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九月の花(鶏頭)

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赤い靴 
 部屋に入ってくる風が、細い秋風になって通り抜けていく。「懐かしの心に残る歌」と冠して特別番組が放映されていた。虫の音が庭から上ってくる。チリン!と 終い忘れの風鈴が一つなった。私の忘れていた歌がなった。


    「赤い靴」  
   赤い靴 はいてた 女の子
   異人さんに つれられて 行っちゃった


 司会者が歌の解説をしている。この歌は、静岡出身の岩崎かよの娘、きみをモデルに実話を元にして作詞されたと言う。岩崎かよは、未婚の母としてきみを育てていたが、再婚が決まりアメリカ人宣教師に、三歳のきみを託した。が、宣教師が本国へ帰国の時きみは結核に冒され連れていけず、東京の孤児院に預け、そのままきみは九歳で亡くなった。かよはそれを知らずに「私の娘のきみは、宣教師に連れられて渡米した」と人に語り、それを再婚した夫と親交のあった野口雨情が『赤い靴』として作詞したという説だ。(かよの再婚相手との間に生まれた異父妹が、「私の姉は『赤い靴』の女の子です」と投書したことに始まり「ドキュメント・赤い靴をはいた女の子」という番組が制作され発表された。しかし、後にこれには捏造が含まれているという説が出て来た。定説の矛盾点を追及する箇所も出てきた。「きみが宣教師の養女となった」という話は、もともと、かよを安心させるためについた親族の嘘であり、実は二歳のきみを親族は初めから東京の孤児院に預けており、きみはそこで一生を過ごした。かよと宣教師との接点はないと言う説である。

 『赤い靴』は純粋に「社会主義的ユートピア運動の挫折の隠喩」と解すべき歌として親しまれ、そして『赤い靴』の像は各地に建立された。日本平『母子像』東京麻布十番『きみちゃん像』北海道留寿都村『母思像』北海道小樽市『赤い靴 親子の像』北海道函館市『きみちゃん像』があり、横浜山下公園には、純粋に雨情の詩のイメージをモチーフにして作られたという『赤い靴はいてた女の子』の像もある。たくさんの像に、詩の解釈論は別にして赤い靴を履いた女の子に、人々はそれぞれの自分の想いを重ね、波紋を描く小さな石ころを心に放り込むように、それを広げて行くのかももしれない。

 しかし、いろんな説があってもそれは本当の処どうなのだろう。どうあがいた処で当事者にしか分からないのではないだろうか。そして、それで良いのだと私は思っている。

 一九四五年一月に私は生まれた。すでに食料難で母親にも胎児にも栄養は行き渡らなかった。生まれた私は手の平に乗るほどに、薄っぺらい紙のように軽い赤ん坊だったと聞く。生母を失い母乳もなかった。貰い乳をするすべもなかったらしい。毎日水と紛うような重湯に吸い付いている赤子だったという。小さい未熟児だった。覚えている私は、病気ばかりしている姿だ。猩紅熱と言う法定伝染病にも罹った。「隔離するには小さくて可哀相」と、家に隠すように寝かされていた。往診の医者が「このお子を診て帰宅したときは、駆け寄ってくる私の子供をすぐには抱き上げられない」と話している。家族が詫びている。駆け寄る子供を「女の子?男の子?きっと王子さまやお姫様のように綺麗で、元気な子なんだろう」と私は想像する。天井の節穴を数えて、私はいつも想像の世界を歩いていた。
 熱のある赤い顔から吐き出される息が熱い。何度も熱い息を吐いては想像する。何回吐くと祖母が戻ってくるかと数えるのだ。祖母は着物の仕立てをしていて、その技術の確かさには人気があった。出来上がった着物を届けに出かけると、私は一人になる。想像が始まる。
 祖母が横丁の角を曲がり、いつも私に吠え付く恐い犬の前を通り、橋を渡って行く。ポストの前で一休みをしている。あ!歩き始めた。乾いた土埃の道を大事に風呂敷包みを抱えて下駄を鳴らして歩いている。『婆ちゃん、石にけつまずいたらあかんよ』大丈夫だった。大通りに出て大きな門の御屋敷に入って行く。ここからは、ちよっと時間がかかるな〜〜。一つ二つ三つ・・・丁寧な仕立て上がりを喜んで、お茶を出してもらっているんだ。しかたがない百まで数えよう。あ!婆ちゃんが出てきた。手ぶらの婆ちゃんは急ぎ足だ。下駄がカラカラ鳴っている。私のお土産を買いにお菓子屋に入って行く。『婆ちゃんお土産はいいから早く戻ってきて』婆ちゃんが走りだした。家の戸を開けた。『ただいま〜〜』でも、祖母の声は聞こえない。まだ帰ってこなかった。しかたがないからもう一度歩きなおす。私はまた同じ道順を天井の節穴を数えながら歩き始める。自分ではゆっくりゆっくりと歩いているつもりなのだが、一度もその模擬歩きで祖母が帰ってきたことはなかった。寄り道をしているわけではない。ただ寂しい思いの私が、何度も駆け足で歩くだけだったのだ。
 そんなある日、祖母がお土産に赤い靴を買ってきた。「仕立物の代金が多く貰えたので、米国の払い下げを覗いてきた」と言う。斜め向かいにある銭湯の脱衣場で、米国の払い下げ品がよく並べられていた。脱衣場では浪曲大会も開かれる。祖母は「虎蔵」の大ファンだった。昼間の脱衣場は催事場になり、夜は背中を流し合う社交場で銭湯に立ち寄るのは、祖母の大きな息抜きだったのだろう。
 祖母が新聞紙にくるんだ塊を、手品師のようにさぁ〜とめくる。童話の挿絵で見たような赤い革靴が出てきた。私は息を飲んだ。そのころ革靴を履いている子は大金持ちの子で、庶民の子は下駄かゴム草履で外出時にだけ運動靴だった。下駄は、歯の隙間に石がよくはさまった。下駄を高く放りなげ<明日の天気占い>もした。私は、下駄のつまさきで背伸びをして、垣根に顔を載せ向こうの景色を見るのが好きだった。祖母がお八つにとお皿に入れてくれた白砂糖をなめながら、夕焼け空を見ていて踵を降ろした時、下駄の歯の間を蛇が通って行った。驚いて放りなげた皿が夕日の輪の中でクルクルと光りながら舞い落ちていったのを思い出す。そして、赤い靴もはっきりと思い出す。先が丸く足首の所に黒いボタンのベルトがついていた。

 父は私をどこへでも連れて行く。モク拾いは父と私の日課だった。(モク拾いとは、道端に落ちている煙草を拾うことだが、もう死語だろう)地面に近い私の方が早く吸殻を見つけ、ゴム草履をペタペタ鳴らし吸殻を拾いあげる。父が喜んでくれる。二人の楽しい日課だった。
 男の子が靴磨きの仕事をしていた。座って靴を磨いている目の位置と私の目の位置が同じなのだ。その子が私を睨む。父さんも母さんもいない子だと教えてられ、父にぶらさがって歩くのが悪いような気もした。傷痍軍人といって松葉杖に体を乗せ、アコーディオンを弾いている人もいた。戦後復興の猥雑さのある小さな町だった。闇市もあった。父は闇市で煙草を巻く紙を買う。拾ってきた吸殻を新聞紙に崩して広げ、それを新しい紙に巻き直して煙草を作り直すのだ。(その街から田舎の神社に赴任してからも、父は氏子の寄合いが終わると小さな手あぶりにねじこまれている煙草を拾い出しては巻きなおしていた。「そないしてまで、煙草を吸いたいんやろか」と、私は冷やかな目で見ながらも、道で吸殻を見つけると父が喜ぶと、ポケットに吸殻を忍ばせる。そんな矛盾した幼児時代と少女時代とを行き来していた。)

「和子行くぞ〜〜」父が声をかける。モク拾いだ。土間に赤い靴が揃えられていた。外出用にと収められている靴なのに、祖母が終い忘れていたのだろうか。私はゴム草履を除けて躊躇なく赤い靴を履き、父の後ろを追いかける。赤い靴は体を弾ませ、赤い靴を履くとお姫様になった気分になる。クルリと一回りスカートをひるがえし父に続く。が、その日の父は無口だった。いつもなら大きな声で歌う。


     「酋長の娘」    
  わたしのラバさん 酋長の娘 色は黒いが 南洋じゃ美人
  赤道直下 マーシャル群島 ヤシの木陰で テクテク踊る


私は片足を上げておどける。私はヘルニヤ(脱腸)だった。足の付け根に堅い膨らみを感じると、小さい手に力を入れてそれを押さえ引っ込めてテクテクと歩く。肩を揺らしテクテク、ヨチヨチと歩く。「ラバさんてなに?」と聞くと「大好きな人のことや。和子は父さんのラバさんや」と言う。意味は分からないが、私はよけいテクテクと踊るようにして歩いた。
しかし、その日、父は真直ぐ前を睨むようにして口を開かない。靴磨きの子が「その子の赤い靴、磨こか〜」と声を懸けてきた。父が私の足元に目をやった。私が赤い靴を履いていることに、初めて気が付いたようだ。父の顔は青くそして錆色のようにくぐもった声で「エエわ」と言うなり、私の手をひっぱり家に引き返してしまった。その日のモク拾いはそれで終わりだった。私はもっともっと赤い靴を履いていたかったので残念だった。早く帰宅した父と私を、祖母はいぶかるわけでもなく、また赤い靴を履いたことを咎めるわけでもなかった。
 次の日またモク拾いに行く。私はテクテク歩く。変わりなく日が流れた。虚弱な私も少しずつ大きくなって行った。ただ残念だったのは、赤い靴は外出用だったので祖母が仕舞い込み、なかなか履かせてもらえなかった。次に履かせてもらう時には、足は入らなくなっていた。未熟児であれ、虚弱体質であれ、ヘルニヤであれ、子供は日々成長して行く。その速さに祖母は気がつかなかったのだろうか。「婆ちゃんはアホや。仕舞いこんで履けんようになるのやったら、毎日でも履かせてくれたら良かったのに。なんでも『もったいない、もったいない』て、しまいこんで・・・」と私は思っていた。

 実家は、戦災で跡形もなく焼けたが、戦前は大阪の四天王寺前で手広く商いをやっていたらしい。祖母は親戚の子供達を引き取り、我が子と同様に育てていた。そのなかの光子おばちゃんは、父のことを「兄さん。兄さん」と呼んでいた。その光子おばちゃんが、ある時、言ったのだ。
「か〜こちゃんがヨチヨチ歩きの時、『か〜こちゃんを欲しい』て言う、お金持ちの人がいてなぁ〜、みんなで相談して里子に出すことを決めたのに、兄さん家まで連れていかんと帰ってきてしもうたんよ。終わり」と、口に指をあてウインクした。「それで終わり」。

 なにも聞きださず、問い糺さず穏やかに時が流れて、もうみんな亡くなった。
ヨチヨチ歩きというのは、あのモク拾いの頃のことなのか。
 父は北原白秋の弟子で、詩歌には造詣が深かった。「赤い靴」の意味するものを知っていたかもしれない。祖母はわざと赤い靴を私に履かせ、そんな父の目に留まるように計らったのかもしれない。いや、外出(用)にと出しておいたのかもしれない。
 あれから、普段でも靴を履くようになったが、あの赤い靴はどうしたのだろう。
 父は光子おばちゃんにいろいろと話しをしていたのだろうか。例え話していたとしても、父の心、そして祖母の心の奥深くは当事者にしか分からないことだろう。
それで良いのだ。

虫の音と「赤い靴」の歌が流れていく。二時間ばかりの放映時間だった。懐かしい歌がたくさん流れて行った。「酋長の娘」が流れなかったのは残念だった。
慰めるように、夏の終わりを遠慮気味に風鈴がまた一つ鳴った。



      赤い靴履きて踊りて鶏頭燃ゆ


 

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