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檜の切り株と赤松の松ぽっくり・コブシの蕾・コブシの花
ヘルスツーリズム の 旅 (2)
森林療法
懐かしい顔々に出会えた。前回の「ヘルスツーリズムの旅」以来だ。<チーム沖島>が結成されていたが、日の暮れが早い冬場は帰宅が暗くなるのを恐れ、私は欠席ばかりしていた。が、積雪の心配も無く暖かい春を感じさせる日和のなか、みんなに出会えた。
素晴らしい研修会が行われた。ヘルスツーリズムの森林編だ。
「健康・癒し」は今日のキイワードで、○○療法も百花繚乱の流行だ。
そんな中「日本森林保険学会」を立ち上げられた上原巌先生の研修会が、滋賀県有地の檜人工林で行われた。(詳しいことは先生のHPやhttp://blogs.yahoo.co.jp/ueharaiwao/19306055.htmlで紹介されている。私も画像に写っているかもしれない?)
子供のころ山村で過ごした。親に叱られたり友達に苛められると、山に入り木々を渡る風の音、鳥の鳴き声、小さな花々に慰められた。しかし山は生活の場だった。薪とりに行く近所のお姉さんが「かーこちゃんを連れて行くのは嫌」と言う。都会から来た女児を最初は珍しさもあり山へ誘ってくれたが、生活感のない私は空を眺めたり、花を見つけたり、挙句には「おしっこ!」「おなかが減った!」などと言い出す。お姉さんにしてみれば、その日のうちに得なければいけない薪の量がある。山菜にしても大切な食料だ。春のエネルギーを感じるより先に、貧しい山村の食料を得る「生きること」の作業だったのだ。山は「生きること」の場所だった。
子供の私には、山と森の区別があった。森は童話の中に出てくるリスやクマのお話の世界の冒険の場所で、山は、薪拾いや正月にはウラジロをとりに行き、キノコを採り、ゼンマイ、ワラビを採りに行くところだった。大人になって山も森も同じだということに気が付く。そこは「生きる」場所であり、丈夫な体を作り、心の健康も果たし、お話に浸れる世界であったのだ。
いろんな手段(登山、音楽、芸術、園芸、スポーツ・・・)が、体と心の療法になる。しかし、目的もなしにただ単に音楽の演奏・園芸作業、山登りで終わるなら、それは「音楽」「園芸」「登山」と呼ばれものであり、登山も登山でしかないような気がする。単なる森林浴、自然観察、山登りに変わりがないようにな気がする。
そんな中、森林での作業や、環境形成活動、風致作用の享受、心理的な癒しを含むのが「森林療法」と呼ばれるのだろう。思えばこれは、私が子供のころに体験した、「生きる」と言うことと同じではないのだろうか。そんなことを思いながら参加してみた。とにかく楽しい研修だった。
いつも利用している高速道路の側に、県の山があるとは知らなかった。県の檜山だ。森林政策課と言う名も始めて聞く。山に入るというだけでもワクワクするのに、頑強な若者が<森林チャレンジャー>としてフォローしてくれる。
道なき道(獣道)を行く。登りはよいがこれをまた降りるのかと思うとゾーとする。獣道にも結構プラスチックゴミに出会う。これは人間のゴミだ。寒いと思いたくさん着込んできた私は、厚着と被り慣れないヘルメットとで汗びっしょりだ。やっと研修場所にたどりついて説明が始まった。説明の講義が又面白い。上原先生の話は聞くだけでセラピーになる。まるで穏やかな森の風が話しているみたいだ。
100M×100Mにロープが張られ、その中に檜が何本あるか数える。こうすると、1ヘクタールの木の混み具合が分かる。数えると15本ほどあった。理想は5本までと聞き驚く。ここで軽作業をする(私には重作業だった)間隔を理想に近づけるため、間伐、枝払いをするのだ。どれを間伐したらよいかを教えられ、一人一本ずつ、手鋸で切り倒すのだ。もちろんこのとき木の倒れ方、鋸の使い方を学ぶ。見本を見せられる先生の鮮やかな樵ぶりを見ていて、私は突如「弘ちゃんは生きている」の童話を思い出した。(酒癖の悪い弘のお父は木を切る仕事をしている。弘に木の倒れ方、ロープの掛け方などを教え、山に入ると人が変わったようにキリリとするお父と弘の長編童話だ=これは私の父の未完作品で、これを完成させたく私はブログを立ち上げたのだった)木が倒れるとき風が動く、周りの木がざわざわと揺れ、鳥が飛び立つ。そんな描写と、山持ちとで貧富の差があった山の時代の物語だ。書庫「弘ちゃんは生きている(1,2)」に入れているので、読む機会を得られれば嬉しい。清書、校正して完成させるつもりが、いまだやれていない。しかしあの時は山の木が倒れていく情景を私は知らなかった。いま目の前で空気を切り裂き、小さな雑木をなぎ倒していく姿を見て、あの物語はいまでも通用するのではないかと一瞬思った)
手も腰も肩も疲れてくる。しかし、一人一本は倒さないといけない。込み入った檜に少しでも陽を入れないといけない。
「バサッ!ドドドドー」「やったぁ〜」「切り倒したぞ」凄い爽快感だ。
伐採した檜を1メートルぐらいに切り分け、コースターを作る。おがくずが黒い山土の上に香りを零していく。檜の香りが鼻をくすぐる。鳥の鳴き声も聞こえる。疲れが取れていく。
年輪の数え方を教えてもらった。傷があるところは枝を巻き込んでいるのだ。間隔の狭いところ、広いところでそのときの環境が分かる。私は伐採しやすいように直径10センチにも満たない細い木を選んだのに、これで四十年近くも経ていることが分かり、頭の下がる思いだ。陽が入らないと、ツバキ、サカキ、ヒサカキ、クスノキ、ヒイラギ、シロダモなどが茂ってくることを教えられた。私は子供のとき、これらの花で遊んでいたのだ。あれはあまり手入れのされていない山だったのだろうか。
ヒサカキの枝がわずかに匂いを放ち、たくさんの蕾と咲きかけの小さな花をつけていた。山にも春が近づいているのだ。気持ちのよい風が通り抜けていく。
下りは心配無用だった。整備された舗装道を降りる。先生が赤松の松ぽっくりを見せて下さった。「どうしてこんな形になったと思いますか」と聞かれる。分からない。
「リスが美味しいとかじった跡です」と。リスはクルミを食べるものだとばかり思っていた。歯の丈夫なリスは、なんでもござれだった。先生が話されるとそこに森の風が吹く。まるで先生がリスで、「とっても美味しかったぁ〜〜」と言っているように聞こえる。
やっぱり「森」は童話の世界かもしれない。
そんなことを感じた「森林療法」だった。
帰宅すると、コブシの蕾が膨らんでいた。山ではヒサカキが咲き始めていた。「「山の三月そよ風吹いて〜〜」森林療法に参加して、山の春に今まで以上に想いが行くようになった。
私のリラクセーションはいつまでも続くようだ。
*コブシは春一番雪解けの水と共に咲く花だ。私はこの花が大好きだ。一枝を手折りコップに挿す。夜更 かしをした、静寂のとばりの中「ハラリ」と音がする。コブシが外套を脱ぎ落とした音だ。そして輝く 白磁の肌が現れる。春が噴出した音がする。それを見たくて、聞きたくて、一枝をいただく。
コブシは辛夷か拳か・・・・牧野富太郎博士は「拳」。蕾や果実の形が握りこぶしに似ているので この名がつく。私もこちらをとる。辛夷は中国の植物だということらしい。花言葉は「信頼」
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伐木 木村徳太郎
こっつん こっつん こっつん
木洩日
背にうけ
木に斧あてれば
__滴る
しづくに
木の香も匂ふ
こっつん こっつん こっつん
この森
一の
木に斧あてれば
__小鳥も
讃ふよ
舟檝(ふね)となる須岐乃岐(すぎのき)
こっつん こっつん こっつん
木洩日
背にうけ
木に斧あてれば
__谷間の
瀬も鳴る
木立の向ふ。
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