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二月の歌(早春賦)

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芽吹き

恋文
「孫から手紙がきた。手術をする孫へ「頑張ったら欲しい物をプレゼントするからね」と言う私の手紙への返事である。自分の欲しい物と妹が欲しがっているもの、パパとママが欲しがっているものまで書かれてあり、自分だけでなく他をも思いやる優しさなのかどうなのだろうと苦笑してしまった。赤ちゃんの時から、涎を流しながらパソコンに「ハイハイ」してくるIT時代に育ち、本来ならメールでやり取りをするところなのだが、私はあえて手紙にしている。孫が読み書き出来るようになるのを随分楽しみに待っていた。そして小学一年生になって願いが叶った。私には、隣同士に座っていながら、メールで会話するという事など到底理解出来ない。会話はアイコンタクト重視で、離れている孫との通信は葉書か封書と決めている。デジタルよりアナログ人間なのだろうか。孫のたどたどしい字間から漂う孫の匂いに魅力がある。ITは瞬時に情報も気持も受け取れる便利なツールだ。しかし、手紙を書く時間、返事を待つ時間、読んで字間から浮ぶ相手の顔、時間はかかるが私には素晴らしい宝物だ。メールも良いが下手な字やかかる時間もおまけのように感じる封書も楽しい。IT化がまだまだ進み、どんなコミュニュケーション・ツールがこれからもでてくるかもしれないが、孫とはいつまでも手紙の交換が出来るようにと願っている。」(新聞投稿掲載文より)
 
孫のたどたどしい字をみて思い出した。
「恋文」だ。
「恋文とは、一瞬を永遠にする言葉を届けるもの」と言うが、必ずしも一瞬を永遠につなげられるとは限らない。うたかたの夢のように消えていくものも、恋文かもしれない。
 賞味期限がとっくに過ぎている私である。この先、恋文など書くこともないだろうし、いままでにも書いたことがあっただろうかと、遠くを思う。異性を好きになったことも好かれたことも全くなかったわけではないし、恋文はなにも美男美女や源氏物語のなかだけの専売特許でもなかろうと思うと、幼いあのときの手紙が重なった。早春賦の小さな芽吹きのような「恋」を思い出した。
 小学二年生まで奈良県の八木町に住んでいた。戦災でなにもかも焼け出されたが、戦前は四天王寺前で手広く店をやっていたらしい。遠縁にあたりその店の従業員だった木戸さんの世話で八木町に疎開し、戦後復興の活気がみなぎるような商店街のなかで、私はすくすくと育った。八百屋と魚屋の商いを叔父がし、橿原神宮に勤める父と私たち姉妹、祖母が居候の格好で二階に住んでいた。叔父達家族とは部屋が別なだけで、食事や生活は同じの大家族だった。私は三歳下の従兄弟をいつも従え遊んでいた。そして三軒先に、木戸さんの家があった。木戸さんの家には、信一君という四年生で、いつも級長で運動会でもリーダの凛とした美少年がいた。ときどき私はお使いで到来物のお裾分けを木戸さんに届けたりしていたが、信一君とは口を聞いた事がない。それだけではない。信一君が遊びにくると私は二階へ逃げていく。私は当時おきゃんな子で、(その反動でいまは大人しいのだが)そのお転婆ぶりを発揮できない思いで逃げ出していくのだ。従兄弟は妹と私たち姉妹と異なる男児の信一君がくると飛びつかんばかりに喜び、片時も傍を離れない。信一君が来ると私は遊び相手を失い一人になるわけで、従兄弟のそんな歓迎振りに「あっかんべ〜」も一因だったのかもしれない。しかしほんとうは、従兄弟に負けないほど、私も信一君の来訪が嬉しく二階へ飛び上がっていったのだ。彼の声が階下から聞こえてくる。それだけで小さな胸がときめいた。二階で息を凝らして机を出し、その前に座り教科書を広げる。もちろん勉強などはしない。誰かが二階に上がってきた時のカモフラジューで、全身を耳にして階下の気配をうかがっている。信一君は私に会いに来たわけではない。単に男児同士の従兄弟の友人で遊びに来ているだけである。それに信一君のお姉さんの綺麗な晴れ着は、木戸さんが四天王寺の店に居たころ祖母があげた物で、私たちの着物は全て焼けたり食料と交換していたので残っていなかった。それを祖母は悔しがっていた。が、なんとなく木戸さんに遠慮しているようにも見えたので、私が信一君を好きになるなんていけないことだと思っていた。そう思いながらも信一君の一挙一動が気にかかって仕方がない。この矛盾した感情がどういうものか子供の私は気付いていなかった。
 当時はなんでも年長者からのお下がりである。衣類は姉のお古だった。一年生に入学する時は、アメリカからの払い下げ品が銭湯の脱衣場に並べられ、クリクリ目のベッテイさんが外蓋一面に笑っている赤いランドセルを祖母が用意してくれた。外出用の赤い靴も揃えてくれた。しかし、外出用だったので、次にはくときにはもう足が入らず新品のままで、隣の佳子ちゃんにそれは回された。アメリカの払い下げ品を使い、戦時中町内会に配られた「鬼畜米兵」と書かれた鏡の前で、私は髪を梳いてもらっていた。教科書もお古だった。姉のお古の教科書も有ったが、年齢の近い信一君の教科書のほうが良いだろうと、木戸さんが気をきかしてくれた。私は嬉しかった。勉強のよく出来る信一君のお古を使うと、まだ勉強もしていないのにもう同じような秀才になった気がした。信一君がお母さんと一緒に古い参考書や教科書を山ほど持ってきて呉れた。祖母が「ようお礼を言いなさいや」と自分が頭を下げていた。私は「有難う」と小さい声で言うのが精一杯で、いつものお転婆の「おおきに、まいどですなぁ」などとは言えなかった。その教科書にはどれにも「木戸信一」と墨で綺麗に名前が書かれていたので、祖母がその上に紙を貼って私の名前を書いてくれた。
 習い始めた字で私は信一君に手紙を書いたのだ。「たくさんのきょうかしょをありがとうございました。もらったきょうかしょで和子はいっしょうけんめいべんきょうします」そして最後に「信一さまへ、和子より」と書いて、野原で摘んできた何かの花の押し花を添え、父に封筒をもらい家の前の赤いポストへ落としたのだ。それはコツンと軽い音がして落ちて行った。
 三軒先なのに、私は手渡しもできずお礼の声も出せなかったのだ。
 第三者から見ればただの礼状であった。
だが、私の心の中では、まぎれもないあれは恋文であった。恋文などという言葉も知らない幼児の恋文だった。後日、信一君が何処でそろえたのか真新しい教科書の手引書を持ってきてくれた。私は、やっぱり口の中でもごもごと言うばかりであった。その手引書から一枚のメモがはらりと落ちた。そこには太い字でたった一行!
「かーこちゃんへ。信一より」と書かれていた。
 私は二年生に八木町を引っ越した。転居先の教科書はまた違った。しかし私は随分長い間「木戸信一」の上に「木村和子」と紙の貼られた教科書を大事に持っていた。何度も引っ越しているうちに、いつしかそれは紛失してしまった。そして刻は流れ、幼い恋もいつしか風化し忘れていた。

 私は「字が下手だ」と誰にでも言われる。恋文など書きようがない。
孫のたどたどしい字を見て、孫にはちゃんと大人の恋文が書けるように教えなければと思った。



     木々芽ぐむ耳よせときめきほぐれたり

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