来た道行く道通りゃんせ/風にのって花ひとひら

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八月の歌(野菊)

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夏 の 日々   
 八月六日、八月九日が過ぎ八月十五日が来る。
八月はお盆月であり、鎮魂の月である。心静かに黙祷をする日を重ねている。
 私の父は大正四年生まれ。余命を頂き戦地から復員してきたものの家は焼け出され妻を失い、生まれたばかりの私と五歳の姉と祖母(母)が、焦土と共に迎えた。その後の父の苦労は戦争体験を語っている暇もなく、生きることに精一杯だったのではないだろうか。そして、残された命に感謝しそれを無駄にしたくない思いで、懸命に声(魂)を張り上げていたのではないだろうか。父の死後、父が書き残していた詩や童話を見つけ、私の駄文を添えて本を出した。それが地方紙の記事に取り上げられ、それに目を止めて下さった見知らぬ方から「貴方のお父さんと同年だから」「貴方のお姉さんと同年だから」と本を購入して下さった。そして、その方々から<戦争の記憶(シベリア抑留)メモ>と、大好きだった戦死したお兄さんが教えてくれたと言う<歌>が送られて来た。

 私は、父からあまり戦争体験を聞くことはなかった。物心ついたころ遊び場の神社やお寺の境内で、軍服姿の手も足も包帯で巻いた人がアコーディオンを弾いているのを珍しそうに眺め、紙芝居を観るための五円玉をその人の破れ帽子に入れたこと。鬼畜米兵と描かれた鏡の前で髪を梳かしてもらったこと。そんな事が、わずかに感じる戦争の空気だった。送られてきた資料は私に現実をもたらした。「貴方のように文章には出来ない」からと、箇条書きのメモのようなものだったが、行間から肌に突き刺さるように戦争が入ってくる。写真も同封して下さった。その容姿は父のようにも思えた。存命なら九十四歳になっている父は、きっとこの方のような風貌になっているのだろう。姉と同い年と言う方は「父母の声」を教えて下さった。私はその歌を知らなかった。戦争は映画や物語で絵空事のようにしか知らなかった。一生懸命メモをし、一生懸命書いて下さったお手紙に、本を出した私へ、父や姉が代わって褒美を寄越してくれたのではないかと思えた。自分史などと言うものは自己満足に過ぎないとも言う。がこうして見ず知らずの方が読んで下さり、お手紙を下さる。そうしてその方達と一緒に昭和の世界に私はもう一度生きられたのだ。本を出して良かったとしみじみと思った。多くを語らなかった父が語り、何かを心にうち秘めていた姉が、昭和の時代を語り、戦争を語り、残った私に大きなものを与えてくれたと感じた。父が姉が語ってくれているのだと思えた。戦争を映画や書物だけでなく<身近な人>が話して下さる<力>に、私は身震いを覚えた。その力に私は。戦時中集団疎開の子供達が生活していた所だと聞いていた地元のお寺を始めて訪問した。住職さんの話に蝉の声が重なって行った。
 私の知らないあの暑い八月十五日が流れて行く。亡くなった方、悲話、苦労、そんなことに深く深く思いを沈め、私は黙祷をする。


 八月は祈りの月であり八月十五日は祈りの日である。イデオロギーに利用してはいけない。八月は祈りの日でありそして「命」の日である。そして伝えて行く日である。


         <父母の声>
       太郎は父の故郷へ
       花子は母の故郷へ
       里で聞いたは何のこえ
       山の頂 雲に鳥
       希望〔のぞみ〕大きく育てよと
       遠く離れた父のこえ
       太郎は父の故郷へ
       花子は母の故郷へ
       里で聞いたは何のこえ
       浦の松風 波の音
       生命〔いのち〕清しく生い立てと
       遠く離れた母のこえ
       太郎は父の故郷へ
       花子は母の故郷へ
       里で聞いたは何のこえ
       雲のすじ曳く荒鷲の
       夢も大きく羽ばたけと
       空の遥かで父母のこえ
       太郎は父の故郷へ
       花子は母の故郷へ
       鍬にさくさく土のこえ
       草も巌も語るこえ
       心雄々しく生き行けと
       遠い祖先の語るこえ

これは集団疎開をしていた子供達への歌ということらしいが、素晴らしい歌を教えられた。

     「戦争の記憶<シベリア抑留>メモ」抜粋
S23.6,18舞鶴港に入港 帰国 お袋の喜びよう 若くして、また妻子を国に残して。戦後不法にも酷寒のシベリアに強制抑留され自由を奪われ、飢餓と過酷なノルマーの強制労働を押し付けられて。異国で亡くなった戦友たちの無念が偲ばれます。これが戦争の悲惨です。戦争は絶対いけません。


「終戦記念日、原爆記念日」いろんな記念日がある。記念日などと言わないで、次世代に伝えておかなければいけない日がある。


今年も野辺に野菊が咲き出した。私は野菊に思う。
『講演会に出かけた。演題は(日記の中に見る人生)その中で少年兵の日記、手紙が紹介され私は涙を流した。
「僕は、桜や菊でなくて良い。母さんが、毎日耕している野良仕事の野辺の花になります」そう言って少年兵は飛び立って行った。
もんぺ姿で鍬をふるう母の姿が少年兵とだぶって浮かぶ。抜けるような秋空だろうか。耕す母のそばに野菊が咲いているのだろう。それとも彼岸花だろうか。どの花にしてもあまりにも悲しく胸を打つ。秋になると私の子供達は服にいろんな種子を付けて帰る。私が洗濯機に衣類を放りこもうとすると、「綺麗だから、置いといて」と言う。 確かに白いセータにミズヒキの粒々は赤いビーズ刺繍のようだし、センダングサは可愛い飾りボタンのようだ。 そのままハンガーにかけておいた。平和な時間だった。もう少し早い時代だったら、私は野辺の花になった子を持つ母であったろう。 母として、涙がとめどもなく流れる。秋の野を駆けて遊ぶ子も、特攻兵で飛び立つ子も母には愛しい子だ。』
「反戦誓わせる少年兵の日記」2003.10.10 上杉和子

 野辺に咲く野菊に身を代えた我が子と共に、鍬を振るった母ももうこの世には居られないだろう。しかし、私は野菊を見るたびにこの母子を偲ぶ。


 『猛暑が続く。いつもなら、大げさに冷蔵庫に頭を突っ込んだり「なんとかして、この暑さ!」とわめいているが、今年は黙ってこの猛暑を感じている。
今夏の初め「暑い暑い!水!」「のどから手が出るどころか体中から手が出ている。水が欲しい!」と帰宅するなりわめくと、夫がボソッと言った。「原爆の時はみんなそう言って死んでいったんだな」。
 広島生まれで広島育ちの夫から「水遊びをしていると、遠く西の空が真っ赤になり、次の日市内に行くと太田川が遺体で埋まっていた」とはよく聞かされていたが、いつも興味なく聞いていた。
 あまりの猛暑に「水!」と自分が心から叫んだ今夏、原爆を思った。あの時、人々は、手どころか髪の毛一本一本もが「水!」と叫んでいたのだろう。燃え、焦げている体。
「水、水、水」「水が欲しい」と亡くなっていった時代があったのだ。原爆投下の日がくる。今夏の私は暑さを感じて戦争を呪い、うんと汗を流し、そして生きていることを実感している。』
「猛暑に浮ぶ原爆の悲惨さ」2004.08.05 上杉和子

私はどこにでもいるごく普通の主婦だ。朝起きると家族の食事をつくり、空いた時間にパートに出かけ、少しの趣味も有りそれを楽しむ。友と語らい食事をし、お喋りを楽しむ。孫の成長を楽しむ。

しかし、忘れてはいけないことがある。正しく伝えないといけないことがある。この平穏さの意味を忘れてはいけない。
    
           野菊咲く山川母想い咲く
 

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