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やまとうるはし
たたなづく青垣
吉野の「西行庵」で絵を描き、オカリナ(土の楽器)を吹いて来たと言って誰が信用するだろう。私だって夢ではないかと思う。
吉野中千本、「一目千本」の吉水神社は、百二十数点にのぼる重要文化財や秘宝が史上最古と言われる書院に常時展覧しておられる。書院には歴史がギュッと詰まる。
以前訪れたとき書院に影を映す青紅葉に圧倒された。あまりにも瑞々しく清冽な青さに身震いが出た。滴る青楓に、後醍醐天皇が義経が静御前が弁慶が、そして秀吉の息づかいが頬を打ち、青雫が心に沁みていった。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/31977134.html
その魂を震わせるような美しさに、楓の燃える時期にはまた来訪したいと思いながら時が流れていた。
父との共著本「ジューンドロップ」を今春出版した。吉水神社は父が存命なら、なにをさておき参拝させていただく所だろう。私は本(父)を携えて吉野に向った。
近鉄線吉野行きは、不思議な感慨を起こす。通った高校は、奈良の各地から生徒が集ってきた。下宿をしていた彼、彼女たちの在所だと聞いていた駅名が次々と現れてくる。懐かしく温かいものが流れていく。駅名がこんなに懐かしく哀愁を持つものだとは思わなかった。
私は一番前の車両に立つ。車両は山に向って走る。カーブが多い。カーブを曲がるごとに深い青さが折り重なり、細い軌道を進む。まるで胎内に入っていく錯覚を起す。きっと私は、このように薄暗く細いそれでいて光が仄かに零れるような中を通り、生れ来たのではないだろうか。そして今また、そこへ戻って行くのではないだろうか。木々に落ちる木漏れ日が、そんなふうに私を手招きしている。
家を午前五時過ぎに出た。吉水神社には10時には着く予定だった。しかし、途中で人身事故があり予定通りに行かなかった。普段JR西日本を利用しているが、人身事故は日常茶飯事にあり、列車の遅れることには慣れていた。近鉄線も、事故は多発するのか。(人身事故の処理費用は、遺族に大きな負担を残す。遺族は最愛の人を失う悲しみと、多額の負債を受けることになるのだ。)この静かな僻地の沿線にも、人の悲しみが漂っていると言うのだろうか。織りなす緑の陰影が私の心を重くした。
吉野駅から山に上がるケーブルは昼までなかった。私はタクシーに乗った。「正規の道ではないが近道を行って上げる」と運転手さんが言いながら、吉水院と言うお寺が明治の廃仏毀釈で神社となったことや、後醍醐天皇や義経のことを話してくれる。私も知識としてはそれらを知っている。しかし客の私に、どうしても吉野山の良さを伝えたいと言う気概が、ひしひしと伝わる肉声の解説に、資料を読んだり学んだりするのとは異なった愛情のようなものが感じられた。
宮司さまが待っていて下さった。顔を見るなり「娘が里帰りしたようだ」と仰っしゃて下さる。その言葉に私は涙が出そうになった。出版本と共にご祈祷をお願いした。奥さまを呼んで下さる。奥さまとは二回ほどお目に掛かっている。奥さまもオカリナを吹かれるのだ。出来ることなら一緒に吹かせていただきたいと思っていた
まだまだ叶えたい夢があった。
吉野の紅葉を描きたいと画材一式を鞄につめてきていた。西行庵にも行ってみたいと、おむすびと水筒も携えていた。しかし全てを叶えることは、不可能だろうと思っていた。どれか一つでも叶えられたら良いと思っていた。
奥さまが「私もおむすびつくった」「さぁ行こう」と促して下さる。奥千本の西行庵に向かったのだ。私は安易に考えていた。西行庵はもっと手軽に行ける所だろうと思っていた。予想以上に奥深い山中にあり、山道を杉の朽葉や木の根の盛り上がりを踏み分けて進む。「義経隠れ塔」があった。源義経が弁慶や佐藤忠信らと追っ手から身を隠したと言う蹴抜けの塔だ。簡素なお堂で中は真っ暗だ。それは、行者が真っ暗な塔内で俗気を抜くといわれるほどの漆闇だ。義経がここに身を隠していたとき、静御前は追手に囚われ勝手神社社前で舞を演じていたのだろうか。この静かな奥山に悲劇のヒロインたちが今も彷徨っているように感じられた。
「苔清水」がある。苔むす木の樋を伝って一筋の流れが休まずにある。清水が岩間から湧き出している。水は透き通り悠久の時を流れ続けているのだ。
西行が詠んでいる。
とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすほどもなき住居かな
木々の葉が光りの粒子と化し、小さな庵を映し出していた。光りは煙っているようにも見えた。煙る空気の中に小さな庵があるだけで、静寂さだけが流れている。西行はここで三年間俗世界を捨てるように住み着いた。都から隔絶され静寂さだけのようなこの場所を、西行はどのようにして知ったのであろうか。裏に廻ると腰を屈めないと出入りできないような入り口がある。そこだけが口を開けているようなわずか二畳の庵だ。西行はこの出入り口から紅葉を眺め桜を眺めたのだろうか。私には赤く燃える楓が艶めかしく感じられた。俗世と隔絶されている静寂な庵であっても、艶めかしさも感じられるのは、紅葉が舞うからであろうか。庵の隙間から西行の鼓動が聞こえてくるような気がした。
ふと思う。西行は浮世の煩わしさから遠ざかりたかったのだろう。しかし、庵の小さいスペースは妖しく美しくも感じられる。錦織り成すごとく煌いて感じられる。紅葉は七分の美しさが良い。雑木の緑があり黄葉もある。それが良い。もしこのわずかな空間が100%赤々と燃えたのでは、それは狂喜の美しさとなるかもしれない。この七分が良いのだ。俗世界を捨てるということは、この七分だけを求め七分で甘んじることではないのだろうかと思った。100%を求めるのでなく、七分、それが俗世界を捨てさることであり、最高の美なのではないだろうかと思う。わずかに鳥のさえずりが聞こえる。有るか無しかのさえずりが良い。
おむすびの包みを広げる。西行像に大袈裟におむすびを見せてみる。西行像が微笑んだように思った。
弁当を食べ終わり絵を描く。紅葉が舞い散るようにたまに人が通る。私たちの描いた絵を眺めて行く。「よう描けてますな〜。これだけ描くにはどれぐらいかかります? 」と聞く。何事もその通りにしか答えられない融通の利かない私だ。「二十分もあれば描けますよ」と少し鼻を高くする。奥さんが腰に手をやりながら「まぁ五十年は掛かるかな」と笑っておられる。その大らかさ、機転の良さに感心した。人とのコミュニケーションはこうありたいと感じ入った。
絵の具の乾く間をオカリナ重奏で楽しむ。西行庵にオカリナの音が流れて行く。木々を抜けて音が流れて行く。なんと気持が良いのだろう。こんな贅沢があって良いものだろうかと畏れるほどだ。
こうして西行庵へも行け、絵も描け、オカリナも吹けた。
ひよっとして夢だったのだろうか。
薄の群落を車が駈けぬける。両側から薄がおいかぶさるように揺れ動き、光のなかを流れる。まるで雲の中を走っているようだ。
どれほど山道を駈けただろうか。
「あっ!」私は息を飲んだ。
これが雲海? 霞でも雲でもない霧でもない。薄墨のグランデーションがたなびき山並が重なっている。近景中景遠景を滲ませ、山が幾重にも折り重なりどこまでも続いているのだ。こんな光景は見た事がなかった。
始めて見る光景である。だのにどうしたと言うのだろう。広がる光景に懐かしさが胸を突き上げてくるのだ。
始めて見る大和の連山、その山並に血が躍り体内を連山が走りまわる。
大和は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭しうるはし
これだ、この山々が大和なのだ。倭のたたなづく青垣。日本人の血だ。血が騒ぐのも当然だ。私はぼうぜんとして涙ぐんでしまった。不思議な体験だった。あの連山に私はすべてを抱かれた気持になった。なんと美しい山並みであったろう。山並みは古事記に始まり、後醍醐天皇も西行も義経もみんな映している。歴史がたたずんでいるのだ。この胸を突く思いに自然への感謝と畏敬が立ち上る。
あの贅沢な一日は夢だったのだろうか。
いいや夢ではない。私は恐れも知らず、世界遺産吉野山、吉水神社の宮司さまに書をお願いしたのだ。それも「私の描いた絵に添えてくれ」と……。
ミニの紅葉屏風だ。西行庵の紅葉を描いた屏風だ。「天地燃ゆ吉野の山に夢添えて 素心」と墨蹟も鮮やかに書かれた。
屏風は毎日外出の無事を見送り、帰宅時の安らぎを迎えてくれる。 夢ではなかったのだ。
倭しうるはし卑弥呼も愛でし紅葉あり
吉野山から帰宅した次の日、偶然にも「発掘! 奈良桜井の纒向遺跡 卑弥呼の宮殿か」の記事が踊っていた。驚いた。
「倭は国のまほろばたたなづく青垣山隠れる倭しうるわし」(大和の国は日本の中でもひときわ高く秀でた国。青々とした木が茂った山々が垣根のように重なり合り,その奥に隠ったように存在する大和、こんな大和こそまことに美しい)これは日本武尊が臨終に残した歌で、大和(奈良)への望郷の思いを詠んでいる。 私は奈良桜井の高校を卒業した。かなり高齢の日本史の先生が居られた。穏やかな話し振りの授業だった「お婆ちゃん先生」と慕ってはいたが、とりたてて日本史に興味があったわけでもない。しかしある時、眠たそうにしている生徒に言われたのだ。「あなた達はきっと年を取ったとき、この歴史のある卑弥呼の里の桜井で高校時代を過ごせたことをどんなに誇りに思い、幸せに思う時が来るでしょう」と。
今、あの言葉が甦る。折り重なる吉野の山々に思った。
「この眺めは邪馬台国だ!」と。
私は邪馬台国の山々に出会ったのだ。きっと、卑弥呼もあの山並みを眺めたに違いない私はそう思う。
そしてその三日後、「59回滋賀県芸術文化祭文芸出版大賞」に「ジューンドロップ」の入選通知が舞い込んだ。これは全て偶然なのだろうか。夢なのだろうか。
私は紅葉屏風の前で頬をつねっている。
山の子 木村徳太郎
つかのま山彦
叫聲(いらへ)させ
爆音(ひびき)ははるか
遠のいた。
目やにこすつて
山の子は
斷崖まで爆音
追つて出た。
空はうすあお
晝見星
蝶もながれて
雪の嶺。
コケモモちぎつた
山の子よ
いつか山彦
呼んでゐた。
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