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ふるさと は 桜花のごと
4月5日の吉野山は下千本が満開、 中千本 は7分咲き、上千本4分咲き、奥千本は蕾といった所だろうか。
山が花に埋め尽くされるには少し早いものの、吉野駅に降り立つと花見の人々で溢れ、土産物や食事に誘い込む声が賑やかだった。その喧騒の隙間をぬって鶯の鳴き声が漏れてくる。
日本一の桜の名所、吉野山(吉水神社)の「一目千本」に私は向かった。一目で千本の桜を観ることができ「一目十年」(一目みると十年は寿命が伸びる)とも言われる花見のスポツトである。
後醍醐天皇が
花に寝て よしや吉野の 吉水の 枕の下に 石はしる音
みよしのの 山の山守 こととはん 今いくかありて 花やさきなん
とお詠みになり
願はくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃
と桜好きの西行が、こよなく愛した地であり、豊臣秀吉が、五千人の家来を連れて花見の宴を催した場所である。
穏やかな春の陽光が降り注ぎ、僅かな風に時おり山桜の花弁が舞ってくる。その花びらに背を押されるようにしてケーブルカーに乗った。(以前にも吉水神社には参拝したことがある)http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/31977134.html)
目下に広がる山桜が、芽生え始めた若い緑色の木々に華やかさをそえ、綿菓子のように浮かんでいる。ケーグルカーの揺れが、舞う花びらに合わせるようにして私の心を桜の中に連れて行く。
ケーブルカーを降り、並ぶ土産物店を目の端に入れながら人込みをかきわけ進んで行く。前回来た時は、バスで観光道路を登り、吉野中千本公園から勝手神社に参拝し、吉水神社に行った。今回は七曲口をケーブルで上がり、蔵王堂を通り吉水神社へ行くコースをとった。
重要文化財の宝庫でオーラが満ち、その歴史の息づかいに前回の訪問時、身震いを覚えたことが甦えってくる。後醍醐天皇が、義経が静御前が、弁慶が秀吉が鮮やかに息づいていた。歴史の中を風のように、旅人のように私は歩いたのだった。書院に静御前の着ていた衣裳が手にとれるようにあった。静御前の体温が伝わってくるようだった。
静御前が義経、弁慶とときのまを過ごし
吉野山 峰の白雪 踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
と歌った『義経千本桜』の舞台であり、その後静御前は追っ手に捕われ舞を強いられ
しづやしづ しづのおだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな
と、義経を恋い慕う歌を詠い頼朝の怒りを受け、出産した男児を殺されるのだ。
なんと理不尽なことだろう。
「同じ女性としてそんな悲しいことは断じて嫌だ」胸がしめつけられそうになる。歴史の中で翻弄される理不尽さに息苦しくなる。
「理不尽だ。理不尽だ」呟きながら、急な坂道を足裏に掴む様にして一歩一歩と歩を進めた。神社近くに来ると青い幟が桜色の中に揺れている。
『拉致被害者を救う会』のシンボルのブルーだ。「横田さんをお迎えして、街頭活動・大祈祷会」が行なわれていた。署名活動が「めぐみちゃん、どうか帰ってきて ! 」の祈りと共に行なわれていた。
理不尽は今もあるのだ。子供を奪われる悲しさは慟哭だ。(おりしもその日、北朝鮮からミサイルが発射されていた)
大祈祷会が山桜の下で行なわれている。
「一目千本」の桜はまだ七分咲きだったが、山桜が白拍子の静御前が舞うように、花びらを舞わせている。一陣の風が起こった。天に祈り、地にひざまずき、玉串を上げられる横田滋さんの体を支えるかのように、桜吹雪が包み込んだ。高齢の姿を支えるようにして桜が舞った。横田さんの白髪が目立つ。その白髪に花びらが止まる。切なさが増し涙のように留まっていた。
オカリナの音(ね)と参列者の合唱する「ふるさと」の歌が流れる。
兎追しかの山。小鮒釣りしかの川……
山や川がなくなってきたと嘆く人もある。しかし、そうではないと私は思う。横道にそれるが、私の父が書いた略歴に「私は生まれた時も、亡くなる時も同じところだろう」と記されているのを見つけた。これは人間として誰しもが持つ根源的なものであろう。が、私はずぅとこの「同じところ」を「場所」とばかり思っていた。
しかし、最近気が着いたのだ。これは「場所」ではなくきっと「魂」のことだ。生まれたときも亡くなる時も同じところというのは心でありその人の魂なのだ。それがふるさと、なのではないだろうか。人を拉致することは、このふるさと、魂を奪い去ることである。魂を奪いとり、ふるさとを奪う事は決して許されない理不尽さだ。
ふるさとは誰にも神さまから与えられた魂なのだ。人間の根源的なものだ。
海の向こうまで届け「ふるさと」・・・。
「桜」 山村暮鳥
さくらだといふ
春だといふ
一寸、お待ち
どこかに
泣いてる人もあらうに
桜に酔うもよし。それも魂であろう。そして、人はその爛漫の春に酔う陰で、泣いている人のことを思いやる魂もあろう。それがふるさとである。
そして、人は花に、桜に、それぞれの「ふるさと」を乗せるのではないだろうか。
一片の海わたす落花怒涛なれ
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