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タカサゴユリとウバユリ
♪ 種の旅 (たねのたび)
高層マンションのベランダに渡ってくる風は色をつけるとしたら淡いグレーであろうか。我が家の庭に渡ってくる風は緑かな? そんなことを思いながら、象の玩具のジョウロから勢いよく水を放つ。象の鼻から、小さい水滴(みずしずく)が真珠玉を繋げたように、幾筋も弧を描いていく。
ベランダには、「公園で拾った種なんだよ。番号がついていないから、僕が持って帰ったんだ」と、孫が拾って鉢に埋めたものが芽を出している。「番号がついていない」と顔を輝かせて語る孫に、私は宮沢賢治の世界を思った。ベランダに「ポラーノ」の緑の風がグレーの風に交じって流れて行く。母親は「柿の種で誰かが食べ散らかした後の産物」と言うが、それをポケットに忍ばせ、ワクワクしながら持ち帰えった少年の姿が愛しい。その横に、夏休みの観察日記の朝顔が並んでいる。(私の子供のころにもこれはあった。)起きぬけに挨拶する赤や青色の「自分の朝顔」は、夏の休みを一番に感じさせてくれた。昼寝あとの日差しの中で、花は色水遊びに使われ花色に染まり、服を濡らして遊んだことなどが弧を描く水滴に、陽炎が重なるように昇って行く。
青いプラスチックの鉢とプラスチックの支柱の中で、朝顔は咲いている。この青い鉢は、私の近所の小学校の校庭にも並べられていた。どこの小学校でも夏休みには朝顔観察の学習がなされているのだろうか。(いつ頃から、この夏休みの朝顔観察は始まっているのだろう)そんなことに思いを巡らしていて水やりの手が止まったのか、不審に思った孫が、「婆ちゃん! 朝顔の種が欲しかったらあげるよ」と大きく言う。朝顔は、セピア色に何粒かは蔓に抱かれている。薄皮をめくると黒い種が出てくる。採集した種は、夏休み後に回収され来年の一年生の朝顔観察に使われるそうだ。その数粒を孫は私にも分けてくれると言う。私は大喜びだ。と言うのも、我が家にも朝顔は咲いているが、ここ数年種を蒔いた事がない。手を加えずそのまま放っておけば、零れ種で毎夏花を咲かせてくれる。しかし、それは元の赤色や水色を忘れ白色ばかりになっていた。自家栽培を繰り返すと、花は先祖帰りをするのか白色に戻ってしまうようだ。
夏の早起きは、露の含んだ露草のような一瞬の匂いがする。白い朝顔の上にもそれがあった。私は種を蒔かないだけではなく、横着を重ね添木もしていない。朝顔は頼る物がなく地面をはうように蔓をのばし広がっていた。広がった白い朝顔は、朝露に濡れた足元を、まるで白雲のように包んでくれた。しかし、これは私が庭の手入れを怠たっている証でもあり、後ろめたい気もしていた。孫の朝顔は涼しげな紫紺色と赤紅色だ。来年は我が家の白色の中に、この色が加わる。嬉しいことだ。私は間違いなく来年は朝顔の世話をすることだろう。
夏空と秋空が行き会う。
太陽と競うように咲いていた夏の花が、九月に入ると枯れ急ぐ。私は、アオバナの種を配ける約束を、していたことを思い出した。新聞の「読者投稿欄」にアオバナのことを書いたことがある。そのとき何人かの人が、私の住所を頼りに電話をしてきたり、投稿欄の係りを通じて種を所望してきたのだ。アオバナはツユクサを大きくしたような花で、青いフリルを寄せて夏の雫を思わせるように朝露と競う。しかし、これも零れ種になって庭に増えていったものだ。青い露の零れを見てはいても、どんな種かは知らなかった。種を採集してみた。朝顔のように黒い小粒の堅い種だ。こんな堅い種から、薄く儚げなげな雫の花が咲いていたのだ。種に秘められた深いエネルギーと神秘さをみる思いだった。アオバナとの繋がりも神秘さを乗せ、知らない送り先で青色の雫の夢を咲かせるのだろう。
夏と秋の行き会う少し紫色がかった空気の中を、こうして数々の種が旅に出る。来年へと夢を乗せて旅に出る。人の衣服に忍び込み相乗りをして旅にでる種。足元に零れ「近安旅行」をする種。花嫁のベールのように軽やかに嫁ぐ種。(高砂から嫁いできたタカサゴユリ)年老いて、身軽になった我が身を楽しむような種もある。(姥と言う名のウバユリ)種の旅ラッシュが始まりだした。
私はどんな旅をしようか。やはりウバユリの旅だろうか。植物学の牧野富太郎博士が、花の咲くころに葉がないことから「手塩にかけて育てた児どもが成人した頃には、母親はもう歯のぬけた姥なのにたとえられ、この名がついた」と書いておられる。なんとなく我が身につまされる。しかし、これは懸命に幼君を育てた一徹な乳母のようにも思える。派手さのない白い花を咲かせ、謙虚なふくよかな匂い。好きな乳母(ウバ)の花である。
http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/35147737.html(花の姿)
この花の極め付きは「死骸にすら独特の美」と言わせる、すらりと気高く立つ秋色の中の枯れ姿であろう。沢山の種(子供)を育てあげ軽やかに消えゆく潔い姿であろう。
ウバユリの枯れ姿を見つけると、私はいつも持ち帰り活け花にする。気が付いた時には、種はもぬけの殻になっている。あちらこちらに、夢を運んでいったのであろう。
いろんな種が稔る季節になった。種は次世代への夢をのせる。朝顔の種もアオバナの種も花野の種も、来年へと、とりどりに夢を運んで行くのであろう。
彩なす花野から静かに旅立ち、秋虫のオーケストラと柔かい白露に迎えられ、種は今ごろどこかで旅の疲れを癒しているだろう。
花野の歌が聞こえる。種の歌が聞こえる。九月の歌が聞こえる。
土にこぼれし 草の実の
芽生えて 伸びて 麗(うるわ)しく
春秋飾る 花見れば
神の恵みの 尊しや
(昭和23年に神社本庁で作られたお歌で、祭祀舞のなかの一曲で「乙女舞」とも言います)
姥の種花野彩より旅立ちて月の満ち欠けともなる命
2008.09.14(十五夜)
秋と婆さま 木村徳太郎
くるくる
落ち葉の
糸車。
秋の婆さま
まはしてござる。
もうすぐ
時雨で
寒うなる。
はよはよ紡げ
ぶんぶんと。
落葉の糸屑
糸車
秋の婆さま
まはしてござる。
十五夜 木村徳太郎
うさぎ うさぎ
ロケット かせよ
十五夜の晩だ。
__月の御殿に
行きたいからなぁ。
うさぎ うさぎ
銀の杵 かせよ
十五夜の晩だ。
__たらふく団子
くひたいからなぁ。
うさぎ うさぎ
ロケット かせよ
十五夜の晩だ。
__子供でみんな
行きたいからなぁ。
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