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白露の 白い 朝顔
まっ青な秋空に浮ぶ羊雲。その羊雲を地上に落としたように白い朝顔が咲いている。
朝顔は夏の花だと私は思っていた。オーシャンブルーと言う朝顔は、秋の終盤になっても咲いている。それを初めて見た時は、いつまでも頑張って咲いている朝顔が少し可愛そうにも思えた。しかしこれは秋の終わりまで咲く品種で、その名の通り濃青色をいつまでも保ち、セピア色に変化して行く空気の中を、まるで自己主張をするかのように長く咲いているのだから、私が特別に胸を痛めこともないだろう。
しかし、心の痛む朝顔がある。
涼風の中で、我が家にもまだ朝顔が咲いているのだ。白露を載せ白秋に合わせるかのように、儚なげな白い朝顔が咲いている。夏から、ずっと咲き続けている。
遡れば十数年前になるだろうか。朝顔を日除けカーテン用に植えた。そして夏に咲いた朝顔の種を色別に採集し、翌年にそれを蒔いた。わざわざ種を購入しなくとも彩とりどりの朝顔が毎年咲いてくれた。そのうち色分けもせずに一括採集して翌年にそれをまた蒔く。居場所を決めず無秩序に彩を散らす朝顔の姿もそれはそれで美しかった。そのうち横着ぶりが加速して、種の採集も止めてしまった。ところが、朝顔は自分で種を地面に零し冬を越し、春には芽を出し、夏には手を掛けずして花を咲かせてくれたのだ。そうして何年とこの横着育苗方法が繰り返されている。そして、気が付くと朝顔は白色ばかりになっていたのだ。(朝顔だけでなく、グラジオラスも球根を掘り起こさないでそのままにしておくと、白色ばかりになりやがては消えてしまった)。
朝顔は消えることもなく、夕顔よりも小さく小さく昼顔ぐらいの大きさの花が、まるで白露のように毎年咲いてくれる。さらに横着ぶりを重ねて添木をしないでいると、庭一面に這って広がった。そして、早朝の露で濡れた私の足元を、まるで白雲の中に立つように包んでくれた。私はその白雲の中で大きく深呼吸をする。それにあわせて蝉が鳴き出す。嬉しい夏の朝だった。
ただ、難点は朝顔に地面を盗られてしまうことだ。添木が無いのでどこへでも這って行き、何にでも巻きつく。物干し台に、庭木に、二、三日乗らない自転車にまで絡まっていく。釣瓶取られて……の句はあるが、自転車まで乗っ取るとは。蕾をつけ銀輪に絡まるオブジュエはなかなか風流で、この自転車泥棒には感心した。増え続ける朝顔は横の空き地にまで這って行く。空き地に咲く白い朝顔は、「あれ!昼顔の新種?白花で珍しいね。」と道行く人を驚かせる。中には、「珍種や。高く売れるのと違う?」と声高に言いながら通る人もある。
私の心は痛む。
珍品種や生態系を壊す元は、ひよっとするとこういうところにあるのかもしれない、と私の横着ぶりが何だか後ろめたい。
しかし、この我が家の白い朝顔の強さには感心する。夏に咲いて零れた種は、早くも芽を出し朝の肌寒い風を感じる今また、背丈が10センチほど伸びて、まるで涼秋の空気を踊る妖精のように揺れているのだ。
我が家の朝顔は、野生化してしまったのだろうか。
花に色がつくのは、花の花弁の細胞の中に色素が含まれているからだと言う。ならば、この白い朝顔は花としての役目を終えた(細胞の中の色素が無くなった)ものなのだろうか。
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
小野小町(9番) 『古今集』春・113
花の色は、虚しく衰え色褪せてしまった、恋や世間の諸々の事柄に思い悩み、長雨が降っている間に私の美貌が衰えてしまったように。
白い色は他の色が褪せて衰えてしまった色なのだろうか。それとも色素を全て捨てて無になり、生命の原点に帰ったものなのか。或いはまた優性遺伝子の激しいバトルの結果なのか。涼やかな秋風の中で、私は自分の身を重ねながら思いあぐねている。
2009年9月14日の地方新聞のトップに「白い青花発見。突然変異か。品種登録へ」との記事を目にした。これは地元草津の青花http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/34809397.html(風にのって花ひとひら)の種を蒔くと、200株分の全てが白花になったと言うのだ。
以前に白色の露草を野原で見つけたこともある。露草と青花は同じ仲間だ。青花の白があってもおかしくはないだろう。
そうだ。秋に咲く白い朝顔があっても良いだろう……。(少し、安心した)
白い花は不思議である。同じ花種でも、白い彩に人はより感慨を深めるのかもしれない。白に始まり白に終わる。白色になるのは先祖還りなのか、それとも突然変異なのか。私には分からないが、心を深く捉えることは確かなようだ。
ずっと昔、「白い花の咲く頃」と題する歌謡曲があった。何の花かは分からない。花の名前は出てこない。しかし、あれは白い花だからこそ、いつまでも人々の心に残る歌なのではないだろうか。白い花は季節の初めに咲き、続いて次のステージに上ってくる花を、その先の季節へと緩やかに誘うように咲く。 春一番に辛夷(コブシ)が咲き、夏の初めを知らせて蕺草(ドクダミ)が、梅雨の頃には梔子(クチナシ)が花開く。秋が来れば虎杖(イタドリ)の花や独活(ウド)の花。やがて、冬には山茶花(サザンカ)が咲き出し八手(ヤツデ)の花がはらはら零れると冬本番だ。
白い花は、季節の入り口を静かに開け、優しく私をその季節に招いてくれる。
我が家の白い朝顔も、緋色の彼岸花の出番を、白露を添えて譲る時を待っているのかもしれない。
色褪せることも悪くはないだろう。白(原点)に戻るのも、それも良いことだ。「でも、長く働かせてごめんね」。私は少し心痛めてそっと呟いている。
白い秋そおっと抜ければ赤い秋
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