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♪ お萩おはぎのお爺さん
「自分史を書く講座」で、出会ったお爺さんの話です。
体験発表をするお爺さんは、自分が話していることに感極まったのか、声を詰らせて話が前へ進まない。私はハラハラして「頑張れ、頑張れ」と心の中で応援する。無事に話し終えられたときにはほっとして、思わず「良いお話でしたね」と、お爺さんの手を握っていた。すると、お爺さんはまた泣き出して、「綺麗な人やね」と言われる。
「綺麗?」。それは見当違いであるが、私はすっかり嬉しくなり、そのときからお爺さんの大ファンになってしまった。私より三十歳近い年長で、父親のようだと言うべきなのだが、小柄で少し腰の曲がりかけている容姿は、私を孫のような思いにさせる。
お爺さんは元特攻隊員で、生き残っていることに負い目を感じておられ、残った者の使命とばかりに愚痴を言わず、奉仕の精神で何事にも一生懸命に尽される。私はその姿に尊敬と同時に驚きの念を強くした。
講座の作品展があり、お爺さんは会場の留守番役をしておられた。行楽シーズン前の彼岸の中日は、京都の町を人々で溢れさせ、会場のある五条通りは大混雑で、私は何台もバスを見送らねばならなかった。
お爺さんと約束をしていた時間が、大幅に遅れた。遅刻はお爺さんの昼からの予定を狂わせることを知っていたので、恐る恐る会場に足を入れると、
「えらい日に来てもろうて堪忍な」と逆に謝られ、「あんたになぁ、お萩を食べてもらおう思うて持って来てるんえ」と、美味しそうなお萩をお皿に出して下さった。お爺さんは古くからの和菓子屋さんで、本人の手作りのお萩だった。
会場は他に訪れる人も無く、一筋離れた五条坂の喧騒が嘘のように静かだった。優しい秋の日差しが薄絹のように部屋に入り込み、皿の上のお萩を柔らかく包んでいた。
和菓子屋を始めたころの苦労話を、お爺さんがポツポツと話される。なんだか秋日和の縁側で、金木犀の匂いに包まれて聞いている昔話のように、心が和んできた。お萩はお爺さんそのままの優しい味がした。故郷を思い出させるような味がした。どこかでこんな時間があったように思えた。
そうだ!この味と同じお萩を食べたことがあった。
都会から田舎の神社に赴任した神官の父と村の人は意見が合わず、よく反目していた。そんなとき、いつも父を擁護して下さる奥村のお爺ちゃんがいた。お爺ちゃんは、父の薄給では「満足なもの」を、母親がいないので「手料理」を食べることがないだろうと、父の後ろに隠れるように着いて歩く私に、いつもご馳走を出して下さった。その中に里芋入りのお萩があった。ホコホコの里芋とねっとりした糯米(もちごめ)が混じり合い、そこに甘い粒々の小豆の餡子が絡まり、それは美味しかった。
私は、それを幾つも幾つも食べて父に叱られた。「どうして里芋が入っているか分かるか」、と父が聞く。「うん、美味しいからや。もう頬っぺたが落ちてしもうた」と答える私に、「違う。糯米は大事な貴重品や。それを補うために里芋で量を増やしているんや」と父が言う。私はあのとき、きっと奥村のお爺ちゃんの分まで食べていたのだろう。お爺ちゃんの所よりもっとお金持ちの家は沢山あった。もしかして、お爺ちゃんの所のお萩だけに里芋が入っていたのかもしれない。
私も時々お萩を作る。懐かしくなって里芋を入れることもあるが上手に出来ない。舌が味を覚えている筈なのに、同じ味には作れない。きっと、味覚は味付けだけではなく、その時の情景、雰囲気、気持ちなど総てを含んで作られているものだからかも知れない。
お爺さんが展示作品を背にして、ニコニコと私の食べるのを見ておられる。自分の孫のように優しくして下さった、あの奥村のお爺ちゃんと重なった。
お爺さんは、「苦労しても、嘘はついたらアカンよ。真面目が一番。いつもお天道さんが見たはるから」と、自分の今までの苦労話に重ねて言われる。そうだ。昔、奥村のお爺ちゃんもそう言っていた。「嬢ちゃん、大丈夫。 お天道さんが見たはるから」と…。
私は零れそうになる涙を飲み込んだ。孫のように「うんうん」頷いた。甘塩辛い味が、涙と一緒に喉を通って行った。
私は、あの優しい奥村のお爺ちゃんや目の前にいるお爺さんやいろんな人に見守られ、そして、お天道さんに見守られて、真っ直ぐに生きてこられたのだろう。
萩の花が咲いている。花びらがハラハラと零れ落ちる。「お天道さんが見てはる」「真面目が一番」。死語になったような言葉が、私の胸の中にもハラハラと、萩の花のように落ちていった。
萩の花散り零れゆき想い咲く
2008.09.20
よい月夜 木村徳太郎
こんな月夜の
藁砧
とととん とんと
誰が打つやら 叩くやら。
月もまるうて
嬉しゆうて
渡る雁めも
啣へ木で、
お叩きなされ
白銀の月
冴えた音色が
致しませう。
こんな月夜の
藁砧
とととん とんと
誰が打つやら 叩くやら。
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