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また葉が散っていく。「触れもせで」……。
http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/45555891.html
どうして、急に次々と七十代が亡くなっていくのか。日本の長寿年齢は世界一だが、いずれそれは低くなると言われる。七十代は早くないのかもしれない。
父との共著本を出すために随筆を書いてみたいと思った。勉強のために同人誌「滋賀作家」に入れていただいた。投稿した作品が冊子に掲載されるとは限らない。数人の編集者達が選ぶ。そして掲載された作品をみんなで合評する。辛辣な意見が飛び出す。具体的にいろいろ教えていただける。そんな場は新参者には新鮮だった。合評会(定例会)は同人と、このときだけ顔をあわせ言葉を交えることのできる楽しい日でもあった。
滋賀作家は、プロとして活躍しておられる方、セミプロの方、私のようにずぶの素人といろいろだ。が書くと言うことに、誰もが楽しみを見出しておられるのだろう。
私の未熟な作品を合評していただ時のことを再現してみよう。
§ 繋ぎあわせて§滋賀作家クラブ 同人誌VOL.109号ヨリ赤字は合評会の意見。青字はそれに対する私の意見
奈良県の片田舎の雑貨屋には何でも売っていた。流行とはまるで縁のなさそうな衣料品から、果物、肉、魚、調味料、それに下駄や長靴もあった。天井から大きなザルがゴム紐で吊るされ、そのザルが引き下ろされるたびに煮干や鰹節の匂いが動く。小銭の入っている小さいザルもぶら下がっていた。少し頭髪の薄くなったおじさんが、何百種もある店の商品を、間違わずに注文通りに取り出していた。
その雑貨屋へお使いに行くのが大好きだった。祖母に頼まれて腑糊を買いに行く。
途中で、もうもうと土埃を立てて走るバスに出くわす。私は砂埃にすっぽり埋まり目を開けられない。小さい手を左右に振って、土埃を吸わないようにする。バスが遠ざかり、土埃が地面に沈んで視野が開けると、明るくなった先にジュズダマが揺れているのが見えた。ザワザワ鳴る大きな葉の間に黒々とした実が光っている。「ジュズダマを採らんとアカンな」呟やきながら、お使いの足が速くなっていく。
祖母がお湯を沸かして腑糊を待っていた。伸子張りの準備が出来ている。庭の木と木の間に布が吊られて揺れている。祖母が、溶いた腑糊を洗面器に入れ刷毛で塗っていく。まんべんなく丁寧に同じ濃さで塗っていく。両端に針の出ている竹籤を、測ったかのように等間隔にその布に懸け渡していく。一分の手違いもなく手早く動く祖母の手に、私はすっかり見とれていた。
読者層を何処においているのか。現在伸子張りを知っている人はいない。伸子張りに(注)をつけるべきだ私は読者層を意識して書いた事がない。自分の心をさらせ出せ、それによって昇華されるものがあるのでそれだけで書いてきた。あえて言うなら読者層は無意識に私と同じ年代層においていたかもしれない。伸子張りは、物を書こうという人なら、分からない単語や文献は自分で辞書を引くなり調べる楽しみを持つのであって随筆に(注)などがいるのだろうか。
伸子張りが終わると、だらしなくだらんとしていた布が、ピーンとなりまるで長い長い「龍」のように揺れる。「動かしたらアカン」と言われても、私は面白くそれを揺らすのが好きだった。花模様がいっぱいに描かれた布は可愛い小龍で、黒く光った漆入りの布は大龍が大荒れしているようだった。
小春のなかで、伸子張りの終った布は、夕方には、優しい陽をたっぷり吸って乾く。「小春」は阪田三吉の嫁さんだ、きっちりと「小春日和」と書くほうが良い「小春」と書くところが作者らしい感性だと言う人もあった。私としては小春は季語にもある。
伸子を外すのは私の役目だ。大小の龍が畳まれて行き、布に戻っていく。父の薄給では、親子四人(祖母、父、姉、私)の暮らしぶりは満足ではなかった。「親子」ではなく「家族」とすべき。
祖母が縫い子の内職をして生計を助けていた。祖母の仕立てる着物は、「着易く丁寧に仕上げられ、着る人を美しく見せる」と評判だった。新品の反物だけでなく、古着も伸子張りをして仕立ていた。それは、依頼者の子供の着物やコートに縫い直される。そんなとき布が余る。依頼者はたいてい余った布は要らないと言う。
せっせとお針の仕事をしていても、自分の着物や孫の私たちの晴れ着を縫う経済的ゆとりはなかったようだ。
縫い物をする祖母の傍らで、私は人形遊びをする。人形の着物は本物そっくりに縫ってくれたものだ。蒲団も本物と変わらない。祖母が針を運びながら、私を見て言う。「これはエエ反物やなぁ〜〜。こんな着物の似合うエエ娘さんに、なりや」と老眼鏡の奥から、優しい目を瞬かせる。私はその意味は分からないが、こっくり頷く。優しい目が厳しくなる時もあった。
「婆ちゃんもエエ着物をいっぱい持ってた。これよりもっともっとエエ着物やった。み〜んな戦争の時に米や野菜に交換してしもぅたんや」と、口惜しそうに言う。「残ってたら、和子にもよう似合うたやろに」と遠くを見るように言う。
しかし、私はそんな祖母の言葉より、残り布を繋ぎ合せて人形の着物や、お手玉を作ってもらえるかどうかのほうが、大きな問題だった。
「婆ちゃん。ジュズダマがもう黒うなってた。明日採ってくるしなぁ……」と、それとなく催促をする。
会話の「」の後ろに”と”が多すぎる。 そんな私に祖母は「ボチボチ、針や糸の使い方も覚えんとアカンなぁ」と、糸切り歯で糸を切り、二本指で鮮やかに反物の縫い目をしごいていく。その仕草は子供心にも、ドキッとするものだった。そんな仕草の真似は早く覚えられたが、真直ぐに針目を揃え、細かく縫うことはなかなか出来なかった。会話は改行したほうがよい字数が制限されているので、つい詰めているが制限字数も守り、自分の思いも書けるようにしたい。
祖母の作るお手玉は、どんなに乱暴に扱かっても解けることはなかったし、布の配色が綺麗で、一緒にお手玉遊びをする友たちにも人気があった。
ままごと遊びの小さい籠を手にして、川原へ降りる。お手玉にジュズダマを入れるのだ。祖母は大豆や小豆を入れることは決してなかった。どんな屑の豆でもそれは食料だったのだ。
ジュズダマを一粒一粒籠に集めていく。枯れた草の匂いが強く鼻につく。川原に吹き付ける風が、スカートを捲り上げ、もうすぐ来る木枯しを感じさせた。私は、匂いや風に負けないでジュズダマを籠一杯に集める。黒い実の中の糸のような芯を取り去り繋げて首飾りにする。首飾りは、手の中で擦り合わせると、「ザラザラザラ」と風や波の音を奏で私の胸元を飾ってくれた。
大きな缶に、金糸銀糸、夢のような色合いで地模様のある布や、漆が入ってピカピカ光っている布、さわるとツルツルとして気持ちの良い布、端っこだけが残って、描かれていた元の模様は山か川かと想像するだけの布、絞り地のでこぼこ布、透けた布などが大小不揃いに貯めてあった。缶を開けると、布が光を放ったように飛び込む。それは夢のように美しい色が飛び出す缶だった。その缶から何枚かを取り出し、彩りよく組み合わせ、長方形に切り揃え、そして袋にしてジュズダマを入れていく。祖母の作ってくれた色とりどりのお手玉が手に次々と乗っていく。どれも柔らかい手触りのよいお手玉だった。
あのお手玉を何処にやってしまったのだろう。もう手元に一つも残こっていない。私は作り方も忘れているし、作っても祖母のように上手には作れないだろう。
そんないろんなことを思い出し、時々着物を着る。祖母が話していた「戦争で失った着物のこと」「口惜しいかった思いのこと」そして「白く光った糸切り歯」。それらをみんな背中に背負い(背中心)に集めて着物を着る。
「婆ちゃん、どうや! エエ女やろ」と、姿身に映す。が、「ハハハ。まだまだエエ女と違いますな」と祖母の笑い声が聞えてくる。
「でもなぁ〜婆ちゃん。私いろんなこと繋ぎ合わせて、婆ちゃんの縫うた着物みたいに思って、心に纏うてるんやよ」。タイトルは平仮名のほうが良い。尻切れトンボのような会話で終らないで、なにか余韻を残すような言葉で締めくくってはどうか。三日ぐらい寝ないで考えてごらん 難しい。先に小春と言う言葉を出しているのでそれに繋げて「窓からあの時のような小春が差し込んでいた」とでもしょうか……。
全体評は、昔の人の物作りの精神性が良く出ている。タイトルの繋ぎが手繋ぎ(継ぎ)につながり良い。お手玉を無くしたことによる、喪失感が懐かしさとなる情感が出ている。現在の高齢者は自分のする事が分からない人も多いが、昔の人特に田舎の人は、充実した人生を送っていたのだと思う。最初の書き出しが、こんなふうにすんなりと出てくるのは良い。
いろんな意見を有り難く頂いた。私は脂汗を流して最後の文章を考え、亡くなったNさんに披露した。「そんなこと、別に捕らわれんでもええんです。人それぞれの個性ですから。でもそうやって考えたと言うことが貴重なのであって、その為の案だったのでしょう」と言われ、なんだか気が抜けてしまった。
でも、私はいま思っている。亡くなられた方ゝは優しい笑顔でヒヨコの私を見守っていて下さった。そして書くことの楽しさを教えて下さり、またそれに対する真摯な姿勢を見せて下さった。本を出すという目的で始めた文綴りである。目的が達成できれば止めようとも思っていた。でもあの厳しいが優しい目を思い出す。私は書き続けていきたいと思い始めている。そして今、書くことの意義や、先輩達の数々の教えを守っていけることを願っている。
十二月、私自身も年を重ね、本人、知人のご両親、兄弟、姉妹。そんな方の訃報に多く出会うようになった。
残された者が、教えと感謝を胸に頑張ろう。それが残っている者の使命なのかもしれない。
誰にでも過ぎた日と新しい日の来る十二月
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