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雄雄しい菊と健気な野菊。菊の花は気品がありますね。
日本の原典〜古事記物語〜 (10)
八雲立つ出雲
前回、須佐之男命は八俣の大蛇の尾から出てきたどんなものでも切れる見事な輝きを持つ、十拳剣を自分のものにしないで「無事に退治できたのも天照大御神の守り、父の伊耶那岐命、母の伊耶那美、そしてたくさんの神々の守りがあったから」と感謝の気持ちと、高天原で随分迷惑をかけたお詫びに天照大御神に献上されたのでしたね。あの暴れん坊でどうしょうもなかった須佐之男命が英雄になり、美しい妻も得ることができたのです。駄目だからと捨ててしまわない。再生と復活。そして感謝の気持ち。これが日本古来の精神でしょうか。古事記はそうしたことも伝えてくれているのです。
古事記は上中下巻の三巻からなります。上巻(神代の巻)は、宇宙の始まりから日本の始まり、そして古代の人々の生活、習慣、智恵など、普遍的なものまでが描かれ、中巻(人世)、下巻(天皇記)と進み、日本という国家の成り立ちだけなく、神々から天皇を中心とする、人々の喜怒哀楽が凝縮されている一大物語となります。そしてそこには日本人としてあるべき姿、(大和民族の心)が溢れるように綴られいるのです。1300年も前に記さていたとは素晴らしいとしか言いようがありませんね。
ブログでの「古事記物語」は、稗田阿礼さまが平成の現代によみがえって語りかけて下さる、そのうえで古事記の原文を忠実に現代語訳したものではなく、記述にのっとりながら自由に内容をふくらませ、私なりの思いで表現させてもらっています。
歴史を知るということはその中の一滴になれることです。そしてその一滴はどれだけ日本の史実を正確に知り、日本人として進むべき道標を教えてもらえることではないでしょうか。
古事記はその思いを呼びおこすものだと思います。物語としてだけでなく、歴史の中に入って一緒に楽しみましょう。
八雲立つ出雲 須佐之男命と櫛名田比売
夫婦になられた須佐之男命と櫛名田比売は新婚生活を送るのに新居探しを始めました。須佐之男命は櫛名田比売の育った風光明媚な出雲が大好きになりまし
た。須佐之男命はこの地に永がく住むことに決め、天津神(あまつかみ)である自分達がこれから地祇(くにつかみ)として住むにふさわしい御殿をこの地に建てようと、土地探がしをされます。草や木にも親和感が湧きます、猛々しいかった須佐之男命の顔には、.なごやかな微笑みが絶えず浮かんでいました。傍らには美しい櫛名田比売がしっかりと寄り添っています。まるで威風堂々とし気品のある大輪の菊に寄り添う可憐な野菊のようでした。太陽も、空気も、水も、土も天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の生命に溢れていました。天照大御神の慈愛を深く感じとても幸せな新居探しでした。
急に目の前がひらけ、一段と美しい風景が広がりました。須佐之男命と櫛名田比売は思わず足をとめ、その大自然の神々しく美しい姿に見とれました。「私は、ここに来て、とても心の中がすがすがしくなった。ここに決めよう」と須佐之男命が言われ、櫛名田比売も大きく頷かれました。 雲が立ち上がります。それを見て須佐之男命は歌を詠みました。
八雲(やくも)立つ
出雲八重垣(いずもやえ.がき)
妻籠(つまご)みに
八重垣(やえがき)作る
その八重垣(やえがき)を
(深い谷間からは、霧が立ちのぼり、幾重にもかさなる山脈(やまなみ)は遠くかすみ大きなきな樹木の中に調和して御殿が見え、清い谷川の水は、涼しげにせせらぎ、四季それぞれの美しさと、朝夕の素晴らしいさを眺める、ここでの生活を思ってみただけでも満ち足りた喜びが溢れてくる)
と、宮殿をお建てになりました。
稗田阿礼さまのお声が聞こえます。「このお歌は、五・七・五・七・七という和歌の形をとった一番古い歌です。この時から日本人は、生活や風景の中に、神とともに神の子として生活する感激を歌いながら自分の生活を深めることになったのです。見晴らしの良い土地、そこは大地から目に見えないエネルギーが吹き出している神聖な所です。自然と共に暮らしていた古代の人々は、このような場所を直感で感じることができ、そこを聖地として後々代々大切に守っているのです。その場所が神社や鎮守の杜となって日本の各地にたくさん残っています。パワースポットと言われるものかも知れませんね」 そして足名椎神を(櫛名田比売の親=八俣の大蛇で出てきましたね)「あなたは、私の御殿の長老(おさ)になって下さい」と、お呼びになって、みんなで幸せにお暮らしになりました。
この宮殿で、須佐之男命と櫛名田比売は次々に子供をお生みになられました。その子供に子供が出来、その子供に子供が出来・・・・・・
そして、そのなかの一人があの大国主神(おおくにぬしのみこと)ですね。須佐之男命の子孫になられます。
ここで少し神様の復習をしておきたいと思います。
須佐之男命と櫛名田比売との間に生まれた子どもは八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)と言い、出雲の土地神となり子孫も繁栄し、末永く幸せに暮らしました。
それとは別に須佐之男命は他に、おおやまつみの娘「かむおほち姫」とも結婚され「大年の神」「宇迦の御魂の神(うかのみたまの神)」を産んでおられます。 少しややこしくなってきます。須佐之男命と櫛名田比売の子どもの、八島士奴美神は、おおやまつみの娘「このはなちる姫」を妻にして「ふはのもぢくぬすぬの神」を産み、「ふはのもぢくぬすぬの神」が、「ひかは姫」を妻にして「ふかふちのみづやれはなの神」を産み、「ふかふちのみづやれはなの神」が「あめのつどへちねの神」を妻にして「おみづぬの神」を産み、「おみづぬの神」が、「ふてみみの神」を妻にして「あめのふゆきぬの神」を産み、「あめのふゆきぬの神」が「さしくにわか姫」を妻にして『大国主の命』を産みました。 たくさんの神様の名前が出てきます。古事記はこの神様の名前に疲れて、読まない人も多いようです。ほんと疲れるかもしれませんね。
でも妻以外の女性や従兄弟やと、、これって人間界にもよくあることですね。こうやって脈々と子孫が続いているのだと思うと、面白いです。(疲れる人はこの部分は飛ばして下さい。)
この続きは またふることに云ふ (追記)須佐之男命は出雲の八重垣神社、紀の国(和歌山)の熊野本宮大社、そして祇園祭で有名な京都の八坂神社にお祀りされて、日本中に疫病が蔓延しないように守って下さっています。
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脳いきいきふれあいアート<60>
収穫に感謝して
11月は沢山の収穫の恵みです。勤労感謝の日があります。昔は「新嘗祭」と言い農作物の恵みに感謝するとても大事な式典でした。「新嘗」とはその年収穫された新しい穀物のことを言い、「瑞穂の国」の、国家の重要な儀式だったのです。それが昭和23年に現在の「勤労感謝の日」に制定されました。外国では一年の終わりが10月31日で、ハロウィンのお祭りがあります。死者の霊が家族を訪ねて精霊や魔女が出てくると信じられ子供たちが仮装し、ここにはカボチャのお化けが出てきます。これも勤労に感謝するお祭りではないでしょうか。カボチャはとても優れものです。煮付けにしても、サラダにしても天ぷらにしてもお菓子にしても美味しいし、冬至にはカボチャを食べる風習もあります。これは糖化に時間がかかり、晩秋以降が食べごろになるのと年末まで日持ちする数少ない野菜だからです。うらなりと言って味は落ちますが遅くに(最後までがんばって)実を付けるうらなりカボチャもあります。どれも有難い生り物です。
感謝の気持ちをこめて、11月の「脳いきいきふれあいアート」はカボチャの量感画にしました。勤労や自然の作物に思いを乗せ、アートを楽しもう。我が家で収穫したカボチャを使うことにしました。私が収穫したカボチャです。いっぱいカボチャと会話して、アートを楽しんでもらいました。 いろんなカボチャが出来ました。捨てた残飯の種子が芽を出し実ったものもあります。
臨床美術でよく描かれる<量感画>は形にとらわれないで(写生ではありません)中から描いていきます。五感をふる活動させるのです。
カボチャを切って種子や果肉を観察、カボチャを味わいカボチャの質感を感じる。そしてカボチャの話題、思い出を楽しむ。 これは制作に入る前の「導入部分」でとても大事なものです。そして中身(核)を描いていき、表皮をかぶせ制作します。(目に見えている表皮の中に、しっかりと中身も描かれているのです)が、「どうして中身から描くの」と、どうしても輪郭から描こうとする人もいます。 「どうしたら中(核)から描く面白さを理解してもらえるだろう」これが私の悩みの一つでもありました。
そして思ったのです。「そうだハロウインのカボチャだ」と。
かぼちゃの量感画
目鼻をくりぬき、ハロウインで遊んでみました。切り抜いたカボチャをメインに構成しました。
2)カボチャの中身に感じる色で1点を打ち、そこからカボチャを広げていきます。中身を育てていくのです。 3)その上に表皮を被せていきます。サンドペーパーでのオイルパステルの重ね具合や伸びを楽しむ。 4)モデルのカボチャを見ながら、描いたものをそのカボチャに手で千切るか鋏で切って、形を表現していく。 5)それを好みの台紙に貼り、かつ他の紙などを組み合わせ構成し作品に仕上げる。 5)台紙に貼る前に描けたカボチャに、目鼻をくり抜き、くり抜いた(カボチャの一部)ものを使い、構成して台紙に貼り作品を仕上げる。 6)サインを入れて出来あがり。 7)作品の合同鑑賞会がとても面白くなりました。 脳ふれあいアートを実施している、「ふれあいの家、デイサービスの家<おしどり>」では毎年秋にバザーが行われます。なにかお手伝いが出来る喜びを教室の皆んなにも感じてもらいたくて、今まで制作した臨床美術の画法でポストカードを作り、ボランティアで参加してきましたが、ポストカードは自分で絵を描く人が多いのと、最近は葉書を出す人が少ないこともあり、毎年同じような葉書では飽きられるということを感じました。そこで今年は「オリジナル起き上がりこぼし」を作ることにしました。「転げて笑って」の、あの起き上がりこぼしです。
皆で大笑いしながら作りました。たくさんできました。
沢山積んで達磨落としで遊びます。はねられても「笑って、笑って」笑う門には幸せがあります。
ライオンズクラブでやったとき「毛がないのはおもしろくない」と毛髪を足して下さる方がいて、それは面白かったです。そこでそのアイデァをいただき、「笑っておじさん」に毛を足すことにしました。下準備をしていきました。そしてみんなで沢山作りました。値段は1個100円です。大きくしたので重ねてダルマ落しでも遊べます。
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今年もシイタケが沢山出来ました。
肉厚のシイタケは焼いてカボスを絞って。ギンナンは大銀杏から頂きました。渋柿は夜なべに皮を剥き干します。
十一月の献立
今年もキノコが沢山採れた。子供のころキノコと言えばマッタケだ。
私は祖母の食事で大きくなった。祖母のおかずは、切り干し大根と油揚げを煮干で煮たもの、きんぴらごぼう、根菜の煮しめ、菜っ葉の炊いたん、胡麻和え、白和え、煮豆、そんなものが多かった。天ぷらも野菜がほとんどだった。たまに煮魚が食卓に乗るが肉はほとんどなかった。 弁当に貧富の差があった。ほとんどの子が麦ご飯でで真ん中に梅干しが陣取り、日の丸弁当と言われていた。アルマイト弁当の蓋は梅干で白く朽ちていた。お金持ちの子の弁当は白いご飯と卵焼き、ウインナーが入っていた。そんな貧しい田舎の食事だったが、旬を大事にしていた。大事にしていたと言うより旬を食べるのが当たり前でそれが一番安上りだったのだろう。 秋はマッタケがあちらこちらから届けられた。マッタケ以外に黒いキノコや白いキノコもあった。祖母の手伝いでコンロを庭に持ち出しマッタケを焼く。熱いのを我慢して割き醤油に漬ける。手が熱くあまり好きになれない手伝いだった。しかし今マッタケの匂いと醤油の匂いが「匂いの子守唄」のようにしてくる。 貧乏なおかずと思っていたものがとても贅沢に思えてくる。あそこには工夫して食べ盛りの孫に少しでも多く食べさせようとしてくれた愛情が煮詰まっていた。 高齢者に接する仕事をしていると祖母から習った料理がとても役に立つし、メタボとかにも縁遠い。それに工夫して美味しく食べることが大好きになっている。春は山菜摘みが楽しい。夏は西瓜の皮も食べる。サツマイモの蔓も葉唐辛子の佃煮も芋がら(芋茎)も大好きだ。これはみな祖母からの伝来だ。 ただマッタケだけは余りにも高価で手に入らない。しかし季節を味わいたい。そんなとき「キノコごはん」を炊く。
キノコが今年も沢山出来た。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/52205642.html ギンナンを近くの公園で拾ってきた。匂いを我慢して何度も水で攪拌して種を取り出し陰干しにしてある。
今日は贅沢にマッタケ?ごはんだ。
11月のレシピ
(材料)
新米 銀杏(無くてもよい) エリンギ、シイタケ 薄揚げ マッタケのお吸い物の素 (作り方) 1)エリンギ、シイタケを焼いて焦げ目を付け、マッタケに似せる 2)ギンナンを茹で薄皮をむいておく 3)これらに揚げを加え水の量を少し多い目にして マッタケのお吸い物の素を入れて炊く。 4)マッタケの香りが充満して「う〜〜〜お腹がなる」 少し焦がしてエリンギもシイタケもマッタケに似ました。
何杯もお代わり!食欲の秋でもあります。
偽者のマッタケご飯だが、韓国産のマッタケを使うよりは秋が深いと思う。何より安価で一杯秋を食べられる。 マッタケ?ごはんをおにぎりにして明日は紅葉狩に出かけよう。 「あ〜〜〜日本の秋はし・あ・わ・せ」。 |

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