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木から離れた林檎の軸の先は、お母さんとさっきまでのの話しの続きをしているようで可愛くまぁるいでした。
臨床美術(脳いきいきアート)の林檎の量感画で描いてみました。店頭に並んでいる林檎の軸は平らなんですね。
「木枯」の詩に挿絵を描いてみました。
「木枯」 木村徳太郎
木枯の / 歯にしみる / 月の夜 /果実屋(かづつや)の / アップルが / 目に痛い。
木枯で / 待ってゐる / バスの舗道(みち)。 「木枯」木村徳太郎 木枯の / 歯にしみる / 月の夜 /果実屋の / 林檎(アップル)よ / 目に痛い。
木枯で / 待ってゐる / バスの路。 「木枯」 木村徳太郎 木枯の / 歯にしみる / 月の夜 /果実屋の / 林檎よ / 目に痛い。 木枯で / 待ってゐる / バスの路。 「木枯」(改作)木村徳太郎 楽久我ノート(昭和17年8月)
木枯が / 歯にしみる / 月の夜 /――果実屋の / アップルよ / 目に痛い。 木枯が襟に吹く / 更けた夜 /――並木道 / バスを持つ / ビルの壁。 上記の詩は木村徳太郎(父)が昭和の始めに作ったものである。同じ果物だが、林檎かアップルかで雰囲気が異なる気がする。私の知っている父は、ハイカラでお洒落な人だった。遠くを夢見て「アップルをほおばっている少年」の面影が似合う人だったように思う。
それにしても、一つの作品に何度も何度も推敲を重ねる父の姿勢に頭が下がる。
林檎とアップルはどう違うのか。私もこだわっていた。
林檎ジュースは国産の林檎を使ったもの、アップルジュースは外国産の林檎を使ったもので原料が国産か、外国産の違いで分けられる。俳句の季語(秋)に林檎はあるが、アップルはない。また林檎の花はあってもアップルの花とは言わない気がする。
十二月になろうという日、「林檎狩り」に同行した。長野県の最南端、伊那谷の中心である飯田市の天竜川東岸「天龍峡」の丘の上にある林檎園で、傾斜地の多いなか平坦な高台の林檎園だった。同行は車椅子や高齢者が多かったが不便はなく、シーズンオフ近いせいか入園者は私達だけだった。
ゆったりと植えられている林檎の木々の間から木漏れ日がこぼれていた。木漏れ日まで林檎色をしていた。例年はもっと早く紅葉するのが今年は二週間も遅れて霜を受けているということで、周りの山々は縮れた色をしていた。余計に赤い林檎がまばゆかった。しかし冷え込みはきつい。遠景の南アルプスは冠雪している。冷え込みが増すと蜜が沢山入ると言う「ふじ」や「シナノスイート、シナノゴールド」が寒い陽を浴びて輝いていた。一口噛めば口中に果汁がひろがりかすかな冷たさも心地よい。林檎の採り方を教わった。棒の両側に林檎を挟む輪がありそれで林檎をつかみ棒を少し上に持ち上げるだけで、手のひらに林檎が包まれる。私は柿とりと同じように思っていたので拍子抜けするほど簡単だった。強風に林檎が散らばっている風景を映像で見ることがあるが、納得された。 「看板娘なので、これは採らないで下さい」と言われた樹は、真っ赤な実で覆われていた。そこだけ彩の嵐が吹いて高原の風に林檎の香りまでも動くようだった。こんなに実がいっぱいの大樹をみたことがない。一つ一つの林檎がとても可愛く見える。唐突に「♪どっど どどうど どどうど どう 甘い林檎も吹き飛ばせ すっぱい林檎も吹き飛ばせ♪」(原作はざくろ、くるみ、かりんだが)映画で見た「風の又三郎」の歌声が響き渡たり、空からガラスのマント、ガラスの靴を身につけた風の又三郎が舞い降りて来るような気がした。一緒に風の又三郎が林檎をもいでくれるのだろうか。
林檎園は家族三代で運営され、いつも林檎の木たちに「りんごよ、りんご、おいしくな〜れ」と言い聞かせながら仕事をされているとのことだ。最近四代目が誕生した大家族で大福帳を預かる商家のおかみさんのように、高齢のお婆さんが采配を振って貫禄があった。どの人も林檎のような優しい方たちだった。人だけでない。人と同じく永い間美味しい林檎を実らせてくれた老木も、これからの若い幼木も、皆家族なのだろう。そんな空気が流れていた。
美味しい山菜のお蕎麦を食べ、林檎並木を通り(この並木道は、市街地の大半を消失する大火があり、その復興過程で当時の中学生たちの提案で生まれ、以後代々の生徒たちで慈しみ育てられ、防火帯となり、春には白い花、秋には赤い実で人々を和ませている)帰路に着いた。バスの中は林檎の匂いが充満している。十二月に入ると林檎は凍てるので凍てる前に収穫し、皮ごとジュースにすると言う土産の濃縮ジュースを早くも開け、飲んでいる人もいる。
林檎の世話は大変だろう。気候や自然災害の影響も大きく受けるだろう。が、人々の「おいしいね」とこぼれる笑みを思い出し、樹と共に頑張っておられるのだろう。そんなことを思いながらバスに揺られて、私は遠い遠い昔を思いだしていた。熱を出し、祖母がすりおろし林檎をスプーンで一口一口食べさせてくれたのだ。
そうだ! 林檎(りんご)は、
母が割るかすかながらも林檎の音(飯田龍太) 林檎は秋の季語である。秋は地上の事々を一旦静けさへ立ち戻らすようなところがある。割られる林檎の音、母親の存在、家の空気など、すべてに静けさが際立つ。観光農園でありながらも訪れた林檎園で、私は風の又三郎を想い、家族がいきいきと林檎と共に暮らすハーモニーが静かに流れているのを知った。 「林檎」は郷愁を誘う静かな流れであり、「アップル」とは確実に異なることを感じた。林檎狩りに行き、林檎の大樹を見ることが出来て良かった。私の中で「林檎」と「アップル」の区別がついた気がした。
父が最終改作で、林檎をアップルにしたのが理解できるような気がした。静かな林檎より、木枯しに負けず前を向いて行く元気な心象風景を父は描きたかったのではないだろうか。
何度も何度も推敲を重ねる謙虚な気持ちを私も持ちたい。
そして林檎も愛しい。アップルのように前を向いて行くのも良い。
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2011年12月17日
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