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橿原神宮は懐かしい所です。夏は林間学校に寄せていただきました。その時の写真(父、姉、私)が出てきました。
背高泡立草 の 花言葉
橿原神宮に勤務する父の夜食用弁当が出来上がると、祖母がそれを木綿風呂敷に包む。小学校六年生の姉と一年生の私とで宿直の父に弁当を届けるのだ。行きはぎっしり詰まった重たいお弁当で姉が持ち、帰りは前日の軽い空弁当を私が持つと決まっていた。
橿原神宮の敷き詰められた玉砂利の上を、私はわざとガサガサと音を立てて歩く。清々しい境内の敬虔(けいけん)な空気に緊張すると、逆にスキップを踏みたくなるのだ。がさつな私は、時々拝殿に上がって行き学校で習ったお遊戯のおさらいなどもした。そんな私を咎めないで、優しい禰宜(ねぎ)さんが「今度、みんなにも観せたげて」と笑って許して下さった。父の白袴とは違う紫色や水色袴の人に行き交うと「良い子やねぇ」と頭を撫でて下さった。参道へ続く店屋の小母さんたちも「賢いわねぇ〜」と声を掛けてくれる。今、思えばあれは父がみんなに好かれていたからではないだろうか。
職員の詰め所に行くと、父が「ごくろうさん」と笑顔で出迎えてお茶を入れ昨夜の話をしてくれる。闇夜に狐に憑かれたように境内をグルグルと回り、出口が分からなくなった人のこと、森の奥から聞える妖しげな動物の声。そして、昨夜差し入れのあったお菓子の里の遠い町の話などは何度聞いても面白かった。また、神社に侵入した泥棒を捕まえて新聞記事にもなった武勇伝は、まるで物語の世界に入っているようで、楽しく時間を忘れさせてくれた。
帰りには、珍しいお菓子をポケットに入れてくれ「お祖母ちゃんに『ごちそうさま』と言うといてや」と、鳥居まで送ってくれる。
その日、帰りの弁当箱を持つ役は私なのに、姉は持たせてくれなかった。「かー子が持つ」「いいから」と電車の中で押し問答が始まった。いつまでもうるさく言う私に、姉が根負けして空弁当箱の包みを渡そうとしたとき、車窓に黄色の花畑が広がった。私は驚いてそっちに気を取られ、弁当箱を受け取り損ねた。風呂敷包みがほどけ、弁当箱がカランコロンと転がってアルマイトの箱が剥き出しになった。
姉も私も慌てた。姉は真っ赤になって、電車の振動に揺られながら蓋と器が別々になった弁当箱を追い駆け、拾うなり風呂敷に無造作に包み急いで車両の前方へ行ってしまった。
それからはいくら話し掛けても姉は私を睨みつけ、黙ったままで家に帰っても口を利いてくれない。「もう、かー子となんか一緒に行かへん。これからは私一人で届けに行く」と、祖母に言っている。
私は「弁当届け日」が大好きだった。それが出来なくなるなんて大事件だ。
「窓に見えた花に気を取られたんや。今度からはちゃんと言うことを聞くし」と、いくら謝っても許してもらえない。「そんなお花畑なんか、あらへんだわ」「嘘ばっかりついて、大嫌いや」とまで言う。
(あのとき私たちの前には、姉と同級生の男の子が座っていた。だから姉は、私に弁当箱を持たせようとしなかったのだ。それなのに、空の弁当箱がその子の前を「カランコロン」と転がって行った。姉が怒るのは無理もなかった。)
姉の許しを得るためには、あの花畑の黄色い花を見せるしかないと私は思った。
それまで電車に一人で乗ったことはない。でも黄色の花は、線路脇に一面に咲いていた。近くの駅で降りれば花畑に行けるだろう。私は決行した。改札口を澄まして通り抜け、電車に一人で乗った。八木西口駅と畝傍御陵前駅の間に、黄色い花畑は広がっていた。
畝傍御陵前駅で降りるのは初めてだった。ドキドキしながら改札をぬけて線路沿いに戻って行き、夢中でその黄色い花を摘んだ。匂いに酔いそうになり服をすっかり黄色く染めながら摘んだ。怖かった。腕に抱えられるだけ摘んでまた線路脇を懸命に戻り、駅のベンチに腰掛けたときには大声で泣いていた。夕日が落ちはじめ、夕日に黄色の花が輝き私の涙も朱黄色に染まり始めていた。
姉は「アホやな〜。ようそんなん、一人で採りに行ったな〜」と驚く。私はこれでやっと姉に許してもらえると思った。しかし、姉は「これ草やで」と言ったのだ。
それは戦後に北米から入って来た雑草の、背高泡立草(せいだかあわだちそう)だった。私は炒り卵みたいな綺麗な花だと思ったのに…。
姉は「こんな草の花、採って来てからに」とぶつぶつ言いながらも、空き瓶にそれを挿して、自分の勉強机に置いてくれた。そして帰りの弁当箱もまた持たせてくれるようになった。
姉は一九六三年九月十五日、喘息の発作から心臓を悪くして急死した。
背高泡立草は根から成長阻害物質を出して他の植物の成長を邪魔し、花の花粉は喘息の原因になると知った。私は悲しかった。背高泡立草を摘んで姉にプレゼントしたのだ。姉の喘息はあのときの背高泡立草が原因ではないか、と悔やまれてならなかった。
苦しそうに咳き込む姉に、背高泡立草の大群が押し寄せる夢を何度も見た。あの黄色の花を「姉に上げなかったら良かった」と幾度も思った。
滋賀県に引っ越して、背高泡立草で染めたと言う、優しい黄緑色のハンカチを貰った。そして、背高泡立草は決して喘息の原因になるものではないことを教えてもらった。田舎道の途切れた先に、突然この花が一面に現れることがある。あの日と同じように、線路脇に揺れているのを見ることもある。そんなとき、いつも姉や父の顔が浮かんで来る。
背高泡立草の花言葉は<生命力>だ。「強く生きるのよ」最近やっと心に真っ直ぐその言葉が入って来るようになった。
月見草いいえそげんな花じゃなか
あれはセイタカアワダチソウ
五木寛之『青春の門』(織江の唄)より
「生きる事」に価値があり、「どのような生き方」ではなく「生きる」ことに意義があると言う。ならば月見草も背高泡立草も違いはなかろう。
陽を浴びて黄金の泡増し草生きる
セイダカアワダチソウと長き名を持ち
2008.10.18
月光(つきかげ) 木村徳太郎
ぎんなんの梢の
実が白い
月光(つきかげ)。
地蔵さまお笑ひ
なさるような
月光。
線香の匂ひが
流れてる
月光。
いつまでも立つてゝ
祈ってる
月光。
立ってゝ見てる
あかるい あかるい
月光を。
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