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(7)
ばんどりを追って、桧の下に走り寄る学童達が、いっせいに立ちどまる。
どこですったのか弘のひたいと、右足の甲から、血がこんこんと湧き出した。
桧の枝に移ったばんどりどころではない。
座り込んで泣く弘のまわりにみんな寄って来た。
越出あや子が、ハンカチを弘に渡す。みるみるうちに、まっ赤に染まる。
「兄ちゃん、登るなと言うたのに。馬鹿。馬鹿」
弘の背中をたたきながら、美代も泣き出した。
誰かが「先生を呼んできたる」と駆け出す。
「弘ちゃん、しっかりせい。大丈夫ヤ。テンダイウヤクのんだから死にはせん」
隆は血で赤く染めて泣く弘を元気づける。が、けがの責任の幾分かは、自分にもあるように思えて、おろおろ顔だ。
「奥田さんが悪いんや」
女の学童たちがはやすのに気づいて、奥田君は弘の足の甲の傷を、誰かにかりたタオルで結んでいる。
梶野先生と、伊藤房江先生が駈けて来る。
「誰か水を持ってきて此処の血をながしておきなさい」
梶野先生は、学童たちに指図し、泣きじゃくる弘の肩に手をかける。
それを手助けて、弘の両足を、伊藤先生が両脇にかゝえこみ、参道を横切って、学校にいそぐ。
参道に、赤い百合が点々と咲いたように、血が地面を染めている。
「水、水、水、早よもってこい」
弘が先生に運ばれた後、隆と奥田君が女の学童たちに指図。
言われた女の子が、四,五人、学校の運動場を走って、井戸のポンプをいそいで繰る。
あまりいそぎすぎたためか、バケツ一杯にもならないうちに「がちゃん」と、ポンプの把手がぬけて繰(こ)げない。
暫し呆然。
「なにしてんのや。早よもってこい」
「こわれたのよう」
男の学童が二,三人駈けて行き、手助けするがこわれた把手は、すぐに用達たない。
さきに繰(く)つた五合ばかりの水をさげて来て、地面に流す。
足りなくって、血の跡形を消せない。
百三十人、ほどの学童がいるのに、井戸一つのふきそうじにも飲水にも不自由な学校。
鉄分の多い、赤茶けた水。湯も湧かせない。
水の不自由が姦ましく言われながら、今日まで事なく過ごしてこられたのが不思議。
それと言うのも、渓(たに)川の水。山の出水が周囲に豊富なだけに、気づかずにすごされて来たのであろう。
井戸が駄目と知った二、三人が、さわぎながら、参道を走って、山から取(とり)水をしてある、お宮の手水舎まで、バケツをさげて走って行った。
(8)
☆
弘と美代が学校に行った後、
「お早よう」
歩きの前田さんの声に弘の父は起された。
「早ようから、はりきって、なんや」
弘のお父つあんは、前田さんに愛想をして寝床から起き、顔も洗わずに、板の間に坐る。
「これが、はりきらずにおれるかい」
母親の入れた番茶をすすりながら、前田さんが言う。
「茶よりも、いっぱい、どうや」
茶をのむ前田さんをみて、弘の父はそう言い
「焼酒もってこい」
と、母親に指図する。
「顔も洗わんで」
不服そうに言いながら、一升瓶と湯呑を台所から持ってくる母親。
ごぼ、ごぼ、ごぼっ・・・・・。二つの湯呑みに注ぎ、一つを前田さんにすすめ、一つを、弘の父はぐっとひといきに呑む。
「朝から、えらい悪いな」
気がねして、母親の顔を見ながら言う前田さん。が、すぐ嬉しそうに湯呑みを口にあてて、ちびりとのみながら、話をつづける。
「矢野の製材所に朝から、山買うてもらう話で行ってきた。垣内の山やから、見んでもわかっとる。五万円で手をうとうと言いよるんやが、もう少しほしいと言うたら、そやつたら、山を見に行くと言いよる。で、おらの分が、山の背かぎりで、自明区の峰垣さんとのさかいになつとるが、五十年生の桧六本が、岩がじゃまして、どっちのもんやお前にはわからんかいな」聞かれて、焼酒をまた注ぎなおし、のどにながしながら、しばらくして、
「そら、垣内のもんや。何十年と下草(したくさ)を刈(か)って、手入れしていたのは桧牧や。そやけど、まちがったらこまるけん、おら、今日、桐久保さんとこえ、山買うてもらう相談に行こうと思つとつたんや。桐久保さんに聞けば、わかるやろ」
垣内のものだと思うが、まちがったら困る。
一緒に桐久保さんに行つて、質してみようと、弘の父は言う。
「桧がこちらのものか、自明区の峰垣さんのものかで、三、四万円はちがう。小せがれ四人もかかえて村にかえり、その日の飯もよう食はんおれんち、それに村入りが浅うて、みんなより半分しかもらへんよつて慾も出る」
山の区切りがはつきりせぬ。となりは山持ちの峰垣さんのもの。五、六本の桧を強引におしてしまえば、二,三万円よけいにころがりこむと言う慾心が、朝から、前田さんを、かけずりまわらせているのである。
「いつしょに、桐久保さんに行こう」
弘のお父つあんは、前田さんをうながし、普段着の仕事着をつけ、庭に出て、顔を洗いながら、
「そやけどもな、そんなこと、桐久保さんに聞かんでも、きってしもたら、ええやないか。どつちのもんやわからへんもの、考えるだけそんやで」
弘のお父つあんは、前田さんにひいきして言つてみる。
前田さんは弘のお父つあんの言葉に
「垣内の山は杉やけど、峰垣さんとこは桧や。杉ばつかりのところに、どうして桧を五、六本植えといたんやろか」そんな事を言つて、心の中で伐ろうか、伐るまいかと迷っているのだ。
顔をふきながら、弘のお父つあんは、板の間にかえると
「そんなことわからん。杉苗がたりんで、桧苗を植えたかも知れん。桐久保さんとこに、山の図面があるかも知れんで・・・・」と、言い
「とにかく行つてみようやないか。矢野の製材所は、いつ山に来よるんや」
話をかえて、前田さんにたずねてみる。
「めし食つたら、行くから、先に山に行つてくれと言いよつた」
「そうしたら、早いとこ、桐久保さんに行かねばならん」
前田さんの迷っているのを、とぎほぐすように言った。弘の父は
「お父うさん。食事は・・・」
「めしみたいなもん食つていられるかいな。おれんちの相談もせにやならんし、前田さんも金がいる。早よう、話をつけなあかん」
箱膳を置き、味噌汁をよそつていた母親の言葉に答え、横から
「早ようからすまんな」
恐縮そうに言う前田さんに、
「貧乏人はおたがいや。二、3万円もうかるか、そんするかのどちらかや。うちも、こんどの事で助かるけど、お前はんとこは、いつそうやからな」
なぐさめるように言った弘の父は、食事のかわりに、湯呑に、三度目の焼酒を入れ、ぐいとのどに流し、
「そら、そうと。おつ母。うちの借金いくらほどあるんや」
と、母親のほうに向って、たずねる。
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