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絵本「星たちは花になりました」(十二月 ススキとオウシ座)より
触れもせで
『触れもせで』は、「向田邦子との二十年」とサブタイトルのつく久世光彦さんのエッセイ集だ。触れもせでとは「親しくしているのに、指一本触れたことがない」と言う意味だろうか。私は二人の大ファンなので、切なく艶めかしいこのタイトルにはドキッとさせられる。
向田邦子さんは飛行機事故で、久世光彦さんは前日まで元気だった七十歳の朝に亡くなっている。最近、七十代で亡くなる人が多い。緒方拳さんもそうだ。突然死と聞いて驚くが本当は癌と戦っておられたのだ。
そんなこともあり、七十代の知人から少し音信がないととても気になる。問い合わせると「気遣いは無用!人は知らぬ間にこの世から消えているのがよろしい」と素っ気ない。そうだろうか。やはり、それでは少し寂しく切ない。
死とは、残された者が死んだ人にこだわっても、死んだ人は残された者に何の思いも持ってはいないと言うことだろうか。その人が突然に死去する。それを知らなかっただけで、本当は癌と戦っていたなどと後で聞かされると、置いてけぼりを喰ったようで寂しい。と言って事前に聞かされても、どう対応してよいのかも判らないが…。
今夏、同人誌の会に入った。セミプロに近い人ばかりで私の居場所はない。お互いの作品を読んで批評、アドバイスをし合う合評会に参加した。レベルの高さに何を言えば良いのか萎縮してしまった。そんな中で目に止まる小説があった。大手出版社の「同人誌コーナ」でも取り上げられているものだったが、私はそんなことも知らず「まるでプロ作家みたいですね。素晴らしい作品を無料で読めるなんて嬉しいです。私などがここにいるのは会の品格を落すようで、申し訳ありません」と、トンチンカンなコメントと共に謝るのが精一杯だった。
するとその作者は「作品を読んでくれて有難う。遠慮する必要はない。書くことを楽しみに勉強をしなさい」と言われた。そして私の拙い文章を「これは詩ですなぁ〜」と褒められたのだ。同人に詩作する人もおられ「詩?これはたんなるオバチャンの井戸端会議ですがな」とも言う。
私はいままでに自分の文章を「詩」と言われたことなどはない。だから、ほかのどんな言葉を聞くよりも、飛び上がるほど嬉しかった。そして、その方のファンになってしまった。その方の作品を読むのが楽しみだった。優しい笑顔に何だかドキドキしていた。
同人会の案内状の片隅に、「Yさんが亡くなられました」と鉛筆の走り書きがあった。Yさんとは、ファンになった「その方」のペンネームだ。最新号のYさんの作品を読み終えたところだった。連載小説で、夫婦の愛憎が絡み、企業の複雑さが描かれている内容なのだが、その号では主人公が癌に冒されていた。その描写があまりにも克明で真に迫っているので、「ひよっとしてYさんは癌?」と思わせた。あまりの壮絶な筆力に戸惑いを覚えたところだった。文中で残された妻が、以後関わっていくであろう「介護保険」のことも詳しく書かれていた。私は介護福祉士なので、実によく調べられているその内容に驚いた。そして「もしや」と思った矢先だった。私の感は的中した。Yさん(その方)は肺癌だったのだ。それを誰も知らなかった。私的な事を何一つ話さない人だったらしい。「死んでもすぐには知らせるな。10日後には知らせてもよい」との遺言だったと聞く。
私はその方に三回しかお会いしていない。一回はマスクをかけておられた。あれは病気と関係があったのだろうか。作品には、まだまだ続きがあっただろうに。主人公が癌で亡くなる場面で遺作となったのだ。奥様によると「書くことが励みとなり、寿命を延ばしていたのではないでしょうか」とのことだ。
死と戦っていることを知らなかった者は、その突然死に唖然とする。緒方拳さんが癌だったと後で知ったときも「ずるいな〜。ファンは置き去りだ」と思った。死ぬことで、残こされた者への気配りは不要なのだろうか、死とは知らないうちに消えていることを良しとするのだろうか…寂しくて切ない。
「触れもせで」「死」。何か似通っていないだろうか。私にはそう思えてくる。
十二月になり喪中葉書が舞い込む。年々その枚数が多くなる。「袖振り合うも多生の縁」前世からの縁で袖触れ合った人に、私はみな「触れもせで」の想いがある。指一本触れたことはない。でも「袖の振り合い」が私には触れたことなのだ。
今日もまた喪中葉書が一枚届いた。寂しい季節だ。木枯しが切ない思いを笑うように吹いている。
時雨似ていきなりの喪中状
2008.12.06
唐招提寺 ―土塀と築土― 木村徳太郎
誰も来やへん
秋風に
笹がへらへら
なる土塀。
巴瓦よ
紙あてゝ
4Bで擦れば
ほい出来た。
とてもとっても
えゝおます
唐招提寺の
石刷や。
誰も居やへん
秋晴に
牛がモォーと
鳴きよった。
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