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弘ちゃんは生きている(1)

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(7)
 ばんどりを追って、桧の下に走り寄る学童達が、いっせいに立ちどまる。
どこですったのか弘のひたいと、右足の甲から、血がこんこんと湧き出した。
桧の枝に移ったばんどりどころではない。
座り込んで泣く弘のまわりにみんな寄って来た。
越出あや子が、ハンカチを弘に渡す。みるみるうちに、まっ赤に染まる。
「兄ちゃん、登るなと言うたのに。馬鹿。馬鹿」
弘の背中をたたきながら、美代も泣き出した。
誰かが「先生を呼んできたる」と駆け出す。

「弘ちゃん、しっかりせい。大丈夫ヤ。テンダイウヤクのんだから死にはせん」
隆は血で赤く染めて泣く弘を元気づける。が、けがの責任の幾分かは、自分にもあるように思えて、おろおろ顔だ。
「奥田さんが悪いんや」
女の学童たちがはやすのに気づいて、奥田君は弘の足の甲の傷を、誰かにかりたタオルで結んでいる。
梶野先生と、伊藤房江先生が駈けて来る。
「誰か水を持ってきて此処の血をながしておきなさい」
梶野先生は、学童たちに指図し、泣きじゃくる弘の肩に手をかける。
それを手助けて、弘の両足を、伊藤先生が両脇にかゝえこみ、参道を横切って、学校にいそぐ。
参道に、赤い百合が点々と咲いたように、血が地面を染めている。
「水、水、水、早よもってこい」
弘が先生に運ばれた後、隆と奥田君が女の学童たちに指図。
言われた女の子が、四,五人、学校の運動場を走って、井戸のポンプをいそいで繰る。
あまりいそぎすぎたためか、バケツ一杯にもならないうちに「がちゃん」と、ポンプの把手がぬけて繰(こ)げない。
暫し呆然。
「なにしてんのや。早よもってこい」
「こわれたのよう」
男の学童が二,三人駈けて行き、手助けするがこわれた把手は、すぐに用達たない。
さきに繰(く)つた五合ばかりの水をさげて来て、地面に流す。
足りなくって、血の跡形を消せない。
百三十人、ほどの学童がいるのに、井戸一つのふきそうじにも飲水にも不自由な学校。
鉄分の多い、赤茶けた水。湯も湧かせない。
水の不自由が姦ましく言われながら、今日まで事なく過ごしてこられたのが不思議。
それと言うのも、渓(たに)川の水。山の出水が周囲に豊富なだけに、気づかずにすごされて来たのであろう。
井戸が駄目と知った二、三人が、さわぎながら、参道を走って、山から取(とり)水をしてある、お宮の手水舎まで、バケツをさげて走って行った。
 (8)
             ☆
弘と美代が学校に行った後、
「お早よう」
歩きの前田さんの声に弘の父は起された。
「早ようから、はりきって、なんや」
弘のお父つあんは、前田さんに愛想をして寝床から起き、顔も洗わずに、板の間に坐る。
「これが、はりきらずにおれるかい」
母親の入れた番茶をすすりながら、前田さんが言う。
「茶よりも、いっぱい、どうや」
茶をのむ前田さんをみて、弘の父はそう言い
「焼酒もってこい」
と、母親に指図する。
「顔も洗わんで」
不服そうに言いながら、一升瓶と湯呑を台所から持ってくる母親。
ごぼ、ごぼ、ごぼっ・・・・・。二つの湯呑みに注ぎ、一つを前田さんにすすめ、一つを、弘の父はぐっとひといきに呑む。
「朝から、えらい悪いな」
気がねして、母親の顔を見ながら言う前田さん。が、すぐ嬉しそうに湯呑みを口にあてて、ちびりとのみながら、話をつづける。
「矢野の製材所に朝から、山買うてもらう話で行ってきた。垣内の山やから、見んでもわかっとる。五万円で手をうとうと言いよるんやが、もう少しほしいと言うたら、そやつたら、山を見に行くと言いよる。で、おらの分が、山の背かぎりで、自明区の峰垣さんとのさかいになつとるが、五十年生の桧六本が、岩がじゃまして、どっちのもんやお前にはわからんかいな」聞かれて、焼酒をまた注ぎなおし、のどにながしながら、しばらくして、
「そら、垣内のもんや。何十年と下草(したくさ)を刈(か)って、手入れしていたのは桧牧や。そやけど、まちがったらこまるけん、おら、今日、桐久保さんとこえ、山買うてもらう相談に行こうと思つとつたんや。桐久保さんに聞けば、わかるやろ」
垣内のものだと思うが、まちがったら困る。
一緒に桐久保さんに行つて、質してみようと、弘の父は言う。
「桧がこちらのものか、自明区の峰垣さんのものかで、三、四万円はちがう。小せがれ四人もかかえて村にかえり、その日の飯もよう食はんおれんち、それに村入りが浅うて、みんなより半分しかもらへんよつて慾も出る」
 山の区切りがはつきりせぬ。となりは山持ちの峰垣さんのもの。五、六本の桧を強引におしてしまえば、二,三万円よけいにころがりこむと言う慾心が、朝から、前田さんを、かけずりまわらせているのである。
「いつしょに、桐久保さんに行こう」
弘のお父つあんは、前田さんをうながし、普段着の仕事着をつけ、庭に出て、顔を洗いながら、
「そやけどもな、そんなこと、桐久保さんに聞かんでも、きってしもたら、ええやないか。どつちのもんやわからへんもの、考えるだけそんやで」
弘のお父つあんは、前田さんにひいきして言つてみる。
前田さんは弘のお父つあんの言葉に
「垣内の山は杉やけど、峰垣さんとこは桧や。杉ばつかりのところに、どうして桧を五、六本植えといたんやろか」そんな事を言つて、心の中で伐ろうか、伐るまいかと迷っているのだ。
顔をふきながら、弘のお父つあんは、板の間にかえると
「そんなことわからん。杉苗がたりんで、桧苗を植えたかも知れん。桐久保さんとこに、山の図面があるかも知れんで・・・・」と、言い
「とにかく行つてみようやないか。矢野の製材所は、いつ山に来よるんや」
話をかえて、前田さんにたずねてみる。
「めし食つたら、行くから、先に山に行つてくれと言いよつた」
「そうしたら、早いとこ、桐久保さんに行かねばならん」
前田さんの迷っているのを、とぎほぐすように言った。弘の父は
「お父うさん。食事は・・・」
「めしみたいなもん食つていられるかいな。おれんちの相談もせにやならんし、前田さんも金がいる。早よう、話をつけなあかん」
箱膳を置き、味噌汁をよそつていた母親の言葉に答え、横から
「早ようからすまんな」
恐縮そうに言う前田さんに、
「貧乏人はおたがいや。二、3万円もうかるか、そんするかのどちらかや。うちも、こんどの事で助かるけど、お前はんとこは、いつそうやからな」
なぐさめるように言った弘の父は、食事のかわりに、湯呑に、三度目の焼酒を入れ、ぐいとのどに流し、
「そら、そうと。おつ母。うちの借金いくらほどあるんや」
と、母親のほうに向って、たずねる。

(6)
家から東へ二百米ばかり行くと、消防器具庫があり、その前に垣内の学童が集まっている。
越出あや子。炭谷勇。本田務。中窪由子。前田朝子。伊藤孝子・・・。十一人の垣内の学童がそろったのをたしかめると隆が引率して、学校に向う。
一年生から6年生と一列に並んで、お宮の前にきた。と、鳥居を入った二本目の大きな松の木のすそで、ほかの垣内の学童たちが、天に向ってがやがやさわいでいる。
「なんじゃろう」五年生の炭谷くんが列を乱して走り出す。
それにならって、学童たちは列をくづし、われさきに松のすそに駈ける。
「兄ちゃん。走ったらいやや」
走りしぶって、ぐずる美代に、
「早よ、走れ」
と一言いい、弘も美代に構わず、他の学童に負けまいと駈ける。
自明区の5年生の奥田君が、隆と弘を見て「狸じゃ。狸がとまっている」と
松の葉をすかして、天を指差し、いつにない真剣な顔付きで言う。
学童たちの声に怯えているのだろう。松の葉にひそんだ動物は動かない。
石を投げるもの。叱声をあげるもの。
とうとう奥田君が木に登り出した。
松の木をだきかかえるようなかっこうで、足をふんばって登りはじめる。が、廻り三米ほどの松の木、たやすく登れない。二米ほど登ると、力が足りなくずり落ちる。
二,三人こころみるが、誰も初めの枝に手がかからない。
女の学童が大勢いいたために、五年生の男の学童は気負って木に手をかける。
少し登って、滑り落ちると、「わっ」と、女の学童がはやす。
動物よりも誰が登りきるだろうかと木のすそをかこんだ。学童の心がそのほうにうばわれている。
五年生で木に手をかけないのは、弘ひとりになる。
「弘ちゃん、やれよ」
隆が手についた松皮の屑を服でこすりながら言う。
引っ込み思案の気の弱い弘。いつもなら「ううん」と、はにかんで引き下がるのだが、
越出あや子、中窪由子・・・と、女の学童が大勢いるなかで、
「お前、ようあがらんのやろ」と自明区の奥田君にからかわれたとこへ、「弘ちゃん。落ちても死なへん。不老不死の薬のんだやないか」と隆が昨夜飲ませた霊薬テンダイウヤクのことを、真面目な顔付きで言う。
口に入れて渋かった。昨夜の事を思い出すと、いまでも口の中が渋いようで
「ほんとかな」と、薬のききめがあるように思えもする。
弘は心うちで、登ることを、しばらくためらっていた。
その時、ちらりと動いた動物に、こころがはやり、とうとう松の木に手をかけてしまう。
 弘のようすに、女の学童たちがいっせいに拍手する。
「兄ちゃん。やめとき」
二年生の妹の美代がとめたが、誰も承知しない。
太くのぼりにくいのを、顔を真っ赤にりきませ、じりじり・・・と、一寸刻み、二寸刻みに上がる。
一本目の枝まで三十米。片手を上げればとどきそうだ。
弘は幹の凸部に左手をかけ右手を空間にのばす。
樹上の動物が身に危険を感じたのか
「キイツ クワツ キイッ キイツ」
 と、赤子のような泣声をあげ、三米程離れたとなりの桧の枝に空中滑走して逃げた。狸(たぬき)ではなく、ばんどり(むささび)だった。
「わぁっ。わあつ」
木の下の学童たちが、動物の姿をまじまじと見て、いっせいに声をあげる
弘はばんどりの空中滑走に目をうばわれ、学童たちの声に心をとられ、瞬時、手の力がぬけて「あつ」と思うまもなく、ずるずると四米ばかり、すべり落ちた。

(5)
垣内の集会が終って、弘の父がふたたび桐久保宅に見えたのは十時近くになっていた。
 「旦那さんのところは、竜門さんと中西さんの間に決まりました」
 「そうかい」
 あまり気にもしていない返事をして、
 「弘坊を連れて早く帰れよ」
 顔だけ弘の父に向けて言うと、桐久保さんは目を碁盤にもどした。
 弘の父は板の間に腰をおろし、長火鉢の横の茶櫃を引きよせると、自分で茶を入れながら「旦那さん。一寸話がありますのや」
 入れた茶を一息に飲み干すと、桐久保さんに声をかけた。
 弘の父の話しかけに、梶野先生は気をきかして
 「お話がありそうですから、失礼して風呂をもらってきましょう」
 と、囲碁を中止して立ち上り風呂に行く。
 桐久保さんは致方なく碁盤を離れて、長火鉢の前に座り
 「話って何か」
 聞かれて、弘の父は暫く言い憎そうだったが、
 「今度分けてもらった山を金にかえて、借金をかえしたいと思います。就いては旦那さんに買って頂けませんか」
 真顔で言う。
 「そんなことだろうと思ったよ。自分とこの貸金はいつでもよい。すぐ売らなければないほど金が必要なのか」
 眉間にしわをよせて言い、続けて
 「金が出来そうだと、先に使うことを考えて、そのようなことではいかん。山は山三厘と言われて収益もなく、じっと持ちこたえて、苦しい暮らしをたえている者には、すぐに金を使う者の気持が解(げ)せん」
と、渋い顔付きになった。
「だけど、旦那さんは昔からの山持ち。自分は戦災で焼け出されて裸。身分が違います」
 「山持ちやから、暮らしが楽やと言うのか。どつちが贅沢していると思う」
「旦那さんのほうでしょう」と、思っていることを言いたかったが、頼み事にきているいま「まあ、まあ、えへっ えへっ」と、
言葉にならぬことを言って、笑って答えなかった。
「山稼ぎで一日六百円。月に二十五日働いて一万五千円、親子四人結構やって行けるのやないか。酒に金をつぎこんで飲むから、暮らしがたたない。子供も可哀想だし、おっ母の怒るのも判る。一日に焼酎三合以上も飲めば、酒代も馬鹿にならん」
飲酒のことを突かれて、弘の父は頭があがらず黙ってしまった。
 金のはいりが少しでも締まればよい。儲けても無駄に使えば足りなくなる。暮し向き を考えよと桐久保さんは言っているのだ。
 それは弘の父にも判っているのだが、酒代がかさばることを言われて返す言葉もない。
「山は買ってもよい。だが町村合併で垣内の山を分けことになり、苦労もせないで手に入る。それを当てにする考えに腹が立つ。いつまでも立ちなおれないのは、そんな心がけだからだよ。今晩ひと晩考えてみることだ」
 口答えの出来ない弘の父は言葉もない。
その様子に、桐久保さんは
「弘坊、弘坊」
奥の部屋に向って声をかけた。
弘が出て来た。
「風呂から帰っていた梶野先生から、弘が桐久保宅に来ていた事情を聞いた父は、頭をなんどもさげて恐縮。
 父と弘の二人は 桐久保宅を辞して、春めいたとはいえ夜更けはまだ冷える外に出た。

「おっ母と、なぜ喧嘩した」
「悪い美代に味方をして ぼくを叱って、真珠玉を投げよった」
 父は継母の仕打ちに抵抗を覚ゆることもあって、一寸悲しい思いにとらわれたが
 「弘も大人になれば判るよ」
 咄嗟にどうして説明してよいのか判らず曖昧な言葉でにごす父。
 それに引きかえ 弘は判っている。
 「母は継母だから」
と、口に出したいのだが、口にだせば父が悲しむ。唇をかんでこらえた。
 黙る弘があわれに思え
 「明日、桐久保さんに山を買ってもらったら、弘に自転車を買ってやるよ」
 母の話をはぐらかせて、父が言う。
「ほんと。嬉しい」
父の腰をゆさぶり、二ども念をおした。
 入る金を当てにして、使うことを先に考えることを反省せよと、桐久保さんに言われていたが、後妻としっくりいかぬ弘がいじらしく
 「ほんとうに買ってやるよ」
 と、約束をして、個人持に分けられる二反分の杉桧の時価を、胸算用していた。


 外の浅井戸から釣瓶で、鉄分の多い赤茶化た水を汲みあげ、その水で顔を洗いながら、
隆と約束した昨夜のことを思い出した弘は、初夏に赤い百合が咲く処の雑草地に目をやった。
 げんげのつぼみが首をもたげている。近よってしゃがみこみ、春の息ぶきをうけて
赤い百合の芽が出ていないかと目でさぐっていると、
 「早く御飯食べて、学校へ行け」
 母の声が背中にとんできた。
 桐久保さんに山を買ってもらう話に行くと言っていた父はまだ寝ている。
自転車を買ってもらう約束を確めておきたかったが、起せば母が怒るだろう。
 家に入って食卓についた弘は、父が起きてくれぬものかと、漬物と大根の実の味噌汁、
昨夜の麦まじりの残り飯を、時間をかせぐようにゆっくりと口にはこんでいた。
「兄ちゃん、早く行こう」
先に食事をすませた美代が、横からぐずった。
 弘は仕方なく、箸を置いて立った。

(4)
桐久保さんは更に言葉を続けた。
 「今晩の垣内の集会も厄介です。町村合併して、町に垣内の山をとられるより、合併になるまえに村の衆に山を分けて、個人持ちに登記をしょうと言うのです。
 山は元入れが五十年、六十年とかかり、伐って売って初めて金になりますが、伐らないと、孫、曽孫の代まで財産として維持され、緑の豊かな山が保たれます」
 「そりゃ、その通りです」
 うなずく梶野先生に、桐久保さんは更に話を続けた。
 「垣内の山を村人の数に分けると、一反ほどの個人持の山から、杉、桧を伐って出しても金額はしれている。伐った後の裸山にも山林税がかかる。それをこらえて何人が保持できますか」
 桐久保さんは、今晩の垣内の集会に行かぬ訳を、遠まわしに語っているのだ。
 梶野先生には、垣内の山林には関係がなく興味もない。
「一寸、失礼します」
 庭の便所小屋に行く振りをして、その場を立った。
 その後へ、垣内の歩きの弘の父が姿を見せ
 「山を分けることで、籤引きすることになり、旦那さんに来て欲しいと皆んなにことづかりました」
 と、桐久保さんを迎えにきた。
 「一時の金ほしさに、垣内の将来も考えない馬鹿なこと」 と、他人事のようにつぶやくと
「お前も分けてほしいくちやろ」お父っあんに向って、しぶい顔付きをして言う。
 「子供二人かかえて戦災の焼き出されで、村に帰って来てからも苦しい暮らし。分けてもらえるので大変助かると喜んでいます」
 桐久保さんが入れた茶をすすりながら、嬉しそうに微笑んでいた。
 「言ってくれ。皆んなの決めたことには、異存がないと」
 「じゃ、お越しになっていただけませんので?そりゃ困ります」
 「こっちが困る。町村合併しても、垣内の山として残す手段(てだて)がある。目先の金にくらんで、先のことも思わぬような話にはのれぬ」
 一徹者と、人に評される桐久保さん。声が大きくなり荒げてきた。
 声を耳にした奥さんが台所から、前掛けで手を拭きながら土間に顔を出す。
「垣内の人達で決まったこと。籤引きだけでも行ってきなされば」 と、とりなすように言うが、
 「目先の金をほしがって、目がくらみよる集会に行くのは嫌だ」
 桐久保さんは、奥さんのとりなしにも行きそうでない。
 そこへ用足しをして帰って来た梶野先生に、
「お義理で組頭をよびだしに来よって。気分がわるい。元(げん)なおしにいっちょうやりましょ」
碁石を打つ格好をみせて、先生を誘い、長火鉢横に囲碁盤を持ち出した。
 梶野先生は強くはないが嫌いでもない。弘の父に
「お父さん、弘君は風呂をもらっていますから、集会が終って帰られるとき、一緒に連れて帰ってください」と、頼んだ。

 垣内の集会が終っての帰り、父と一緒に家に帰ることになった弘は、隆の部屋で時間を過ごしていた。
 「弘っちゃん。笑い木を知っているか。さわると笑うよ。」
 勉強机の右隅の筆立に、七十糎ほどの木の小枝が立ててあった。小枝を人差し指で弾く(はじく)と、木の枝は発条(ばね)しかけみたいにながく振るえて止まらない。
木が笑っているようだ。
 弘は息をひそめて耳を近づける。かすかに振動音が聞こえる。なにか小叱を行っているように思えて、ふと母を思った。
 「これ怒り木だ。怒っているんだ。」
 振動がゆるんだ小枝をふたたび弾いてみる。びいーん、びいーんと、二十秒ほど振動音を立てている。
 「これなんの木」
 「知らん、植物図鑑にものっていない」
 「どこに植えている」
 「秘密」
 「教えてよ。赤い百合をやる」
 「えっ、ほんと」
 夏がくると、弘の家の前の雑草地に百合が咲き乱れる。淡紅の笹百合ではなく、また山百合よりも小さく夾竹桃のような赤っ赤な色の百合だ。
 北海道の黒百合のように、赤い百合は垣内の狭山の一角だけに咲き、里内には弘の家の雑草地だけにしか咲かない。
 珍重している村人は、季節になると、腰を折ってもらいに来る。日頃は他人に無視されている弘の家だが、この時だけはお愛想をうける。
 「きっとくれるね。指切りげんまん」
 隆が小指を突出すが、弘は手を出さず
 「さきにこの木のあるところを教えてくれないと嫌だ」
 と、指切りに応じない。
 「では、誰にも教えるなよ」
 と、隆は念をおす。
 弘は「うん」とうなずき、初めて指切りを行なった。
隆は立ちあがると、机の引出しからノートを持ってくると、それをひろげた。
もうせんごけ。てんだいうやく。ひとつしだ。つるまんりょう。ふゆあおい。すずらん。珍しい植物を採集した場所が記されていた。
 氏神さまのご本殿の裏山を0.6粁山へ登ると窪地に自生する自然文化財のつるまんりょうの群落から西へ十二米といった具合。
 宝物のかくし場所を明かすように話す隆に、目をかがやかせて聞く弘。
 「てんだいうやくもやるよ。これを食べると死なないよ」
 秦の始皇帝の使者の除福が、日本に来て発見した不老不死の薬草と言われ、山芋の蔓に似たつる草である。
 笑い木の場所が判り、珍しいつる草をもらった弘は嬉しそうに
 「このつる草を噛んでみよう」
 と、不老不死の薬草と伝わるてんだいうやくの乾いた葉を、ひとひら口にほうりこんだ。
集会から帰りに寄る父が見えるまで、山に囲まれた垣内の子供たちは、自然の草木にかかわる話が多かった。

(3)

「また、おっ母に叱られたのか」
「妹が本をぶつけたのに、おっ母は僕ばかり叱るから、ここにきた」
継母の行いをよく知っている梶野先生はおざなりになぐさめも言えない。
「我慢するんだ。家に帰ろう。一緒に行こう」
 弘の肩に手をかけてうながす。
「父は集会所に行っている。集会が終ったなら一緒に帰る。それまで此処で待つ」
氏神様の参道の東側が学校。学校から東へ百米の処に集会所が有り、その向うは隣の垣内の自明村。
 「弘もかわいそうじゃが、これだけはどうにもならぬ。おっ母がそんなに嫌いかい」
 「僕が悪くないのに、いつも叱りよる」
 勉強は出来のよいほうでなく、性格は少し引っ込み思案が多く気の弱い弘。
 「じゃ、先生と一緒に桐久保さん宅に行って、集会が終るまで待とう」
 桧牧垣内の中程に、白壁の屋敷の桐久保隆の家に、弘をさそった。梶野先生は宿直の夜は桐久保宅にもらい風呂に行くのを習慣にしていた。
隆も弘同様担任の学級生で、父は育友会長で垣内の組頭である。
 歌舞伎門をくぐって、十数米の通りの敷石の左右に川岩が配され、玄関のつくばねは山からの配水が清冽な音を立てて、春日灯篭も置かれて優雅な庭になっている。
 玄関の引戸をあけて土間に入ると、仕切の暖簾を分けて、奥の台所から奥さんが出てきた。
 「今晩は。風呂を頂きにきました」
 梶野先生が声をかける。
「先生、さあどうぞ。おや、弘っちゃんどうしたの」
 梶野先生の後ろにいる弘を見て、奥さんが不審気に聞く。
 「母に腹をたて、集会が終って帰る父と一緒に帰ると言うものですから、その時まで此処に居させようと連れてきました」
 常日頃の垣内の噂で弘と母の不仲をよく知っているとみえて不審気がきえて
 「隆、弘ちゃんが見えたよ」
 と、奥へ声をかけた。
 隆でなく、桐久保さんが奥から姿を見せ、土間のあがりぶちの板敷きに置かれた長火鉢の前に坐った。
 「おや、今夜は集会に行かれないのですか」
 桧牧区の垣内の山を分けるのに、組頭の桐久保さんが出席せぬことに合点がいかない
梶野先生はたずねる。
 「私は不賛成だから行きません。今日(きょうび)、金になることだったら、組頭の言うことなんか聞きよりません。垣内の衆が皆んなで決めよるでしょう」
 梶野先生に、他人事のように答えると、弘に向かって
 「弘坊、お父っあんは集会所か。おっ母もいかんが、父っあんも悪い。飯も満足に食えんのに酒ばかり飲みよってなあ」
 と、つぶやくように言って、梶野先生に座布団をすすめた。
 奥さんが台所の榾火を十能ですくって持ってくると長火鉢に移し、折りかえして鉄瓶と菓子器を持ってきて、入っていたあられをひとつまみ弘の手に握らせ、梶野先生に風呂をすすめた。
 「隆君はどうしました。僕は後にして、隆君と一緒に入れてやって下さい」
 それを聞くと、桐久保さんは
 「隆、隆」と
奥へ声をかけた。
 出てきた隆をみて、弘はにんまりと微笑み桐久保さんの指図で、中庭の縁(えん)を通り、本屋から廊下伝いに離れた二坪ほどの風呂場へ、弘は隆のあとをについて行った。
 鉄砲風呂。周囲はタイル張り。水は井戸から電動モーターで配水され、カランをひねると水が出る。
 「あっ、湯がこぼれる」
 弘の家は外の井戸から釣瓶で水を汲み、家のなかの五右衛門風呂まで運ぶ。洗場も人ひとりがやっとの狭さ。そして五日に一度の入浴だ。水を運ぶ苦労が身に滲(し)みている。湯槽からあふれる湯をみて弘は声をあげた。勿体ないと思ったからだ。
弘の言葉がおかしくて、隆がけらけらと笑う。笑われた弘はきまり悪そうに。湯槽に首までつかると、
「隆さん。お父さんは組頭だのに、なぜ集会所に行かないの」
 と、聞く。
 「山を分けることに反対やから、行かないのだろ」
 と、隆は答えた。
 金がころがりこむと、集会所に出向く時、どんと胸を叩いて自転車を買ってやると、気前良く言っていた父。嬉しいことだと思う。
弘は、隆の父がどうして行かないのか判らない。湯槽から上がって身体を洗っている隆の横に腰を降ろすと、
「山を分けたら、どうしてあかんのや」
得心の行かないことを、たずねてみる。
「山を分けたなら、垣内の者が柴も出来なくなると父は言う」
 と、隆がこたえる。
 「分けても山がある以上、柴は出来るのと違うか」
石鹸をなすりつけた手拭いで体をこすりながら、ふたたび弘が疑問をなげた。
  「知らんよ」
と、隆は 答えるだけ。
 山持ちの資産家の息子の隆には、学級生も一目おいている。答えない隆に不満だが弘も黙ってしまった。すると、
 「村も、町になるんやで」
 と、弘が問う答えでないことを、隆がぽつりと言った。
 「町村合併で、よいことはありません。町の発展に村が犠牲になるようなものです」
 「合併は国の方針でしょう」
 「地方交付金を余計にふんだくる位が関の山ですよ」
 町村合併になれば、学校も種々問題が起きてくるだろう。学校のことは校長が始末を
つければよいが、個人の先生にもなにが起こるかも知れぬ。
 政治のことはふれたくない梶野先生だが、それとは裏腹に桐久保さんと、町村合併につ
いて熱心に話しを交していた。
「学校はどうなります」
「勿論、町立になり、機構は変わらないでしょうが、困った問題が必ず起きるでしょう」
「困ったこととは・・・」
「例えば、学校林のことを考えても、助成の経費に使えたものが、今度は町長の許可が
いります。ご先祖が学校の発展を願って残してくれた物が、今後は村人の相談だけでは、
学校の助成費用に使えなくなる」
「町で予算を組み、経費を支出すればおなじでしょう」
 「人間は誰でも慾があり、自分の村の子供たちのために学校林を伐って費用に当てることはすぐまとまるでしょうが、町の学校の助成費用のために伐るとなると、村の人が得心せないでしょう。町村合併で、村の学有林が町有林となって、町の文教委員さんが議会で討論のとき、村の学校のことを二の次にして、町の学校のことを良くするために、町出の議員が多いので、少人数の村出の議員を押さえつけて、多数決すれば、村の学校は無視されることになります」
 判ったような判らないような話。村の有識者と言われ敬まれている教師として、判らぬとも言えず
 「なるほど」と、梶野先生はうなずいた。

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