ちて行く。
六月六日生れで5歳違いの姉がいた。藍子という名前だった。
私たち姉妹は、紫陽花の咲く庭でよく小さい雨蛙を追いかけて遊んだ。雨蛙を捕まえては、空瓶に入れていくのだ。細かい雨脚に雨蛙が跳ねる。それを真似て私たちも跳ね追いかける。紫陽花の花粒も、雨脚のようにこぼれていた。
蛙を捕まえた瓶が一杯になればもう飽きてしまい、放ったらかしにして別のことに関心の行く私と異なり、姉は私が捕まえた雨蛙も後で放っていた。
あのとき姉はどんな気持で蛙を放っていたのだろ。
「お母さんの所へ帰りなさいね」、と言っていたのだろうか。5歳で姉は母と別れた。私は生まれて直ぐで母の記憶はない。姉から一度も母のことを聞いたことはない。しかし5歳児が「母を失う」ということは、どんなに辛いことだったろうと思う。
姉は、私の教育係でもあった。「『お母さんのいない子はやっぱりだらしない、汚い』といわれんようにせなあかんで」と、下着の洗濯をよく手伝ってくれた。石鹸の匂いがたちのぼる。姉は石鹸の匂いが好きという。それは母の匂いでもあったのだろうか。
父が神社を退職し、私たちは紫陽花の植わる小さな家に暮らした。
姉は五月の連休に友達と登山に出かけ、風邪を引いて帰って来、風邪が一向に治らず喘息の発作を起した。苦しそうに咳き込んでばかりいた。その苦しげな咳き声が薄藍色の紫陽花を震わせていた。
そして、あっけなく昭和三十八年九月十五日に亡くなってしまった。
「どうして、こんなことになったのか」。父と私は悲嘆にくれた。
「もし女親がいれば、もっと手厚く看病出来たのでは」「母なら、もっと子どもの心を理解出来たのでは」「あれもこれも全て父が悪い」「姉はきっと、自分の人生を恨んで亡くなっただろう」と私は父を責めた。
そして、父はだんだん人が変わっていった。
しかし、たまに臨時収入があると、私を食事に誘ってくれる。
レストランのテーブルに、紫陽花が重たく溢れんばかりに活けられていた。私たちは黙ってそれを眺めている。私はそのころ推理小説に凝っていて、「紫陽花の花が土質によって花色を変えることから犯行現場に死体が埋まっていることを暴く」そんな小説の中に「紫陽花の匂いは死人の匂い」と書かれていたのを思い出した。そういえば、紫陽花に鋏を入れるき、普段匂わない独特の匂いが微かにする。姉が死んだあのときにも、ふと漂った匂いは死人の匂いだったのかもしれない。私は単純に紫陽花の匂いを死人の匂いと決めつけた。しかし父はそんなことを知るはずもない。ただ紫陽花をじっと眺めている。そんな父の姿が、なぜだか腹立たしくなってきた。私は、「飲食店に死人の匂いのする紫陽花は似合わないよね」と生意気に言う。「死人の匂い?」父は紫陽花に鼻を近づけた。そして矢庭に、「食べ物を提供する所に、死人(しびと)の匂いのする紫陽花を活けるのはどういうことだ」と店にくってかかったのだ。姉を亡くしてからの父は、私の言動に何事にも歩調を合わせる。私はそれが厭で腹立たしくて仕方がなかった。それが何事も知ったかぶりの生意気な口調になり厭味を言い、父をからかう意地の悪い性根が生まれていた。しかし、まさか父が店にいうとは思わなかった。私たちは店を退去させられた。自分の厭な性根を別にして、店を追い出されたことが恥かしく父のせいにした。
そして、父と私の距離はますます遠くなっていったのだ。
薄藍色の花雫がおちていく。私の目からも涙がこぼれていく。
雨蛙は姉が田んぼに放った蛙の子孫が、遊びに来てくれているのだろう。
「ジューンドロップ」は果樹の生理落果をいう。たくさん成り過ぎた花や実を自らが落すことである。私には、紫陽花の小さい花粒が「ジューンドロップ」(六月の雫)の涙粒にもみえてくる。
父は平成八年に眠った。姉と共に眠っている。私は墓地を決める時、紫陽花がいっぱいに咲く場所を選んだ。
墓地の紫陽花が日毎に色を重ねていく。父と姉はそれを眺めていてくれることだろう。
「ジューンドロップ」何を捨て何を残すのか。
私は二人から、多くの事を残してもらった。
ジューンドロップのように、私自身も、取捨選択の思考錯誤を重ねながら、今を生きている。
あじさゐに涙の色も加わりし
2008.06.27
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靴音 木村徳太郎
お日様が
お舗道(みち)に消えた
ビルのお舗道(みち)は
静かな谷間。
こつこつと
お舗道(みち)を歩む
お靴の音に
お羽がはえた。
靴音は
お空にのぼり
一つ一つが
お星さまになる。
この谷間
こつこついけば
いくつも星が
ぽつぽつふえた。
人形 木村徳太郎
月光(つきかげ)が
人形に着物を着せる
人形はにらむ
黒いいおめゝで。
人形は話す
夢のお話を。
人形は笑ふ
お口をあけて。
月光が
消えれば人形は死んだ。
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