来た道行く道通りゃんせ/風にのって花ひとひら

のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

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* いただいた誕生日カード
* 孫の誕生時、記念に植えた山茶花も大きくなり吹雪にも負けません
* 柊は生まれたとき棘はありません。棘が出来、古木になるとまた棘がなくなります

 こんなに大きくなりました(誕生日ありがとう!)
ボランティア 訪問をしているキリスト教の老人施設でお誕生日会があった。イッショウサンのお誕生日だ。(イッショウサンは、行き倒れになっていたのを、施設の人に助けられ、「一升」酒を飲んでいた日々を聖書の「一章」に変えた人で、「お酒の一升を聖書の一章に変えました」と話すしゃれっ気に、私は彼をイッショウサンと呼んでいる。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/49851392.html
イッショウサンがその誕生日会で「こんなに大きくなりました。有り難う」と言ったのだ。イッショウサンの正確な年齢は知らないが、どう見ても七十代だ。そのイッショウサンが「こんなに大きくなりました」と言ったものだから、会場は大爆笑になった。私も大笑いをした。
しかし、なんだか胸が熱くなってきた。イッショウサンの「大きくなりました」に、大きくなったのは一人で成ったのでなく、みんなのお陰で大きくなったという意味が感じられたからである。短い言葉の端に、そんな感謝と嬉しさが満ちていてホロッとしてしまったのだ。みんなもそれを感じたのか、大爆笑のあと清清しい空気が流れていった。
私は反省していた。
 施設では利用者、スタッフ、ボランティアの人の誕生会が毎月行われる。手作りカードと花束が贈られる。祝ってもらう人のその嬉しそうな顔、晴れやかな顔に私はうらやましく思っていた。 
 そして数日前「こことの付き合いは七年近くもなるのに、私はまだ一度も誕生日会をしてもらっていない」と、嫌味をこめて言っていたのだ。オカリナ演奏や、脳いきいきアートの教室、施設の人が遠出するときには介助ヘルパーで、またバザーの手伝いなどで、月1回は施設へ訪問している。だのに、私のお誕生会は一度も無い。それを催促するような、さもしいことを言っていたのだ。
(単に、私が一月生まれだと知らなかっただけで、スタッフの人たちが恐縮して、先月誕生会をして下さっていた。)もちろん私は嬉しかった。お誕生日を祝ってもらうことがこんなに嬉しいとは思わなかった。衆人の前で花束を受け取ることの誇らしさ、「おめでとう」の言葉に酔っていた。そして「年齢は言わないよ〜〜」と笑いを誘っていた。イッショウサンの言葉にそれを思い出したのだ。

「誕生日」という言葉から受ける認識は年齢が一つ増えること。みんなからお祝いを言ってもらうこと。プレゼントを貰うこと。私はそれだったように思う。だから私は「やってもらっていない、損や」などという気持ちが無意識にもたげていたのではないだろうか。
 イッショウさんは違った。清清しく命を受けた日を喜び、両親初め、たくさんの人々にお礼を述べているのだ。こんなに大きくなったのはみんなのお陰と感謝しているのだ。
私は恥ずかしかった。 高齢に成るにつれ年齢を重ねることをマイナスのように感じ、素直に誕生日は喜べなかった。イッショウさんは違う。歳を重ねて大きくなったことを喜んでいる。大きくなったのはみんなのお陰、そして自分をこの世に生んでくれた両親、母親に感謝している。そんな気持ちが、とうとうと伝わってきた。

 私の子供時代は、誕生日などをあまり祝ってもらっていない。祖母がかき集めた小豆で赤飯を炊いてくれたのは覚えている。しかし、プレゼントなどはなかった。早く大人になりたいとは思っても、それほど記念すべき日だとは思わなかった。
 我が子をもち、病気もせず早く大きくなってくれることを願い、誕生日は子供より親の私が嬉しくて、ケーキに立てるローソクの数を増やして行くことが嬉しかった。そして少し大きくなるにつれ、プレゼントの心配をし行事化していたように思う。
私の誕生日などは、忘れていることが多かった。ときたま主人が覚えていて、花一輪などを持ち帰ると嬉しかったが・・・しかし、記念すべき日だと言うことから少し離れ、形式化していたように思う。だから、誕生日の加齢など嬉しくもないと思う反面、祝いを催促する矛盾さだったのだ。

 イッショウさんの嬉しそうな満面の笑みと「大きくなりました」に、私も「大きくなりました。有り難う」と呟いていた。大きな大きな誕生日プレゼントを改めてもらった気がした。
 誕生日は一年に一度、今ある自分がこの世に出、いろんな人の世話になり、いろんな人に育ててもらったお礼を心に刻む日なのだと思う。生まれてきたことに感謝する日なのだ。そしてまた一年、いろんな人との出会いが加わり、私は大きくなるのだ。


  週1、2回勤務をしているデイサービスでもお誕生日会がある。利用者さんは、認知症の方や、いろんな生い立ちの方や、いろんな生活環境の方がおられる。誕生日会のときはみんなで手作りカードを作り決められた予算からスタッフがプレゼントを探してくる。少ない予算からその人に一番相応しいものを、智恵を絞り探してくる難しい作業の日でもある。プレゼントを受け取るときの嬉しそうな顔。中には自分が貰えないことに怒り、暴れだす人もある。(その人のお誕生日月ではない)
思うのだが、人は誰しも、自分の居場を探しそして自分が主人公であることを欲する。高齢に成るとこれが顕著に出てくるようにも思う。
 私は今、暴れだした人に、「お誕生日はお母さんが生んでくれやはった日やで。プレゼント貰う日と違うしなぁ。もっともっと大きくなって待ってよな」と言う。自分が存在する記念する日、また存在を認めてもらえる唯一の日が誕生日なのかもしれない。

そしてそれは、毎年決まってくる記念日であり、対義語として命日がある日なのだ。
今一度、自分の存在とともに、多くに感謝する日でもあると、イッショウさんに教えられる誕生日である。


★★★★★★★★★★★★★★★
節分  木村徳太郎  
        
      寒い くさめを
      一つして
      あの子は 柊
      門に挿す。

     きっと鬼も 来ないでせう
     寒くて鬼も 来ないでせう

     こうと 冷たく
     一つ鳴く 
     冴える 鷺の
     しらじらさ。

     まだまだ春は 来ないでせう
     ほんとの春は まだでせう。

     ひそかな寒の
     月の街

     あかぎれ ぬくめて 
     いそいでる。

     帰れば火種も あるでせう
     家には火種も あるでせう。 

  
「柊挿す」とは、節分の夜、柊を門に挿し、柊の棘をおそれて家の中に鬼が入らぬようにするのです。「立春」は節分の翌日で、」新しい春を迎えるのですが、空っ風のきついこの頃、ほんとうのうららかな春がしきりに待たれるのです(徳太郎記)

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